未熟者のエルフ
翌早朝、いつものようにランニングと朝食を料理して、まだ夢に耽っている姉妹達を後に自分だけ朝食を済ませた。
「夏とはいえ、朝は冷えるねぇ」
今日は調合する薬草を採取するために東京の西の森、アルカナムへ向かう。
アルカナムの森にはエルフの集落がいくつかあり、それ以外は魔物の巣窟になっている。
エルフという生き物は長命だ。生物学的には、ヒト属ヒト科に属する生命と括られており、普通の一般的な人間は「ヒト属ヒト科の、ヒト」であり、エルフは「ヒト属ヒト科のエルフ」と位置づける。その他のヒト属ヒト科にはドワーフがここに分類されている。
また、ヒト属という括りには魔人や一部上位の人型の妖精なども分類される。
基本的にはどの種族も分類される所は一つであるが、魔人や人の型を為した妖精はそれぞれ魔属(族)と精霊属(族)にも分類される希有な例である。
「森がいつもより静かだ。草木がさえずる音さえしない」
それだけではない。いつもなら、森の妖精が人の気配に惹かれてちょっかいを掛けにやってくるものだ。
ま、大抵は僕を見るや否や、またコイツかよと言わんばかりに去っていってしまう。時偶、生まれたばかりの妖精が初々しい反応を見せてくれるがね。
「特に森の奥が騒がしいといった感じはない。薬草の採取には打って付けだね」
大方、アストラのやつが寝坊でもして狩りに出遅れたのだろう。でなければ、今すぐにでも森を出ていくところだ。狩人がいないなら、魔物が騒ぐ事はない。
奴らは人を見るか自分らが襲われるかしなければ、基本的にはその生息地で適当に跋扈しているだけだ。人の後を付けて人里まで下りて来なければ、害という害はあまりない。強いて言えば、薬草が取れる森に鎮座していることと、遭遇したら必ず襲われるという事くらいだ。まずもってその機会が少ないから、あまり害とは言いにくい。
「おっと、あの木の陰に魔物さんがいらっしゃる。じっとしているのを見る限り、少しはお利口さんのようだね」
背を向けた方向に、二十メートル程。面倒ごとは避けたいので、早々に軽く燃やしてしまう。害は少ないとは言っても、メリットがある訳ではない。このまま背中を向けて歩き続けて襲われでもしたらどのみちこうなるのだから、ならば油断しているうちにというお話だ。
少し息を入れ、また歩き出す。森の中は空気中の魔力が濃くてどうにも息がしづらい。それが、魔物やエルフにとっては心地良いのだろうがね。
「あんた、また来てたのね」
目線を下に向け、薬草探しに夢中になっていること数十分。いつも通りの聞き慣れた声がした。
「やあ、今日も寝坊かい?森のエルフさん」
「うっさい。というか、今日は寝坊してないし」
さーっと緊張が走った。目の前のアストラに、今日の狩で魔物にあったかと尋ねるとそういえば、と口走ってきた。
全くもって冗談ではない。それが本当なら僕は今まさに渦中にいることになる。
「本当に君は間抜けだな」
「は、はぁ!?」
「よく考えてみろ。普段こんなに魔物と遭遇しないことがあったか?」
「そう言われると、確かにないけど・・・」
「なら今日は妖精だって見ていないんじゃないか?」
「見てないわね・・・」
「となると、街の方が危ないな。結界が張ってあるとはいえ、森の東側の浅部いる個体は人里に下っている可能性が高い」
そうなれば、いくら結界を張っているとはいえ数の暴力だ。
僕の表情が少し強張っているのを見て、彼女も何か察したようだ。
「今すぐに集落の者にそれを伝えに行った方がいい。君はまだ未熟者だから、少しは許してもらえるだろうさ」
「未熟者って・・・あんたよりも長生きしてるんですけど!」
「だったらババアとでも呼んで欲しいのかい?」
「あんたねぇ・・・」
「人が死ぬ事への責任は負えないだろう?」
「・・・・・・」
「大丈夫だよ。そうならないように、魔術師や魔法使いがいるのだから」
「魔法使いはもういないんでしょ」
「揚げ足取りはいいから、さっさと行きな」
彼女とこの森で居合わせると碌なことがない。
若くして才能が認められ、アルカナムの森の狩人の一人になった才女。
幽閉、職務強要、冤罪を着せる、住居破壊と責任転嫁、等々。数えだしたら切りがない。心底嫌われているのか、馬が合わないとでもいうべきか。今日ここに新たに「職務怠慢による人的被害」とでも書き足そうか、なんてことも考える。
「これ、お前は本当にあのオークとかゴブリンなんかが人里に下りていると踏んでいるのか?」
隣からぬるっと姿を現したのは、ユリウスだ。
「恐らくだけど、これは妖精の仕業だろうね」
「では何故、さっきあのエルフの小娘に嘘をついたんだ?自分の心持ちまで意識的に上書きして、お前の心から騙そうってか?可哀想なエルフだな」
「ま、強いて答えるなら色々と積もっていた恨みかな」
「らしい回答だな。全く、妖精にいたずらをされるほど嫌われているお前も、そのお前に息をするように騙されるあの小娘も、よくよく運のない奴らだな」
「別に、好かれようと無理にリアクションとっても奴らを喜ばせるだけで加護なんて与えちゃくれないよ。寧ろ余計に玩具にされるのがオチだろうさ。加護なんてものは手に入れるものじゃなくて、生まれながらに持っているものなのだから」
「こればっかりはお前と同意見だよ」
妖精の悪戯と当たりはついたが、確認するまでは油断できない。ひょっこり現れたユリウスも付き合わせて、妖精の鱗粉を辿りながら元凶を探して回った。
幸いにも、ユリウスの嗅覚が役に立ってすぐに見つけることができたのだった。
去り際にまた奴はいつもの小言を言った。
「お前というやつは人が顔を出すたびにこき使ってくるが、これも嫌がらせなのか?」
「さぁてね。ただ、僕は人よりも恨み深いとだけ言っておくよ」
「恨みたいのはこちらだがな」
こういった会話も、もうお決まりにのようになっている。僕があいつを呼び出す。あいつが応じる。事が済んだら、小言を言ってから帰る。
「今度はもっと楽しませろよ」
「約束はしかねるけどね。努力するよ」
フッ、と軽く笑みを交えてヤツは地獄へと去っていった。
さて、と。ちょうど後片付けが飛んで走ってきた。
「ねぇ、あんた・・・!」
「どうしたんだい?そんなに息を切らして。そこまでして会いたかったのなら悪いんだけど、もう用は済んだからアルカナムからは出ていくよ」
「ちょっと待ちなさいよ!」
「うん?」
逃がしちゃくれないよね、そりゃあ。
多分だけど、彼女が集落に危機を伝えた時、恥をかいたことだろう。
彼女が集落に伝えた事柄は、「森から魔物が消えた。街の方に下っているかも知れない」といった感じのものだろう。だが、長命なエルフのご老体の方々なら、即座に「妖精の悪戯」と気付いたはずだ。こっぴどく説教を食らったに違いない。
「ねぇ、あんた」
「はいはい、怒られてやりますよ。今日という今日は僕が悪いんだか・・・・・ら」
「そんなに私のこと恨んでるの・・・?」
「まさか、ただの気分だよ」
「ほ、本当に?」
「また嘘を付いてると思ってるのかい?」
彼女は静かにコクっと首を振った。
「嘘は安売りするものじゃないよ。僕が言うのもアレだけどね」
アストラは、その言葉を聞いて少し安心したようだった。
無意識に胸に当てていた手を、そっと振り落とす。
「なにそれ。全然説得力がないじゃない」
「それは、僕に説得力というものを求める方が間違っていると言いたいね」
「最低」
この、今にも心の臓に突き刺さらんというストレートで鋭利な針をはははと笑って受け流した。
アストラはこれっぽちも、言い過ぎた、申し訳ないなんて顔はしなかった。
「ね。あんた、もう例の旅は再開してるの?」
「あぁ、異世界旅行のことかい?それなら、答えは『もうすぐ』だ。大学で主座殿の叱責を受ける前にとんずらするさ」
急に話題を変えるものだから、また悪口を言うのかと思えば。
「あの人に怒られるのがそんなに怖いの?それとも、卑怯な手を使わないと勝てないとか?」
調子に乗り出した。
「そりゃあ、ね。彼女は学年ごとに設けられた主席とはまた違う、正真正銘日本の学生魔術師で最強の称号である、『東都魔術大学主座』の持ち主だから」
「へぇ~。じゃあさ、もし面と向かって殺し合いをすることになったらどうするの?」
「もちろん逃げるさ。命が惜しいからね」
「異世界に?」
「それも一つの手だろうね」
アストラはいつも、異世界という存在を信じていないと言わんばかりの振る舞いを見せる子だった。
もとより、姉妹たちでさえ未だに疑いを向けられる事があるくらいた。
事実、どんな所に赴くか分からない以上、自分以外の人間を連れて行こうとしないのは自分だったのだが。
「異世界って、どんな所なのよ」
「想像もしないような所ばかりだよ」
「へぇ。どんな?」
「・・・・・・機械って知ってるかい?」
「バカにしてるの?言葉でしょコトバ!」
「その機会じゃないよ、物の名前さ。魔力なんてもののない世界で、電気を使って人が鉄の塊を動かしているんだ」
「そんな事ができるの?電気なんて、空から降ってくるものでしょう?」
「そうさ。その電気を利用しようって考えた人がいたんだろうね。ほんと、驚きだよ。僕らにとって電気なんて、空から降ってくるものか、相手を攻撃する手段でしかない」
「その、電気を使って鉄の塊を動かして、何をしてるのよ」
「じゃあ逆に、魔法も魔術も使えない人類が、どうやって生活してると思う?」
「・・・・・・」
「そう。僕らにはそんなもの、想像すら出来ないんだ。魔法や魔術が当たり前に根付いてしまっているからね」
「でもさ、不便なのには変わらないんじゃない?」
「そう思うだろう。僕だって初めはそう思っていたさ。でも、向こうの人間が使う鉄の塊、機械には色んな役割があるんだ。交通手段だったり、情報や意思の伝達、建物の建築に至るまで」
「魔力がなかったら、この世界もそうなっていたのかな」
「さぁてね。でもどのみち戦争というのはあったんだと思う。あちらの人間たちも、機械を使って戦争をやっていたから。人間はどこまで行っても人間だよ」
こちらの時間で換算して、丁度一年前くらいだろうか。辺り一面、草木なんて根絶やしにされたかのような緑の少ない景色だった。
地面に土の姿はなく、レンガとも違う、灰色の道路が辺り一面に整備されていた。
無機質なその世界の人々は、その世界のあり方とは一変して温かい人が多かった印象を受けた。
自分が着ている魔術師のローブは、少し小馬鹿にされたけれどもね。それでも少し変わっているという程度だった。
「どれだけ温厚な人がいても、その分だけ冷淡な人はいる。それが人間という生き物だって学んだよ。じゃなきゃ戦争なんてバカはやらないさ」
「それもそうね。私らも、いつか戦場に駆り出されるのかしら」
「僕ら魔術師は、悲しいかな。そのために魔法や魔術を学んでいるんだよ。」
「あんたは違うでしょ。不真面目だし」
「一言余計だけど、まぁそうだね。親が二人ともそうだからかも知れないけど、軍人なんてまっぴら御免だからね、僕は。だから旅から旅を重ねて逃げているんだよ」
「それも生き方の一つと思うけど?」
「流石は長命なエルフさんのお言葉だ」
ふん、と少し得意気になっていつも通りこれっぽっちもない貫禄を見せた。
これくらい簡単に受け流してくれる方が、こういう雑談相手には向いている、と僕は思う。
「エルフは長命だけど、その分成長も遅いから幼少期の死亡率が高いの。だから私だって、ここまで生きて無惨に戦争に殺されるなんてゴメンよ。そう考えて行動するのも生き方の一つだって考えてるだけ」
「らしくないくらいちゃんとした回答じゃないか」
「あのね、あんただって一言余計なのよ」
「お互い様だね」
「あんたと一緒にされるともっとムカつく」
どうやらご機嫌ナナメになっちゃったようだ。もちろん、わかってて言ったけどね。
「ブリテンのお貴族様の間じゃ、この国も目障りに感じている人もいるそうよ」
「へぇ、それはどこからの情報だい?」
「風の噂ってやつ。向こうにいる同族から」
「エルフというのは便利な耳をお持ちで」
「そうね。行くなら早めがいいわよ」
「感謝するよ」
集めた薬草の束は、奔走して多少の傷を付けたであろうアストラのポケットの中に入れてきた。
結果的に薬剤の収穫はなかったものの、良い話を小耳に挟むことが出来た。
さて、そろそろ次の旅を初めようか。