5.嘘つきはお断り
やっとのことで王子からやかんを受け取った私は、そのまま、その場で座り込んだ。周りを見渡すと傷ついて横になっている三人と、立ったままアワアワしている王子がいて、私はといえば、情けないことにへちょりと落ち込んでしまって、罪悪感で、立ち直れないぐらいへろんへろんな気分だった。
我ながら、いつまで経っても打たれ弱すぎるとは思うんだけど、傷ついている人達が目の前にいて、どうしたらいいのか、本当に、ただただもう、涙が出そうになるのを必死で堪えていた。
「ミーナさん、大丈夫です。何も心配いりません。なにもかも、大丈夫です。大丈夫ですよ。私がいます。私がなんでもします。大丈夫です」
はあ?と思わず声が出そうになって、自信満々に的外れなことを言っている王子を見上げた。たぶん、たぶんなんだけど、なにかその、励まそうとしているんだろうから、何かそうゆう、失礼なことは思ってはいけない、とは思った。
「なんだなんだ、どうした座り込んで。まだ怪我人の治療もしてないのか?ああ、それよりミーナ、魔獣の腕の骨を折っただろう。たとえ魔獣であっても、無闇に怪我をさせるなとあれほど言っておるのに、まったく。まだ棲み分けについて理解しておらんな。手加減ができない者は、いつまで経っても未熟者だぞ。毎日の瓦割りをサボってばかりいるから、そんなことになるんだ」
ガサガサ騒がしい音を立てながら、じいちゃんがぽんぽん次々に文句を言いながら戻ってきた。さすがにイラっとして、カッと熱くなるのと同時に立ち上がった。
「わざとじゃないもん!ビックリしたけど、蹴りだってちゃんと手加減したんだから。そんなに遠くに飛ばしてないでしょ。それにそれに!こっちは二人も骨を折ってるんだよ。お相子ならいいんでしょ!お揃いなんだから、悪くないもん!」
「はっ!瓦割りをサボっとるから、力が足りなかっただけじゃないのか。ただ単に弱くなっているだけだ。力加減以前の問題だな。ひ弱の弱々だ」
「なんだと!じじいこら!何回も何回も弱い弱い言って!ぶちのめす!」
すぐさまじいちゃんとやり合って、ぶちのめし合う。まったく小賢しい戦い方ばかりするじいちゃんは、可愛い孫に向かって躊躇なくオーラを使ってくるし、どんどんスピードを上げてくるし、油断したら草木を切り裂くように仕向けてくる。そんな事をしたら負けなので、慎重に、集中して慎重に応戦する。ふと視界の隅で、寝転んでいた一人の兵士が頭を押さえながら起き上がった。
「あ!起きた。頭を打ってるからまだ起き上がっちゃだめだよ。じいちゃん、そっちの人は腕が折れてるの。二人とも背中と頭を強く打ってるみたいだし、あっちの人は足が折れてるし、消毒しなくちゃだし、添え木もいると思う」
「なに、そうか、まかせろ。ミーナは良さげな添え木を持ってきてくれ」
「分かった。あ、水も汲んでくる。今日買ったやかんを持って行くね」
私はじいちゃんの鞄から新しやかんを外して、大急ぎで添え木になる木を探しに山の中に入った。ここからそう遠くない所に川が流れているので、足下にちょうどいい木が落ちていないか確かめながら小走りで歩いた。もし落ちていなければ、良さげな枝を折って持って行かないといけない。
そうしているうちに、なにも見つからないまま川に着いてしまった。綺麗な水に手をひたして、それから顔をバシャバシャ洗うと、スッキリして、フウッと落ち着いた。そして、なぜか心配そうにしている王子の顔が頭に浮かんだ。
王子は王子様なのに、子犬感が強すぎる気がする。ウルウル、プルプルしている子犬に勝るものなんてあるだろうかと考えていて、いやいや、王子は王子だし、そもそも貴族になんて関わるのはゴメンだと思い直した。
回り道しながら太めの枝を拾って、急いでじいちゃんのいる場所に戻ると、二人の兵士は起き上がって座っていて、リデアさんの頭と腕には包帯が巻かれていた。そして、じいちゃんは少し離れた所にたき火の用意をしていた。さすがじいちゃん、仕事が早い。
「じいちゃん、水を汲んできた。あと、添え木」
「おお、ありがとうミーナ。やかんをここに置いておくれ」
私がじいちゃんに近づいていってやかんを置くと、なぜか、じいちゃんが困ったような顔をして私を見た。不思議に思って首を傾げると、じいちゃんは気まずそうに話し出した。
「ミーナ……、その、ミーナは貴族があまり、その、苦手かもしれんが、こちらのご一行さんは貴族の方々だそうだ。そちらの御仁が主人で、さほど身分は高くないそうだが、下位の貴族のご子息だとか。それに、侍女のお方と、そこの二人は護衛の騎士らしい」
私は思わずバッと振り向いて王子を見た。私は嘘が嫌いだ。じいちゃんに助けてもらったのに、じいちゃんに嘘をついた。と思うと、どうしても眉間にしわが寄る。私がよっぽど怖い顔をしているのか、王子は……、自称下位貴族嘘つき王子は、ウルウルしながらぷるぷる震えていた。
「ミーナ嬢、私は筆頭侍女のリデア・コモサンスと申します。私達を助けていただいて、ありがとうございました。僭越ながら、祖父様には私から、私達の事情を説明させていただきました。そちらにいるのは私の息子で、護衛のフィロスです。そしてその隣が護衛見習いのキュリオ・エフォルト。どうぞお見知りおきを」
うでを押さえながら座っている侍女さんが、私を見上げて説明していた。ん?つまり?説明は侍女の人がしたから、王子は嘘をついてないってこと?でも、分かってて訂正しないのは、嘘をついている事と一緒だよね。納得できない思いで侍女の人の顔を見ていると、横から護衛の人が話し出した。
「ミーナ嬢、私はフィロス・コモサンスと言います。私達は祖父様に魔獣に襲われている所を助けていただいたようです。ありがとうございました。私の、主人の命が助かったのは、祖父様とミーナ嬢の献身のおかげです。ありがとうございます。その上、怪我をした我々を私達の住まいまで送ってくださるそうで、なんとお礼を申し上げてよいか、……申し訳ない」
「あ、僕!僕はキュリオ・エフォルトって言います。おじい……、あ、祖父様が魔獣を倒してくれたみたいで、ありがとうございました!」
「……倒しては、いないと思うけど」
「あ、ああの、ミーナ……、さん。その……、私は……、」
王子が、嘘つき王子が私のすぐ後ろに来ていて、しどろもどろしていた。背が高い王子を見上げたままなのは疲れるし、正直、しゃんとせいっ!と思う。
「……あ~、っと、ミーナ?その方はロレンス・ソルヴェシオさんと言うらしいぞ。ちゃんとご挨拶しなさい。よくリンデ村に来ていたらしいから、買い物のときにでも顔を合わせたことがあるかもしれんよ。お、湯が沸いたようだ。ついでに、みんなの分のお茶を淹れてくれ」
王子の横から覗き込むと、じいちゃんがフィロスさんの腕に添え木を当てて包帯を巻いていた。護衛の二人の頭にも包帯が巻かれているので、どこか切れていたのかもしれない。私は王子に向き直って挨拶をした。この間の求婚的なアレは無かったことにしようと決めた。
「はじめまして。ロレンス・ソルヴェシオさん。私の名前は、ミーナ・ティユルです。聞いたかも知れませんけど、そこにいるのは私の祖父のバレット・ティユルです。今日を限りに、もうお会いすることは無いと思いますけど、どうかお元気で」
私は王子に簡単に自己紹介すると、さっさとたき火の所にいってお茶の準備をする。じいちゃんの鞄の中に入れてある茶葉を出すと、コップが二人分しかないことに気がついた。
「しまったな。包帯がもう無くなったぞ。本当は動かさないように腕を吊っておいた方がいいんだがな」
「じいちゃん、私、上着を多めに持ってきたからそれを使って。それより、コップが二人分しかないよ」
私は置いてある鞄の中から上着を出してじいちゃんに渡す。フィロスさんはひどく恐縮していたけど、じいちゃんは構わず添え木をした腕を私の上着で巻いて素早く固定した。
「しょうがない。順番に回し飲みするするしかないな。少し早いかもしれんが、昼ごはんにしよう。みなさん、わしらは美味いパイをたくさん持ってきているんです。よかったら一緒に食べましょう」
じいちゃんのお誘いに全員が恐縮していたけど、みんながそれぞれお礼を言って、一緒にお昼を食べることになった。山の中に散乱してしまった荷物の中にコップや水筒があるはずだと言うので、王子と護衛二人が荷物を探しに行った。
「じいちゃん、ラディーさんがミートパイとお肉のサンドも入れてくれてたよ。緑色の包みだと思う」
「ほお、そうか。それは豪華な昼メシになるな。どれ、全部出してみよう」
じいちゃんが敷物をひいた上にお弁当やパイを出していった。緑色の袋は二つあって、ラディーさんはパイだけじゃなくてリンゴやバナナやブドウや、丸かじりできる果物もたくさん入れてくれていた。
「これはこれは、帰ったらラディーに礼をしに行かなくてはイカンな。人数が増えたからな。食べる物が増えていて助かった」
「わざわざ行かなくても、今日も道場に来ると思うよ。みんな毎日の日課みたいに来るよね」
「毎日の日課だろう。日々の訓練は大切なんだぞ。一日怠けたら、その分弱くなるんだ。じいちゃんの弟子達は、その辺をちゃ~んと分かっとる。みんな熱心に身体を鍛えているんだぞ。素晴らしいことだ」
「ああ、まあ、うん、はい」
じいちゃんと話しながらごはんの用意をしていると、なんだかゴロゴロした音がして、護衛二人と王子が荷車を押して戻ってきた。
「荷物は、大方見つかりました。幸運にも荷車は壊れていないようです」
一番後ろにいる王子がやたらニコニコしながら戻ってきていた。そしてなぜか、私の所に走り寄ってくる。手にはあの、跪いてパカッと開けていた小箱を持っていた。……嫌な予感がする。
「ミーナさん、良かったらぜひこれを……、」
私は速攻でみなまで言うな作戦を実行して、その箱をグイーッと手で王子に押し返した。話の途中で話すのは失礼だとか思われようが、そんなものは関係ない。
「いりません。それは受け取りませんから、仕舞ってください。……ね?お礼なんていらないよね?じいちゃん」
じいちゃんの方を向くと、お皿を出したりナイフを出したり、ごはんの用意をしていて、別にこっちに注目していなかった。
「お?おお。いらんいらん。わしら別に金に困っておらんのでな。礼は受け取らんよ。困ったときはお互い様だからな」
「あ、ちがっ、違います。お礼も、もちろんさせていただきたい所ですが、これは、その、私の、気持ちで、ミーナさんに……」
おおい!何回断ったらいいんだよと、じいちゃんに変な誤解でもさせたら許さないぞと、思わず舌打ちしそうになっていると、横から出てきた護衛の二人に王子が引っ張られていった。思わず、命拾いしたなと捨て台詞を吐きそうになった。しかし、さすが護衛、手とか足とかを出していなくても、命の危険を察知したのかなと思ってチラッと護衛を見ると、なぜかブルッと震えていた。
フンッと鼻を鳴らしてじいちゃんの方を向くと、じいちゃんはみんなに行き渡りやすいように、色々なパイをナイフで丁寧に小さく切り分けていた。……優しい、じいちゃんの孫なのに、私は全然、優しくないなと思った。