エル=グウェーア戦争詳細記
エル=グウェーア戦争は、新大陸植民地を巡る列強間対立が全面的な武力衝突へと転化した典型例として位置づけられる戦争である。当時、新大陸においてはウェルネア王国とヨネルア王国がそれぞれの植民地勢力圏を拡大・維持しようとし、両国関係はすでに深刻な緊張状態にあった。
この対立の核心にあったのが、ウェルネア王国の支配下にあったオルガ地方である。オルガ地方は新大陸有数のタバコ生産地であり、特に同地の土壌でのみ安定して育成可能な高品質品種「オルガタバコ」を特産としていた。オルガタバコはその芳醇な香味と希少性によって中流階級から王侯貴族、さらには王室にまで広く流行し、その消費は国内にとどまらず、トルレア世界、すなわち西欧的文化圏全体へと急速に拡大していった。その結果、オルガ地方はウェルネア王国に巨万の富をもたらす植民地となり、王権を財政的に下支えする重要な収入源、すなわち王権の財源として決定的な地位を占めるに至ったのである。
ヨネルア王国は、この莫大な富と戦略的価値を有するオルガ地方の存在を看過せず、同地方を含むウェルネア王国の新大陸植民地の奪取を国家目標として掲げ、ついに武力行使に踏み切った。これが後に「エル=グウェーア戦争」と総称される一連の戦争の発端であった。
戦争初期においては、両国の本国軍が直接介入する事態には至らず、主として新大陸に駐留する植民地軍同士が衝突する局地的な戦争として展開した。転機となったのは、ヨネルア王国植民地軍が、両国の境界線として定められていたオルゴー川を渡河し、ウェルネア王国側領域へ侵入したことである。この侵攻は限定的な示威行動にとどまらず、明確な領土奪取を意図した軍事作戦であった。
当時のヨネルア王国植民地軍には、大規模な魔術師団が派遣されたり、スクロールや魔石を十分に本国から供給されており、その戦力は植民地軍の枠を大きく超える質を備えていた。これに対し、ウェルネア王国植民地軍は慢性的な兵力不足に直面しており、新大陸の原住民を徴発するとともに、現地部族と同盟・協力関係を結ぶことで対抗しようと試みた。
しかしながら、戦局はウェルネア側にとって厳しいものとなった。レフェルトの戦い、エンザ砦の戦いといった主要な戦闘において、ウェルネア王国植民地軍は相次いで敗北を喫し、前線は徐々に、しかし確実に後退していった。
その要因は複合的であるが、ウェルネア王国植民地軍自体が少数であったことに加え、徴発された現地兵や部族兵が、トルレア的に体系化された戦術体系に十分適応できなかったことが特に挙げられる問題であった。現地兵や部族兵の戦闘様式は、呪術による身体能力の強化や敵戦力の弱体化を基軸とするものであったが、ヨネルア側が展開したテクレアの魔法防御結界によって弱体化の効果はほぼ無効化された。さらに、結界の庇護下から放たれる魔法使いや魔術師による直接的な魔法攻撃を受け、現地兵部隊は各地で壊滅的な損害を被った。
狼騎兵など、一部の現地戦力は機動力と奇襲性を活かして一定の戦果を挙げることには成功したものの、それらは戦局全体を覆すには至らず、結果としてウェルネア王国植民地軍は防戦一方の状況に追い込まれていったのである。
オルゴー川以西における連敗によって、ウェルネア王国植民地軍は防戦一方の状況に追い込まれたが、この段階において戦争はなお「植民地戦争」の枠内に留まっていた。すなわち、投入される兵力は両国とも限定的であり、補給線も新大陸内部で完結する規模に抑えられていたのである。しかし、オルガ地方の中核都市エルガ港の喪失が現実味を帯び始めたことで、事態は急速に変質する。
オルガ地方は単なる農業植民地ではなく、王権財政を支える戦略的要衝であった。そのため、ウェルネア王国王都においては「植民地の一時的後退」という楽観論は急速に退けられ、戦争は王国の威信と財政基盤そのものを賭けた国家総力戦として再定義されることとなる。本国から正規軍が派遣され、同時に高位魔法使いを含む貴族将校団が新大陸へと送り込まれた。
ここで重要なのは、ウェルネア王国軍上層部の戦争観である。彼らはあくまで、戦争の決定力は「生得的な魔法の才」を有する貴族魔法使いにあると信じており、魔術やスクロールを用いた集団戦闘は、補助的かつ下位の手段に過ぎないと見なしていた。そのため、本国から派遣された部隊は、旧来のトルレア的戦術モデルを形式的には踏襲しつつも、実態としては魔法使い個人の突破力と即応的な判断に依存する、やや歪んだ編成を取ることになる。
これに対してヨルネア王国は、戦争の初期段階から一貫して魔術と魔導技術を組織的に運用していた。彼らは結界術師を中核とする戦列維持を重視し、魔法使いは「結界を破壊するための局地的戦力」あるいは「戦線が崩れた瞬間に決定打を与える存在」として位置づけていたのである。魔術師将校の存在はその象徴であり、彼らは兵站・スクロール補給・魔石管理といった後方要素までも含めた戦場全体の最適化を図っていた。
両軍が本格的に激突したエル=グウェーア会戦は、こうした思想の差異を如実に示すものとなった。ウェルネア王国軍は、厚みのある魔法防御結界を前面に展開し、貴族魔法使いを前線近くに配置することで、敵結界の突破を狙った。しかしその一方で、一般兵へのスクロール配備は不十分であり、弾幕形成能力においてヨルネア王国軍に劣っていた。
ヨルネア王国軍はこれを見逃さなかった。彼らは意図的に結界の接触を遅らせ、前哨戦として大量の初等戦闘魔術スクロールによる弾幕を集中運用した。矢避けの結界を圧迫し続けることでウェルネア側の結界術師に過負荷を与え、同時に魔法防御結界の維持者を特定し、魔術師部隊による持続的な干渉を行ったのである。この段階では結界そのものを破壊することは不可能であったが、結界維持の安定性は確実に低下していった。
やがて両軍の結界が接触し、交差領域が形成されると、戦局は一気に流動化する。ウェルネア王国軍は、この瞬間に貴族魔法使いが前に出て決定的な魔法を放つことで戦線を押し返そうとした。しかし、ヨルネア王国軍はあらかじめ交差領域の側面に予備結界を展開しており、さらに一般兵によるスクロール弾幕を断続的に叩き込むことで、魔法使いの詠唱と集中を妨害した。
結果として、ウェルネア王国軍の魔法使いたちは個々には強力でありながら、集団戦としての連携を欠き、各個撃破に近い形で戦闘力を削がれていった。一方ヨルネア王国軍は、魔法使いと魔術師、結界術師、一般兵がそれぞれ役割を固定化された歯車として機能し、戦列全体としての持続力を維持したのである。
エル=グウェーア会戦の敗北は、ウェルネア王国にとって単なる一敗以上の意味を持った。それは、魔法至上主義に基づく貴族的軍事観が、魔導革命後の戦場において既に限界を迎えていることを示す実例となったからである。しかし皮肉なことに、この敗北の原因を「魔術の体系的運用」に見出した者は、当時のウェルネア王国上層部にはほとんど存在しなかった。この態度は本戦争の推移に大きく影響することとなったのであった。
以下では、エル=グウェーア会戦後から本格的な戦線崩壊に至るまでの過渡期に発生した、小規模〜中規模戦闘を三例取り上げる。いずれも単体としては決定的ではないが、戦争の性格と両軍の戦術思想の差異を明確に露呈させ、最終的な帰結へと連なっていく重要な戦闘である
第一例:ミュルン湿原遭遇戦(小規模戦闘・機動戦)
エル=グウェーア会戦の敗北後、ウェルネア王国軍はオルガ地方中央部からの計画的撤退を開始した。この撤退は名目上「戦線整理」と称されたが、実態としてはヨルネア王国軍の戦術的主導権を認めた後退であった。ミュルン湿原遭遇戦は、その撤退過程において発生した最初の本格的接触である。
ミュルン湿原は、エル=グウェーア港と内陸部の補給拠点を結ぶ街道沿いに広がる低湿地帯であり、大規模会戦には不向きだが、小部隊の奇襲や追撃には適した地形であった。ウェルネア王国軍は、補給馬車とともに約二個歩兵中隊、そして貴族魔法使い三名を護衛として配置していた。一方、ヨルネア王国軍は正規戦力を投入せず、魔術師主導の軽装歩兵部隊と結界術師少数による追撃部隊を差し向けた。
戦闘は、夜明け前にヨルネア側が展開した限定的な矢避け結界の前進によって開始された。彼らの目的は殲滅ではなく、補給車列の足止めと混乱であったため、結界規模は最小限に抑えられていた。その代わり、一般兵が携行するスクロールによる初等戦闘魔術が、湿原の視界不良を利用して断続的に放たれた。
ウェルネア側は、これを「小規模な嫌がらせ」と判断し、貴族魔法使いが前に出て魔法による制圧を試みた。しかし、湿原という地形は魔法の視認性と効果範囲を著しく制限し、加えてヨルネア側は魔法防御結界を限定的に重ねることで、決定的打撃を回避した。結果として、ウェルネア側の魔法使いは魔力を浪費する一方、補給馬車は足止めされ、最終的に数両が放棄されることとなる。
この遭遇戦は小規模であり、死傷者数も限定的であったが、重要なのは「魔法の優位性が地形と組織運用によって無効化されうる」ことを示した点にある。ヨルネア王国軍は、正面会戦を避けつつ、魔導技術による持続的圧迫を成功させ、ウェルネア軍撤退の秩序を初めて乱したのである。
第二例:ヴァルケス丘陵防衛戦(中規模戦闘・陣地戦)
ヴァルケス丘陵は、オルガ地方南部における最後の天然防衛線であり、ウェルネア王国軍はここに即席の防衛陣地を構築した。この戦闘は、エル=グウェーア会戦以降、初めてウェルネア王国軍が明確に「防御戦」を志向した例である。
丘陵上には複数の結界拠点が設けられ、魔法防御結界と矢避け結界が比較的厚く展開された。ウェルネア側指揮官は貴族魔法使いであり、彼は「結界を維持し続ければ、ヨルネア側は正面突破できない」という前提に立っていた。そのため、一般兵へのスクロール配備は最低限に抑えられ、魔術師の数も限定的であった。
これに対し、ヨルネア王国軍は極めて慎重なアプローチを取った。彼らは丘陵正面への即時突撃を避け、周辺地域に小規模な魔術部隊を分散配置し、結界への持続的圧迫を開始した。投石器と火砲による間欠的攻撃、スクロール弾幕による魔力消耗、さらには夜間における結界干渉魔術が、数日にわたって繰り返された。
決定的であったのは、結界術師の疲弊である。ウェルネア王国軍の結界は強力であったが、それを維持する結界術師の数は限られており、交代要員も不足していた。一方、ヨルネア側はスクロール化された結界魔術を段階的に投入し、前線の魔術師と後方支援部隊を交代させることで、持久戦を成立させていた。
最終的に、丘陵の一角で結界が不安定化した瞬間を突き、ヨルネア王国軍は局地的な交差領域を形成することに成功する。そこへ魔術師主導の突撃が行われ、一般兵による集中スクロール射撃が防衛線を突破した。丘陵全体が崩壊したわけではなかったが、ウェルネア王国軍は側面包囲の危険を察知し、陣地放棄を決断した。
この戦闘は「結界は絶対的な盾ではなく、運用の持続性こそが戦力である」という事実を明確に示した中規模戦闘であった。
第三例:ローデン河渡河阻止戦(中規模戦闘・機動防御戦)
ローデン河は、オルガ地方北部を横断する大河であり、ウェルネア王国軍にとって最後の計画的撤退線であった。ここでの戦闘は、戦争全体の流れを決定づけたとは言えないものの、ヨルネア王国軍が「戦略的主導権を完全に掌握した」ことを内外に示した象徴的な戦闘である。
ウェルネア王国軍は、河岸に沿って防衛線を敷き、渡河点を限定することでヨルネア側の進撃を阻止しようとした。ここでも主力は貴族魔法使いであり、大規模魔法による渡河妨害が想定されていた。一方で、一般兵は依然として補助的存在に留め置かれていた。
ヨルネア王国軍は、これに対して極めて現代的とも言える戦法を採用した。彼らは複数の偽装渡河地点を設け、スクロールによる初等魔術を大量に使用して陽動を行った。その裏で、結界術師が移動結界を用いて小規模部隊を河下流へと展開し、予想外の地点から渡河を試みたのである。
渡河そのものは激戦となったが、交差領域が形成された瞬間、一般兵による集団魔術弾幕が威力を発揮した。ウェルネア側の魔法使いは個々には強力であったものの、同時多発的な接触に対応しきれず、戦線は分断された。
結果として、ヨルネア王国軍は完全な突破には至らなかったものの、複数の橋頭堡を確保し、ウェルネア王国軍の撤退計画を大きく狂わせることに成功した。
【ローデン河の戦い】
ローデン河渡河阻止戦の後、ヨルネア王国軍が確保した複数の橋頭堡は、規模こそ限定的であったものの、戦略的には極めて重大な意味を持っていた。それは単に河岸の一部を失ったという問題に留まらず、後背のウェルネア王国の支配地域にいつでも浸透される可能性があるという恒常的な脅威に晒される状況を生み出したからである。
こうした状況に対し、ウェルネア王国軍上層部は当初、消極的な対応を取っていた。貴族魔法使いを中心とする将官たちは、橋頭堡は「いずれ大規模魔法によって焼き払えばよい一時的存在」に過ぎないと考えており、戦力を集中させて危険を冒すことに慎重であった。しかし現場では、補給路の攪乱や哨戒部隊への奇襲が相次ぎ、兵士の士気は低下しつつあった。これ以上の放置は、戦線の自然崩壊を招きかねないという危機感が、徐々に共有され始める。
この局面で前面に立ったのが、ルモイネ子爵である。彼はウェルネア王国貴族としては例外的に、魔法使いでありながら魔術と魔導技術の実用性を比較的冷静に評価していた人物であった。とはいえ、彼自身もまた魔法を至高の力と認識しており、魔術を「魔法の代替物」と見る貴族的価値観から完全に自由であったわけではない。そのため、彼の作戦立案は、魔法を決定打としつつも、魔術と結界運用を補助線として巧妙に組み込む、折衷的な性格を帯びることになる。
ルモイネ子爵が立案した作戦の基本構想は明快であった。すなわち、ヨルネア王国軍の橋頭堡を個別に叩くのではなく、最も発達し、後続部隊の集積が進んでいる主橋頭堡に戦力を集中し、短時間でこれを粉砕することで、残存橋頭堡を戦略的に孤立させるというものである。重要なのは「短時間」という点であり、長期戦となればヨルネア側の魔術運用能力と持続力に対抗できないことを、彼は正確に理解していた。
作戦に投入された兵力は、歩兵三個連隊、騎兵一個連隊、そして貴族魔法使い五名で構成されていた。加えて、公式には「付随部隊」とされた結界術師および魔術師部隊が同行したが、その存在は上層部の意向を反映し、あくまで補助的役割に限定されていた。スクロールの配備量も、ヨルネア王国軍と比較すれば明らかに少なく、弾幕形成能力では不利な条件での反攻であった。
ルモイネ子爵は、この不利を補うため、戦闘開始前に入念な結界準備を行わせた。渡河地点周辺の地形を利用し、移動結界を複層的に展開することで、前進速度を高めつつ、ヨルネア側の初等魔術弾幕を可能な限り吸収する構造を構築したのである。この結界は、持続性を犠牲にする代わりに、短時間で最大強度を発揮する設計となっており、まさに一撃離脱的な反攻を前提としたものであった。
戦闘は夜明け直後に開始された。濃霧の立ちこめるローデン河畔において、ウェルネア王国軍は結界に守られた密集隊形を維持したまま急速に前進し、橋頭堡正面のヨルネア王国軍と接触する。予想通り、結界の交差領域が形成されると同時に、ヨルネア側は一般兵によるスクロール弾幕を展開したが、ウェルネア側はこの瞬間を待っていた。
ルモイネ子爵は、前線に出た貴族魔法使いに対し、個別の戦闘ではなく「集中魔法」を命じた。複数の魔法使いが魔力の流れを同期させ、一点に向けて破壊的な魔法を放つという、極めて危険で高度な運用である。これは結界や魔術による防御を強引に突破することを目的としたものであり、成功すれば敵戦列を瞬時に瓦解させうるが、失敗すれば魔力干渉による自滅すら起こり得た。
結果として、この賭けは部分的に成功した。ヨルネア王国軍主橋頭堡の中央部は壊滅的な打撃を受け、結界は完全に破壊され、指揮系統も混乱に陥った。ウェルネア王国軍歩兵はこれに乗じて突入し、短時間ながら白兵戦において優位を確保する。
しかし、ここで作戦の限界も露呈する。ヨルネア王国軍は橋頭堡背後に予備結界を展開しており、さらに魔術師将校の指揮の下、即座に弾幕を再構築したのである。ウェルネア側の結界は設計通り急速に不安定化し、長時間の維持には耐えられなかった。貴族魔法使いたちは魔力消耗が激しく、追加の大規模魔法を行使できる状態ではなかった。
ルモイネ子爵は、この時点で無理な追撃を断念し、計画通り撤退を命じた。橋頭堡は完全には壊滅しなかったものの、主拠点としての機能は失われ、ヨルネア王国軍は後続部隊の展開を一時的に停止せざるを得なくなる。結果として、ローデン河戦線は短期間ではあるが安定を取り戻した。
この反攻は、戦略的勝利とは言い難いが、ウェルネア王国軍にとっては数少ない「成功した反撃」であった。同時に、それは魔法を決定打としつつも、結界と魔術の補助なしには成立し得なかった作戦でもあった。皮肉にもこの事実は、ルモイネ子爵自身の評価を高める一方で、ウェルネア王国軍上層部の魔法至上主義を根本から揺るがすには至らなかった。
ローデン河橋頭堡反攻戦は、エル=グウェーア戦争における一つの転機であると同時に、ウェルネア王国が自らの軍事思想の限界を、なお直視しきれなかったことを象徴する戦闘として、後世に記憶されることになる。
ローデン河戦線の崩壊以降、戦争の趨勢はもはや明白であった。ヨルネア王国軍は渡河点を次々と拡張し、橋頭堡を恒久拠点へと変質させながら、組織的かつ持続的に戦力を送り込み続けた。一方のウェルネア王国軍は、局地的な反攻によって時間を稼ぐことには成功したものの、根本的な主導権を取り戻すことはできず、補給線と指揮系統は徐々に摩耗していった。
こうして、ウェルネア王国軍はさらに内陸へと撤退し、最終的にオルガ地方南西部の要衝、ボーデルン市郊外において最後の決戦を行う決断を下すこととなる。ボーデルンは、港湾都市エル=グウェーアを失った後における最大の人口集積地であり、内陸交易路と農業地帯を結ぶ結節点でもあった。この地を失うことは、軍事的敗北に留まらず、ウェルネア王国の新大陸統治そのものの放棄を意味していた。
そのため、王国中枢はこの戦いを「決戦」と位置づけ、もはや撤退の余地は存在しないという認識が、少なくとも名目上は共有された。ボーデルン郊外には、臨時に再編された残存戦力が集結し、貴族魔法使いを中心とする指揮体系も、過去最大規模で投入されたのである。
しかし、その内実は極めて脆弱であった。
ボーデルン防衛線は、都市外縁部のなだらかな丘陵と開けた平原を利用して構築された。ここでは、トルレア的戦術モデルに基づく正面会戦が想定され、魔法防御結界と矢避けの結界が重層的に張り巡らされた。ウェルネア王国軍は、この戦いにおいて、過去の敗北を踏まえ「結界の厚み」を最大化する方針を採用していた。多数の結界術師とスクロール化された結界魔術が投入され、前線はかつてないほど堅牢に見えた。
だが、この選択は同時に、戦場全体を硬直させる結果をもたらした。結界の維持に必要な魔力と人員が前線に集中したため、後方の予備戦力と機動力は著しく低下していたのである。また、貴族魔法使いたちは「この結界線こそが決戦線である」という認識に囚われ、戦線機動や柔軟な再配置を軽視する傾向を強めていた。
一方、ヨルネア王国軍は、ボーデルンの戦いを「敵戦力の最終的解体」と位置づけていた。彼らは都市攻略そのものよりも、ウェルネア王国軍主力の殲滅、あるいは組織的抵抗能力の喪失を目標としていた。そのため、戦闘準備は極めて周到であり、戦場周辺には段階的に補給拠点と結界展開地点が構築されていった。
戦闘は、例によって前哨戦から始まった。ヨルネア王国軍は投石器と火砲、そして大量の初等戦闘魔術スクロールを用い、ウェルネア側結界に対して持続的圧迫を加えた。目的はあくまで、結界術師と魔法使いの魔力を消耗させ、維持能力を限界まで引き下げることにあった。
数日にわたる断続的な攻撃によって、ウェルネア王国軍前線では、結界の揺らぎと局所的な不安定化が頻発するようになる。これに対し、貴族魔法使いたちは個別に対応し、その都度魔法によって修復・補強を試みたが、これは結果的に魔力の浪費を加速させた。魔術による補助的運用を軽視したため、結界維持の負担が特定の魔法使いに集中していたのである。
やがて、両軍の結界が接触し、広範な交差領域が形成された。ボーデルンの戦いにおける交差領域は、これまでの会戦と比較しても異常な広さを持っていた。これは戦線が長大であったこと、そして双方が結界を最大規模で展開していたことによる必然的帰結である。
この瞬間、ヨルネア王国軍は一斉に動いた。一般兵によるスクロール弾幕が、これまでにない密度で放たれ、同時に魔術師将校の指揮の下、局地的な再結界が次々と展開された。これにより、交差領域内部であっても、ヨルネア側は限定的な防御を維持しつつ、攻勢を継続することが可能となった。
ウェルネア王国軍も、決定打として貴族魔法使いを前線に投入し、大規模魔法による反撃を試みた。確かにその威力は凄まじく、ヨルネア王国軍の一部戦列は壊滅的打撃を受けた。しかし、それは戦場全体の均衡を崩すには至らなかった。ヨルネア側は損害を前提とした縦深配置を採用しており、崩れた戦列は即座に後続部隊によって埋められたのである。
決定的であったのは、側面戦線の崩壊であった。ヨルネア王国軍は、正面での消耗戦と並行して、結界術師と機動部隊を用いた側面浸透を進めていた。スクロール化された移動結界によって、地形を無視した再配置が行われ、ウェルネア王国軍の防衛線は徐々に包囲されていく。
包囲が明確となった段階で、ウェルネア王国軍内部では撤退か総突撃かを巡る混乱が生じた。しかし、もはや秩序だった撤退は不可能であり、総突撃を行うには戦力が疲弊しすぎていた。結界は部分的に崩壊し、魔法使いたちの魔力も枯渇に近づいていた。
最終的に、ボーデルン郊外の戦線は瓦解した。統制を失った部隊は各個に撤退を試み、多くが捕捉・殲滅されるか、投降を余儀なくされた。ボーデルン市そのものは戦闘による直接破壊を免れたが、それはヨルネア王国軍が意図的に市街戦を回避した結果であり、軍事的敗北の深刻さを和らげるものではなかった。
ボーデルンの戦いは、ウェルネア王国にとって決定的敗北であった。この戦いをもって、ウェルネア王国は新大陸植民地における実効支配力の大半を失い、以後は名目的な権利主張を除いて、軍事的介入能力を完全に喪失することとなる。
新大陸における戦線が消耗戦の様相を深めるにつれ、エル=グウェーア戦争はもはや「遠隔地の植民地戦争」という枠組みに収まらなくなっていった。戦争は地理的にも政治的にも拡張され、ついには旧大陸本国を直接巻き込む全面戦争へと転化していく。その転換点となったのが、ヨルネア王国による本国周辺海域への介入であった。
ヨルネア王国の戦略判断は冷徹かつ現実的であった。彼らは、新大陸においてウェルネア王国軍の主力が拘束され、さらに補給・再編に多大な時間と資源を要していることを正確に把握していた。その上で、戦争の決定点として、「新大陸の最終勝利」に加えて、「ウェルネア王国そのものの持久力の破壊」も設定したのである。
こうしてヨルネア王国は、本国艦隊の一部と私掠船団を動員し、ウェルネア王国周辺海域における通商破壊を開始した。これは単なる海賊行為ではなく、明確に国家が関与した計画的作戦であった。オルガタバコを含む植民地産物の輸送船、さらには穀物や魔導素材を運ぶ商船が標的とされ、航路は断続的に遮断されていく。
同時に、ヨルネア王国は限定的ながらも象徴的な上陸作戦を実施した。これらは大規模占領を目的とするものではなく、沿岸都市や港湾施設への短期的襲撃、補給倉庫や造船施設の破壊を主眼としたものである。戦術的には小規模であっても、その政治的・心理的影響は甚大であった。ウェルネア王国民にとって、戦争は初めて「自国の海岸に迫る現実的脅威」として認識されることとなったのである。
この段階で、エル=グウェーア戦争は名実ともに全面戦争へと発展した。ウェルネア王国は、新大陸と本国という二正面での軍事行動を同時に維持せざるを得なくなり、その負担は急速に国家全体へと波及していった。
まず直撃したのが王国財政である。オルガ地方からもたらされるタバコ収入は、長年にわたって王権財政の安定を支えてきた柱であったが、輸送路の不安定化によって収益は激減した。保険料の高騰、船舶損失、護衛艦隊の維持費は、収入減と相まって財政を圧迫する。一方で、戦費は減るどころか増大を続けていた。新大陸への増援、本国沿岸の防衛、艦隊の再編と拡張、そして魔法使い・結界術師の確保と維持には、莫大な資金が必要であった。
王国政府は、これに対応するため徴税の強化と公債の大規模発行に踏み切った。だが、この政策は国内の中流階級および都市市民層の強い反発を招いた。彼らは戦争から直接的な利益を得ておらず、むしろ通商の停滞と物価上昇によって生活を圧迫されていた層である。とりわけ都市商人や手工業者にとって、海上交易の混乱は死活問題であり、王権への不満は急速に可視化されていった。
こうした経済的緊張は、やがて政治的対立へと転化する。王国内部では、新大陸戦争の継続を巡って、二つの立場が明確に対立するようになった。
一方は、いわゆる現実派である。彼らは、新大陸植民地の維持がもはや費用対効果に見合わない段階に入っていると主張した。新大陸に投入されている兵力と資金を本国防衛に振り向け、戦争を限定化することで、国家の中枢を守るべきだという考えである。この立場は、都市市民層や一部の官僚、そして魔導技術の限界を冷静に認識していた実務派将校の間で支持を集めた。
他方は、王権派である。彼らにとってオルガ地方の喪失は、単なる経済的損失ではなく、王権の正統性そのものを揺るがす致命的打撃であった。オルガタバコがもたらす富は、王国の威信、宮廷文化、そして貴族層の生活を支える基盤であり、それを失えば王国は列強としての地位を保てないと考えられていた。彼らは、新大陸こそが戦争の主戦場であり、そこでの敗北は本国防衛の成否以前に国家の没落を意味すると主張したのである。
この対立は、単なる政策論争に留まらず、ウェルネア王国の統治構造そのものを揺さぶる問題へと発展していった。貴族魔法使いを中心とする軍上層部は概ね王権派に属していたが、財政と行政を担う官僚機構は現実派に近づきつつあった。宮廷と都市、魔法と魔導技術、威信と持続性――こうした対立軸が複雑に絡み合い、王国内部は次第に統一的な戦争遂行能力を失っていく。
そうした対立を続けている間に、ボーデルンの戦いによってウェルネア王国は新大陸における抵抗能力を失った。この報を数週間の遅延を経て耳にした国王ヨーゼルト7世は、もはや継戦は不可能と悟り、エルトリオ王国首都ハログースにて講和会議を開催することをヨルネア王国に提案し、終戦に向けての交渉を開始した。この講和会議の結果、ウェルネア王国はオルガ地方を含む新大陸植民地の喪失と多額の賠償金を背負うこととなった。
この王国の大きな収入源の喪失と、多額の賠償金支払いの影響は半ば必然的に国民へ、増税という形で向かっていくこととなった。これが後の革命の火種になったことは本編で確認していただきたい。




