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 フジオミが思ったより早く、電源は切り変わった。

 突然の暗闇に慌てはしたものの、廃墟群ですでに暗闇には慣れっこだったマナは、その隙をついて見事に管理区域の2階に入った。ちょうど非常階段の手前の天井にあるダクトの通気口を開け、慎重に廊下に下りる。

 階段をかけ下りるマナの姿に、二、三人のクローン達が気づいた。訝しげな表情で彼女を見ているが、捕まえようとはしない。どうやらまだ気づかれていないらしい。マナは彼等の横を全速力でかけ抜けた。

 ようやく一階までたどりついた。後は倉庫へ向かうだけでいい。

「マナ!!」

 背後で声が響いた。振り返ると、五、六人のクローンを従えたシイナの姿が目に映る。

「そばに来ないで!!」

 追いついたシイナは驚きを隠さない表情でマナを見ていた。

「マナ、どういうこと!? どこへ行こうって言うの!?」

「――」

 見つかってしまった。あとほんの少しだったのに。

 クローンがマナをシイナのもとへと連れていこうと腕を伸ばす。

 その時。


マナ!!


 駆け抜ける、強い意志。

 懐かしい、心だけに届く声。

「――ユウ、あなたなの…?」

 自分を呼ぶ声が聞こえる。

 言葉ではなく、思いが、胸に響く。

 誰よりも、誰よりも、自分だけを求める想い。

 ユウが来たのだ。

「――」

 マナはクローン達の不意をついて走りだした。少しでも早く、近く、ユウの所へ行かなければ。

 背後でシイナの怒鳴る声がした。きっとクローンを叱咤したのだろう。

 ホールを横切り外へでる扉に向かうマナは、樹脂ガラスに区切られた区画の最短距離を駆け抜ける。

「止まりなさい、マナ!!」

 背後から銃声がした。

 振り返るマナ。

 シイナは先程まで天井に向けた銃を、構えたまま立っていた。今はマナに、照準をあわせて。

「博士――」

 だが、不思議と恐怖はなかった。シイナが自分を撃つはずがないと、確信しているのではない。彼女は本気だ。

 それでも、マナは平気だった。

 撃たれてもいい。そう思った。

 自分の思いを、どうしてもシイナにわかってもらいたかった。

「マナ、どうしたって言うの? なぜこんなことを? まさかここを出て行くつもりなの? 正気じゃないわ」

「ごめんなさい、博士。でも、あたしは行くわ。ユウと行くの。彼はあたしを連れていってくれる。どこまでも続く砂漠の果て、海を越えた世界の果てまでも」

 マナの落ち着いた言葉に、シイナは無表情な顔をほんの少し歪ませた。

「あなたは、自分が何を言っているかわかっているの?」

「ええ。あたし、彼を愛してるの」

「何を言っているの? 愛だなんて、あなたは勘違いをしているのよ。ユウと行くなんて、彼は死んだわ。できっこない。生きていたって許されるわけはないでしょう?」

「あたしが、ユカのクローンだから?」

 シイナは驚いてマナを見る。

「マナ――」

「知ってるのよ、あたし。でも、知っていてもユウが好き。親子でも構わない。そんなことにもう意味はないから。どうせあたしたちの間に子供は産まれない。あたしたちは、ただ一緒にいられるだけでいいの」

「許さないわ、そんなこと!!」

 鋭い声と同時の銃声。肩に近い髪の一房を、弾が掠めた。

 硝煙と髪の焦げた匂い。

「――」

 マナは静かに立っていた。

 対して、シイナは肩を震わせ、引き金を引いた自分に取り乱し、動揺を隠せずに立っている。照準を、マナに合わせたまま。

「行かせないわ。あなたが必要なの。他の誰よりも、あなただけが必要なのよ。

 なぜわからないの、マナ? あなただけが、私達を救えるの。

 あなたに、私達人類の全てがかかっているのよ」

 マナは首を振る。

「博士。わかって。あたしユウが好きなの。彼を愛してるの。彼じゃないと、駄目なの」

「馬鹿なこと言わないで!!」

 ヒステリックな声が廊下に響いた。

「ユウはあなたの息子よ。生殖能力を持たないのよ。彼を選んでも子供は産めないわ。

 あなただけが、あなたとフジオミだけが子供をつくれるの。ユウを選べば、人類は滅びてしまうのよ!!」

 その時初めて、マナはシイナを憐れんだ。

 彼女にはきっとわからない。彼女もまた、この歪んだ社会の犠牲者なのだ。

 誰も、シイナに教えなかった。知らないまま、彼女はここまで来た。今何を言っても、彼女は理解してはくれまい。そしてそれでも、マナはシイナを愛していた。

 どうしてだろう。愛するということは、こんなにもたやすく心に溢れるものなのに。

 なぜ、ここにいる誰も、彼女にそれを教えられなかったのだろう。


「――あたしは博士が好きだった。フジオミも好きだった。何も知らない頃のここの生活も確かに好きだった。

 でも、ユウの方がもっと好きなの。

 行かせて、博士。あなたを、憎んでしまわないうちに」


 揺るぎない意志。

 何があろうとも変わらない、毅然とした態度のマナを前に、シイナは驚愕した。

 まるで初めて会った、見ず知らずの少女を見ているようだった。

「あなたは、本当に私のマナなの……」

「ええ、博士。あたしはマナ。でも、あなたのじゃないわ。あたしはあたしだけのもの。

 たくさんの哀しみを知ったわ。それ以上の苦しみも。博士が知らないことでさえ。

 そして、人を愛することも知ったの。何の打算もない、ただあるがままの愛を知ったのよ。だからあたしは行くの」

 マナは微笑った。決してシイナが理解できない、穏やかな笑みで。

 シイナは決して認めない。

 どうして認めることができようか。マナだけが、彼女の唯一の希望であったのだから。

 わかりすぎるからこそ、マナは黙ってシイナを待っていた。

「――行かせないわ。絶対に行かせない。あなたには責任がある。人類を救う義務があるの。それは何においても優先されなければならないのよ」

 シイナは震えていた。

 銃を構えているのは彼女の方なのに、自分こそが今にも死に曝されているかのように、蒼白だった。

「裏切らないで、マナ。あなただけは、私を裏切らないで。

 あなたは違うはず。頭のいい子だもの。自分がどんな愚かな振る舞いをしているか、落ち着いて考えればすぐにわかることよ。

 そう、あなたには考える時間が必要なのよ。落ち着いて考える時間が――」

 シイナの指が再び引き金を引くその寸前に。


「やめろ!!」

「シイナ!!」


 二つの声が、同時に響いた。

 それから、彼らの両側に聳えたつ樹脂ガラスが一斉に砕けた。圧力に耐えきれぬように。

 瞳を閉じるその一瞬に、シイナは何もない空間からフジオミの姿が現われたのを見た。

「!!」

 自分の身体が、大きな腕に抱かれて床に倒れこむのを感じた。

 身体に響く強い衝撃。

 砕けたガラスの散らばる音。

 両手で握っていた銃が手を離れて転がる。気が遠くなりかけた。


「マナ!!」


 名を呼ぶ声に、マナが視線を向けた。

 彼女を避けるように崩れ落ちた樹脂ガラスの向こうに、ユウがいる。


「ユウ!!」


 その声に、シイナと、かばったフジオミもそちらを向く。

「マナ、ユウと行け」

「フジオミ、あなた何言ってるの!?」

 マナが振り返る。

 フジオミはマナに、もう一度告げる。

「君はもう自由になっていい。自分で判断して、自分の一番望むところに行けばいい」

 数秒、二人の視線が絡み合い、

「あたし、行くわ」

 マナは二人に背を向けて走りだした。

「駄目よ、マナ、戻って!!」

 悲鳴のようなシイナの声にも振り返らなかった。

 マナはガラスを越え、ユウの胸に飛び込んだ。

「連れていって、ユウ」

「ああ。連れてく。今度こそ、放さない」


 抱き合う二人の姿がそのまま空に融けるように見えなくなった。


 それが最後だった。



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