23
ユウがマナを見つけたのは、廃墟から少し離れた草地だった。
座り込んだまま、動かない少女の傍へ、ゆっくりと近づく。
「マナ――」
マナはじっと、遠くを見つめていた。振り返りもしなかった。
「こっちへ来て、ユウ」
ぎこちなく、けれどユウは言われるままに従い、マナの傍へ来て座った。
マナはそんなユウに両手をのばし、抱きしめた。小さな子供にするように、胸に抱いた。マナの胸の鼓動を、ユウの耳が捕える。
「――あなたがこんなに懐かしいのは、あたしの遺伝子が憶えている記憶なのかしら」
マナの声は、どこか虚ろに響いた。
「十四歳のあたしは、まだあなたを産んでもいないのに、こんなにあなたを懐かしく思ってる。こんなことって、あるのかしら」
「――」
「ごめんなさい……」
「マナ…?」
「あなたをちゃんと育てられなくて。あたし、あなたを淋しくさせたわ。ごめんなさい、ずっと独りにして」
「マナのせいじゃない……」
「ううん。あたしのオリジナルだった人だもの。あたしと同じ顔の、同じ声の、きっと同じ心の人だったわ。ユカは馬鹿なことをしたわ。本当に、馬鹿なことをしたわ」
涙が止まらない。
「ユウ。あたし、データを見たの。あたしもあなたも、実験動物と同じなんだわ。あたしはユカ以外に子供を産める女がいないからクローニングされた。あなたは、近親者同士でどの程度の障害が出るか試された。こんなひどいことって、あるかしら」
「マナ。ユカを責めちゃいけない。ユカは俺を大事にしてくれた。とても、愛してくれてたよ」
「だってわかるの、きっとユウやおじいちゃんに会う前のあたしは、ユカと同じことをしたわ。未来のために、人間が少しでも長く生き続けるために、平気で同じ犠牲を出したんだわ」
「違う、マナ。それは誰のせいでもない。仕方ないことだったんだ」
ユウは身体を離し、マナを見つめる。
「俺は、初めから全部知ってたんだ。だから、マナをさらった。マナに会いたかったから。初めからマナに言うべきだったんだ。俺が悪いんだ。マナのせいじゃない。だから、マナはもっと俺を責めていい――」
「言わないで」
目を伏せたまま、マナは首を横に振った。
「もう言わないで。あなたを責めるなんてできないわ。いいのよ。言ったでしょう。何があっても、ユウのこと好きだって」
「――」
「こんなにあなたが愛しいのは、きっとあなたがあたしの子供だからなのね」
ユウの表情が強ばったのが、マナにははっきりとわかった。
彼を傷つけたのだ。そして、ユウを傷つけることによって、自分をも傷つけている。
心が痛い。
傷ついた部分が、悲鳴をあげてやまない。
それでも、マナはこの思いを振り切らねばならなかった。
これは、肉親に対する愛情なのだ。
それ以上で、あってはならない思い。
老人の語った言葉が、マナの胸に突きささったまま抜けない刺となって彼女を痛めつける。
母と息子。父と娘。それは一番に惹かれ合ってはならない者同士だ。なぜなら、彼らは最も濃い血を、その身体に等しく宿しているから。近親相姦は古代から現在に至るまで、人類の犯してはならないタブー――最大の禁忌なのだ。
禁忌を犯して生まれたユウ。
なんという皮肉だろう。自分達はさらなる禁忌を犯した。
だが、罪は自分達にだけあるのか。
ただ愛しただけではないか。
それを罪だというのなら、自分達を創りだした者こそが最も罪深いのではないか。
「――どうして、あたしたちここにいるのかしら…」
「マナ……」
いくら考えても答えなどではしないこともわかっていた。
全てを知ることのできるものはいないのだ。
それを、今、こんな残酷な形で知らされようとは。
「もう戻るわ。一人にしておいて。今はもう、誰とも会いたくないの」
「わかった――」
数日後、ユカの容体は急変した。
慌ただしく、事態は悪化の一途をたどっているようにも思えた。
眠り続けるユカ。やつれた頬は青ざめて、残された時間が少ないことを確信させる。
介抱しようにもここには何もなかった。傍にいるだけで、ユウにもマナにもどうすることもできない。
傍にいて、はっきりとわかった。
ユカは死ぬ。もうすぐ。確実に。
マナはただ、ユウを思った。
彼はまた、失わねばならないのだ。
自分の母を。
彼があんなにも望んだ、かけがえのない、唯一のものを。
彼女に触れた時、マナは理解してしまった。彼女もまた、誰にも言えない影を心に持っていたことを。
自分に課せられた使命に対する誇り。
裏腹に失われていく生命への絶望。
それでも望まれる生命への重圧。
そして、隠された愛憎。
マナにはわからないさまざまな感情が、残り火のように彼女の中に沸き上がり、消えていく。
義務と自分自身の想いの中で、ユカは少しずつ壊れていった。
彼女はたくさんの子をなし、けれどもユウ以外の誰も、生かし続けることはできなかったのだ。
(可哀相なユカ)
ユカを見下ろし、マナは思う。
彼女の求めたものもまた、決して手に入らないものだったのか。そして自分は、一体誰を失おうとしているのか。
もう何もわからなかった。
何を信じていいのかも。
自分は一体、どうすればいいのだろう。
マナには母親であった記憶などない。ましてや息子など知らない。マナにはマナの記憶しかない。
それでも、確かなのだ。自分とユウは、最も近い血を繋ぐ親子なのだ。
この想いは、決して許されない。
許されないのなら、なぜこんなにも愛しいのだろう。心も、身体も、全てがユウを求めているのに。
「おじいちゃん、救けて…!!」
「見つけた?」
研究区の一画で、シイナは連絡を受けていた。
すぐにディスプレイの右下に周辺の地図があらわれる。
映し出されたのは、ドームからかなり北東にある廃墟群だ。比較的新しい年代のものだったので、資料として特殊コーティングされ、それ以上の崩壊を免れた一つである。
「ああ。なんてことなの。こんな遠くにいたなんて」
フジオミをあの海で見失ってから、シイナはマナだけではなく、フジオミの捜索も行なわねばならなかった。
海へ通じる川口で、二つの足跡を発見した。
多分、これはマナとユウのものだ。
そして、何か重いものを川から引きずった跡もあった。多分、マナとユウはフジオミも連れていったのだ。
マナとともに、フジオミも生きていると確信して、シイナは安堵した。
だが、今回のことでシイナはもう捜索をクローン任せにはできなかった。
再度議会を召集し、捜索の全権を自分に移させた。
廃墟群の捜索もあとわずかになって、ようやくユウ達の潜伏場所もわかったのだ。
「新たに編成しておいた捜索隊に準備しろと伝えなさい。管理区には話を通しておく。それから、ヘリの用意も。捜索隊の準備が出来次第出発する」
シイナは通信を切り替え、管理区の保管を担当するクローンを呼び出した。
「ここにある武器で一番威力のある、しかも持続性の高い銃と弾薬をあるだけ用意しなさい。すぐに取りにくるはずだから」
通信を終えると、シイナは立ち上がり、着替えるために自室へと向かった。
「攻撃の時間をなるべく長く保てるように、レーザーと交替で銃も使えばいい。力を使えばそれだけ疲労する。疲労が限界を越えるなら、力も出せなくなるはずよ」
自分に納得させるように、シイナはひとりごちた。
残されたユウのデータは全て頭に入っていた。ユウの力も全能ではありえないのだ。勝機はそこにある。
今度こそ、終わりにしなければならない。