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 俺がいいって言うまで、目を閉じていて。


 ユウの言葉を守って、マナはじっと目を閉じていた。

「ユウ、もういい?」

「まだだよ。少し歩くから。絶対目を開けちゃ駄目だよ」

 風に重なる、聞いたことのない音。

 踏みだした足は不意に沈んだ。ざらついた感触がする。滑るような、柔らかな感覚。踏みしめるたびにサクサクと音がした。いつもの土の硬い感触とは違う。

「ユウ、土が軟らかい。変だわ」

「土じゃないよ。砂だよ」

「すな?」

「そう。海の近くに多くある。草がほとんど育たない乾いた細かい粒」

 両手をひかれて、恐々とマナは歩いた。

 風は湿っているように思えた。

 今まで嗅いだことのないにおいがする。

 マナの知らない音は前へ進むごとに徐々に近づいてくる。ますますきつく目をつぶった。

「ユウ、恐いわ。この音は何?」

「見ればわかるよ。さあ、目を開けて」

 ユウが目の前からよける気配がした。

「もういいの?」

「ああ。海だ――」

 マナは静かに目を開けた。


 そうして、目の前に広がる海原を、初めてその瞳に映した。


「――」

 水だ。

 見渡すかぎりの青い水だ。

 これは海。

 群青の水の中、白く寄せては返す、これは波だ。老人の言葉が、マナの視界に映るものとぴったりと重なる。

「これが、海――?」

「ああ。そうだよ」

 海の向こうは雲に一直線に遮られていた。それがかえって、この地上が実は球体であるということをマナに認識させた。平らに見える水平線は、大きな球の一部に過ぎないのだと。ただ、大きすぎるだけで誰もそれに気づかないのだと。

 潮騒が、全てをかき消していく。


 なんて、世界は美しさに満ち溢れていることか。


 知らず知らず、涙が溢れた。

「マナ、どうかしたのか?」

 頬を伝う涙に気づいて、ユウが問う。

「ううん。違うの――」

 マナは涙を拭おうとはしなかった。ただじっと、海を見ていた。

「おじいちゃんの言ってたこと、本当だった……」


 初めて地を覆う濃く青い水を目のあたりにしたとき、涙が出たよ。こんなにもすばらしい光景が、あっていいものかと。

 私達の住む星の、なんと美しいことか。

 よせてはかえす波のさざめきが、どこまでも続く海。わたる風さえ、命の鼓動をはらんでいた。


 今マナの眼前に広がる海は、老人の心と同調したような感慨を彼女に与えた。


 なんて、美しい。


 言葉にできない、こんなものが自分の中にあるなど、マナは今まで知らなかった。

 溢れる涙を止めることができない。

 これが、海。

 濃い青に染められた、まるで意志を持つかのようにさざめく、これが海なのだ。

 人という存在のなんと矮小なことか。この偉大な世界の中のほんの一部分にしかすぎない。

 これは全ての命の母。

 全ての命を継ぐ存在。

「――」

 全てが、愛しかった。

 この世界にある全てのもの、生きている全てが愛しかった。

 ここで、こうして風に触れていること。海を見ていること。生きて、感じていることが、愛しかった。

「ユウ、すごいわ。すばらしいわ。こんなに綺麗な所に、あたし達、住んでたのね。今まで知らなかったの悔しいくらいよ。ドームの中にずっといて、こんな綺麗なものを見たことがなかっただなんて、馬鹿みたい。本当に、馬鹿みたいだわ」

 マナは泣きながら、ユウに抱きついた。

「綺麗ね。本当に、なんて綺麗なのかしら。ここから、生命が産まれたのね。ここから始まって、あたし達、ここにいるのね」


 老人が夢見るように語った美しい世界が、確かにそこに在った。



「音がする」

 不意に空を見上げ、ユウは呟いた。

「波の音だけよ。何も聞こえないわ」

「いいや。何か来る。あれは――」

 ユウはじっと空を見つめたまま動かなかった。マナもユウの視線の先へ目をこらした。

「――」

 やがて雲の切れ間に、小さな黒い影が見えた。波の音に重なる、マナには耳慣れない機械音。

「あれ、何?」

「旧式の軍用ヘリだ。空を移動するものだ。乗ってるのは、三、人? 」

「ユウ――?」

 マナはユウの腕に触れる。

 次の瞬間。

「あいつだ――」

 凄まじい殺気を、マナはユウから感じた。憎しみの全てが、上空のヘリに向けられている。当然のように彼女は悟った。あの中に、シイナがいる!!

「マナ、隠れてろ」

 刺すような緊張感。能力が発現する。ユウの身体が宙に浮いた。

「今度こそ、殺してやる!!」

 手が離れる。彼はシイナを殺す気なのだ。

「待って、ユウ。だめよ、行かないで!!」

 マナの叫びも、もうユウには届いていなかった。




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