13.忍び寄る暗い影
近所の森や裏山を盛大に走り回っていると、ドッキンドッキンとゆうそのままの自分の鼓動の音がだんだん耳障りになってきた。それが考えている事よりも断然気になってきたので、ちょうどいい練習だと思って、私は意識を集中して、全身を満遍なく隅々にまで行き渡っているオーラの感覚を確かめていった。
私のオーラはもちろん体の外にも中にもちゃんとあって、いつもは当たり前すぎてほったらかしにしているんだけど、改めて隅々まで確認してみると、それは確かに私の身体の一部で、私の目や皮膚や歯や爪や、そうゆう私を構成しているものと同じだとゆうことを、ハッキリと感じることができた。
私は医者じゃないから詳しいことは分からないけど、血管とか血流とか細胞やなんちゃら液やら毛細血管がどうやら、そうゆう目に見えないけど、常時いつでも体の中を巡っているものと同じ類のものなんだろうなと、なんとなくそう思っているんだけど、ただそれらと違って、オーラは自分でコントロール出来るので、そこがすごく面白いところだと思う。
特に体を動かしている時には、よりオーラを扱いやすいような気がしていて、だからじいちゃんの言う修行や鍛錬じゃないんだけど、自分を追い込んで鍛えていくと、どんどん上手く繊細に俊敏に使いこなせていくのが楽しくて、私は日頃から、体を動かすついでによくオーラを巡らす練習をしている。
ちゃんとオーラを巡らせて包むみたいにしていると、脈も乱れなくていくらでも走っていられる。森の中をスピードを落とさずに走りながら、呼吸を深くして、私のオーラを意識的に重くしたり軽くしたり、固くしたり、柔軟にしたりを集中して繰り返した。
私を駆け巡って覆うオーラはいつもながら絶好調に調子が良くて、ああ、健康だなあと実感して思った。そして、やがて歩をゆるめて、深く深く空気を吸い込むと、木や草や土の森の香りがして、葉擦れや動物達がいる森の音がよく聞こえて、ああ、平和で幸せだなあと思った。
そうして自然の中にいると、いつも、なぜだかいつの間にやら穏やかな気持ちになっていて、どうしてだか、なにかに感謝したくなるのが不思議だった。健康でいられることにか、豊かな森があることにか、よくは分からないけど、いつも、変わらず、そう思う。
静かに歩き続けていると、森を抜けて、丘に続く道にでた。とつぜん開けた視界に思わず空を見上げると、すっかり夕方になっていて、濃いオレンジ色の空が眩しいぐらいに綺麗だった。なんとも有り難い気持ちで、しばらくそのまま夕空を眺めていたけど、日が暮れる前に家に帰らないと尋常じゃなくこっぴどく怒られるので、早歩きして帰ることにした。
まったく、いくら何でも、帰るのが遅やら不良の始まりがどうやらと、じいちゃんにぶちぶちしつこく、いつまでも永遠に付きまとわれて文句を言われ続ける事まで有り難いと思うようになったらさすがにおかしいので、感傷に浸るのは即刻やめることにして、何も考えずにずんずん歩いた。
家の近くに着いて丘の斜面を登っていると、下の町に続く道の先に誰かがぽつんと佇んでいるのが目に入った。行くでも戻るでもなく、肩を落として俯いている人が気になって見てみると、若先生がなにか暗い顔をして、手に持っている小さな袋を見つめていた。
「若先生?どうかしましたか」
「え?ああ、ミーナさん。すみません、戻るのが遅くなってしまって、親父から薬を……、あ、いや、すみません。えっと、私を迎えに来てくれたんですか?もしや患者に何か……」
丘を下って行って若先生に近づいてから声をかけると、私の存在にまったく気がついていなかった若先生は驚いて顔を上げて、具合の悪そうな顔色をますます青白くしてしまった。
「いや、私は今から家に帰るところで、若先生を迎えに来たわけじゃありませんけど」
なにかに焦った様子の若先生は、私の塩対応に落ち着きを取り戻したようで、わたわたした挙動不審な動きをピタッと止めた。
「コホン。そうでしたか。それでは、一緒にお館まで帰りましょう。もうすぐ日が暮れてしまいますからね。帰りが遅くなるとお館様方が心配してしまいます。私も早く患者の所に戻らなければ。さささ、早く行きましょう」
先に丘を登り始めた若先生は、右手と右足を同時に出してギクシャクと歩き出していて、なんとゆうか、非常に分かりやすく様子がおかしかった。
「若先生、家にいる患者に何かありましたか。そういえば、そろそろお見舞いにでも行こうかなって思っていた所なんですけど、二人の容体はどうですか」
私が背中を見ながら話しかけると、若先生の背中が激しくビクッと揺れて、そのまま無言で動かなくなってしまった。しばらくそのまま何も言わずに待っていると、若先生が観念したようにゆっくりと振り返って、私と正面から向き合った。
「あれから、何日も経っていますからね。怪我をして運ばれて来たのですから、もうすっかり良くなっていても良い頃だと思われても、不思議ではありません。ですが、残念ながら、二人とも快方には向かっていません。私の力が及ばす、申し訳ありません。……お見舞いや面会は、今夜からすべてお断りしようと思っています。それに、今日からしばらくの間だけでも、患者の部屋の外に見張りを配置してもらうように、師範にお願いしてみようとかと、つい今し方、考えていたんです」
「……なぜ?」
私のその問いには答えず、若先生は辛そうな難しい顔をしたまま、持っている袋にまた視線を落とした。その手にはギュッと力がこめられていた。
「……それは?」
私がまた聞くと、若先生は小さくため息をついてから私を見た。ものすごく眉尻が下がった顔で、まだ黙っていたそうだった。だから私も、黙って待った。
「……誰にも、言わないでください。これは、親父が持たせてくれた生薬です。この袋の中にある色々な生薬には、それぞれに強い解毒作用があります」
若先生と私はしばらく黙って見つめ合っていた。夕暮れの中を乾いた風が吹いて、二人の間を踊るように過ぎ去っていく。赤い夕日はもう今は空の下の方だけを照らしていて、まだ明るい空の色を二分に分けていた。
「ミーナさん、私も、誰も、疑いたくありませんし、この村の者達が、まさか、そのような卑劣な行いをする筈がないとも思っています。ですが、私は医者で、決して患者の症状から目を背けることはできません。……患者のお二人は、今たしかに、同じ毒物に苦しめられています。今夜お館様方にもご報告するつもりですが、ミーナさんも、くれぐれも身辺にはご用心してください」
地面がグラッと揺れた気がして、一瞬まっすぐに立っていられなくなった。目の前の若先生が驚いた顔をして、私に両手を差し出して抱き留めようとしているのがスローモーションみたいに見えた。それで、揺れているのは私だけだと気がついた。
だから足にグッと力を入れて踏ん張って、今にも収まりそうだった若先生の腕の中から間一髪でスッと離れた。我ながら秀逸な俊敏な動きだったので、素人同然の若先生には目にも留まらぬ素早さが見えにくかったようで、大きく右足を踏み出した体勢で両手を輪っかにした若先生は、ビックリ顔で目をパチパチさせていた。その重心がグラグラした姿がちょっと面白くて、思わず少しだけ和む。
しばらくそのまま見ていたけど、若先生は何事もなかったように元の姿勢に戻って、手をパタパタさせて身繕いを終えると、一つ咳払いをしてからまた話しだした。
「ミーナさん、大丈夫ですよ。何も心配はいりません。私の親父はどんな毒物か大凡の見当がついているようでした。ですからすぐにでも解毒剤が作れます。私も正しく調剤できますし、のちほど親父もこちらに来る予定ですし、私達は今夜からは正しく対処できると思います。ですから、大丈夫ですよ。これからは患者のお二人ともが快方に向かいますよ。大丈夫です。お二人とも、まだまだお若いですからね、体力もすぐに戻りますよ。人は意外と頑丈に出来ているものなんです。さ、さささ、もう、じきに日が沈んでしまいますからね、急いで帰りましょう」
若先生に急かされながら丘を登って、二人で早足で家路についた。若先生とは店の前で分かれた。若先生は右側から道場の方を通って元は宿の建物に向かった。私は店の中には入らずに左側から、直接自宅に戻ることにした。少し薄暗くなってきていたけど、今はここでたくさんの人が寝泊まりしているので、色んな窓から明かりがもれて、なんとなく賑やかな雰囲気を醸し出していた。
「あ、ミーナさん、おかえりなさい。こんな所で会うとは奇遇ですね。偶然ばったり出会えるなんて、今日の僕はすごくついてるなあ~。実は僕、ミーナさんに折り入ってお願いしたいことがあったんですよ~」
こんな所って、ここは私の家の玄関の前で、こっちの敷地には入るなって言われているだろうに、とにかく、今いちばん会いたくない奴に遭遇してしまった。
「あれ?僕の話し聞いてました?だからね、ヒドイと思いません?師範に何回言っても誤解したままなんですよ。だから僕だけ鍛えてもらえなくって、先輩達とも仲良くしてるのに、僕だけ道場にも入れてもらえないんですよ。いっつも閉め切って見張りまで立てちゃって、ヒドイでしょ?僕は護衛騎士見習いだけど、フィロスさんは僕の師匠とか、そおゆうのじゃないんですよ。だからね、フィロスさんの許可がないとダメとか全然誤解なんですよ。その辺をね、ミーナさんからも師範にうまいこと話してくれません?だって、僕だけずっと仲間外れみたいになってて、僕って、すっごく可哀想ですよね?」
すっかり黄昏時になって、ずっと話し続けている護衛騎士見習いの姿は、今はもう、ほとんど暗い影みたいに見えた。それでも、いつものようにへらりと笑いながら話しているだろうことは、顔の表情がハッキリ見えなくても分かって、だからなのか、それが余計に、不気味さを増しているように思えた。
まだあどけない少年が、ふわふわした髪の毛を揺らしながら楽し気に話し続けているだけなのに、私には、得体の知れない、実体の無い黒い影のような生き物が、なぜか愛想よく笑いながら話しているように感じてしまって、私はただひたすら、さっきからずっと頭の中に浮かんで渦巻いている疑惑を、口をついて出してしまわないように、じっと黙って我慢していた。




