26
陽が、傾いていた。
一日が終わる。
二人は裸足のまま砂浜を歩いていた。
両手に靴を持って、まだあたたかな砂の感触を確かめるようにゆっくりと。
「マナ――」
小さな声に、ユウよりもほんの少し先を歩いていたマナは、静かに振り返る。
「何?」
「帰っても、いいよ」
「え――?」
聞き返したマナに、ユウは繰り返す。
「帰ってもいいよ。今なら、止めない。あんたは戻りたい場所がある。フジオミと、行けばいい」
その言葉に、マナは驚きを隠せなかった。
彼の口から、そんな言葉を聞こうとは思ってもいなかったのだ。
ユウはマナと目を合わせないままだ。
「ユウ、あなたはどうするの」
「――俺は、もとに戻るだけだ。ただそれだけだ」
そう言うと、ユウは再び何もなかったかのように歩きだした。マナを通り過ぎ、ただ静かに。砂を踏む音も波に重なり聞こえない。
マナはしばし、その場に立ち尽くした。
ユウの気配がそっと離れていくのがわかる。
もとに戻る。
簡単な言葉だった。
けれど、そんなことはもうできはしないのだ。
それを、二人が一番よく知っていた。
老人はもういない。
自分がドームへ帰ったら、彼は一人になるのだ。
たった一人で、残る生涯を過ごすというのか。
「――い、一緒に行きましょう、ユウ。そうよ。博士に頼むわ。あなたが一緒に暮らせるように」
振り返りざま、マナは言った。
「できない」
振り返らずに答えるユウ。口調は苦しげだった。
だが、マナにはわからなかった。手に持っていた靴を放り出し、駆けよる。
「一人なんて、だめよ。あたし、あなたをおいては行けない。お願い、一緒に行きま――」
「そうして、あんたとフジオミを見てろって言うのか!! 一生黙って!?」
マナの言葉を、ユウが遮る。
両手を伸ばし、力を込めマナを引き寄せた。
「――」
マナの驚く間もなく唇が重なった。
前とは違う、ほんの一瞬の、ただ求めるだけのくちづけ。
「なんでだ……」
強くマナを抱きしめて、ユウは呟いた。
「あんたが好きだ。誰にも渡したくない。でも、わからないんだ。これがどんな気持ちなのか。あんたを母親として愛してるのか、違う女として愛してるのかわからない。ただ、あんたが好きだ。それしかないんだ」
彼の身体は、震えていた。
「好きだ――好きなんだ、マナ。こんなに好きなのに、どうして駄目なんだ……っ!!」
激しい感情が伝わる。
ぎりぎりの理性を、危うい激情を、相反しながら内に保つことに、ユウもまた疲れていた。
愛しているのに、こんなにも求めているのに、許されない想いに。
マナは、そんなユウが愛しかった。だから、腕をのばして彼を強く抱きしめた。
ユウの身体が強ばったのがわかった。
「ユウ。あたしも好き。あなたが一番好き。この気持ちは、なかったことになんてできない。あなたを愛してる」
「マナ――」
「あたし、もうドームへは帰らない。あなたと生きるの」
ぎこちなく、ユウは抱きしめていたマナの身体を離した。
狼狽えた瞳が、見返す真摯な眼差しのマナを見下ろしていた。
「マナ。俺はあんたに未来をやれない。残るものを、与えてやれない。それでも、俺を選べるのか」
「選ぶのではないの。そんな感情じゃ、ないの。あなたを好きなの。一緒にいたいの。未来の何も、関係ないの」
一途な想いで、マナはユウを見つめた。
それを感じとったユウは、恐れるように震える手でマナの頬に触れた。
「本当に、マナ…?」
「ええ」
「不便な生活しか、ないよ…」
「あなたがいるわ」
「子供も、やれない……」
「あなたがいればいい。ドームにあるどんな幸せより、あなたがいる幸せのほうがいいの」
ユウはきつく唇を噛みしめた。泣きだしそうな顔で、マナをずっと見ていた。
「――俺も好きだ。あんたを愛してる。あんた以外欲しくない。こんなに、好きだ……」
そのまま、二人は唇を重ねた。
マナは、これを罪だとわかっていた。
ユウも、わかっていた。
けれど、二人とも溢れる想いを止められなかった。
そして罪だとわかっていても、それでも二人は幸せだった。
「ユウ――」
「愛してる、マナ…」
ささやきだけで、こんなにも嬉しい。
抱きしめてくれるだけで、こんなにも愛しい。
自分達は、会ってはいけなかった。
惹かれてはならなかった。
けれど、会ってしまった。
惹かれてしまった。
波の音が聞こえる。
自分達は、たった二人でなんて遠くまで来てしまったのだろう。
もう戻れない。
戻れないのだ。




