雪月百合と二年前
早朝、日の光がほんの少しだけ視界を照らす程の時間。家を飛び出してランニングに駆り出す。
この時期は昼間にランニングをしようものなら暑さで倒れる可能性があるため、可能ならばこれくらいの時間が適切なのである。
東京の西の森から流れ込んでくる空気が、冷たく澄んでいる。
日本という国は、人が住む街と、その街と街を繋ぐ街道以外は大部分が山や森林でできており、国土の六割ほどがそこに属するのである。
森や山、人が寄り付かない場所には魔物が巣くう。または人里離れた場所を好むエルフ族や木々の多い場所に住まう妖精なんかが暮らしている。
「おはようございます」
早朝にランニングをしていると、同じように考えている近所の方とすれ違うことが多い。
街の中心の方へ折り返した分も含めて三十分程走り込んだ。帰宅したら、まだ目を覚ましていない妹二人を起こして運動着に着替えるように伝える。
「今から三十分程走ってきて貰うよ。折り返す分があるから、大体十五分くらい走ったらそこから折り返してくれば大丈夫だ。森の方へ行かなければどのルートを選んでも構わない」
「お兄様は、どうされるのでしょう?」
「僕は家で朝食を作って待っているよ」
「わかりました。では行って参ります」
話している内に、花は着替え終えてさっそうとランニングに向かい、少し遅れてアカネも花を追って家を出ていった。
「さて、と」
一度家の外に出て、魔術で作り出した異空間にしまってあった杖を取り出す。
これから戦闘を始める訳ではない。慌てなくていい。ゆっくりと体内の魔力を魔法として捻出する。
「今私は、三途の門を開く」
目の前にボロボロに傷んだ血色の門が現れる。門をこの手で押し開ける。ゴゴゴゴと重い音をならしてその門は開かれる。
門の中から、白髪の美声年がその姿を覗かせている。黄色い瞳から、鋭い眼光を飛ばして僕を睨み付ける。
「まったく、こんな朝早くから人を叩き起こす奴があるか」
「妹たちがランニングに行ってるんだ。心配だから跡をつけて行ってくれ」
「本当に妹バカなんだな貴様は」
「妹バカで結構だよ」
ユリウスは心底呆れ果てた顔をして去っていった。
彼がきちんと妹たちの方へ向かったのを確認すると、こちらも朝食の支度を始める。
ユリウスは僕が使役している使い魔みたいな存在だ。半ば対等な立場みたいな感じだけどね。
「どこかで油を売ってないといいけど」
二年ほど前に魔法の練習をしている際に習得した「三途の門」という技。僕が扱う「千逹の門」という魔法が持つ技の一つである。
「千逹の門」が有する門(要は技)は、門を発現した段階で何らかの効力を発揮するものが殆どだった。
初めは、技こそ習得し門が発現したものの何の効力もなく出現した門を、相手の魔法を防ぐ壁にしていたが、ある時ふとその門の中に入ってみることにした。
中に入ると、たった今通ってきた門と同じ門が佇んでおり、その門のふもとで門に体を寄りかけている、当時は名前さえも知らないユリウスが立っていた。
「ついてこい。案内するよう言われてる」
ユリウスに案内され門の中の門の先に広がる一本道をしばらく歩いた。
一本道の終点には、ユリウスと同じくこれまた秀麗ないで立ちの青年が、見上げるほどの高さに置かれた椅子に座って、こちらを眺めていた。
「あの門を開けたのは貴様か、銀髪の青年よ」
「ああ。私で間違いない」
「あの門がいずこに繋がると知っての愚行か」
「いや、知らない。私の行動が何か無礼だったのなら、こちらも謝罪しよう」
「そうか、知らないか。なら教えてあげよう。あれは三途の門と呼ぶ。貴様ら人間の言うところの地獄の門だ」
「じゃあ門の傍いた彼は、番犬か何かという訳だね」
「おい、無礼者。貴様俺のことを犬畜生みてぇに言いやがったな?」
白髪の青年から、それだけでモノを殺しそうなほどの殺意を向けられる。それを、椅子に座った青年は愉快そうに見下ろしていた。高みの見物というやつだ。
「ユリウス、客人に手を出すんじゃないぞ」
「客人?私が」
「ああ、お前のことだ。たった今、お前は俺たちの客人となった」
‘‘たった今‘‘という単語を聞いて、ユリウスと呼ばれた青年も少し気になっているようだった。
「人間のクセして、俺ら二人を前に物怖じせず寧ろ堂々としている奴は珍しいのでな。少し不躾な野郎だとは思ったが、まぁいい」
そういうと、先ほどまで上を見ていた首がその男と共にまっすぐに戻される。不思議と視線を引く奇妙な感覚だったのを、今でも覚えている。
「私は閻魔大王。名前くらいは知っているだろう。どうやら、生者の世界でも有名らしいからな」
「閻魔大王、か。まさか死後の世界が本当に実在していたとはね。現代の魔術学、魔法学を以てしても未だに答えが出ないブラックボックスの住人という訳だ」
疑っていた訳ではない。目の前に立っている男が無意識的に体内から放つ魔力の底の知れなさが、既に彼の発言を裏付けていたからだ。
その時はただ、好奇心が自身の全行動を支配していた。
「君は少々、複雑な魂をしているな。実に面白い、が。今はそんな些末事など事はどうでもよい。腕を見せてみろ。そこのユリウスと戦って勝てたなら、そいつを自由に連れまわすといい」
「ちょっ、大王様!私はまだ同意した訳では・・・」
「お前の意見など聞くわけがないだろう」
「こんな人間ごときに、しかも魔法使いですらない、魔術師なんぞに負けようものですか!」
「お前はそう思うかもしれないが、私からしたらほぼ五分だ。お互いに殺しあってどちらかが骨一本折れていないかどうか、くらいにね。それくらいこの人間は強い、だろう?」
冗談だろ、と言わんばかりの不服そうな顔をこちらに向け、僕の全身を見てからチッと舌を打った。
「さあさあ、互いに構えたまえ。逃げることは許さない。以外なら何をしても良いとしよう」
その言葉を皮切りに、空気が凍る。凍てついた雰囲気に間髪入れず、大王の手が叩かれた。
結果、お互いの技を相殺しあうだけの消耗戦で終わった。体中の魔力が底を突き、お互いにぶっ倒れた後で、ノロノロ立ち上がるユリウスの腹に拳を入れたことで決着がついた。
「勝負アリだ。雪月ユリ、お前をこの門の所有者として認めよう。それと、好きな時にコイツをこき使ってやってくれ」
体中痺れて声も出せないので、仕方なく首を縦に振って応答したのを思い出す。あれは中々の出来事だった。
以降、ユリウスを時折呼び出してはお互いにいがみ合ってみたり、そんなことを初めて早二年か。
「ユリ兄、ただいま」
「ただいま帰りました、お兄様」
玄関で息を整える二人の後ろには、憎たらしいと親の仇でも見るかのような形相をしたユリウスがこちらをにらんでくるのが見えた。
とっとと魔法を解除して、向こうの世界に送り返してやった。
ユリウスと主人公(百合)の勝負がどんなものだったのか、具体的な内容は番外編(過去編)でも作ったときにします。
今はちょっと省かせてね!