01 ロザリーの日常1(トリスが村に来てから半年後)
トリス先生が村に来て半年後の話です。
※『お姫様とスケルトン』『ゾンビとアカツメクサ』の後日談になります。
「お姉ちゃん。トリス先生からお話もらえたよ!」
皿を洗っている私に妹は後ろから飛びついてきた。私はロザリー。今年17のこの村の住人だ。
トリス先生は半年前にこの村の入り口で野たれていた男だ。この村で子どもたちに読み書きを教えている。
トリス先生の元に通っている子どもたちは、文字を読み書きできるようになったご褒美に、トリス先生から一個、物語を書いてもらえる。
それを励みにがんばってきた11歳になったばかりの妹が本当に嬉しそうに、私にその“紙”を見せてくる。
「何を書いてもらったの?」
「遠い国のお話―えっと、木の洞に―」
「待って。続きは自分で読むから、それ以上聞いたら楽しみ無くなっちゃう」
11歳の妹と違って17になる私は、ばりばり家のことを手伝わなくてはならない。
とても、先生のところに毎日時間を割いて通ってられない。
11歳の妹も家事の手伝いを始めているが、まだそんなに多く仕事を渡されていない。
妹は自由時間にトリス先生のところに遊びに行って、読み書きと算数を習っている。
妹が覚えた内容を私は家で教わっている。そんなに勉強の時間は取れないので、なかなか進まないが。
ああ。あと数年、トリス先生がこの村に来るのが早かったら、妹が文字をすらすら読むのを悔しい思いで眺めることは無かったのに。
「でも、ミーナちゃんは今日お話もらえなかったの」
ミーナちゃんというのは、妹より一歳年下の女の子で、妹と同じ頃に先生のところに通い始めた女の子だ。お互い、どちらが早く先生からもらえるか競争していた。
「ミーナちゃんより、早くもらえてよかったね」
「違うの。ミーナちゃん、『シロツメクサの指輪』の物語をお願いしたけれど、先生、お話知らないから無理だって」
『シロツメクサの指輪』はシロツメクサの指輪を贈りあった男女は幸せになれるって本当に短いお話だ。
「先生にも知らないお話あるんだね」
「きっと先生はこの村の人じゃないから知らないのよ」
その日と翌日、一日の仕事を終えた夜に二日かけて妹から借りた物語を読んだ。
二日目に読みきった時は、東の空が白々と明けていった。
その翌日。
私は、先生の元を訪れた。
この先生、料理がまったくできないので、村の若い女の子三人で当番を組んで料理を作りに来ている。
ご飯を作った私は、本棚からいろいろな話の書かれた教本を取り出し、トリス先生の向かいに座る。
教本は全部、先生の手書きだ。算数の教本はまだ開けたことがないが、読み書きの本に書かれている物語は、少しずつ読めるようになってきている。
わからない単語があったら、先生はたとえ食事中でも、ちゃんと答えてくれる。
「先生、ありがとうございます。お姫様が月に帰っていく話、面白かったです。妹も喜んでました」
ほとんどの生徒に同じように渡しているとはいえ、丁寧にお礼を言っておく。
「それは何より。でも、女の子の好むような話はあまり知らないから、ストックほとんどないんだよ」
先生が穏やかに笑う。
しばらく、先生がご飯を食べるのを眺めながら本を繰る。
私は、教本の文字をゆっくり指先で辿りながら、ちらりと先生の指にはまっているアカツメクサの指輪を見る。
先生がつけているアカツメクサの指輪は一度も、色あせているところを見たことがない。
誰かに作ってもらっているのか、自分で編んでいるのか。トリス先生が自分で編んでいる姿を想像するとなんだか笑ってしまう。
「トリス先生。シロツメクサの指輪の伝説、知らないんですって?」
そもそも、なんでシロツメクサではなくアカツメクサの指輪なんだろうか?
伝説となにも関係なくて、本当に趣味でアカツメクサの指輪をつけているのだろうか?
途端、先生のスプーンを持つ手が止まる。
「なんなら、私が教えてあげましょうか?子どもたちも、自分の良く知っている話の方が覚えやすいし」
「いい」
先生が短く答える。常より低い声に少し驚いたが、私はかまわず話を続ける。
「何でですか?先生も好きな人に告白する時に役に立つお話ですよ。あと、ここらへんで有名なのは死霊王子の伝説かなぁ」
『シロツメクサの指輪』も『死霊王子』も短いお話だ。
先生なら一回聞いただけで、紙に書き起こせるだろうし、文字を覚え始めの子どもには丁度良い教本になると思ったのだが・・・。
「誰かに告白する予定もないし、子どもたちがもうすぐ来る。話はいいからもう帰ってくれないか?」
もうすぐったって、この時間は先生がご飯食べているのを知っているから、子どもたちが来るのはもうしばらく後だ。
静かだが、感情の波を無理やり押し込めたような声。いつも穏やかな先生がこんな棘のある言い方をするのは珍しい。
「別に今すぐ誰かと付き合えとか言ってるわけわけじゃないですよ。せっかくだから知っといたらって言っただけじゃない!」
私は椅子から立ち上がり、怒鳴ると教本を机に置いたまま、出て行った。
他の人が、少々不機嫌そうな言い方をしても「わかりました」と言って、すぐ別の話題に移るか、怒鳴りもせずにさっさと帰っていただろう。普段、あんなに穏やかな人を怒らせるようなことを私は何か言っただろうか?考えているうちにまた怒りがこみ上げてきた。
物語のストックがないって言ってたのに、何が気に食わないのか知らないけれど、いきなり追い出すこと無いじゃない!
三日後-
「お姉ちゃん、いつも先生のところ行く日、楽しみにしているのに何で今日は暗い顔なの?」
どんより重い気持ちのまま行くのは嫌だ。他の子に代わってもらおうか?
狭い村だから、ずっと会わないなんてできない。見かけるたびにこそこそ逃げなければならないのか?
いや。やっぱり、私は自分が謝らなければならないようなことを言った覚えが無い。
こっちがこっそり隠れる必要はない。堂々としてればいいんだ。
そうは、思っていても、トリス先生の家の扉を開ける瞬間は緊張した。まだ、怒っていたらどうしよう。
しかし、先生は玄関に立っていて、扉を開けた瞬間、頭を下げた。
「すまない。前はお腹すきすぎて、機嫌悪くしてしまった。ごめんね」
絶対、嘘だとわかる言い訳だが、こっちからぶり返して、また怒らせるのは怖い。
「私こそごめんなさい」
私も、わけのわからないまま頭を下げた。
こうして、彼との始めての喧嘩は終わった。その後は、前と変わらない日々が続いた。
・・・それから、九ヶ月間『シロツメクサの指輪』が二人の間に話題に上ることは無かった。
説明するまでも無いかもしれませんが、トリス先生がロザリーの妹に渡した話の元は『かぐや姫』です。