12.迷走して暴走する
あと一歩でも動いたら、お腹が空きすぎて倒れてしまうと思いながらお店の厨房の扉を開けると、父さんが一人で大きな鍋の中身をかき混ぜていた。
「ああ、おかえりミーナ。今日はずいぶん遅かったな。すぐにスープをカップに入れるから、じいさんの分も一緒に持って行ってくれ。本日のスープは根菜たっぷりだけど、残さずにちゃんと食べるんだぞ」
「ただいま。今ならどんなに木の根っこみたいな野菜だって、あの木の棒みたいのでもガシガシ全部食べきるよ。お腹が空きすぎてペッコペコなんだよ」
「ハハハハ、今日のお昼は棒ではないな。ミーナの好きなグラタンだ。さっきロレンスがテーブルに運んでくれたから、冷めないうちに早く食べてきなさい。ほい、スープおまたせ」
両手にほかほかのスープカップを持って厨房をでると、王子が椅子を引いて立って私を待っている姿がまず目に飛び込んできた。なんとゆうか、すごく嬉しそうにニコニコしているんだけど、その姿が王子ってゆうか、従者っぽいなと思った。
私の隣の席にはすでにじいちゃんが座っていて、もう先にお昼ごはんを食べていた。あの固いパンをナイフも使わずに丸ごと齧っているじいちゃんは、歯も骨も、絶対に老人じゃないと思う。そして、私達の席の向こうの壁際の席には、じいちゃんの弟子達が食後のデザートを食べながら賑やかに談笑していて、その中に、当たり前のように護衛騎士見習いがいた。
やたら大きな筋肉の塊みたいな男達の集団の中で、一際小さくまだ子供みたいに見える護衛騎士見習いは、もうすっかりみんなと打ち解けていて、一番の若手なのもあって、みんなから弟分のように可愛がられているようだった。ほんとアイツは何だよと思う。
初めて会った時から気にくわない奴だとは思っていたけど、王子がまだ食事をしていなくて、あまつさえ今はずっと立っているのに、全然気にした様子もないし、そもそもアイツは妙にフラフラ歩き回っていて、まったく王子の近くにもいなくて、アイツを見かけるたびに護衛の仕事っていったい何だよと思ってしまうし、その上、私を見つけるとなぜか駆け寄ってきて、やたら馴れ馴れしく話しかけてくるし、ほんとに、ああゆういつもヘラヘラして、誰の懐にもすぐに入っていくような輩は本当に信用がおけないとゆうか、今ではもう視界に入っただけでちょっとイラっとするとゆうか、あの胡散臭い笑顔になにか適当な因縁でもつけて、一回ちょっと殴ってやろうかなと思っているんだけど、そんな事をしたらまず間違いなく怒られるのは私なので、想像すると余計に腹が立つとゆうか……。
「ミーナ、もぐもぐ、そんな所でいつまでもボサッと突っ立って難しい顔しておらんと、もぐもぐ、早く座って、さっさと昼メシを食べてしまいなさい。せっかくのミーナの好きなグラタンが冷めてしまうぞ。もぐもぐ、それ、わしのスープだよな?」
私が、もぐもぐとのん気そうに話すじいちゃんの声に我に返ると、王子はまだ私の椅子の横に立っていて、心配そうに、ふるふる震える子犬みたいな顔をして私を見ていた。小首を傾けた姿と合わさって、その子犬感に思わず和んでしまう。……ダメだ、お腹が空きすぎて思考が殺伐としていた。
いくらあの護衛騎士見習いが気に入らないからといって、これじゃあただの一方的な偏見の悪口だし、もし私が気分次第でいイライラをまき散らすような、そんな感じの邪悪な大人に育ってしまったら、じいちゃんが天誅!とか言いながらしつこく追い回してくるだろうから、そんな面倒くさい毎日はごめんなので、反省反省と思った。それから、私はスープカップをテーブルに置いて、王子にお礼を言ってから静かに席に着いた。
王子はニコニコしながら私の隣の席に自分で椅子を引いて座って、嬉しそうにずっと笑っていた。そして私と目が合うと、ますます笑みを深めた。なんとゆうか、笑顔がなんパターンもあって、器用な人だなと思うと同時に、なんだか落ち着かなくなるので、もうそっちは見ないことにする。
私達の席は小さめの丸いテーブル席なので、隣同士が割と近い。ちょっとうらめしい気持ちでテーブルの上を見ると、私の目の前に小さなコップに可愛いお花が活けてあった。そういえば最近、こうゆう細々した可愛らしい物が店のあちこちで目につくようになった。
たぶん私が店内を可愛く作り替えようとしているのに気づいていたレリアさんかアンヌさんあたりが気を遣ってくれているんだろうけど、なるほど盲点だったなと思う。大きな物より小さな物の方が可愛いのは道理なのかもしれない。ただこういった物の難点はちまちましていて、いちいち飾るのが面倒くさそうなことなんだけど、可愛いの為なら小さなことから努力をしなければいけないなと思いながらグラタンを口に入れて、思わずムフウ~と息がもれた。
うっま!グラタン美味しすぎ!クリームがとろりで、チーズのこくがたまらなくて、なにげに、このモチモチのマカロニの噛み心地も絶妙だと思う。しかも父さんは私の好みに合わせて最後に塩を振ってくれている。この最後の塩味が、あるのとないのではまったく美味しさが変わってくるとゆうか、もう父さん最高とゆうか、熱々のグラタンの美味しさが、私のペッコペコのお腹に沁み渡っていって、ホワッとトロける。
惜しむらくはこのグラタン皿とゆうのは、なぜこんなに小さいのか。こんなのどんなにちょっとずつ食べてもすぐに食べ終わってしまうのに。もっとガツガツいきたい。ハッキリ言って、バケツいっぱいぐらいの大きさのグラタン皿があってもいいんじゃないのかと思う。その大きさであっても、パンとかサラダとかスープとか、他の物を食べなくてもいいならいけそうな気がするんだけど、一度でもいいから、それはちょっと試してみたい。
「ミーナさんは、本当にグラタンがお好きなんですね。とても美味しそうにお食べになるので、こちらまで幸せな気持ちになります」
丸いテーブルの向こうで、王子がニコニコと嬉しそうな顔をして笑っていた。いや、私はよく無表情だと言われているようだし、だから美味しそうな顔なんてしていないはずなんだけど、まあ、そんな事より王子だってお腹が減っているだろうし、笑ってないで早くごはんを食べたらいいのにと思ってテーブルを見ると、王子の目の前にはドデンと肉と野菜が山盛りになったお皿が置かれていた。
あれはうちの店の裏人気メニューのマッソメシェなんだけど、その謎の名前もさることながら、肉は味付けもしてなくて固いくせに大量だし、あの大量の野菜は茹でただけだし、まったく美味しくないのに、じいちゃんの弟子達だけは頻繁によく食べるとゆう謎メニューで、とにかくハッキリ言うと不快になる程マズいのに、なぜか王子は毎日そのマッソメシェばかり食べていた。
ドデカい肉をナイフとフォークで上品に切り分けて、嬉しそうに微笑みながら口に入れる王子を見ていると、なにか、ほろりとした気分になってくる。あの肉はパッサパサだし、固いから何回も噛まなければ飲み込めないくせに大して味がしなくて、あれはそのうちに腹が立ってくるとゆう食べ物なのに、なぜ毎日繰り返しそればかりを食べているのか、もしかして誰かからのいじめか何かなのか、もしや嫌がらせとかの陰湿なやつか、気にしだすと、気になって仕方がなくなってくる。
「……今日も、マッソメシェですか。それは、あまり美味しくないですよね。誰かに無理強いとかされていませんか。だとしたら許しませんけど。今すぐ対処しますけど。たまには違うものを食べませんか。他の物も食べた方がいいですよ。グラタン、美味しいですよ」
「え!?あ、いえ、あ、ありがとうございます。ゴホゴホッ、す、すみません。ゴホゴホゴホッ」
王子はなぜか突然咳き込んでしまって、失礼といって後ろを向いてから水をゴクゴク飲んでいた。しばらく待っていると、咳がおさまった王子が顔を赤くしながら前を向いて姿勢を正して座り直した。
「失礼しました。話しかけてもらえたのが嬉しくて、取り乱してしまいました。あ、すみません。ええと、私の、この料理の、ことでしたね。あの、マッソメシェ、でしたか。変わった名前ですが、これは、私がお願いして作っていただいているので、誰かに無理強いをされているわけではありません。私も、師範の弟子の方々のように筋肉をつけたくて、ですね。師範が私の身体を鍛えるべく指導してくださるので、その期待にも、早く応えたいとは思っているのですが、なかなか私などには、遠い道のりのようです。ですが、私は必ずや健康で逞しい、本物の強い男になってみせます。そしてミーナさんに……、あ、いえ、その、……味も、そう悪くはありませんよ。素材の味が活かされていますし、筋肉を育てて、疲労も回復するそうで、これは、とてもいい食事だと思います」
「そうですか」
私ならお腹がペコペコに減っているときにマッソメシェなんて食卓に出されたらキレそうなんだけど、本人がそれでいいと言うなら、もう私に何も言うことはない。……なんだけど、王子はここに来てからなぜか毎日店の手伝いをしていて、厨房でこき使われていたり、道場や外で汗だくで体を鍛えていたり、掃除や洗濯をしていたり、どう考えても王子らしくないことばかりしているので、なんとゆうか、そこはかとなく、背中に哀愁が漂っている気がするとゆうか、目にするたびに、なにか謎の気分にさせられて困るとゆうか、その割にいつも楽しそうにしているので戸惑ってしまうんだけど、改めて考えてみると、本当に変わった王子様だなと思った。
王子は庶民の生活にまったく違和感なく溶け込んでいて、まったく偉そうにしないし、それどころか老若男女問わず誰にでも親切にしていて、その人柄のせいか、もうすっかりここらの村人とも馴染んでいた。
周りのみんなは、どこかの下位貴族の息子のうちの一人、とかゆうお気楽な説明をすっかり信じ込んでいる様子で、しかも、どう解釈してるのか知らないけど、庶民寄りの貴族とゆうのか、もうそれほとんど庶民と同じと思ってるだろとゆうような扱いで、本当に王子だと知っている私は、これでいいのかと大いに疑問に思うときがある。
みんなの態度が、王子に対してどう考えても気安すぎる気がするので、とにかくちょっと、他の人の意見も聞いてみた方がいい気がする。この状況は、あの厳格そうだった侍女の人や護衛騎士の人が現状を目の当りにしたら怒りそうな気がするし、それなら先に、こんな感じになっちゃってまして、すみませんと謝っておいた方がいいような気がするんだけど、侍女の人達は、ここに運び込まれてきた日から高熱を出して寝込んでしまって、そういえばまだ快復した話を聞いていなかった。
今はうちの元は宿だった棟の1階部分を病院みたいにしていて、若先生と看護師の人達がずっと泊まり込んでいるし、老先生も頻繁に往診に来ているみたいなので、まあ病状とかは何も心配がいらないんだろから、もうそろそろお見舞いとか、一回ちゃんと行っておいた方がいいのかもしれない。
そんな事をつらつら考えながらもぐもぐお昼ごはんを食べ終わって、いつ頃お見舞いに行くべきか、王子に直接聞いてみようと顔を向けると、たまたまこっちを見ていた王子と目が合った。王子は顔を赤らめて微笑んでから、改まった真面目な顔になった。
「ミーナさん、今日は改めて、お礼を言わせてください。実は今朝に、若先生からミーナさんもリデアの看病をしてくれていたことをお聞きしました。リデアは初日から個室に移らせていただいたので、皆様方には更にご負担をお掛けしてしまい、申し訳なく思っています。ミーナさんも一晩中熱心にリデアの看病をしていただいたそうで、本当に、ありがとうございました」
王子は本当に申し訳なさそうな顔をしていて、椅子を引いて立ち上がると、私に向かって深く頭を下げた。そしてずっと、頭を下げたままでいた。これは、なにか、これは私が何か、言わなくちゃ終わらないやつではないかと思うんだけど、私は何も、お礼を言われるような事は何もしていないのにと焦ってしまって、思わず私も椅子からガタっと立ち上がったまま、言葉が何も、うまく出てこない。
「ヒッ!いや!そんな、なな、なにも、私は、何も」
一晩中の看病といえばあの夜のことなんだろうけど、なにしろ私の家族は病気をしないので、したがってつまり看病もしたことがなくって、あの時の私は高熱で凄く辛そうな侍女の人の姿にすっかり気が動転してしまって、おでこの上の濡らしたタオルがすぐに温かくなってしまう現象にも焦って、ひっきりなしに水に濡らして絞ってを繰り返した挙句に、盥の水がすぐぬるくなるのにも焦ってしまって、水の入れ替えの為に夜中に何度もバタバタと廊下を行き来して、隣の部屋にいたベテラン看護師のアネスばあさんに、それでは病人が休めないと盛大に怒られたし、その後でもまだ私はアタフタしていて、あれは全然看病になっていなかったし、むしろ一晩で病状を悪化させてしまった気がするし、今駆け巡るように思い出してみても、教えられたことが何一つうまく出来ていなくて、あのもの凄く役立たずだった私に対して、こんなに丁寧に頭まで下げてお礼をいっている王子に申し訳なさ過ぎて、真相を話すべきか、いや、病人の看病もまともに出来ない人と思われてしまうと思ってしまったり、いやいや、思われてなぜいけないんだと思ったり、とにかくもう、何が何だか汗まで出てきて、焦りに焦る。
「いやいやロレンスよ、どうか頭を上げておくれ。誰だって、困った時はお互い様なんだ。なんもなんも、大層な礼なんていらんし、気に病むこともないんだ。弱った時にはみんなに頼ればいいんだよ。皆で助け合うのは当たり前のことだからな」
王子は、一人だけ座ったままで穏やかに話すじいちゃんの言葉を聞いて、やっと頭を上げてくれた。そして私を見ると、なぜか一瞬驚いた顔をして、それから、ほころぶように優しい表情になって微笑んだ。そして、まっすぐに私を見つめながら静かにぽつりぽつりと話し始めた。
「リデアは元々、私の母の侍女でした。……そして、私が幼い頃から、今でも変わらずに、侍女として私に尽くしてくれています。彼女とその息子であるフィロスは、私にとって、とても大切な存在なのです。ですから、私は、ミーナさんにも、心からの感謝の気持ちをお伝えしたいと思っています。ミーナさんは、とても、心の優しい女性です、ね。あなたは、とても優しく、誠実で、謙虚な清らかな心と、強い正義や責任感をお持ちの、とても、素晴らしい、女性です」
王子はなにか色々と私のことを褒めながら、ちょっとずつ私に近づいていたみたいで、私がアワアワしている間に、いつの間にかものすごく近くにいた。私は、赤く染まったそのなんとも言えない綺麗な顔を見ていられなくなって、王子を押しのけて、急いでその場を後にした。
それで当てもなく外を走り回りながら、たくさん褒めてくれていたのにお礼も言ってないとか、たしか、「ち、ちち、ち、近い」とか言いながら突き飛ばしてしまったとか、そもそも王子は私にお礼を言っていたのにとか、色々な事をぐるぐる、ずっとぐるぐる考えながら、ずっとっずっと彷徨って、止まらずにひたすら走り続けた。




