4.山での遭遇
私には人のオーラが見える。……なんて言ったら、たぶん前世のときにだって、ちょっと、一歩引かれてしまうんだろう。それに、本気でそのことを熱弁でもしたら、だいたいの人には変わった子だと思われるし、たとえ人格者で優しい人だって引きつった顔になって、やっぱり同じように変わった子供だと思われる。そして、なぜかみんなが一様に、母親がいないから、可哀想な子だからと同じようなことを言う。
今ならそれが分かるんだけど、子供の頃の私は、自分に見えている物が他の人にも同じように見えていると思っていたので、今振り返って見ても変なことを言っていたと思う。それに、前世の記憶とごっちゃになっていた時期もあったから、かなり、変わった子供だったのは間違いない、と思う。
オーラが見えていない人の気持ちを想像してみると、見えない、理解できないことを言われて困惑してしまう気持ちもよく分かる。だからといって、あのなんとも言えない、モヤモヤするような記憶や感情が無くなる訳ではないので、私は、今でも、人付き合いが苦手だった。
社交的なじいちゃんと違って、私はいまだに人見知りだし、家族以外の人と、あんまり深く関わることにも抵抗がある。それどころか、他人とは適切な距離を置いて付き合いたいとさえ思っている。まあ、学校に通っていた子供の頃と違って、成長して神経もずいぶん図太くなったんだろうし、今ではもう、別にそんなに関わらなくてもいいやと開き直っているから、気楽なものだった。
そしてなにより、オーラとか言っても家族は私を変人扱いしないで、大切に思ってくれていることが、子供の頃から、私にとっては最大の救いだった。今世も母を知らずに育ったけど、その分父さんとじいちゃんが溺愛と言っていいほど可愛がって育ててくれたので、私は寂しい思いはしなかった。じいちゃんなんて、ひいひい、ひい、……とにかく昔の私のおじいさんもオーラが見えたらしいとか可笑しな事を言ってなぐさめてくる始末だし、今は、私は恵まれているとさえ思える。
それに、じいちゃんと修行し始めて、このオーラが便利な物と分かってからは、私は、もうまったく嫌な物とは思わなくなった。そもそも、私が薄い前世の記憶からなんとなく勝手にオーラと呼んでいるだけで、この体の周りを覆っているような、膜のような空気の層のような物は、実はなんなのか私にも分からないんだけど、殊に格闘の場面では、オーラを使いこなすと抜群の威力を発揮する。
まず、オーラをちゃんと固めたら、攻撃されても一切体にダメージを負わずに済むし、使い方によっては何倍にも威力を増やして殴ったり蹴ったりすることだってできる。修行するにしても、普通の人より効率よく鍛えることができるんだろうし、実感として、たぶん人の運動能力を何倍にも引き上げてくれる物なんだろうなと思っている。
そして、見たくなくても見えちゃうんだから仕方がないことなんだけど、その人の強さもオーラの感じで大体分かる。だから小柄なじいちゃんがめちゃくちゃ強いことも知ってるし、自覚はないらしいけど、じいちゃんがたまにオーラを使えていることも知っている。何十年も道場に通って鍛えていても、ムッキムキな筋肉がついた体をしていても、オーラを使えている人なんて他に見たことがない。だから、じいちゃんが強いのは当たり前の話しだった。
私がもっと小さい子供の頃は、じいちゃんは一人で山ごもりの修行でもしていたのか、頻繁に山に行っていたような気がするんだけど、私と修行を始めてからは、じいちゃんはいつも私の側にいてくれていた。……ああ、そうか。私があまり学校に行かなくなったからかと、今更ながらに気が付いた。
あの頃は、学校に行くよりじいちゃんと遊んだり、修行したりしていたから、それこそ、一日中ずっとじいちゃんと一緒にいた。あの時は遊びの延長みたいに思っていて、修行を始めてから、すぐにオーラの使い方が独学なりに分かるようになって、それが楽しくて、今よりもっと、じいちゃんと二人で頻繁に山ごもりして修行していたんだった。思い返してみると、修行に明け暮れた子供時代だった。そりゃあ、淑女に育つ訳がないかと妙に納得してしまった。
「ミーナ、なにしとる。陣形を乱すな。スピードが合っとらんぞ」
「ああ、ごめん。考え事してて。……だって、ぜんぜん魔獣なんていないんだもん。やっぱり見間違いなんだよ」
私とじいちゃんは森の中を交差するように駆けて、魔獣に警戒しながら効率よく見回りしていた。時たま害獣になるような獣を遠くに放り投げたりはするけど、森の中はいつものように平和そのものといった様相だった。
「そうかもしれんが、気を抜くな。自然は突然牙をむくもんだ」
「はあ~い」
私の気のない返事に、じいちゃんはムムッと眉を寄せて見せただけで、何も言わなかった。それからすぐにあらかたの森の点検が終わって、私達は予定よりも早めに山に入ることにした。天気も良いし、風も心地よく吹いてピクニック日和だった。
私とじいちゃんは今度は山仕様に、飛ぶように駆けて見回りをした。はじめは山にも異変はなさそうだったけど、少しの違和感を感じて、私とじいちゃんは歩をゆるめた。しばらく二人とも山に入っていなかったんだけど、なんだか、人が山に入っているような気配がしていた。山の状況を探りながらじいちゃんと歩いていると、山の麓のあたりに人が頻繁に通っているような形跡があった。
「誰かが通ってるよね?馬……、じゃないみたいだけど、荷車?なのかな?道が出来てる。……盗賊かな?」
「ふ~む。分からんが、人目をさける為にここを通っているんだろう。しかし、山裾とはいえ人が無闇に侵入してはいかんからな。探し出して注意しておこう。もしかしたら村の者かもしれんし、……この道を辿っていくか」
「盗賊だったら今見回ってもいないんじゃない?夜にまた来る?」
「ふむ。まあ、とりあえずこの道がどこに繋がっているのか確かめておこう。魔獣探しはその後だな。昼には山の上におらんかもしれんが、まあ、弁当はどこで食べても美味い」
「……そうだけどさあ。山の上から景色を見ながら食べるのがいいんだよね~。ハアア、状況次第、だよね?」
「そうだ。昼までに解決したら、山の上に登って食べたらいいんだ。さ、行くぞ」
私とじいちゃんは、その、人が通った後のような道を歩きながら人の気配を探っていた。すると、所々に、本当に道だったような跡を発見することができた。それは長い年月を経て、ほとんど朽ちかけているので一見分かりずらいけど、こうやって歩いていると、その痕跡を見つけることができた。
「じいちゃん……、ここって、昔は道だったの?大昔はふつうに山に入っても良かったとか?」
「いやあ~、どうだかは分からんが、これは……、道と言うより、抜け道のように見えるな。人が行き来していたような道でもなさそうだが……、さて、どこに通じているんだろうな」
それから、時々獣道のようになる道をじいちゃんと慎重に見分けながら進んでいると、突然ビクッとなって、私は思わず足を止めた。
「どうした?なにか見つけたか?」
「……血の匂いがする。まだ、遠いけど……、あっちの方」
私は山の上の方を指さした。胸が、ドキドキする。風に乗って、微かだけど、たしかに人の、血の匂いが漂ってきていた。山の上の方には誰もいないはずなのに、村の者は山には入らないはずなのに、大量に、血を流すほど負傷しているなら、それは、間違いなく何かが起きていて、そして、今朝聞いたばかりの魔獣の話しの信憑性が一気に高まる。じいちゃんも山の上の方を見上げて、緊張した面持ちになった。
「ミーナ、お前は目がいい。一直線に行け。わしは周りを援護しながら後を追う。合図はいつも通り。連係を忘れんでくれよ」
私はじいちゃんより先に山の上の方に向かって飛び出した。山は木々が無尽蔵に茂っているので視界が悪い。だから私は地面を駆け上がるより、時折木から木に飛び移って、いく先を確認しながら先を急いだ。怪我をしているなら一刻を争う場合もある。あと一歩の所で間に合わなかったなんてことは、絶対に嫌だ。
焦りと緊張で胸が早鐘を打っていた。その時、後方からじいちゃんの口笛の合図があった。右も左も異常なし。そのまま進めの合図だった。私はまだ未発見の合図の口笛を吹いてから、スピードを更に上げた。たぶんもう、血の匂いはじいちゃんにも感じ取れるぐらいの濃度になったんだろう。じいちゃんが警戒区域をさらに広げた気配がした。
しばらくそのまま急ぎながら目を凝らしていると、一人、二人、離れた場所で誰かが倒れ込んでいた。私は口笛で知らせて、まだ先にいるであろう、もっと重症の人の元に急いだ。通り過ぎ様に素早く確認すると、二人は気を失っているだけのように見えた。
そして、少し開けた場所に出てすぐに、怪我人よりも先に魔獣が目に入った。白い毛に覆われた巨大な体は殺気を放って、鋭い黒い爪を誰かに振り上げていた。私は一気に飛んで、空中から割って入る途中で魔獣発見の合図をじいちゃんに送った。口笛の音に素早く反応した魔獣が私を見た。魔獣が気を逸らした一瞬に襲われている人を確認すると、今朝会ったばかりの王子だった。
「はあ?」
思わず声が出た。驚いて、魔獣の手を払いのける加減を誤ってしまって、思わず魔獣の腕の骨を折ってしまった。しまったと思ったけど、そのまま距離を離すために着地と同時に足をかけてよろけさせて、後方を確認してから蹴り上げて魔獣を吹き飛ばした。飛んでいった魔獣の位置を見てから振り返ると、王子が後ろの誰かを庇って、へっぴり腰で折れた剣を構えていた。いや全然。全然それじゃ魔獣には勝てませんけど。……と思ったけど、王子は震えてはいなかった。
ただその姿勢のまま動かないで、私を見つめてポカンと口を開けていた。王子から目を離して、倒れ込んでいる人を見ると、いつも王子といるお付きの中年ぐらいの女の人だった。頭と右腕から血が流れている。そして左足はポッキリと折れていた。私は女の人の側でしゃがみ込んで、軽く肩を叩いてみた。
「大丈夫ですか。もし?目を、開けられますか?」
目を覚まさなければ、このまま勝手に治療をしようと思っていたけど、気を失っていた女の人は、ぼんやり目を開けて、ハッと我に返るとガバッと体を起こした。
「ロ、ロレンス様!?ロレンス様は!?どこに!?」
「あー、待って、まだ起きないで、横になってください」
「そうだぞ、リデア、気を失っていたんだ。しばらく横になっていた方が……」
「ああ、王子!ロレンス様!そちらに!良かった、ご無事で。お……、お逃げください。私など庇ってはいけません!今すぐ、ここを、痛っ……」
リデアさんと呼ばれた人は立ち上がろうとして、頭を押さえて倒れ込みそうになった。私は頭と肩を支えて、ゆっくりと地面に横にならせた。
「あ、あなた様は……?あ、あら?あなたはもしや、え?なぜ?ここに?え?あら?そうだわ!?白い獣が、襲ってきて……」
リデアさんは頭を怪我しているからか、だいぶ混乱しているようだった。なぜここに?は、私のセリフなんだけど思ったけど、まあ怪我人なんだし黙っておいた。その時、遠くから立て続けにドーン、ドオーンとゆう音が響いた。そして、その音は急速に遠ざかっていく。
「ああ、魔獣はじいちゃんが今追い出してますから、大丈夫ですよ。それより、怪我をしているのでまだ横になっていてください。私は今からあっちで倒れている人を連れてきます。あ、連れはあと二人であってます?それと、治療はまとめてするので、ここを動かないでくださいね」
二人とも鳩が豆鉄砲的な顔で私のことを見てなにも答えてくれないので、私はさっさと来た道を戻って、意識を失ったままの、たぶん護衛の兵士の人なんだろう男性二人を担いで、また開けた場所に戻ってきた。呆れたことに、二人はまだ鳩が的な顔で呆然として、私のことを見ていた。どんだけぼんやりし続けるのか知らないけど、その口はそろそろ閉じた方がいいと思う。私はドサッと兵士二人を地面に降ろして並べて横にならせた。
「もし~、大丈夫ですか~、目を開けられますか~」
兵士なんだしと、パチパチ顔を叩いて起きるか試してみたけど、まだ意識を失っていた。一人の腕の骨が折れているぐらいで、大きな外傷はなさそうだけど、二人とも頭を強く打ったのかもしれない。
「……しょうがない。水でもかけてみるか。あ、そっか、やかんはじいちゃんが持ってるんだった」
バシャーッと水でもかけて起こしたいところだけど、飲み水をかけるのはもったいないし、川に水を汲みに行くのはあきらめて、仕方なく自然に起きるのを待つことにした。
「あの……、あの、ミーナさん、あの、このやかんは使えませんか。さっき、木にぶら下げてあるのを見つけたんです。あの、この下の方の道を通るときに、何かが光って見えるのが前から気になっていて、今日初めて山を登ってみたんですけど、このやかんが反射して光っていたようで……、あの、少し小さいようですけど、これは、やかん、ですよね」
「え……!?……私、の……」
私は王子が差し出したやかんを見て、仰け反りそうになった。それは、私達の山用のやかんだった。そして急速に思い出した。前にじいちゃんと山に入ったときに、川で軽く洗って、しばらく木の枝にさして乾かしていたんだった。それを私が回収し忘れたことが、今更ながら、明確に思い出された。
どうせなら思い出したくなかったけど、それなら、つまり、この団体が山に入ったのは、このやかんのせいで、つまりつまり、巡り巡ってそれは、私のせいでは?もしかしたら、この惨状は、私がやかんを山に置き忘れていったせいじゃないの?背中にタラ~リと汗がつたう。
もう一度、ちゃんとやかんをじっくり見てみたけど、それは紛れもなく、私の家の、使い込まれて古い、小さくて軽くて便利な山用のやかんだった。目の前の王子が、やかんを差し出したまま、そろそろ動揺し始めたことは伝わってきたけど、私は、私の方こそ今まさに動揺していたので、やかんを見つめたままで動けないでいた。だけど私の頭の中では、私のせいとゆう言葉がぐるぐる激しく渦巻いていた。