潮が満ちると現れる幽霊島の管理人にされたので、追放してきた冒険者ギルドを見捨てることにしました〜満潮六時間だけの女神は、もう救いません〜【短編】
「お前を除名する。役立たずの『鑑定士』など、パーティに要らんのだ」
港町ミリアの冒険者ギルド。喧騒が、ぴたりと止んだ。
剣士のガレスが、私に向かってそう言い放った。幼馴染で、婚約者で——そして、私がずっと陰から支えてきた男の顔で。
「ハズレ持ちがいつまでも居座られてもな。セレナを見ろ、あの華やかな炎魔法を。お前の『潮読み』とやらは、火の玉ひとつ撃てんだろう」
彼の隣で、赤髪の女がくすりと笑う。新入りの、聖女気取り。セレナ。
「あら、いいのですか? 私、彼女に恥をかかせるつもりは……」
「気にするな。飾りが一つ消えるだけだ」
——飾り。なるほど。
私は静かに息を吐いた。喚くつもりも、泣くつもりもない。
(炎魔法は派手だけど、潮位表は読めないのよね、あなたたち)
心の中でだけ、そっと呟く。前世で潮汐を研究していた頃の癖だ。
そう。私の前世は、現代日本の水産大学で潮汐と海図を研究していた大学院生。フェリー事故で海に沈み、目覚めたら海辺の国リヴァルの子爵令嬢——ナギア=リヴァルに転生していた。
海は、感情では動かない。読める者にだけ、その顔を見せる。
あなたたちが今日まで持ち帰った素材も、稼いだ金も。全部、私が潮を読んで、安全な採取地点と時間を指示していたおかげ。
でも、それを言ったところで、この男には一生わからない。
「わかりました」
私は、淡々と頭を下げた。
「除名、謹んでお受けします」
ガレスが一瞬、拍子抜けした顔をした。
「……なんだ、縋らんのか。まあいい、聞き分けのいいことだ」
もっと縋ると思っていたのだろう。哀れなこと。
(あなたたちが今日まで持ち帰った素材も、稼いだ金も。全部、私が潮を読んでいたおかげ。……でも、言ったところで一生わからないでしょうね)
セレナが、赤い唇を吊り上げた。
「せいぜい、どこかの浜辺で貝でも拾って暮らすことね」
「ええ、そうしますわ」
私は、懐の帳簿——航海日誌の存在を、指先で確かめた。幽霊島の出現時刻、潮位、安全な退路。この世界でただ一つ、私だけが記した海の暗号。
そして、私は口の端だけで微笑んだ。
「……ところでガレス様、契約書の条項はきちんとお読みになりまして?」
「契約書? そんな細かいもの、いちいち覚えているものか」
「……ええ。存じておりますわ。それでは、皆さまお元気で」
ギルドとの専属契約書。その一項を、私は胸の内でなぞる。
『本人の同意なき除名時、これまで提供した情報資産の使用権は即時失効する』
——入団のとき、誰にも気づかれぬよう紛れ込ませた、静かな爆弾。これは諦めではなく、布石。
私はきびすを返し、ギルドの扉を開けた。潮の匂いのする海風が、頬を撫でる。
背後で、ガレスの得意げな声が聞こえた。
「はっ、あの女、案外物わかりがいいじゃないか」
(満潮は、あと三日。あなたたちがそれを知る術は——もう、ないのよ)
◇◆◇
港町を出て、海沿いの道を半日。
たどり着いたのは、地図にも載らぬ小さな入り江だった。潮風にさらされた岩と、朽ちかけた桟橋。そして、木屑にまみれた作業着の老人が一人。
「また島に食われに来た馬鹿かと思えば……」
老人は、鋭い眼光で私を頭のてっぺんから爪先まで眺めた。
「お前、潮の読み方が違うな」
私は目を見開いた。
ガレスも、セレナも、ギルドの誰一人として見抜けなかったこと。それを、この日焼けした老船大工は、一目で言い当てた。
「……わかるのですか?」
「船大工のトビアスだ。この入り江で幾多の攻略隊を見送ってきた。……全員、海の底に沈むのをな」
彼は湾の向こう、霧に沈む海原を顎で示した。
「幽霊島。満潮の六時間だけ浮かび、干潮とともに沈む死の島。財宝の山だが、潮を一分読み違えれば、それでおしまいよ」
「幽霊島。満潮の六時間だけ浮かび、干潮とともに沈む死の島。……存じておりますわ」
「ほう。知った口をきくじゃねえか。だがな、知っているだけの奴から先に沈むのさ」
「歴代の攻略隊が沈んだのは、みな干潮の時刻計算を誤ったから。月齢と、この湾の地形補正を合わせなければ、潮位表は嘘をつくのに」
トビアスの手が、止まった。
「……ほう。地形補正、ときたか」
皺深い顔に、初めて笑みらしきものが浮かぶ。
「あの島はな、寂しがりなのさ」
「寂しがり?」
「正しく潮を読む者だけを『管理人』として迎える。長い年月、誰にも理解されず沈み続けてきたからな。お前が本物なら、島の方から声をかけてくるだろうよ」
私は、湾の向こうを見つめた。
(前世で、私を飲み込んだ海。フェリーごと沈んだ、あの冷たい水。……今度は、迎え入れてくれると言うの?)
その夜。満潮の刻。
霧が、晴れた。
海面から、ゆっくりと。古代の遺跡を戴いた島影が、せり上がってくる。
そして、頭の奥に——声が、響いた。
『……やっと、読める者が来た』
幼子のような、けれど途方もなく古い、島の声。
「……あなたが、島の声?」
『さみしかった。ずっと、ずっと』
私は、思わず微笑んでいた。
「ええ。もう、大丈夫よ」
潮の匂いの中で、私は【幽霊島の管理人】になった。
ここが、私の居場所。
そして、追放してきたあの町を——私は静かに見捨てることに決めた。
◇◆◇
一方、その頃。
港町ミリアの冒険者ギルドでは、ガレスが胸を張っていた。
「聞け! 我々が幽霊島を攻略する! あの伝説のダンジョンをな!」
周囲がざわめく。歴代の攻略隊がことごとく沈んだ、死の島。
「大丈夫なの? みんな沈んだって話じゃない」とセレナが赤い唇を尖らせる。
「案ずるな。満潮になれば島が浮く。それだけのことだ」
——満潮になれば、島が浮く。それだけ。
(……もし私がその場にいたら、卒倒していたでしょうね。潮位の計算も、退路の確保も、干潮の時刻も。何一つ、あの男の頭にはない)
だが読者諸君、覚えておいてほしい。彼らは知らないのだ。
凪が抜けた今、彼らを守る「海の暗号」は、もう誰も読めないということを。
◇◆◇
満潮。
霧の中から浮かび上がった島に、ガレスとセレナは意気揚々と乗り込んだ。財宝、希少素材——目の色を変えて奥へ奥へと進む。
三時間。四時間。
「まだいけるだろう、こんなもの! 財宝はまだ奥だ!」
「見て、この宝石! 私、聖女にふさわしいわ!」
五時間が過ぎた頃。
セレナの足元を、冷たい水が舐めた。
「……え? 足が……冷たい」
振り返る。二人が渡ってきた桟橋は——すでに、海面下に沈んでいた。
「島が……島が沈むぞ!!」
「桟橋が! 桟橋がもう海の下よ!!」
「六時間じゃなかったのか!? まだ余裕があるはずだろう!!」
潮は待たない。干潮に向かって、島は容赦なく海へ還っていく。私の計算では、干潮は満潮から六時間半後。だが彼らは「六時間」の意味すら、正しく理解していなかった。
三時間も、読み違えていたのだ。
「く、来い! 火よ!」
セレナが炎魔法を放とうとする。だが——湿った霧が、赤い髪を、指先を、じっとりと濡らす。
炎は、ぼぷ、と情けない音を立てて、消えた。
「なんで!? どうして出ないの!? 私は聖女なのに!!」
「聖女なら癒せ! 助けろ!」
「あなたが連れてきたんでしょう!! 私のせいじゃないわ!!」
膝まで、腰まで、水が上がってくる。二人は岩にしがみつき、みっともなく喚き散らした。
そこへ。
霧を割って、一艘の救助船が、静かに滑り込んできた。
舳先に立つのは——淡い海色の髪の、私。
「た、助けてくれ、凪! 頼む! 早くこっちへ!」
ガレスが、水面から手を伸ばして叫ぶ。
私は、微笑んだ。
「あら、ガレス様。それに、セレナさんも」
「早く! 早く縄を! 溺れる!!」
私は帳簿を——航海日誌を、ぱらり、とめくった。
「入島には、管理人への申請料が必要ですの。それと、救助にも別途、料金が」
「い、いくらでも払う! だから——」
「……ああ、そういえば」
私は、もう一枚。ギルドとの契約書の写しを取り出す。
「あなた方はギルドから、私への未払いの情報使用料がございましたね」
「な、なによそれ……聞いてないわよ……」とセレナが震える。
「私の同意なき除名により、過去の情報資産の使用は契約違反。その違約金と、今回の救助料を相殺すると——」
指先で、数字をなぞる。
「足りませんわ」
二人が、凍りついた。
「そ、そんな……冗談だろう!? こんなときに……!」
「感情論はいたしません。これは、契約と帳簿の話ですの」
ざぶん、と波が二人を洗った。
「お願い、見捨てないで! 悪かったわ! 謝るから!!」
私は、静かに首を傾けた。
「潮位表は、読めなかったでしょう? ……炎魔法は、派手ですけれど」
そして、告げる。
「満潮六時間だけの女神は——もう、あなた方を救いません」
◇◆◇
ガレスとセレナは、かろうじて命だけは拾った。
私が——ほんの少しの慈悲で——縄を投げてやったからだ。
「ふふ、違いないわ。……さて、縄だけは投げてあげましょう。泥の海を数キロ歩いて帰ればいいわ」
ただし、二人はずぶ濡れのまま、干潮の泥海を数キロ歩いて港へ帰る羽目になった。
聖女の化けの皮は剥がれ、剣士の武勇伝は嘘だと露見した。乾いた水に濡れて肥やしにもならぬ二人の噂は、あっという間に港町を駆け巡った。
冒険者としての信用も、地位も——完全に、失墜。
『いい気味だな』
頭の奥で、島がくすくすと笑う。
「あら、意地悪な島ね」
『お前が言うか』
私は思わず、声を上げて笑ってしまった。
◇◆◇
それから、ひと月。
幽霊島の「安全な入島権」を時間貸しする私の商売は、港町一番の稼ぎ頭になっていた。
「おい管理人さんよ、また依頼が三件来てるぜ。港町一番の稼ぎ頭だな、まったく」
トビアス爺さんが、木屑を払いながら笑う。
「秒単位の入島権をお売りするだけですわ。命の値打ちを考えれば、安いものでしょう?」
「ハズレ持ち、と嘲笑われた娘の言葉とは思えねえな」
「海は、感情では動きませんの。読める者にだけ、その顔を見せる。……それだけのことですわ」
満潮の刻を秒単位で予測し、安全ルートと退路を示し、干潮までの残り時間を告げる。潮を読めぬ冒険者たちにとって、それは命そのものの値打ちがあった。
トビアス爺さんが船を修繕し、私が海図を引く。島は「話し相手ができた」と嬉しそうに、毎朝の霧を晴らしてくれる。
前世で私を飲み込んだ海が、今は私の味方だった。
——そんなある日。
満潮の霧を割って、一人の男が入り江に現れた。
青銀の鱗が、首筋と腕にわずかに覗く。深い藍色の瞳。潮の匂いを纏った、長身の偉丈夫。
海竜人の、元Sランク冒険者——リオン。
かつて、ギルドの誰もが私を嘲笑う中で。ただ一人、私の【潮読み】の真価を見抜いていた、寡黙な男。
「……久しいな」
短い言葉。相変わらずの鉄面皮。
「リオン。どうしてここへ?」
彼は答えず——ただ、私の手元の航海日誌に目を落とした。そして、そっと。まるで宝物に触れるように、その表紙に指を這わせる。
「この計算……島の出現時刻の補正、月齢だけでなく、気圧まで入れているのか」
「ええ。前世の——いえ、私の癖ですの」
「……正しい」
彼は、それだけ言った。
「あなただけでしたわ。皆が私を嘲笑う中で、この日誌の意味を分かってくれたのは」
「……悪くない」
「ふふ、相変わらず。褒め言葉すら、それしか言えませんのね」
褒め言葉すら、それしか言えない不器用さ。私は、少しだけ笑ってしまった。
リオンは、海を見つめたまま言った。
「護衛が要るだろう。海中でも動ける者が。……相棒として、雇え」
「あら、ずいぶん一方的なお申し出ですこと」
「断るのか」
「……いいえ。願ってもないことですわ」
無愛想で。素っ気なくて。けれど、その一言一言に、私への確かな敬意が滲んでいる。
「日誌を濡らすなよ」
「あら、それは私の台詞ですわ」
潮が、満ちてくる。
霧の向こうで、幽霊島がゆっくりと浮かび上がる。まるで、新しい相棒を歓迎するように。
『……次の航海は、どこへ行く?』
島が、囁く。
私は、灰緑の瞳で遠くを見た。
(この島の秘密。リオンがSランクを退いた理由。まだ、語られていないことがたくさんある。でも、それは——また、次の満潮の話)
「さあ。行きましょうか」
潮が満ちると、幽霊島は今日も、私を待っている。
——そして今度は、彼と一緒に。




