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 マナと会わない日が三日続いた。

 彼は今、マナが唯一来ない地下にいた。いつものように。

 この一年、日課となった作業を機械的にこなす。

 体を動かしている間は何も考えなくてすむが、作業が終わればまた、現実を直視しなければならない。

 必要な電源だけを残し、それ以外のすべてが消えていることを確かめると、ユウは部屋を出ようとして、ふと足を止めた。

 ここから出たら、マナに会ってしまうかもしれない。

 その時、自分は一体何を言えるだろう。

 マナの前であんな風にシイナを非難したが、自分にその資格はあるのか。

 自分だって、全てをマナに話しているわけではない。

 こうして真実に触れる部分は隠したままだ。

 全てを教えもせずに、マナに判断しろなどと、本来なら言える訳がないのだ。

 マナが苦しいように、ユウもまた苦しかった。

 マナを傷つけたいわけではなかった。

 ただ、哀しいだけだ。哀しみだけが、日毎に強く、この胸を圧迫していくから。

 時折、呼吸していることすら億劫になる。

 今ここにいる自分が、嫌で嫌でたまらない。

 許してほしいのに。

 一番に誰よりも。

 どんな愛でもいい。

 必要としてほしい。

 ここにいてもいいのだと言ってほしい。

 望むのは間違いなのか。

 愛されないから憎むのか。

 シイナという女を、怒りなしに思い起すことは不可能だった。

 だが、今ユウは怒りだけでない感情を、呼び起こさずにはいられなかった。


 向けられた微笑みを。

 あたたかな眼差しを。

 優しく語られた言葉を。


 もうとっくに忘れかけていたあたたかな感情まで甦るのは、苦痛に近い。

 ユウは胸を押さえた。

 あの頃は、全てを信じていられた。

 世界は自分のためだけにあるように、幸福だった。

「――」

 シイナの面影と、マナが重なった。

 シイナのように、いつかマナも、自分から去る。

 欲しいものは、決して得られない。


 どうして、自分は――


 ユウは顔を上げ、振り返り、ただ一点を凝視した。

「……どうして」

 決して彼を受け入れない、その姿を。

「教えてくれ。どうして、あんたのその目に、俺は映らないんだ。生きているのに。触れられるのに。どうして俺だけを切り離すんだ……」

 それは決して届かない、声だった。



 地下室を出てから真っ直ぐ自室へ戻ったユウだが、気分が晴れずに外へと向かおうと部屋を出、階段を降りた。

「ユウ?」

 階段の踊り場で呼び止められ、苦い思いで顔を上げる。

 だが、今は誰とも話をしたくなかった。口を開けば、自分はまたマナにあたりちらすだろう。

 ユウは黙って階段を下りて外へと向かった。

 追いかけてくる足音が響く。

「ユウ、待って。あなたに話があるのよ」

 マナの声に、ユウは振り返った。

 彼女は真っすぐにユウを見つめていた。

 彼が戸惑いを覚えるほど一途に。

 マナは階段を駆け下り、ユウの前に立った。

「ごめんなさい、ユウ。あなたのこと、疑ったりして。とても反省してるわ。

 でも、あたしは博士が好きなの。ユウを好きなのと同じくらい、博士もフジオミもおじいちゃんも好きなの。ユウは博士を好きなあたしを、許してはくれない? やっぱり、一緒にいるの、いやかしら」

 遮られるのを恐れるように、マナは一息に喋った。

「――」

 ユウは遠い瞳で、マナを見ていた。

 そのままマナを通り抜け、自分を動かすものに想いを馳せる。その感情がどういうものかは、自分からはあまりにも遠すぎて、理解することはできなかったけれど。

 マナの意志は、もう揺らがない。

 彼女は自分で考え、そして選んだのだ。

「シイナは、あんたに優しかった?」

 穏やかなユウの問いに、マナはしっかりと頷いた。

「とても優しかったわ」

 マナの気持ちは、マナだけのものだ。

 自分の憎しみが、自分だけのものであるように。

 ユウは、それを理解した。そして、受け入れた。

「それなら、いい。あんたはあんたが信じたいものを信じればいい。誰も、人の心に強制はできない。俺が憎む分、あんたは愛せばいい。俺が許さなくても、あんたが許せばきっとシイナは幸せになる」

 不思議と、心は穏やかだった。

 マナの瞳は、いつも迷わずに自分を見据える。

 マナは、今ここにいる自分を、確かに見てくれる。

「マナ、あんたは強い女だ」

「強い? あたしが?」

「ああ。とても、強い」

 自分よりもずっと。


 自分は一体、誰を見ているのだろう。


「俺はずっと、あんたに会いたかった。あんたが俺を知るずっと前から、俺はいつか、あんたに聞きたいと思っていたことがあったんだ」

「それは何?」

「もういいんだ。もう、どうでもいいことだから」

 目の前のこの少女が愛しかった。

 だがそれは、決して許されないものであることも知っていた。


「それでも、俺は、ずっとあんたに会いたかったんだ――」



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