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第19話 VS霧崎レッスンと正気な狂気

翌朝目覚めた時に、楓は自室に戻っていることに気づいた。


 記憶を探るが、自分の足で部屋に戻った記憶がない。

つまり、それは昨夜一緒にいた悠が防音室から運んでくれただろう事実を示唆していた。なんたる失態、と楓の顔からは恥ずかしさで火が出そうだ。

 

 部屋から飛び出しリビングで会った悠の顔を恐る恐る覗き込む。

 

「悠さん……あの……運んでくれてありがとうございました」

「案の定、防音室で寝やがって。もう二度とやるなよ」

「……うう、わかりました」

 

 悠の押し殺した声に楓は震えながら、ごめんなさいと呪詛のようにつぶやく。蒼汰だけではなく、悠まで借りが増えてしまった。この二人に恩を返すのは難儀(なんぎ)であろう。

 

 当たり前ではあるが、基本的にその辺りで寝るのは許されないのはわかっている。今までは時間がくれば当たり前のようにメイドが部屋から出ていき、電気まで消してくれる生活だったので、徹夜など無縁だった。楓は、今後気をつけますとしかいえなかったのだ。

 

 「それよりも……お前、その……」


 いい淀んだ悠の目の下に隈ができている。


「……寝不足、ですか? 悠さん」


 楓は見上げ、その悠の黒い瞳にばっちりと映り込む。

 昨夜の唇が危うく首元に触れそうになった瞬間を思い返し、悠は記憶を捨てるように首を振った。


 「――! いや、いい。なんでもない。俺は別に何も」

 

 不明な言動をしながら妙に後ろに跳ね返り、そのままリビングの壁に後頭部をぶつけた。


「……大丈夫ですか?」

「いいから、放っておいてくれ」


 構わないで欲しいとばかりに片手をあげると、悠はそのまま眠気覚ましにコーヒーを入れに行った。背中を見届け、楓は昨夜の記憶を思い返す。途中でまた寝ちゃったから、呆れられたのだろうか、と思いながらも。


 そして、挽回(ばんかい)を胸にその日の練習に心血を注ぐことにした。


 そして5日目の夜。20時の来訪者は、意外な人物だった。

 ドアのノックをしたかと思うと、すぐにドアが開かれる。


 こちらの返答など聞くまでもなく開けるからな、という態度で――、いっそすがすがしさすら感じた。無論この場合は、ドアの施錠を忘れていた楓も悪いのだが。

  

その人物は無表情で楓の方へと足を進ませると、腕を組みながらベッドでCDを聞いていた楓を見下ろした。

 

 「マネージャーからの依頼でな。とはいえ、なんで俺が直にお前を教えなきゃいけないんだ?」

 「そうですか、わかりました。霧崎さん……そんなに嫌でしたら、独学で頑張りますので……」


 楓は似たようなやり取りは悠さんともしたな、とばかりにため息をついた。


 「――なにを馬鹿な。お前は独学程度で勉強が足りると思ってるのか? 俺が時間を割くのならば、それ相応の努力をしろといってるんだがな?」

 「!?」


 結局、この人と練習するのか――、と楓は心の中でツッコミながら、手元の譜面を持ち涙目で防音室へと入っていく。素直に「一緒に行くぞ」と言えない性格らしい。


 「どれだけ練習したんだ? 聴かせてみろ、この譜面からだからな」


  なんだかんだほんの少しだけ嬉しそうだ。時間を割いて教えてくれよとしているのだから、彼も悪い人ではない……のは、わかっているのだが、いかんせん面倒くさそうな人だなと思う。指を鍵盤に置き、まずは一番簡単な曲から始めた。


 淳史や悠とひたすらに練習したポップな曲から、徐々に慣らし最後は悠と練習したハードな曲。しかし、途中でいくつかミスが目立つ。


 「なるほど、まあ数日前よりかは、幾分かマシになったようだな。だが、難しい曲はどうしてもミスするようだな」


 「でも、マネージャーも、たかだか1週間でユニットの全曲の譜面を覚えろなんて、無茶ぶり……。まさか本気でいってるワケじゃないですよね……?」


 その言葉に、霧崎が今さら何をという表情を浮かべた。


 「冗談だと思ったのか? あの女は狂気にみえる言動が正気だぞ」

 「もう訳がわかりませんね……」

 

  ツッコミもそこそこに、楓は集中しながらキーボードを奏でていく。

 確かに、かなり練習しているが覚えられてない曲もそれなりに存在する。

 

 「ここは、こうだ」

 

  いわれ霧崎の指が楓の手にふと触れ、楓は妙に緊張した。少しだけ跳ねる鼓動に、首を少しだけ振る。空気がやたらと暑くなってきたように感じ、どうもこの人との距離が妙に近いのもまた、よくないのだと一人納得する。そもそも自分は女子高ならぬお嬢様学校だった。


 全体的にこの寮にいる男子勢の妙な距離感の近さはなんなのか。これが同性であれ異性であれ、当たり前の距離感なのかをどうにも測りかねたのだ。

 

 「集中しろ」


 間近で圧に耐えかね、ますますミスタッチが増える。

 緊張に気づかれぬように少しだけ距離を離し、声を聴かぬようにして必死で息を整えた。

 

 「ミスするな、と指摘すると逆にミスが増えるのか。仕方ないな……」


 そういうと、霧崎は自前カバンから数枚の紙を取り出した。

ピアノの譜面台にそれらを置く。楓はこれは何かと食い入るように譜面を眺めると、そこには――タッチする指が劇的に変わり、負荷が減っているものだった。

 

 「……これ、もしかして」

 「その通りだ。これから、こっちを弾いてみろ。今からじゃどうあがいても時間が足りないからな。この譜面なら負担が減って覚えるのもなんとか間に合うだろう」


 確かに、中級者程度の、ものによっては上級者じゃないか?という曲の内容がだいたい初心者向けに変わっている。最後の悠との曲だけは、そこそこ難曲のままだが――これならば、今から練習してもなんとかなりそうだ。

 

 「霧崎さん、ありがとうございます……」

 「ああ」

 

 霧崎にも貸しが一つできてしまった。

全員一癖も二癖もあるが、いい人だ……訂正しよう、と楓は思った。

そう、少々……ほんの少々面倒なところがあるくらいだ。

  

 「じゃあ、これからすぐにこれを練習して――」

 「まあ、待て」

 「それを練習するにあたって、キッチリとやってもらいたい俺なりの弾き方がある。まずは、それをやってもらうことからだ」

 「え?」


 霧崎はチラリと防音室にある時計を確認した。


 「……まだ21時か。さて、東野。今日は寝れると思うなよ?」


 ――どこかで聞いたセリフだ、と楓は思い我にかえる。

 

 「え、え? 今から、朝まで二人で練習をするってことですか? まさか、そんな……ご冗談ですよね? もしや霧崎さんも狂気に見える言動が正気ですか?」


 「――そういう冗談がいえるなら、まだまだ余裕だな。ではありがたく、休憩なしで進めてやろう。なにせ俺は狂気が正気のようだからな?」


「ひぃっ!」


 そして地獄のレッスンは明け方まで続き、防音性能が完璧であるこの部屋から外へは、楓の悲鳴が漏れることがなかった。


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