第3話 角度を変えれば、見えるもの
「意味は、あとでいい。
君が何を守ったかを決めるのは、今じゃない」
ヴェルディアのその言葉に、エルドは返す言葉を見つけられなかった。
ただ、手の中の茶器から立ちのぼる湯気をじっと見つめる。
その熱は、どこかで自分を責めていた心を、少しだけほぐしてくれるようだった。
「……でもさ」
やがて、エルドはゆっくりと口を開いた。
「“今”ってのは、いつも目の前にしかないんだよ。
何のためにって考える前に、命令が来て、走らされて、泥を踏んで……気づいたら今日が終わってる」
ヴェルディアは黙って耳を傾けていた。
ルゥナは茶器を静かに片付けながら、ときおり小さくこちらを見るだけだった。
「俺たちの命なんて、軽いんだよ。
あんたみたいに偉くもなくて、歴史に名も残らない。
守った街も、住んでた人間も、すぐに俺たちの顔なんて忘れる」
その言葉には、怒りというよりも、疲れがあった。
深い霧に何度も道を見失って、もう前に進む理由が見えなくなった人間の声だった。
ヴェルディアは、ひとつ頷いてから静かに言葉を継いだ。
「そうかもしれない。
だが、見る角度を変えれば──世界は、少しだけ違って見えることがある」
エルドが顔を上げる。
「“自分の命は軽い”と、君は言った。
だが、その軽さを支えているのは、君が“軽いままでいられるように”と背負ってきたものの重さだ」
エルドは眉をひそめた。「……それ、どういう──」
「たとえば──木の枝の先に咲く花は、誰もが目にする。
でもその花が咲くには、見えないところで、太い幹と根が重さを支えている。
誰も見ない。誰も気に留めない。だが、花はそれなしでは咲かない」
エルドは黙った。
「歴史に名が残る者は、花に過ぎない。
だが、君のような兵士がいたからこそ、その花は咲いた。
そして──君が歩いたその道は、後ろから来る誰かにとって、“通れる道”になっているかもしれない」
ルゥナが、新しい茶を注いだ。
さっきよりも、少しだけ香りが明るくなった気がした。
「それでも、意味がわからないままで構わない。
君の中に、ほんの少しでも“残るもの”があるなら──それが、やがて根を張る」
静かだった。
けれど、その言葉は確かに、エルドの心に届いていた。
「……あんたさ」
エルドは、ぼそりと呟く。
「何者なんだよ。なんでそんな言葉が出てくる」
ヴェルディアは、わずかに笑った。
「ただの茶亭の主さ。