10 ハンスの日常1(トリスが村に来て二年一ヵ月後・試験十日前)
アイリスの日常1の日の夜の爆弾発言。
「誤解していなければいいけれど」
いつもは明るい妻がため息をついている。
「どうした?」
「ねえ、聞いて!先生に『ちゅー』しているのをロザリーちゃんに見られちゃった。誤解を解くにはどうしたらいいかしら」
ずるっ。ずべっ。
「あら、なんでソファーから盛大に落ちてるの?床にはバナナも落ちていないし、油も塗っていないわよ」
ロザリーちゃんって、確かシャムロック――いやトリス先生の恋人とか噂の娘さんだ。顔を会わせれば挨拶はするが、ほとんど話したことはない。
まあ、そんなことはこの際、横に置いといて――
「その娘の誤解を解く前に、俺の誤解を解いてくれ~」
「あら、先生を元気付けただけだけど?」
「もう少し詳しい説明、ぷりーず」
そういうと、アイリスは先生とロザリーの賭けの内容を話してくれた。
「なんとか、ロザリーちゃんとくっついて欲しいんだけれど・・・」
「恋人説を先生が否定したんだろ?」
今、アイリスと幸せに暮らせているのはトリス先生のおかげだ。
その先生にも幸せになって欲しいと思っている。
むしろ、さっさと身を固めて、アイリスが元気付けでも『ちゅー』をするようなことが二度と無いように願いたい。
だが、別に好きでもない奴と結婚しても幸せになったとは言わないだろう――まあ、結婚後に好きになるかもしれんが、その娘さん二年も通ってて、先生との仲、まったく進展してないんだろ?
「でも、好きでもない人が毎日求婚するって脅してきたら、たとえ料理作ってくれる特典があっても、家から追い出して玄関の鍵を目の前で閉めるんじゃない?そんな賭けには乗らずにさ。その後は二度と家に上げなければいいんだし」
「そうだな~」
又聞きだから、詳しいことはわからないが、好きでもない奴が毎日求婚してきたら、料理作りを断るだろう。あまりひどい場合は、それこそ鍵をかけるなり、引っ越すなりするだろう。
俺も料理はほとんどできないから、トリス先生が料理で苦労している気持ちもわかる。本当に日々の食事に困るようなら、子どもたちにサンドウィッチを入れたバスケットを持たせてもいいんだし。
「先生もロザリーちゃんのことを好きだと思うんだけれどなぁ。胃が痛くなるっていうのも、彼女との今後の関係を考えてだろうし。どうでもいい人のために胃が痛くなるまで悩む暇があったらさっさと寝るわよ。普通」
そりゃ、明日のことは明日考えるお前ならそうだろうが・・・。
妻の言葉を黙って聞きながら考える。
トリス先生がロザリーのことを気に入っているというのは正しいと思う。
先生も心のどこかで彼女との交流を――関係をそのまま続けたいと願っていたから、少々の無茶な要求も呑んだのだろう。
しかし――
好きなのかもしれないが、付き合うとなるとずっと過去を隠し続けているわけにはいかんだろう。
本気で好きになって、ゾンビだったと打ち明けた途端、逃げられたら悲しいどころの話じゃないだろう。
そして、その可能性は非常に高い。『自分はゾンビでした』なんて言ったら、信じてもらえようが、信じてもらえなかろうが、普通、相手は引くだろう。
いかん。いかん。
ロザリーの誤解を解く話から、トリス先生とロザリーをくっつける話に変わっている。
アイリスとトリス先生は元からの親友だと言っても、信じてもらえんだろう。
この村からろくに出たことが無いアイリスが、よそ者と昔からの親友のわけがない。
下手に誤解を解こうとして、うっかり『トリス先生とは子供の頃、森で会ったの』とか言ったら、さらに話がこじれかねない。
誤解は誤解のまま放っておくしかない。
もし、『アイリスがトリス先生と浮気』なんて噂が流れたらと思うとこっちの胃が痛くなるが、そのときは、トリス先生に村の全世帯に弁明にまわってもらおう。
「なんにしても、決めるのは二人だ。先生の許可も無いのに、先生の過去をぺらぺらしゃべるわけにはいかんだろう」




