27
遠くで、自分を呼ぶ声がする。
マナはその呼び声に、驚いた。
これが夢なのだということを忘れていた。
近づく声は、やがて懐かしい姿を現す。
(おじいちゃん!!)
マナはかけより、老人に抱きついた。
これこれ、マナ。
(会いたかったの。おじいちゃんに、本当に会いたかったの)
しがみついたまま、マナは顔を上げた。
前と何ら変わることのない、懐かしい老人の顔がある。
(今おじいちゃんはどこにいるの? 死んだ人達が行く場所に、いるの?)
私達はどこにも行かないよ。ずっとここにいるんだよ。おまえたちと同じ世界に。
(土に、なったの?)
そうでもあるし、そうでないとも言える。私達は、地球と同化したのだ。
(地球? 今、あたしが立っている、球体のことよね?)
そうだ。死もまた消滅ではありえなかった。肉体は失われても魂はここにある。私達は、全ての命を産み出した世界へ、もう一度還ったんだよ。
(命って、何なの? どこから来るの?)
聞いた瞬間、マナは風を感じた。海から来る、あの風を。
さあっと足元を水が包んだ。
下を見ると、マナは海にいた。足首までの水が風にさざめいていた。
命は、太古の海から産まれた。海は、地球から産まれた。地球は、宇宙から。たくさんのほんの些細なきっかけから、たくさんの奇跡が産まれた。今ここにおまえさんやユウが存在していること、これこそが、奇跡なんだよ。
(海の向こうには何があるの)
老人は静かに腕を上げ、指差した。
ありのままの命が。全ての命が存在する世界が。
(そこでなら、あたしたち生きていける?)
マナの言葉に、老人が満足げに頷いた。
マナ。自由になりなさい、全てのことから。全てのしがらみを断ち切って、ただ、あるがままに。どこまでも続く海の向こうへでも、おまえさんは行ける。ユウが、連れていってくれる。
(おじいちゃん。あたし、ユウと一緒にいてもいいの?)
老人は答えなかった。ただ、微笑んでマナを見ていた。
憶えておきなさい。例えどんなことが起きようとも、私達の還る場所は、この世界しかないのだということを。
光が降ってきた。
そろそろ、行かねばならんようだ。
(おじいちゃん?)
老人の身体が、光に融ける。同時に質感がなくなる。
いつもおまえさんたちが幸せであるように祈っているよ。
声すら希薄になる。
マナは老人を捕らえようと必死で手を伸ばした。
(待って、おじいちゃん!!)
マナの願いは届かなかった。
光がマナの視界から老人を奪った。
そしてそのまま輝き、全てを隠した。
「…ナ」
ユウの声に、マナは目を開ける。
心配そうに覗き込むユウ。
手を伸ばし、確かめた。
「ユウ」
木のはぜる音。
焚火があたたかに周囲を彩っていた。
風の当たらぬ場所に起こした焚火を前に、寄り添ったまま眠ってしまっていたのか。
「泣いていた。何か、恐い夢でも見たのか」
「ううん。おじいちゃんが、来たのよ」
「おじいちゃんが?」
「自由になって行きなさいって。全てのしがらみを断ち切って、ただ、あるがままに。そう言ったの」
マナは腕を伸ばしてユウにしがみついた。抱きしめかえす強い腕を感じる。
この少年とともに生きると、自分で決めたのだ。
「遠くへ行きましょう」
微笑って、マナは言った。
「マナ――?」
「ここを離れて、もう誰もいない海の向こうへ行きたいの。ユウ、連れていって」
「本気なのか、マナ?」
「ええ」
ユウは身体を離し、不安げにマナを見つめていた。
「何があるかわからないよ。食べるものだって、ないかもしれない」
マナは笑って首を横に振った。
「あなたがいればいいの。だから、二人で行きましょう。海を越えて、世界の果てへ」
「マナ――」
幸福な未来を確信して、マナはまだ見ぬ世界を思った。
「あなたと見るなら、世界はきっとどこでも美しいでしょうね。そうして、二人で生きていくのよ。まだ見たこともない世界で、まだ見たことのない美しい色と、光と、たくさんの生命の群れを、あなたと見るの」