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潮が満ちると現れる幽霊島の管理人にされたので、追放してきた冒険者ギルドを見捨てることにしました〜満潮六時間だけの女神は、もう救いません〜【短編】

作者: uta
掲載日:2026/07/17

「お前を除名する。役立たずの『鑑定士』など、パーティに要らんのだ」


港町ミリアの冒険者ギルド。喧騒が、ぴたりと止んだ。


剣士のガレスが、私に向かってそう言い放った。幼馴染で、婚約者で——そして、私がずっと陰から支えてきた男の顔で。


「ハズレ持ちがいつまでも居座られてもな。セレナを見ろ、あの華やかな炎魔法を。お前の『潮読み』とやらは、火の玉ひとつ撃てんだろう」


彼の隣で、赤髪の女がくすりと笑う。新入りの、聖女気取り。セレナ。


「あら、いいのですか? 私、彼女に恥をかかせるつもりは……」

「気にするな。飾りが一つ消えるだけだ」


——飾り。なるほど。


私は静かに息を吐いた。喚くつもりも、泣くつもりもない。


(炎魔法は派手だけど、潮位表は読めないのよね、あなたたち)


心の中でだけ、そっと呟く。前世で潮汐を研究していた頃の癖だ。


そう。私の前世は、現代日本の水産大学で潮汐と海図を研究していた大学院生。フェリー事故で海に沈み、目覚めたら海辺の国リヴァルの子爵令嬢——ナギア=リヴァルに転生していた。


海は、感情では動かない。読める者にだけ、その顔を見せる。


あなたたちが今日まで持ち帰った素材も、稼いだ金も。全部、私が潮を読んで、安全な採取地点と時間を指示していたおかげ。


でも、それを言ったところで、この男には一生わからない。


「わかりました」


私は、淡々と頭を下げた。


「除名、謹んでお受けします」


ガレスが一瞬、拍子抜けした顔をした。


「……なんだ、縋らんのか。まあいい、聞き分けのいいことだ」


もっと縋ると思っていたのだろう。哀れなこと。


(あなたたちが今日まで持ち帰った素材も、稼いだ金も。全部、私が潮を読んでいたおかげ。……でも、言ったところで一生わからないでしょうね)


セレナが、赤い唇を吊り上げた。


「せいぜい、どこかの浜辺で貝でも拾って暮らすことね」

「ええ、そうしますわ」


私は、懐の帳簿——航海日誌の存在を、指先で確かめた。幽霊島の出現時刻、潮位、安全な退路。この世界でただ一つ、私だけが記した海の暗号。


そして、私は口の端だけで微笑んだ。


「……ところでガレス様、契約書の条項はきちんとお読みになりまして?」

「契約書? そんな細かいもの、いちいち覚えているものか」

「……ええ。存じておりますわ。それでは、皆さまお元気で」


ギルドとの専属契約書。その一項を、私は胸の内でなぞる。


『本人の同意なき除名時、これまで提供した情報資産の使用権は即時失効する』


——入団のとき、誰にも気づかれぬよう紛れ込ませた、静かな爆弾。これは諦めではなく、布石。


私はきびすを返し、ギルドの扉を開けた。潮の匂いのする海風が、頬を撫でる。


背後で、ガレスの得意げな声が聞こえた。


「はっ、あの女、案外物わかりがいいじゃないか」


(満潮は、あと三日。あなたたちがそれを知る術は——もう、ないのよ)


◇◆◇


港町を出て、海沿いの道を半日。


たどり着いたのは、地図にも載らぬ小さな入り江だった。潮風にさらされた岩と、朽ちかけた桟橋。そして、木屑にまみれた作業着の老人が一人。


「また島に食われに来た馬鹿かと思えば……」


老人は、鋭い眼光で私を頭のてっぺんから爪先まで眺めた。


「お前、潮の読み方が違うな」


私は目を見開いた。


ガレスも、セレナも、ギルドの誰一人として見抜けなかったこと。それを、この日焼けした老船大工は、一目で言い当てた。


「……わかるのですか?」

「船大工のトビアスだ。この入り江で幾多の攻略隊を見送ってきた。……全員、海の底に沈むのをな」


彼は湾の向こう、霧に沈む海原を顎で示した。


「幽霊島。満潮の六時間だけ浮かび、干潮とともに沈む死の島。財宝の山だが、潮を一分読み違えれば、それでおしまいよ」


「幽霊島。満潮の六時間だけ浮かび、干潮とともに沈む死の島。……存じておりますわ」


「ほう。知った口をきくじゃねえか。だがな、知っているだけの奴から先に沈むのさ」


「歴代の攻略隊が沈んだのは、みな干潮の時刻計算を誤ったから。月齢と、この湾の地形補正を合わせなければ、潮位表は嘘をつくのに」


トビアスの手が、止まった。


「……ほう。地形補正、ときたか」


皺深い顔に、初めて笑みらしきものが浮かぶ。


「あの島はな、寂しがりなのさ」

「寂しがり?」

「正しく潮を読む者だけを『管理人』として迎える。長い年月、誰にも理解されず沈み続けてきたからな。お前が本物なら、島の方から声をかけてくるだろうよ」


私は、湾の向こうを見つめた。


(前世で、私を飲み込んだ海。フェリーごと沈んだ、あの冷たい水。……今度は、迎え入れてくれると言うの?)


その夜。満潮の刻。


霧が、晴れた。


海面から、ゆっくりと。古代の遺跡を戴いた島影が、せり上がってくる。


そして、頭の奥に——声が、響いた。


『……やっと、読める者が来た』


幼子のような、けれど途方もなく古い、島の声。


「……あなたが、島の声?」


『さみしかった。ずっと、ずっと』


私は、思わず微笑んでいた。


「ええ。もう、大丈夫よ」


潮の匂いの中で、私は【幽霊島の管理人】になった。


ここが、私の居場所。


そして、追放してきたあの町を——私は静かに見捨てることに決めた。


◇◆◇


一方、その頃。


港町ミリアの冒険者ギルドでは、ガレスが胸を張っていた。


「聞け! 我々が幽霊島を攻略する! あの伝説のダンジョンをな!」


周囲がざわめく。歴代の攻略隊がことごとく沈んだ、死の島。


「大丈夫なの? みんな沈んだって話じゃない」とセレナが赤い唇を尖らせる。

「案ずるな。満潮になれば島が浮く。それだけのことだ」


——満潮になれば、島が浮く。それだけ。


(……もし私がその場にいたら、卒倒していたでしょうね。潮位の計算も、退路の確保も、干潮の時刻も。何一つ、あの男の頭にはない)


だが読者諸君、覚えておいてほしい。彼らは知らないのだ。


凪が抜けた今、彼らを守る「海の暗号」は、もう誰も読めないということを。


◇◆◇


満潮。


霧の中から浮かび上がった島に、ガレスとセレナは意気揚々と乗り込んだ。財宝、希少素材——目の色を変えて奥へ奥へと進む。


三時間。四時間。


「まだいけるだろう、こんなもの! 財宝はまだ奥だ!」

「見て、この宝石! 私、聖女にふさわしいわ!」


五時間が過ぎた頃。


セレナの足元を、冷たい水が舐めた。


「……え? 足が……冷たい」


振り返る。二人が渡ってきた桟橋は——すでに、海面下に沈んでいた。


「島が……島が沈むぞ!!」

「桟橋が! 桟橋がもう海の下よ!!」

「六時間じゃなかったのか!? まだ余裕があるはずだろう!!」


潮は待たない。干潮に向かって、島は容赦なく海へ還っていく。私の計算では、干潮は満潮から六時間半後。だが彼らは「六時間」の意味すら、正しく理解していなかった。


三時間も、読み違えていたのだ。


「く、来い! 火よ!」


セレナが炎魔法を放とうとする。だが——湿った霧が、赤い髪を、指先を、じっとりと濡らす。


炎は、ぼぷ、と情けない音を立てて、消えた。


「なんで!? どうして出ないの!? 私は聖女なのに!!」

「聖女なら癒せ! 助けろ!」

「あなたが連れてきたんでしょう!! 私のせいじゃないわ!!」


膝まで、腰まで、水が上がってくる。二人は岩にしがみつき、みっともなく喚き散らした。


そこへ。


霧を割って、一艘の救助船が、静かに滑り込んできた。


舳先に立つのは——淡い海色の髪の、私。


「た、助けてくれ、凪! 頼む! 早くこっちへ!」


ガレスが、水面から手を伸ばして叫ぶ。


私は、微笑んだ。


「あら、ガレス様。それに、セレナさんも」

「早く! 早く縄を! 溺れる!!」


私は帳簿を——航海日誌を、ぱらり、とめくった。


「入島には、管理人への申請料が必要ですの。それと、救助にも別途、料金が」

「い、いくらでも払う! だから——」

「……ああ、そういえば」


私は、もう一枚。ギルドとの契約書の写しを取り出す。


「あなた方はギルドから、私への未払いの情報使用料がございましたね」

「な、なによそれ……聞いてないわよ……」とセレナが震える。

「私の同意なき除名により、過去の情報資産の使用は契約違反。その違約金と、今回の救助料を相殺すると——」


指先で、数字をなぞる。


「足りませんわ」


二人が、凍りついた。


「そ、そんな……冗談だろう!? こんなときに……!」

「感情論はいたしません。これは、契約と帳簿の話ですの」


ざぶん、と波が二人を洗った。


「お願い、見捨てないで! 悪かったわ! 謝るから!!」


私は、静かに首を傾けた。


「潮位表は、読めなかったでしょう? ……炎魔法は、派手ですけれど」


そして、告げる。


「満潮六時間だけの女神は——もう、あなた方を救いません」


◇◆◇


ガレスとセレナは、かろうじて命だけは拾った。


私が——ほんの少しの慈悲で——縄を投げてやったからだ。


「ふふ、違いないわ。……さて、縄だけは投げてあげましょう。泥の海を数キロ歩いて帰ればいいわ」


ただし、二人はずぶ濡れのまま、干潮の泥海を数キロ歩いて港へ帰る羽目になった。


聖女の化けの皮は剥がれ、剣士の武勇伝は嘘だと露見した。乾いた水に濡れて肥やしにもならぬ二人の噂は、あっという間に港町を駆け巡った。


冒険者としての信用も、地位も——完全に、失墜。


『いい気味だな』


頭の奥で、島がくすくすと笑う。


「あら、意地悪な島ね」

『お前が言うか』


私は思わず、声を上げて笑ってしまった。


◇◆◇


それから、ひと月。


幽霊島の「安全な入島権」を時間貸しする私の商売は、港町一番の稼ぎ頭になっていた。


「おい管理人さんよ、また依頼が三件来てるぜ。港町一番の稼ぎ頭だな、まったく」


トビアス爺さんが、木屑を払いながら笑う。


「秒単位の入島権をお売りするだけですわ。命の値打ちを考えれば、安いものでしょう?」

「ハズレ持ち、と嘲笑われた娘の言葉とは思えねえな」

「海は、感情では動きませんの。読める者にだけ、その顔を見せる。……それだけのことですわ」


満潮の刻を秒単位で予測し、安全ルートと退路を示し、干潮までの残り時間を告げる。潮を読めぬ冒険者たちにとって、それは命そのものの値打ちがあった。


トビアス爺さんが船を修繕し、私が海図を引く。島は「話し相手ができた」と嬉しそうに、毎朝の霧を晴らしてくれる。


前世で私を飲み込んだ海が、今は私の味方だった。


——そんなある日。


満潮の霧を割って、一人の男が入り江に現れた。


青銀の鱗が、首筋と腕にわずかに覗く。深い藍色の瞳。潮の匂いを纏った、長身の偉丈夫。


海竜人の、元Sランク冒険者——リオン。


かつて、ギルドの誰もが私を嘲笑う中で。ただ一人、私の【潮読み】の真価を見抜いていた、寡黙な男。


「……久しいな」


短い言葉。相変わらずの鉄面皮。


「リオン。どうしてここへ?」


彼は答えず——ただ、私の手元の航海日誌に目を落とした。そして、そっと。まるで宝物に触れるように、その表紙に指を這わせる。


「この計算……島の出現時刻の補正、月齢だけでなく、気圧まで入れているのか」

「ええ。前世の——いえ、私の癖ですの」

「……正しい」


彼は、それだけ言った。


「あなただけでしたわ。皆が私を嘲笑う中で、この日誌の意味を分かってくれたのは」

「……悪くない」

「ふふ、相変わらず。褒め言葉すら、それしか言えませんのね」


褒め言葉すら、それしか言えない不器用さ。私は、少しだけ笑ってしまった。


リオンは、海を見つめたまま言った。


「護衛が要るだろう。海中でも動ける者が。……相棒として、雇え」

「あら、ずいぶん一方的なお申し出ですこと」

「断るのか」

「……いいえ。願ってもないことですわ」


無愛想で。素っ気なくて。けれど、その一言一言に、私への確かな敬意が滲んでいる。


「日誌を濡らすなよ」

「あら、それは私の台詞ですわ」


潮が、満ちてくる。


霧の向こうで、幽霊島がゆっくりと浮かび上がる。まるで、新しい相棒を歓迎するように。


『……次の航海は、どこへ行く?』


島が、囁く。


私は、灰緑の瞳で遠くを見た。


(この島の秘密。リオンがSランクを退いた理由。まだ、語られていないことがたくさんある。でも、それは——また、次の満潮の話)


「さあ。行きましょうか」


潮が満ちると、幽霊島は今日も、私を待っている。


——そして今度は、彼と一緒に。

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