二章・第三話ブレイブダンジョンへ⑥
◇◇◇◇◇
「うぅ…血が付いてる…
コレ、本当に僕の血じゃない?」
色んな事が一気に押し寄せて、
未だに放心状態のイルは、
今更になって腰が抜け、
動けなかった。
「キサマのすぐ横に…ほれ、
真っ二つになったネズミが倒れて
いるだろう?」
呆れ声のリーンが指を差す方を見れば、
先ほどの牙ネズミが無惨な姿で
地面に転がっていた。
「ヒッ⁈ グロっ!
え?…コレ、僕が…倒した??」
他人事みたいに呟く。
「うむ、見事だったぞ。
しかも、怪我もしておらぬ。
これは返り血だ」
イルは改めて、
ガタガタと震える自分の手を見る。
確かに痛みは無い…
痛みはないが…
「肩と腕がブルブル震えて、力が入らないよぅ」
あの、一瞬の…
殺気立った目はどこへ行ったか、
すっかり弱気のイルに戻っていた。
「まぁ…片手であの巨大ネズミを
真っ二つにしたのだからな…
今のキサマでは、筋力の限界なのだろう」
イルは記憶を辿る。
牙ネズミが襲い掛かって来た、
あの瞬間…
常に自分の意識を
覆っていた、薄いけれど、重い…
何か…膜のような物が
一瞬だけ解けた気がした。
イルは…今更ながら気付く。
これまで自分は前世の記憶を持ち、
今世の肉体だけが借り物なのだと、
…自分は前世の自分のままだと
そう、思って…
いたかっただけなのだ…
だが、恐らく、違うのだろう。
確かに魂は前世からの自分である。
だが…今の自分は前世の自分ではない。
当たり前の事だが、
しかし、どこかで分かっていなかった。
記憶さえあれば、自分はかつての
強い剣士に戻れるのだと…
そう、信じていたかったのかもしれない。
記憶だけでは、駄目なのだ。
今世の…甘やかされて育った、
臆病で弱気で…平凡な
田舎生まれの自分も
この体の中に存在していて…
紛れもなく、それも今の自分なのだ。
前世の、記憶だけの自分を過信し、
今世の肉体と意識が在る事…
その現実を忘れてはいけない。
イルは、じっと自分の震える手を見ながら
矛盾する体と意識と、過去の記憶の間で
葛藤していた。
しかし、
未だに整理できない
己の葛藤を遮り、
再びリーンの透き通る
氷の剣のような声がイルに突き刺さる。
「立ちなさい!イル!」
また魔物が来たようだ!
次も、剣を振るわねば…
立ち上がろうとするイルだったが…
気持ちとは、裏腹に…
肉体が泥を纏ったように重く
思うようにならない…
そんな、焦るイルを
嘲笑うかのように、魔物の鳴き声が
迫っていた。
◇◇◇◇◇
(ブレイブダンジョンへ⑦へ続く)




