11.謎だらけな、秋
毎日朝から山に見回りに通って、じいちゃんと手分けしながら隈なく入念に、何日もバッキバキに警戒しながら魔獣の気配を探り続けた。特に最初の頃は、念の為に昼や夕方にも山に入ってみたり、私達が遭遇した一頭だけじゃない可能性も考慮しながら捜索に当たっていたけど、何日経っても何も見つからなくて、どうやら魔獣はもう、この辺の山には居ないようだった。
そしてふと気がつけば、いつの間にやら山はすっかり赤や黄色に美しく染まっていて、秋が深まった穏やかな山は、豊かな実りが成る、獣達にとっての平穏な楽園に姿を変えていた。
いったい、いつ季節は移り変わったのか、昨日なのか今日なのか、もっと前なのかは知らないけど、燃えるように鮮やかな赤い葉を揺らす木々や、輝くばかりの黄色に濃く色付いた見事な大木に、私とじいちゃんは二人で、しばしば足を止めて見惚れた。
山は息をして、生きているのかもしれない。だからこんなにも、姿を変えていくのかもしれない。私は、色鮮やかな色彩に圧倒されながら、ただぼんやりと、そんなことを考えた。
秋の山は豊かで、眩しいぐらいに美しくて、いつしか私は、畏怖の念さえ抱いていた。そして、どれぐらいそうしていたのか、ふと微かな物音に我に返った気持ちになって振り返ると、遠くの方で、子熊達がフカフカの落ち葉を巻き上げながら、転げ回ってじゃれ合っていた。そして、そのすぐ近くにいる母熊は、遊んでいる子熊達の様子を優しい目で眺めながらカキを食べていた。
遠目にも熊の親子は、とても慈しみ合っていた。山は、どうぶつ達の住み処で、食事処で、家で、遊び場で、侵してはならない、神聖な領域だった。今まで何度も山に入って、じいちゃんとしばらく山籠りしていたことだってあるのに、私は、いま初めて、じいちゃんが繰り返し何度も言う、棲み分けとゆう言葉が、ストンと腑に落ちた。
そして自然の、この神秘的なまでの光景には、人が踏み入ってはいけない境界線があるように思えた。だから無闇に傷つけたり、棲み分けを守ることを怠ったりして、あの牙をこちらに向けさせてはいけないんだと、そう、強く思った。
「山は、本当に美しいな。秋の山はまた、格別だ。……さて、どうやら魔獣はおらんようだな。だから獣達もあのように穏やかで居られるんだろう。これからもうしばらくだけ森の方を見回ることにして、何も無ければ今回はそれでお終いにするとしよう。獣も人も、皆が安心できたらそれが何よりだ」
じいちゃんは熊達を見つめながらそう言うと、とても優しい顔をして、愛おしそうに山の景色や、小さなどうぶつ達を眺めていた。
「じいちゃんは、あの熊達……、どうぶつ達のことも守っていたんだね。私今まで、なにも知らなかったよ」
「いやいや、なんもなんも、わしはただの人だ。完全に人側だよ。畑の作物を荒しに来る獣は容赦なくうっちゃるからな。獣にとっては憎っくき敵だろうて。アハハハハ」
じいちゃんはそう言って大笑いしていたけど、私は、じいちゃんの事をたまに、山守り様と呼ぶ人がいることを思い出していた。じいちゃんは道場主だし、村はじいちゃんの弟子だらけなので、だいたいの人は師範と呼んでいるし、古くて大きい家に住んでいるからか、お館様と呼ぶ人もいるけど、じいちゃんを頼って相談しに来る人達は、だいたいみんな山守り様と呼んでいた。
今更なんだけど、やっぱり、じいちゃんは山を守っているんだと思った。じいちゃんは人と動物の棲み分けをして、両方を守っているんだと思った。人は村に住んで森にも入って、森や山にはどうぶつ達がいて、なんとか境界線を守りながらそれぞれ共存しているのは、じいちゃんのおかげなのかもしれないと一瞬思ったけど、チラッと見たじいちゃんは、大あくびをしながらお腹とお尻を同時にボリボリかいていて、いやいやそれは大げさだなと思い直した。
「さあ、いつまでもボサッとしておれんぞ。次は山を下りて森の見回りだ」
じいちゃんは私のことも待たずに先を走り出した。もう山の見回りをしないで、一直線に山を下りていくようだった。私はじいちゃんの後を追って走りながら後ろを振り返って、紅葉が真っ盛りの山々を見上げた。しばらくはもう、山に入ることもないだろうなと思うと、少しだけ寂しさがこみ上げてきた。
落ち葉をパシャパシャと鳴らす感触も楽しいんだけど、走っていると小さな生き物たちを誤って踏んでしまうかもなとも思って、時短の為にも木々を飛び移って行くことにした。適当な木の枝にビュンッと飛び乗ると、さきに居たリスが木の実をかじっていた。
「あ、ごめんね。ビックリさせちゃって。いいよいいよ、ごはんを続けて。すぐに出ていくから」
目をまん丸にしたリスは可愛かったけど、ごはんの邪魔をしては可哀想なので、すぐに隣の木に飛び移った。山にも森にも、たくさんのどうぶつ達がいて、村には人が集まって暮らしていて、それは当たり前の、ごく普通のことに思えるのに、山の奥の、すごく奥地とはいえ、山に魔獣が生息していることが、あらためて考えてみると、とても異質なことに思えた。
その異様な違和感の正体がいったい何なのか、魔獣とはいったい何なのだろうと、その不思議な謎の存在について考えていると、先を走っているじいちゃんが崖から飛び降りるのが見えた。じいちゃんは、今日は大幅に近道して帰るつもりらしかった。
私も崖から飛び降りる前に背の高い木の枝から枝に飛び移って、そのままの勢いで高く跳躍してから一気に崖から飛び降りた。こうやってしばらく地面に足が着いていないと、空を飛んでいる気分になれた。実際には落ちているだけなんだけど、私はけっこうこの時間が好きだった。だからいつも、高い所からはより一層高くジャンピしてから飛び降りることにしていた。
じいちゃんはいつも、そんな余計なことをしなくてもと言うけど、滞空時間が長いと、着地の衝撃を和らげる為の準備がゆっくり出来るし、けっこう合理的なんだけどなといつも思う。ドシャッと音がする着地なんてしたら、それこそ未熟者としつこく怒られるんだけど、もう最近は派手じゃない静かな着地を心がけているし、はずみをつけて飛ぶくらいは、楽しいので大目に見てほしい。
じいちゃんは前を走りながら、私が地面に着地するのをちゃんと見ていた。私は殊更音も無くストッと華麗に足をつけて、すぐにまたジャンプした。私がフフンとドヤ顔をしてみせたら、じいちゃんも楽しそうに笑っていた。それから、しばらく二人で森を駆けまわっていたけど、秋めいた森の中もやっぱり平和そのもので、キノコは食べ頃に大きく育っているし、ドングリもクリも秋の果物もたわわに実っているからどうぶつ達もよく肥えて、豊潤な秋の森は、なんとも長閑なものだった。
どこかのんびりした見回りの途中で、耳をつんざく程の悲鳴に急いで駆けつけると、パブの双子の兄弟がキノコ採りの最中に猪に驚いただけだった。ひょろりと背の高い二人が金切り声を上げながら木に登ってしがみついていて、猪達が籠から散乱したキノコを悠然と食べている光景はなんともシュールで、私はほったらかしにしておいてもいいと思ったんだけど、じいちゃんはその可愛らしい猪の子供達をどこかに連れていってから戻って来ると、ヴィルゴとヴィエンゴをそれぞれうるさいと小突いて、私達も家に帰ることにした。
今日はちょっとゆっくりし過ぎたようで、すっかりお腹が空いているし、日はあんなに高いし、もうお昼をとっくに過ぎているようなので、思わずため息がでる。お腹が減って、力が出ない。
「山に見とれてしまって、今日はちょっとゆっくりし過ぎたようだな。明日からは山に入らず、森の見回りだけにするから、ミーナは明日からじいちゃんについて来なくてもいいんだぞ。店が忙しそうだしな、タンクの手伝いをしてあげたらいい」
「森の見回りぐらいすぐ終わるんだから、私も一緒に行くよ。お店だって手伝うつもりだけど、私だってちゃんと、最後まで確認したいんだから」
「そうか。しかしそれでは、ミーナが忙しすぎるんじゃないか?連日山を駆けまわっていたんだ。疲れてもいるだろう。わしは明日から秋祭りに向けて、弟子達を本腰を入れて鍛えてやるつもりだから、奴らを森に連れて行ってもいいんだぞ。いい走り込みになる」
「私は全然疲れてもいないし、走り込みと見回りは違うでしょ。邪魔になるよ。それに、いつでも忙しいのはじいちゃんの方だよ」
じいちゃんと話しながら家路についていると、目の前に見えてきたうちの店の前に王子がいた。王子がエプロン姿で、うちの店の前を箒で掃いていた。いつもながら謎の光景に思わずクラッと目眩がしそうになる。王子なんだけど、身分を隠してるとはいえ、どこかの貴族のご子息だって言ってる筈なのに、いったいどうしてあんな事になっているのか、いまだに本当に謎なんだけど、当の王子は、すっかり店の手伝いに馴染んでいた。しかも結構、下っ端のやる仕事ばかりしている気がするのに、なぜ嬉々として働いているのかも、大いに謎だった。
「あ!おかえりなさい!ミーナさん、おかえりなさい。あ、師範も、おかえりなさい。みなさんもう賄いを食べ始めていますよ。今日はいつもより遅いお帰りですよね。山で何かあったのでしょうか。危険なことはありませんでしたか」
「おう、ただいま。なんもなんも、ただ山の様子があんまり見事でな。二人ですっかり紅葉に見とれていたんだ。それにしても、ロレンスはなぜみんなと一緒に賄いを食べておらんのだ?タンクのやつは、そんなに貴殿をこき使っておるのか?」
「あ、いえ、料理長には、いつもご親切に気遣っていただいております。私は、その、ミーナさんと、食事の席を、ご一緒したくて、その、勝手にお待ちしていただけなんです。それに、その、何かあったのかもとも、思いまして、その、これは、外にいるついでに、掃除をしていただけで、ああ!あの!お着替えになって戻って来られるのを、お待ちしております。あ、それであの!お隣の席に、お邪魔させてください」
私は、真っ赤になって恥じらいながら話す王子をなぜか見ていられなくなって、話している途中で返事もしないで、着替える為に自分の部屋に急いだ。王子は顔をホカホカに赤らめてモジモジしているくせに、いつもしっかりと主張をしてくる。隣の席に座りたかったら勝手に座ればいいのに、いつもいちいち私の了解を得ようとしてくるので、なんとゆうか、なんて言ったらいいのか、いつも、何回でも、慣れなくて照れる。いや、……困る。いつも困っていると言っていいと思う。
「ヒヒヒ。ミーナは腹が空くといつも無口になるんだ。不機嫌そうに見えても、気にせんでいいぞ」
じいちゃんが後ろで王子に何かごにゃごにゃ言っているのもしっかり聞こえていたけど、じじい後で殴るからなと思うに留めて先を急いだ。王子のあの顔の赤いのは、すぐに私に伝染してしまうので、ただのあれで、欠伸が伝染する的な、人体の不思議的なあれなだけなんだけど、急いで部屋に戻って顔を洗って冷やさないと、ホカホカ顔のお揃いみたいで、本当に本当に恥ずかしい思いをするし、とにかく、なにがなにやら分からない謎王子の特殊能力のせいで、私の最近の日々はなんだか落ち着かないので、明日も明後日も、ずっと長く山に行っていたいような、いや、いたくはないだろうけど、よく、分からないんだけど、とにかく、お腹が限界に減ったので、考えるのは止めてバサッと顔を洗うと、びっしょ濡れになったのでサッサと着替えて、私は無心にお昼ごはんの事だけを思って、お店の食堂に向かって走っていった。




