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レイス先生の日常 おまけ(エリエールの回顧録直後)

呪いの森から帰ってきたシリウス・レイスの話。


短編集『花の指輪』の『エリエールの回顧録』のネタバレを含みます。ご注意下さい。

 僕はシリウス・レイス。普段は王都で暮らしている古文書学を中心に研究している歴史学者だ。


 昨日の午後3時ぐらいに森の中に入ったが、エリエール嬢との対話(彼女の一方的なおしゃべり)が終わって、彼女の光の道標みちしるべを頼りに森を抜けた頃には、東の空が白み始めていた。


 正直、森を舐めまくっていた。行きはエリエール嬢の声の方向に進んだらよかったが、エリエール嬢の墓は思ったよりも森の奥まったところにあった。獣よけの薬とエリエール嬢の魔法の導きが無かったら、道に迷った挙句あげく、狼に食べられていたかもしれない。


 ああ、寒い。森の中ではそんなに寒さを感じなかったのに、森を出た途端、背中を冷気が撫でた。

 

 確か、あの畑の側に、家が一軒あったはずだ。


 扉を叩くと、しばらくして予想通り僕に薬を売りつけた男が出てきた。

 僕は身を一瞬硬くして、反射的に頭を下げる。 


「こんな時間にすみません」

 相手が、王子――それもゾンビ王子だと思うと自然に低姿勢になってしまう。


「寒かったでしょう」

 男は穏やかに笑って、快く家の中に招き入れてくれた。


 ランプと暖炉に明かりがともって、目の前の男の姿がよく確認できるようになっても、普通の男性とどこも違うところがない。


 男は僕に椅子を勧めると、自分は奥に引っ込んでしまった。


 どう切り出そうかと思ったとき、本棚が目に入った。こんなド田舎に何冊も本があるとは。

 興味を持って一冊を取り出し、机に持っていき、目次を読み始めた時点で異常に気づいた。


 所々(ところどころ)、綴りが違う。間違えているわけではない。


 すべて、古い時代の――200年ほど前の綴りなのだ。


 お茶のセットを持って戻ってきた男に僕は尋ねる。

「珍しい話が多いですね」

 書かれている内容は御伽噺が多いが、庶民に広がっていない遠い国の話がちらほらまぎれている。


「そうですか?この村の伝説とか、言い伝えやら、あと私と彼女が考えたお話を書いているだけでして・・・」

 彼は朝食の準備をしている女性に目を向け、こちらに視線を戻す。

 あの女性がエリエール嬢の言っていた『奥さん』?


 木のうろにいた赤子が成長して月に帰って行く話なんて、王立図書館の奥のほうに一冊、置かれているだけだったはずだけれど。


 ほんの少し、彼の目に警戒の色が差したのが、決定打になった。


 僕は一口、紅茶で喉を潤し、口火を切った。


「森の中で会った素敵な女性からマフィンだけじゃ喉が渇くので、“あなた”のお茶を持ってくるように頼まれました」

「は?げほっ」

 ゾンビ王子(仮)はなんとか噴き出すのは堪えたが、僕の言葉に茶を喉に詰まらせたようだ。


 咳き込んでいるゾンビ王子(仮)に僕は更なる追い討ちをかける。

「11歳 馬 大泣き」

 ゾンビ王子は僕の言葉を聞いた途端、盛大にカップをひっくり返してしまった。

 床に転がるカップを拾おうともせず、彼は目をまん丸に広げてこちらを見つめている。


「それ、どこから聞いた?」

 さっきまでの穏やかな顔が一変、硬い表情になる。声も地を這うように低い。


「エリエールじょうからの伝言です。『ご結婚おめでとうございます』と」

 僕がエリエール嬢からの伝言を伝えると、ゾンビ王子の目から涙が流れた。


 料理を中断して、様子を見に来た奥さんが「私の私の前でしか泣かないんじゃなかったの!」って怒ると、ぐずぐず言いながらもなんとか泣き止んだ。


 さすがに、いきなり大の男に泣かれてびびったが、その次に見た表情が尋常じゃない。


「なんで、ばれた?エリエールからどうやってその伝言を預かった?」


 ゾンビ王子はぱちぱち青い光がはじける玉を出して、俺の頭の上に飛ばす。

 下手に立ち上がったら確実にぶつかる。ぶつかったらどうなるかわからないが試すつもりは無い。


 これがエリエール嬢の言っていた魔法?


「ちょっ、侍女からの大事な伝言を伝えた人間にこの仕打ちはないだろう」

「いいから、さっさと答えろ」

 声が低い。怖い。言葉遣い違う。さっきまでの穏やかな彼、かむばっく、ぷりーず。


「えー、その・・・信じてもらえないかもしれないけれど、僕、幽霊のたぐいと話ができるんだ。それで・・・幽霊がいるんだったらゾンビ王子はどうなんだろうって、ゾンビ王子なんてものが本当にいるのか確かめたくなって。別にあなたの秘密を世間様にばらそうとか思っているわけじゃないんだ」


 いや、発表すれば、センセーショナルかなって思ったけれど。

 僕の頭の上にある光の玉が一回り大きくなる。


「その・・・エリエール嬢の話を聞いても、あなたがゾ――」

 夫が泣き止むとさっさと朝食の準備に戻った奥さんのを見やる。

「彼女は知っている」


 そうは言われても、奥さんの前でゾンビって連呼するのもなぁ。

「王子だってことはさっきまで疑っていた。薬と魔法も証拠って言えば証拠だけれど、確信できたのは、この本なんだ」


 僕は、先ほどまで読んでいた本を持ち上げる。

 今、この男を目の前にしても、どこがゾンビだったのかさっぱりわからない。

 だがエリエール嬢の話、獣よけの薬、伝説、そしてこの本を考え合わせると、彼が『シャムロック・ラハード王子』だった可能性はある。そう思った。ついでに目の前で魔法も唱えてくれたし。


「本?」

「紙は新しいくせに、中身の文章はかなり昔の綴り。それも、全編。とても、綴りをたまたま間違えましたってレベルじゃない。そして物語は大衆には出回っていない遠国の物語がちらほら。ちなみに僕、古文書学者だから、昔の文字には結構詳しいんだ」


「綴り・・・。うっかり忘れていたな」

 自分の迂闊さを呪うようにため息をくゾンビ王子。


「それについてはわかった。で、聞いたのか?」

 突然、ゾンビ王子(確定)は襟首を締め上げて聞く。


「何を?」

「私が小さい時の話を――」

「エリエール嬢との出会いと、薬オタクだったことと魔法オタクだったことしか聞いていないけれど・・・」


「その・・・馬の話は・・・」

 ゾンビ王子が声を潜めて聞いてくる。馬?

「いや。馬に乗って姫様とあちこち出かけたって話は聞いたけれど・・・」


 もしかして、あの合言葉のことか?


「11歳、大泣き、馬?あれ?馬、11歳、大泣きだったかな?」

「順番はどうでもいい。それについて、エリエールは詳しい話をしたか?」

「それは・・・次に彼女に会った時に教えてくれるって」


「あの、おしゃべり魔!幽霊になってからも余計なことを言って!断れ!エリエールが『教えて差し上げますわ』なんて言ったら、必ず断れ」


「行くかどうか迷っていたけれど、そんな面白い話が聞けるなら、もう一回行ってもいいかな」

 去り際、エリエール嬢は特に約束を求めるようなことは無かった。

 うっかり念を押すのを忘れていたのか――・・・。 


「私は君に行くなとは言えない。今もあんなところに独りでいるんだ。話し相手になってくれるとありがたい」

 ゾンビ王子は、やっと襟首を掴んでいた手を離すとついでに光の玉も消してくれた。


「僕の話を信じてくれるのか?」

「ゾンビ王子がいるなら幽霊がいる可能性だってあるだろう。だいたい、あのことを言いふらすような馬鹿はエリエールしか思いつかない」

 よっぽど嫌なんだな。『馬、11歳、大泣き』

 落馬でもしたことがあるのか?


「で、馬、11歳、大泣きって何?エリエールさんってどんな女性ひとだった?」

 今まで朝食の準備でほとんど会話に参加してこなかった奥さんが温かな料理を運んできてくれた。


「ロザリー。聞いていたのか?」


 めちゃくちゃいやそうなゾンビ王子の顔ははたから見ていると面白い。

 奥さんロザリーさんって言うのか。記録に残っている伝説の姫君の名とは違う。


「別に完全に仕切られているわけじゃないし、聞こえるわよ」


「綺麗な人ですよ。黒髪を肩口でそろえてて、ちょっとつり目な黒い瞳で。可愛らしい薄紅色の唇で耳元でささやかれた時は幽霊だとわかっててもドキってしましたよ。ご主人様のことを200年経っても想いつづけているのがひしひし伝わってきて――」


 僕の説明にロザリーさんの顔は笑顔のままだが、眉が片方跳ね上がる。

 まあ、奥さんは『敵』の姿さえ知らないんだ。ちょっとでも情報が欲しいだろう。

 奥さん可愛らしいんだけれど、綺麗と違うんだよな。

  

「余計なことを付け加えるな!」


 焦ってる。焦ってる。

 ロザリーさんがなおもしつこく「馬って何のこと」って旦那に聞いているが、彼はウザそうな顔をしながらそれを無視して僕に話しかける。 


「村を訪れる際には、ここに泊まってくれてかまわないから、その・・・勉強を教えてくれないか?」

「あれだけ書ければ十分だと思うけれど?」


 こんな畑ばっかりのところで、そんなに文字が役に立つとは思えないのだが。


「この村の子たちにはこの時代の文字を覚えて欲しいんだ」


 あの本は授業の教材ということか。

 彼がこの時代でどのように生きているのか、ほんの少し垣間かいま見えた。


「シャムロック・ラハード王子の命とあらば、このシリウス・レイス、謹んでお受けします」


 それっぽく言ってみたが、王子は穏やかな笑みに、少し困ったような苦笑いを浮かべて、奥さんの作った料理を勧めてくれた。


「私はただのトリスだよ。冷めないうちに食べて下さい。レイス先生」

  


 ――結局、僕はこの後、この村に一ヶ月置きに訪れることになる。



 追記:『馬、大泣き、11歳』の件については、10年後、こっそりエリエール嬢から教えてもらった。



 トリス先生、言葉については、幼いアイリスと出会ってから、現代風の言葉を覚え直していましたが、文字は200年前の文字のままです。

 綴りが時代と共に変わっているのは、『ゾンビとアカツメクサ』(04 ゾンビの罰とハンスの想い)の時点で、ゾンビ王子も知ってたはずなんですが、うっかり忘れていました。

 日本で200年前といえば『南総里見八犬伝』が書かれた時代です。

 当時のタイトルは『八犬伝』ではなく『八犬傳』、『第四集』が『第四輯』となっていたようです。読めないことは無いけれど、ちょっと引っかかる感じですよね。(『輯』は辞書で調べるまで読めませんでした・・・)


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