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 ノックの音に、フジオミは目を覚ました。

「はい?」

 まだ夜明けには時間があるのだろう。

 ほんのりとうす明るい室内でそれを理解する。

 急いでベッドを出、フジオミはロックを解いてドアを開けた。

「お早よう、フジオミ。ごめんなさい。こんなに早くに」

「いや、いいよ。どうぞ」

 身体を引いて、フジオミはマナを中へ迎え入れた。ドアを閉じるなり、

「フジオミ、あなたをドームへ帰すわ」

 マナの澄んだ声が耳に届く。秘かな確信とともに振り返る。

「君はどうするつもりだ? ユウと残るのか?」

「ええ」

 確信どおりの答。

 マナは微笑んだ。あどけない表情で。

 次にかける言葉を、フジオミは一瞬で考え直さねばならなかった。

「そうだな。君なら、できるな――」

 この笑顔の前に、それ以上何が言えようかと、フジオミは笑った。

「あなたはあのドームで一生を終えるの?」

「僕は君とは違う。あそこでしか生きられない。だから帰るよ」

「後悔はないの?」

「ない。僕は僕にしかなれないから、ありのままを受けとめる。例えそれが、君にとって歪んで見えても」

「博士と、生きるのね」

「できることなら」

「あなたがいれば、博士はきっと大丈夫よ」

 無邪気なマナを、フジオミは心底羨ましいと思った。

 彼女は幸せになれる。その幸せを邪魔することはできない。

 だが、シイナはどうなる。彼女の幸せは、マナにかかっている。マナがいなければ、シイナの幸せはありえないのだ。


(だが、マナが永遠に、彼女のもとから去ったら ?)


 そうして、もしも、シイナが全てをあきらめてくれたら、もしかしたら、彼女は自分を振り返ってくれるだろうか。

 浅ましいと思いながらも、都合のいい夢を見る。

 その時。

「!?」

 太陽とは違う一瞬の光が視界を掠めて消えた。

 聞いたことのない音が連続して重なった。続く轟音。床が揺れた。フジオミはとっさにマナの腕を掴み、引き寄せた。

「これは何!?」

 マナは揺れる床で必死にフジオミの腕にしがみつき、バランスを保とうと努力した。

「銃声だ。爆発音もした。シイナが、ここを見つけたんだ!!」


 心臓が、痛い。


 いやな感覚だ。そして、これは気のせいではない。

「ユウ!!」

 マナは外へと走りだした。

「マナ、危険だ!!」



 ガラス張りのエントランスの外に、小さくユウの姿が見えた。

「ユウ!?」

「マナ、来るな!!」

 振り返らず、ユウが叫んだ。見えない壁がたくさんのレーザーを反射し、遮っていた。ついでたくさんの銃声にかき消され、すでに声などとどかない。

「マナ、危ない、下がれ!!」

 追いついたフジオミに腕を捕まれ、マナはそれ以上ユウの傍へ行くことはできない。

 攻撃を仕掛ける方も仕掛けられる方も必死だった。

 だが、ユウには攻撃を受けとめるだけで精一杯だった。自分に対する攻撃があまりにも集中しすぎて、反撃できないのだ。そしてその攻撃は、一向に衰える気配がない。

 マナには、ユウは極度に疲労しているように思えた。

 ユウのあの力は無尽蔵ではない。使えばその分身体に負担をかける。

 そして、彼はたくさんの武器を前に、たった一人で戦わねばならないのだ。

 ついに、ユウの身体がぐらりと前に傾ぐ。同時に、彼を取り巻いていた見えない力が弱まった。

 一瞬の後、ユウの身体を二本の光の筋が貫いた。ユウの膝が落ちた。

「ユウ!!」

「マナ、よせ、出るな!!」

 フジオミの静止も聞かずに、捕まれていた腕を振り払い、マナはユウのもとへ走った。見えない壁はまだ完全に消えてはいない。時折壁を突き抜けるレーザーを奇跡的にも避けながら、ユウへとかけよる。その姿をとらえたのか、レーザーも銃も攻撃をやめた。

「マナ、来るなって…」

 胸を押さえていたユウは、顔をあげてそれだけを言った。そして、そのままユウはマナの腕を掴み、廃墟の入り口にいるフジオミのもとへと跳んだ。

「ユウ、マナ!!」

 廃墟内に、突然現われた二人に驚いたものの、フジオミはすぐにユウの身体を焼いた傷を見た。

 右胸と左腿が肉の焦げた臭いを放っている。

 レーザーで焼かれた傷は治せないと聞いたことがあったのを、記憶の片隅が覚えていた。レーザーは細胞を殺すのだと。再生不可能になるまで。今の医学でも、再生は不可能だ。

 ユウは蒼白な顔で、苦痛を堪えるように目を閉じて動かない。

「いや ユウ、いや、死なないで…」

 口に出して、マナはその言葉の恐ろしさに身震いした。

 死。

 それは全てを無に返すもの。

 愛した命を永遠に奪い去るもの。

「いや、ユウ、ユウ、死んじゃ駄目、そんなのいや…」

「マナ、そばにいてくれ。最期まで…」

 すでにユウは死を覚悟している。

 外は奇妙なほど静かだった。

 だが、強い、たくさんの感情が伝わってくる。戸惑いや、恐怖、焦り、悲しみ、一人のものではない、たくさんのクローン達のものだった。

 感情がないと教えられていた彼等は、ユウの力を恐れると同時に、シイナを恐れていた。自分達にこのようなことをさせる彼女を。

 その時、徐々に大きく、近くなってくるヘリの音に気づいた。


「マナ、シイナが来る――」


 フジオミとマナは目を見合わせた。

 時間がない。

 このままではシイナ達がここへ踏み込んでくるだろう。

 ユウは動けない。シイナがどう行動するかは目に見えている。

 こんなふうに、自分達は終わるのか。

 まだ何も始まっていない。

 まだこれからなのに、こんなふうに終わるのだろうか。

「――いいえ」

 毅然とした声。


「違うわ、ユウ。あたしたちは生きるの。二人で、生きるのよ。そしてどこまでも行くのよ。この世界の果てまでも」


「マナ…」

「あたしをおいて死ぬつもりなの? あたしをたった一人、ここに残して?

 そんなこと許さない。

 生きるのよ。ここでこんなふうに死ぬのは絶対に許さない」

 マナは強く、ユウの手を握りしめた。その指先にくちづける。

「だから、今は戻るわ。死んでは駄目。きっと迎えにきて。あなたが本当にあたしを欲しいのなら。あの日あたしをさらったように、もう一度連れにきて」

「マナ…」

「ユウ、あなたがいないのなら、この世界に意味はないの。あなただけがあたしの生きる意味なの。

 だから、待ってる。あなただけを、待ってる」

 二人の手が、離れる。

 マナは一番低い可能性に賭けた。


 今、ユウを死なせないこと。


 このままほおっておいたら死ぬかもしれない。

 でも、今ここでシイナを止めることもできずに彼の死を確実にするよりは、助かる可能性はある。

 自分の言葉なら、シイナは聞いてくれるはずだ。

「行きましょう、フジオミ」



「マナ!!」

 崩れかけた廃墟から出てくる二人の姿を見て、シイナはヘリを下りてかけよった。

 そうして、小さな少女の身体を強く抱きしめた。

「博士――」

 対するマナは、複雑な表情で抱擁を受けとめた。

「ああ、よかった。よく無事で」

「彼はもうすぐ死ぬわ。レーザーが心臓を貫いていたの。もう意識もないもの」

 乾いた声音に、シイナは鋭い眼差しを向けた。

「マナ、それは本当なの?」

「ええ。ちゃんと確かめたわ。だから逃げてこれたの。博士。今なら逃げられるわ。はやくここから逃げましょう。すぐにドームへ帰るの。もう帰りたい。博士が迎えにきてくれるの、ずっと待ってたの。今すぐあたしを連れて帰って」

「ええ、ええ。すぐに連れて帰るわ。行きましょう。フジオミ、あなたも乗って」

「ああ」

 動きかけたフジオミの視線が、ふとマナを捕らえた。マナもまた、フジオミの視線に気づき、互いの眼差しが揺らいだ。

 本当にいいのか――フジオミの瞳が問う。

 博士には何も言わないで――マナの瞳が哀願する。

 二人は無言のままヘリに乗り込んだが、フジオミはマナほど現状を楽観視していなかった。

 あのシイナが、マナの言葉一つで、ユウの死体を確認もせずにこの場を去ることがあるだろうか。

 自分は、マナよりもシイナという女を知っている。彼女は目的のためには手段を選ばない。

 そして、失敗に対しては、同じ轍を二度は踏まない。

 さらにそれ以前に、フジオミにはユウが助かるとはとても思えなかった。あの状態で傷が回復するなどとは思えない。

 マナは愚かなことをしたのではないか。彼女だけを求める魂を、たった一人で置き去りにするなど。

 一方、フジオミの言いたげな思いを、マナは敏感に感じ取っていた。

 後悔が、彼女を侵食し始める。

 本当に、これでよかったのだろうか。今ユウと離れて、本当によかったのか。

 できることなら、今すぐに引き返していきたかった。だが、戻ってどうなるだろう。

 今のユウではマナを連れて逃げることはできない。ましてや自分がユウを守り、連れて逃げることも。だから、今はユウの能力と、あの言葉を信じるしかなかった。


マナのためなら、何でもしてやる。


 脳裏に響くユウの声。

 心は、これが正しいと知っている。

 ユウは約束を破らない。決して。

 信じている。他の誰でもなく、ユウを、ユウだけを信じている。


(おじいちゃん。どうか、ユウを守って)


 だが、その思いは背後で起こった遠い爆発音に断ち切られた。

「!?」

 振り返ったマナが窓越しに見たものは、たちのぼるコンクリートの灰色の粉塵のみ。

 記憶にある懐かしい廃墟は、ヘリがさらに高く飛びたった後にさえ、見ることは叶わなかった。

「博士、どうして!!」

「あんなものを、放置しておいたからよくなかったのよ。滅びを迎えた醜い廃墟はもう意味がないものよ、マナ。いっそ壊してしまったほうがいいのよ」

 平然と、シイナは言った。

「こんな原始的な世界で今まで生きていたこと自体が異常なのよ。もっと早く気づいて始末しておくべきだったわ」

 その時、マナは悟った。シイナの内にある壊れた優しさを。欠けた愛情を。

 そこにいるのは間違いなくマナの愛した、けれど幼いユウを殺せた女なのだ。

 目の前が暗くなるのを、マナは感じた。

「――」

 呟きは、マナを抱きとめたフジオミにしか聞こえなかった。


 救けて、ユウ。


 そう、マナは呼んだのだ。



 マナは意識を失ったままドームに戻った。高熱が続き、しばらくはシイナ以外は面会謝絶の状態だった。

 フジオミは密かにユウ達のいた廃墟群を捜索させたが、崩れて見る影のないコンクリートの残骸の下からは、いっさいの生命反応は確認されなかった。フジオミは一体この事実をマナにどう告げればいいのか悩んだ。

 そうして、さらに三日が過ぎた。

「あら、フジオミ」

 マナのいる研究区域のメディカルセンターの前で、フジオミはシイナと鉢合わせした。

「やあ、シイナ。マナはどうだい?」

「お見舞いにきたのなら生憎ね。マナは今朝部屋へ戻ったわ」

 いつもと違い、シイナは上機嫌だった。

「マナはどこが悪かったんだ? 疲労か?」

「それもあるわね。でも、それだけじゃないわ」

「? どういうことだい?」

「女になったのよ」

「何?」

「本来なら、初潮を迎えてからしばらくは生殖能力はないの。身体がまだできあがっていないのでね。けれど、促進剤を使ってマナの女としての成長を速めたわ。検査の結果、マナは完全な女性よ。生殖能力もユカと変わらない。私の役目も終わりよ。これからはマナがあなたの正式な相手になるわ」

 瞳を輝かせ、子供のようにシイナは語る。

 フジオミは苦痛を堪えるようにそれを見ていた。理解はしていた。それでも、心がついていかない。

 彼女は自分を愛していない。

 彼女は、誰も愛せない。

 わかっていながら、それでも愛した。今、痛みを残すだけの事実をいやというほど思い知らされながら、まだフジオミはシイナを愛している自分を知っていた。

「シイナ。それが君の望みか――」

「ええ。そうよ。私はこの時をずっと待っていたのよ。

 まだ、私達は救われる。

 あなたとマナが、救うのよ」



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