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「なんてことなの……」

 シイナは茫然とマナとユウがついさっきまでいた空間を凝視していた。

「行かせてやれ。マナはもう、一人の人間として生きはじめたんだ。僕等には止められない――」

 静かなフジオミの言葉に、シイナは鋭い視線を向けた。

「何を言ってるの、気でも狂ったの!? マナは唯一の女性なのよ、彼女だけが人類を滅亡から救えるのに!!」

 シイナはフジオミの腕を払い除け、立ち上がろうとする。フジオミが引き止める。

「どうする気だ」

「決まってるわ。追うのよ!!」

「やめろ!! まだわからないのか、君には」

「あの子は外の世界でなんて生きられないわ!! ここが、こここそが唯一私達の生きられる場所なのよ。ここを離れて、どうやって生きていけるって言うの、あの何もない地で」

 青ざめて、いつもの平静さをなくしているシイナを、フジオミは憐れむように見つめていた。

「そう、僕等はここからどこへも行けない。ここでしか、生きられない。

 だが、どこにも行けないのは僕等だけだ。

 マナは行ける。全て捨てて、新たなものに立ち向かえる強さを、彼女は持っている」

「信じられない。あなたもマナも、ユウに何かされたの!? 義務を放棄するなんて、なんて恐ろしいことを――」

「どうして、そうまで未来にこだわるんだ。君は君だ。今現在のこの瞬間にしか、存在しない。老いて死ねば何も残らない。だからこそ、この瞬間瞬間が大事なんだ。君が君のために生きて何が悪い」

「――何を言ってるの、あなたは」

「わからないふりをするのはよせ。君だってとっくにわかっていたんだ。ただ、気づかないふりをしていただけだ。自分を守るためだけに」

 静かな、けれど厳しい言葉に、シイナは反論できない。

 青ざめたまま、じっと彼を見つめている。何を言われたのかさえ、理解できていないかのように。

 フジオミはそんなシイナの頬にそっと触れた。

「君を愛してる」

 竦んだ身体が、自分の言葉を受けとめたことをフジオミは知った。

「――やめて」

「君を愛してる。ずっと愛してきた。君が望むのなら、マナを選んでもいいと思うほど、ずっと愛してきたんだ」

「やめて、聞きたくないっ!!」

 耳を塞ぐ彼女の腕を捕らえて引き寄せる。

「聞くんだ。この世界には人間の力ではどうしようもないことも確かに存在する。滅びは平等に訪れる。誰の上にも。

 人類が長い歴史の中で何をしてきたか考えてみるがいい。我々は過去にどれほどの種を絶滅に追いやり、自然を破壊し、大地を穢してきたか。

 そして今、大きな目に見えない力が人類を滅ぼす。

 これこそが運命だ。いくら足掻いても変えられない。人類が誕生したときから、決められていたことだ。

 僕らは滅びる運命だった」


「そんなの嘘よ!」


 フジオミの言葉に、シイナは今、全身全霊で抗っていた。

 認められない。

 認められるわけがない。

 フジオミの言葉が真実なら、自分達は――自分がこれまでしてきたことは。

「じゃあ、私達の意味は!? 今、私達のしていることは、生きていることは無駄なことなの!? 意味がないの!?

 滅びが初めから決められていることなら、どうしてここにいるの、どうして生まれてきたの――意味もないのに、どうして生きているのよ!!」

 フジオミは強く、シイナを抱きしめた。

 シイナは今、子供のように泣きじゃくっている。そんな彼女が、フジオミには愛しかった。だから、強く強く抱きしめた。逃れようとするシイナを決して逃がさないように。

「意味がないのなら、生きられない。

 私には何も残せない。たった一人で、消えていくだけなのよ。

 マナは違う。あの子は私ができなかった夢を継げる。未来を残せる。それなのに……」

「マナも苦しんだんだ。本当だ。義務と愛情のどちらも選べずに、彼女は泣いていたよ。ユウを愛するのと同じくらい、彼女は君を愛していたから。

 マナは確かに、僕等の希望だった。

 だが、それも決して永遠に続くことはないだろう。

 命ある者がいつか死を迎えるように、人類にも終わりが必ずある。

 僕等は最後のあがきを繰り返しているんだ。死を恐れる老人のように――」

 いつしか抗うのをやめ、シイナは虚ろに言葉を繋ぐ。マナはもう戻らない。深い絶望が彼女から全ての感情を奪ったかのようにからっぽだった。

「そうよ、恐かったのよ。

 もうすぐ私達は死ぬの。何も残せずに、ただ死ぬの。

 それだけのことが、どうしようもなく恐ろしかった。

 何も残せず死ぬだけなら、どうして生きているの。

 意味がないのなら、どうして生まれたの。

 あなたはいいわ。未来を残せる。その能力がある。あなたには、意味がある。

 私はどう? 女として生まれて、でも私に意味はないわ。

 何もないのよ。私に確かなものは何もない。

 それがどんなに虚しく、恐ろしく、孤独なものかはあなたにはわからない。

 私は意味が欲しかった。

 今、ここにいる意味が、生きることを許されるための意味が、欲しかった――」

「意味なら、あるよ」

 静かに身体を離したフジオミの手が、シイナの頬に触れる。

「君は、僕のために生まれた。

 僕が愛するために。

 君が必要だよ、シイナ。

 君には、意味がある――意味がある。

 僕が君を、愛しているから」

「――」

「僕もやっと気づいたんだ。

 今この瞬間に存在している君を愛してる。

 例え何も残らなくても、君以外、僕はいらない。愛してくれと強要したりしない。君がいやなら、もう抱かない。僕が今まで君を苦しめてきた分の償いをするから。

 ただ、僕が君を愛し続けることだけは許してほしい。君を愛しているということを、認めてほしい。それだけで、いいから」

 シイナの瞳から、新たな涙がこぼれた。

「――私には誰も、何も愛せない。あなたが愛する価値すらないわ……」

 フジオミは穏やかに微笑った。

「価値も何も要らない。そんなものを考える間もないくらいの時から、ずっと君が好きだったから」

 フジオミはもう一度シイナを優しく抱き寄せた。

 シイナは抵抗しなかった。する気力さえなかった。

 穏やかな時間が、二人を流れる。

「こんな簡単なことにさえ、ようやく気づいたんだ。僕はずっと、こんな気持ちで、君を抱きしめたかった――」

「――あなたは、馬鹿だわ…」

 シイナは瞳を閉じた。

 こぼれ落ちた涙が乾くまで、二人は動かなかった。




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