07 37歳元ラノベ作家、古本屋へ行く
年収37万円の世界で生きることを想像するのは案外簡単だ。世の中にあるものの値段に「0」を一つ、つけてやればいい。
自販機の水1100円。
明治エッセルスーパーカップ1300円。
牛丼並2900円。
幕の内弁当5000円。
俺はラノベ作家ではなくなったときから、富士山の売店がチェーン化して下界を侵略したような世界で生きている。
しかし、今日の俺はいつもとかなり違う。
なんと、七千円も持っている。
しかも、定期的な支払いとはまったく関係のないお金だ。
ひとつきに一週間ほど訪れる、この至福の時間を存分に味わうため、俺はまず、入店と同時に店員全員が挨拶してくる古本屋に入った。
もちろん、貴重な金を出来るだけ減らさないために、なにも買うつもりはない。
買おうと思えばいつでも買えんだよ、という状態でうろうろするのが、俺に更なる精神の安定を与えてくれるのである。
だが、今日はある一冊の本に目を奪われた。
先月来たときはなかったはず。俺は即、背表紙の上に人差し指を引っかけて、棚から抜き出した。
俺の本をここで見つけるのはしばらくぶりだ。
デビュー作からシリーズ化されたやつの四作目。
日焼けしているけど、そこそこ綺麗な方だ。
発行部数的に、こいつは結構レアなんだよな。
賞を取って、担当に最初に言われたのは、一作目の売り上げ次第でシリーズ化になる、シリーズになったらとりあえず三冊ぐらい出してみて、売り上げがよかったら以降も続けていくよということだった。
だから、四作目やるからとメールで聞かされたときは、大学のセンター試験の後の二次試験をパスしたような気持ちになった。
いや、受けたことないんですけどね。
俺はそのままレジに行って、自分の本を安定の100円で購入した。
でも不思議なんだよな。ラノベ作家だった頃は古本屋に自分の本が置いてあっても、「あー、ある」ぐらいだったのに、ラノベ作家じゃなくなったら、保護しなくちゃいけないという気持ちになって買ってしまう。
いや、最初の頃はさ、一応理由があったんだよ。
俺がラノベ作家だったことを知らない女性と出会って、その人が俺にとって大切な人になったとき、「実は――」と言ってプレゼントするという。
きもかった?
サーセン。
でも、そんなことは起こりえないとわかってからも、なんだかんだで保護を続けている。
その理由は、実はもうわかってる。
自分の本が誰にも買われず、ずっと置かれ続けるという状況を想像して、いたたまれない気持ちになるから。
そして、自分の本を金出して買うことで、自分は確かにプロのラノベ作家だったんだと思えるから。
俺はねーけど、人によっては自分の本がまだ流通しているのが恥ずかしいって理由で回収することもあるかもな。
自転車の前カゴに袋を放り込み、途中、ドラッグストアでオレンジジュースを買っていって、家に帰り、自分の本が並んでいる以外はスカスカの本棚に袋から取り出した四作目を入れる。
入れるとき、つい、自分の本に対して心の中でかけてしまう言葉がある。
なんでそんな言葉かけるのか、未だによくわかんないんだけどさ。
今日もやっぱりかけたよ。
――おつかれ。