第4話 進む者たちへ
茶の香りが、またひとつ変わっていた。
どこかに、芽吹くような、淡い苦みが混ざっている。
「……俺さ」
エルドは、湯気をぼんやりと見つめながら、言った。
「たぶん、ずっと怒ってたんだよな。
偉い奴らに。何も知らないくせに命令してくる奴に。
でも……本当は、自分に一番怒ってたのかもしれない」
ヴェルディアは相槌を打たず、ただ耳を傾けていた。
「誰かを守りたいとか、役に立ちたいとか……そんな気持ち、あったはずなんだ。
でも今は、ただ動くだけになってて。何のためかもわからない。
そんな自分が、情けなくて、ムカついて──ずっと逃げたかったんだと思う」
ルゥナは茶器を片づけながら、一瞬だけエルドを見た。
その目には、なにか近しいものを見ているような静けさがあった。
ヴェルディアは、しばらく黙ったあと、こう言った。
「逃げたいと思うことは、間違いじゃないよ。
歩くことに疲れたら、立ち止まって、後ろを振り返ってもいい。
でも──それでも、また一歩、前へ進みたいと思うなら」
彼は、茶器の蓋を静かに閉じた。
「“何のため”がわからなくても、“どんなふうに”は選べる。
君が選ぶ歩き方に、意味があとからついてくることもある」
エルドは、わずかに眉を上げた。
「……どう歩くか、でいいのか?」
「そうだ。
たとえば、“誰かのために笑う”とか、“せめて自分の靴を磨いてやる”とか、
そんなちっぽけなことでも、歩き方の一つになる。
そして、その歩き方が、君という道をつくっていく」
ルゥナが、少しだけ目を伏せた。
彼女もまた、過去と未来のはざまで、自分の歩き方を探しているのかもしれない。
「君がこの先、どこまで行けるかなんて、誰にもわからない。
でも、“君が歩いた”という事実は、必ずこの世界のどこかに残る。
……それは、見えなくても、消えないものだよ」
エルドは茶器を持ち上げ、口をつけた。
今度の茶は、少し苦いが、心に残る味だった。
「……なんかさ。あんたの言葉、答えじゃなくて、問いをくれるんだな」
「問いを持って生きる人は、止まらない。
答えばかり探す人より、ずっと遠くへ行ける」
エルドは肩の力を抜き、はじめて深く息を吐いた。
その息は、今までまとっていた霧のような重さを、少しだけ外へ連れていった。