魔導技術と燻る革命の火種
この世界における大国の一つであるウェルネア王国は現在重大な危機の只中にあった。
近隣のライバル国家であるヨネルア王国と新大陸植民地の争奪紛争に始まり、本土にまで戦火が波及したエル=グウェーア戦争の終結から1年。この戦争で実質的な敗北を喫したウェルネア王国は多額の賠償に加えて広大な新世界植民地をほぼ喪失した。とりわけ、オルガタバコという重要な交易資源を独占的に生産して王国と王権を支える重要地域であったオルガ地方の喪失は王国にとってあまりに大きな打撃であった。
この戦争の講和条約で支払うことが命じられた賠償を支払うために、国王ヨーゼルト7世は今まで免税特権が与えられてきた貴族と聖職者に対して課税を行うことを検討した。すると、すぐに貴族や教会の激しい反発を招いた。当時エル=グウェーア戦争において勇猛な戦いぶりを見せて国内で英雄視されていた王国陸軍元帥ルモイネ子爵もこれに反発して元帥職を辞した。
さらに軍内の将校の一部は王権への反対姿勢を公然と取り始めた。
軍の支持を失うことを恐れたヨーゼルト7世は貴族と教会への課税を取りやめ、平民への課税でどうにか財源を作り出すことを決定したのであった。
ところで、当時のトルレア世界において社会と経済の構造を根底から変えつつあったのが、いわゆる「魔導技術」とその産業的応用であった。
魔法そのものは古代から使用されてきた。魔法とは、莫大な魔力と天与の才能を必要とし、世界の法則を無視して望む事象を引き起こすことのできる能力である。
それは、先述の通り魔法の才能、魔力量や高貴な血統によって使えるものが非常に限られていた。
そのため、古来より魔法使いは国家に保護されてきた経緯がある。
また古代エフォール帝国期に大魔法使いアモネイェットによって確立された「魔術」は、魔法使いによって起こされた魔法的事象を体系化し、理論的に使えるようにしたものである。
アモネイェットは魔力を物理的な衝撃波として放出する、今日においては「衝撃」と呼ばれる魔術を発明した。
魔術は古代から現在に至るまで様々な分野で開発が進められているが、未だ魔術として使用できるようになった魔法はそこまで多くない故に柔軟性が低く、また詠唱や高位の魔術になると儀式を行わないといけないなどの理由から、魔術は魔法に比べて劣る点が多いとされている。さらに、理論的に使えるようになったとはいえ、それを学び身につけることは難しく、多くの資金がいる。また魔法よりは要求量が減ったが、依然として魔力量の多さは必須条件となっており、誰もが使用できる技術には至らなかった。
その転機は中世中頃に訪れた。付与系の魔法を得意とする魔法使いが職人として製作するスクロールを使用することで、魔力量の多寡や知識の有無を問わずに魔術を発動できる「魔導技術」が発明された。
スクロールは、通常、金属に詠唱文や魔術陣など、魔術のトリガーとなる要素が刻印されており、それに魔法使いが付与魔法を用いて自身の魔力を刻印に沿って注ぎ込んでいき、発動する一歩手前で魔力の付与をストップし、魔力が自然に流れ込まれないように魔力を遮断する効果を付与した封をしたものだ。
使用時にはこの封を取り、あとほんの少しだけの魔力を注ぎ込むことで即座に、だれでも魔術が発動できるという代物だ。
しかし、スクロールは魔法使い自身が作成しなければならなかったり、前述のことからコストが非常に高いのにこの頃のスクロールは使い捨てのものであったことなどから、民間で利用できるようなものでは到底なかった。
この魔導技術初期における、普遍化を齎すはずだった技術が一部の人々にしか使えないという矛盾は、付与魔法使いたちのたゆまぬ努力によって克服された。その中でも、とりわけ代表的な成果が付与魔術の発明である。
付与魔術はエルトリオ王国サザールス大学のフェレルトートが発明した。
彼の著した諸論考と発明した付与魔術は、従来才能と感覚によって魔法使いに独占されてきた付与技能を、学習と訓練によって習得可能な「専門技能」へと転換させた。確かに、魔導具やスクロールの製作はいまなお高度な知識と熟練を要する職能であり、誰もが容易に行えるものではなかった。しかしそれはもはや、天与の才覚や血筋にのみ依存する閉ざされた領域ではなくなったのである。
今や魔法使いという貴重な人的リソースを用いずとも、技術を専門的に学び、ある程度の魔力を持つものであればスクロールを製作できるようになり、以前よりも安価になった。
さらに、フェレルトートの同僚モネンはスクロールに対して魔石を利用することで再度魔力を封入することができる方法を確立した。
これによって、スクロールは比較的安価かつ繰り返し利用できるものとなり、当初掲げられていた「魔術の普遍化」という理念が、ここにおいて達成されたのであった。これらの変化こそが、後に「魔導革命」と呼ばれる社会的転換の技術的基盤となったのだ。
付与魔術が発明されてから、魔導技術は徐々に再注目され始め、様々な分野で応用されるようになった。
魔導技術の普及は、まず生産の現場を変えた。魔導式織機、魔導炉による金属精錬、保存魔術を応用した食料加工や流通の効率化などにより、生産量は飛躍的に増大し、都市部では従来のギルド的手工業を超えた大規模工房、すなわち工場が出現した。これらの工場を所有・運営したのは、貴族ではなく、商業や金融、技術投資によって富を蓄えた平民層であった。では、なぜ貴族の多くはこれら工場事業に参入しなかったのか。特に高位貴族は古くからの魔法使いの家系であることが多く、自らの使う魔法に誇りを持っている。そのため、魔法を再現する魔術やそれをより普遍化した魔導技術を下賤な技術として忌避する傾向が強かった。
これは特にウェルネア王国の高位貴族で多かった思想であり、他国や大学などの研究機関では傾向が異なる。
こうして台頭したのが、新興ブルジョワジーである。彼らは土地と身分を基盤とする旧来の支配層とは異なり、資本と技術、雇用関係を基礎に都市において高い社会的地位を築いた。都市には賃金労働に従事する労働者階級が形成され、工場資本家と労働者という新たな階層構造が都市部に生まれつつあった。王国の税収や物資供給の多くは、すでにこの魔導産業と都市経済に依存するようになっており、ウェルネア王国は表面的にはなお封建的秩序を保ちながら、その内実においては資本主義的関係を深く抱え込む国家へと変質していたのである。
このような状況にあって、ヨーゼルト7世の平民への増税・課税は必然的に国内において大きな経済的影響力を持つブルジョワジーとその下で働く労働者たちの大きな反発を生むこととなった。彼らは王国の戦争を直接決定したわけでも、敗北の責任を負う立場でもなかったにもかかわらず、その代償を一方的に引き受けさせられたのである。
とりわけ工場主や商人たちは、王権がなお貴族と教会の特権に屈し、自らの経済的基盤を犠牲にする姿勢に強い憤りを抱いた。彼らはすでに、王国経済を支える実力を自覚しており、その自負はやがて「発言権」への要求へと転化していく。
当時のウェルネア王国首都ラボワジェにおいて特に成功を収めていた工場経営者のフィリップ=スターイェンは、平民階級の代表として今回の平民のみに対する課税・増税への反対の意思を伝えて、平民階級をも正式に交えた、賠償金の財源に関する協議の場を設けることを要求した。
フィリップ=スターイェンの要求は、王国において前例のないものであった。
賠償金という国家存亡に関わる問題について、これまで発言権を持つとされてきたのは、国王とその側近、貴族、そして教会のみであり、平民は単に「負担を負う主体」として扱われてきたに過ぎない。平民階級を正式な当事者として政治的協議の場に招き入れるという発想そのものが、封建的秩序の根幹を揺るがすものであった。
王宮と枢密院はこの要求を即座に拒絶すべきか否かで割れた。保守的な貴族派は、これを「身分秩序への反逆」であるとして厳しく糾弾し、スターイェンを扇動者、あるいは危険思想の担い手として断罪するよう国王に迫った。とりわけ教会勢力は、平民が国家財政に口出しすることは、神によって定められた秩序への冒涜であると主張した。
一方で、財務官僚や一部の現実主義的な廷臣たちは、事態をより冷静に見ていた。王国の財政はすでに限界に近く、貴族と教会への課税を撤回した以上、平民経済――とりわけ都市部の魔導産業――への依存は不可避であった。もしブルジョワジーが組織的に納税を拒否し、生産や流通を停滞させれば、王国は賠償金の支払いどころか、国内統治すら立ち行かなくなる危険性があったのである。
さらに、事態を一層複雑にしたのは軍の動向であった。表向きには沈黙を保っていたものの、将校層の一部、とりわけ戦争を通じて魔導兵器や補給の重要性を痛感した若手将校たちは、都市の工場主や技術者と密接な関係を持っていた。彼らにとって、魔導産業はもはや単なる民間経済ではなく、王国防衛に不可欠な基盤であり、その担い手であるブルジョワジーを敵に回すことは、軍事的自殺に等しかった。
こうした圧力の中で、ヨーゼルト7世は難しい選択を迫られた。
彼は王権の威信を保つため、当初はスターイェンの要求を「検討中」とする曖昧な声明にとどめたが、その一方で、非公式に財務卿と内務卿に対し、平民代表を交えた限定的な諮問会議の可能性を探るよう命じたのである。
この動きはすぐに都市部に伝わった。ラボワジェのみならず、王国内各地の工業都市や商業都市では、工場主、商人、魔導技術者たちが集会を開き、「平民もまた王国を構成する一員である」という主張を公然と掲げ始めた。彼らの要求は単なる減税ではなかった。課税の公平性、財政の透明化、そして何よりも、自らの負担がどのような政治的決定のもとに課されるのかを知る権利であった。
かくして、エル=グウェーア戦争後の賠償問題は、単なる財政危機にとどまらず、ウェルネア王国の統治原理そのものを問い直す政治的危機へと変質していった。
貴族と教会に支えられた旧来の王権、魔導革命によって力を得た新興ブルジョワジー、そして都市に集積する労働者階級――これら三者の利害と理念が、首都ラボワジェを中心に鋭く衝突しつつあった。
後の歴史家たちは、この時期を指してこう評することになる。
「ウェルネア王国の危機とは、敗戦の結果ではなく、魔導革命がもたらした社会の成熟と、政治制度の遅滞とが正面から激突した瞬間であった」と。




