17 37歳元ラノベ作家、大学のオープンキャンパスへ行く
俺のように経済的にも社会的にも困窮している人間が、真夏にただで涼む場所として昔から存在するのが図書館である。
確かに図書館はエアコンが効いている。スポーツ新聞や週刊誌、漫画も置いているから暇つぶしにもなる。
だが連日、一日中いるのはどうか?
正直、すぐ嫌になる。
たとえば昼飯が問題だ。
図書館までは自転車で20分ほどかかるので、だいぶカロリーを消費する。万年床でネットを見ながら寝転がっていればバターロールパン二個で十分だが、図書館へ行くとそれだけでは昼以降、腹が鳴りっぱなしになる。
空腹状態を安く解消するためには、98円ぐらいの食パンを買って一斤まるごと食べるのがベストだが、今度は飲み物の問題が出てくる。
図書館にて無料で調達できる飲料は水しかない。しかも、トイレの蛇口から飲むしかない。
なにもつけずに98円の食パンを一斤食べて、トイレの水で喉の渇きをうるおす。
はっきり言おう。
精神的にくる。
国会図書館に自分の本が何冊も納入されている37歳が、外でそんな食事しかできないことがすげえくる。
じゃあ、エアコンが壊れて、東南アジアのジャングルみたいな気候になっている室内でずっと過ごすのかというのと、それもつらい。
だったらどうする?
というわけで俺は今、10日ぶりにダイソーのT字カミソリでひげを剃り、左右に『響け!ユーフォニアム』風セーラー姿のJKを従え、バスに乗っている。
いや、ほんとは全然似てなくて、最近、ユーフォニアムを見たアピールしたいだけなんだけど。
Let's オープンキャンパス!(あすか先輩っぽく)
オープンキャンパスとはなにか?
存在は先週、ネットで偶然知った。
大学が、入学希望の高校生やその父兄にキャンパス内を開放し、講義なんかも開いちゃうという催しらしいが、俺のような一般人でも行っていいらしい。しかも、今、俺が向かっている大学は、学生食堂で定食を100円で食べられるという特典つきだ。
ぶっちゃけ、俺は高卒なので大学に足を踏み入れたことがない。なので、涼める、暇つぶしになる、定食を安く食えるということ以外でも魅力を感じる。大学というのはどんなところで、講義というのはどんな感じなんだろう。
大学が用意した無料バスはどんどん街から遠ざかり、地元民の俺でも地図上でどこなのかよくわからないロータリーで停まった。ドアが開き、左右にいた女子高生を含め、学生や父兄もがやがやと下りていく。
もわっとした暑さが瞬く間に全身を包み、思わず片目をつむって空を見た。ロータリーをぐるりと樹木や緑が囲んでいるが、太陽は真上なのでもろに直射日光を受ける。暑すぎるせいか、虫一匹飛んでいない。
幸いにも大学へ向かう道は背の高い樹木の中にあり、一気に涼しくなった。ただロータリーと違って、小さな虫が飛んでおり、耳障りな蝉の鳴き声が響く中、手を左右に振って払いのける。
ちょっとした山の下山道のようになっているところを蛇行しながら下っていくと、大学の公式サイトにあったのと寸分違わぬキャンパスの姿が目に入った。
(へえ、これが……)
心の中でつぶやく。
広い道の左右にはレンガ造りの建物があり、前方には道案内の標識とともに、大きな樹木が何本か立っている。公園っぽい景色に校舎。なんか、まじで大学っぽい。学生男女が、あの辺をいちゃいちゃ歩いている姿が想像できる。
奥は円形状の広場になっていて、円形階段を上がっていった先にまた校舎がいくつかありそうだ。
つーか、円形階段を見ていたら、なんかカチンときた。
あの形の階段見てると、なぜかリア充男女がいちゃいちゃしながら座っている姿が想像できる。
なせだろう。
なんか。
イタリア?
イタリアっぽいから?
高校生やその父兄らと一緒に歩いていると、左側の建物前方でペットボトルのジュースとパンフレットを配っている男女たちが見えた。みんな二十歳ぐらいか。
おそろいのTシャツを着ているから、おそらく、実行委員会とか、そんな名前の元に駆り出された学生だろう。
ま、でも、飲み物を持ってきていないので助かった。バスを降りてからトータルで数百メートルぐらいしか歩いてねーけど、もう喉カラカラだよ。
短髪のさわやか男子からパンフレットとQooのりんごジュースを受け取り、Qooを脇に挟みながらパンフレットを開く。
今日開かれる講義の中に文学関連のものはなく、正直、あまり興味の持てないものばかりだ。それでもせっかく来たのだからと受講するものを決め、時間が来るまで建物の中を歩くことにした。
高校生たちは別のところにいるのかまったく姿が見えず、夏休みなので学生もおらず、中にいるのは自分だけのように思える。
廊下は中学や高校のそれと変わらず、左側に並んでいるのは職員室っぽい部屋、教室っぽい部屋とやはり変わらない。外見は明らかに中学、高校とは違いが、中はほとんど一緒と言っていいだろう。
大学へ行かなかったのは自分が特別な人間だと信じていたからだ。
高校在学中に作家としてデビューできると本気で考えていて、高校を出てからも数カ月後に本を出している自分を常に想像していた。
時間はかかったものの、実際、デビューして本を出すことができたのだから、やっぱり俺は特別な人間だったのかも。
ただ、一度、特別だと認められたら、ずっと作家でいられると思っていたが、それは間違っていた。
「特別の中では並以下」
そう判断されたら終わりだなんて考えてもいなかった。
高校のときにそのことに気がついていたら、俺は別の生き方を模索して、学生として、この廊下を歩いていたかもしれねーな。
だが――。
そんな思いは簡単に吹き飛ぶぐらい、一時間後に受けた講義は拍子抜けだった。
高校生とその母親というカップリングばかりの教室に単独参加の俺(37歳独身)がいて、プロジェクターで映されたビデオ映像を見て、5分おきに被写体をチェックし、それを一人一台用意されたパソコンのソフトに「人物」か「風景」か「物」かを記録していくという作業。それだけ。
こんなことやるために受験して英語とかでいい点取んなきゃいけねーの?
でも、広い食堂で食べた定食はうまかった。肉、野菜、ごはん、味噌汁。そして水。ものすごく大きく分けても品目数が五つもある。大勢の人と同じ場所で食べるのもいい。
講義も珍しい経験と考えれば悪くない。
トータルとして図書館より遙かにいい。
だけど、なんつーのかな。
定食を食べ終え、手で口を拭って水を飲み、笑顔で歓談する女子高生たちをながめながらふと思う。
これから始まる人たちばかりの中で、俺。
まぶしすぎるわ、ここは。
オープンキャンパスはもうない、かな。
明日から、別の避暑地、探すか。
俺は席を立った。