恨まれ事には慣れている。
翌朝。まだ靄がかかり、十数メートル先が見渡せないほどの時間帯。
陽光が靄に色を付けている。
金属が擦れる音が街の外れの方より徐々に近づいている。昨晩からずっとだ。
普段は仕事の早い行商人が馬車を走らせる音の他静寂であるこの王都に、この日ばかりはもう一つ音が加えられた。
王都の中心にそびえ立つ魔王城の正門には、沢山の人だかりができている。目が覚めてその光景を目にした時は、まるで籠城でもしているかの様に思えた。
「おはよう、諸君」
と、その日の朝は前日から分かっての通り忙しかった。城の衛兵が先ず門前にて集まった戦士達を闘技場まで案内し、誇りを被った闘技場の運営をするために衛兵以外の給仕たちは昨日から日夜掃除を続け、一緒に来た二匹の龍はビラを全ての街へ向けて撒いていた。
「今日は忙しい日になる。当然、私は負ける気などは毛頭ない。お祭り気分で今日という日を楽しんで欲しい。諸君らの中にも私と拳を交えたいという者が居るならば、今日の香盤表を城に仕える君たちの分と、闘技場の試合の方とで二種類作るから、それに合わせて参加して欲しい」
この超絶面倒な香盤表(片方は俗に言うシフト表、もう片方は試合の対戦表)を日が昇りそうになるまで書き続けたのは他でもない僕である。
ただ、それだけで仕事は終わらない。
闘技場が王都の北東端にあるため、城からその場までそれなりの道を誘導しなければならず、会場の警備や不審な動きをする者がいないか随時警戒する必要がある。それと、魔王城の警備も普段より大幅に人員は削減されるが当然必要となる。
これらを魔王城の者のみで対応するとなると、暇など中々に取れないのである。そこで、休息とまでは行かずとも、せめても食事は取れる様にと故郷の日本では馴染みとなるおむすびと水筒を衛兵らに持たせる事にした。おむすびは片手間で食す事ができ、包めば肩から下げて携帯することも可能である。
それをレイシアに提案し、即刻魔王城の調理場の者達を買い出しに向かわせた。米と、中身はこの世界の者の好みに合うものを頼んだ。
こちらの世界に来て、幾度となく食事はしたが、普段からこれといって食の好き嫌いをする方では無いためか、あまり体が受け付けないといったものはなかった。あくまで、「あまり」ではあるが。
「そこでへバっているユーリと、調理場の者達が君たちの為にとせめてもの食事を用意してくれた。おむすびと言う料理のようだ。こちらの風呂敷に包んで肩から提げて持って行くといい。味は保証しよう。私も今朝味見をさせて貰った」
そう言うと、シフト表を衛兵ら全員に回し配置に着け!と号令を出す。視界は質のイイカーペットに包まれていて背後の状況があまり掴めてはいないが、聴覚情報から察するに多少見せ物されたあと賛美されていたようであった。
睡眠不足による疲労困憊には参った。緊張やら他の要因もあったように思う。衛兵らが玉座の間に集まる前、人数分×3のおむすびと人数分等倍の水筒を送り届け安堵からか何かの糸が切れたのか、ゼンマイが回りきった様にその場で倒れていた。
ようやく背後に目をやると、衛兵達が規律よく歩き、城外城内別れて進んで行くのが見えた。机に並べられたおむすびがくるまれた風呂敷と水筒を一人一人手に取り肩に提げ、それぞれ向かうべき場所へ足を運び初めている。
「ユーリ、少し気分は楽になったか?」
いや、楽になるも何も地面に突っ伏したままなのだが。
「お前には試合に出て貰わないといけないからな。今から少しでも身体を休めておくといい」
うーんと、え、あの、そんな無茶な。聞き間違いだろうかと数秒疑ったが、目の前の悪魔がこの会話で冗談を言うという結論にはおおよそ行き着かなかった。
「それはまた、どうしてかと聞いても・・・?」
「昨晩、このような文が幾つか送り付けられていてな」
と、紙切れ一枚を渡されて、字面を追った。
「私は、王都の正門前で魔王様が人を連れて歩く様を目にしました。どうかご説明願います。さもなくば、先に告知された闘技にて、彼の者の参加を心から願い申し上げます。彼の者の信念が魔王様と同一ならば、我らも信じることが出来ましょう。どうか。」
夜通し続けた作業も、作業の果ての安息を当てにしていたというに。
「この件ばかりはお前の信用問題だ。寧ろ、今日の闘技一つで信じてもらえるなら易いものさ。異種族間での交流など、こんなものだ。我々が少し特殊だったに過ぎんよ」
せめて根性のない相手、試合が長引かないような相手との手合わせを願いたいものだ。
ただ、レイシアの言う事ももっともである。人と魔族が憎み憎まれ殺し殺されをやってきた世界で人の身である自分に信用を置いてもらうには、これ以上ない好機であるのは明白でしかない。
二人で話し合った結果、午前中はレイシアが、その間に僕は出来る限りの休息を取り、昼を過ぎてから僕が彼女と交代し試合の相手を務める。これに決定した。
そうと決まればと、早速この城に入居した際にあてがわれた自室へ向かい、あらんばかりの睡眠へと入って行った。
外からは微かに城に集まった戦士達の声が聞こえ、それがいい感じの環境音となり熟睡は必至だった。
感覚暫くして、気絶していたかのように目が覚めた。
ベッドの横に目をやると、給仕さんからのミントティが軽テーブルに置かれていた。添えられたカップにそれの半分ほど注ぎ、ゆっくりと舌の上へ身体の芯へ流し込んでいった。
ふと気になり時計(とはこの世界では呼ばないようだが、我々の知るところのそれ)を見ると、床に就く前と比べて半時間も経っていなかった。
もう一度布団にくるまる事も考えたが、却って頭痛を催すのではと思い、既の所で思い留まり、軽くしかめ面を晒しながら仕方なく伸び伸びをして部屋を出た。
「お早いお目覚めですね。もう少しお眠りになられていても良いものを」
「寝過ぎると気分が悪くなるので」
と、自分の意思とは反して目が覚めてしまった事を恨みつつ、カッコをつけて返事をした。
夜通し詰め込みすぎた故にやることが睡眠しかなく、どんな様子だろうと闘技場へ足を運んだ。
「これは盛況だね」
闘技場は想像するよりもかなり大きかった。
目算おおよそ半径五百メートル程だろうか。
席は埋まっていたので、等間隔に観覧スペースに建てられた審査員用の塔状の屋根の上から見下ろす事にした。
王都に住む者は愚か、周辺の街々からも大勢の人が集まっている様子だ。
「なにやってんだ、みっともないぞー!」
「魔王様なんて倒してしまえー!!」
「女なんかに負けるなー!!!」
などなど、耳を澄ませばあらゆる歓声が後を断たなかった。
少し気になり中へ目をやると、普段とはかなり違った、寧ろ正反対とも言うべき荒々しい立ち居振る舞いのレイシアが、相手立っている巨漢の男を一つまた一つと骨をも砕かん勢いで殴打し、壁まで追いやっているのが見えた。
話を盗むに、どうやら初戦の相手が一瞬にしてのされたらしい。それを見た戦士らの一部が大勢辞退を申し入れたそうだ。
なんとも残念な話だ。自分の相手はそれなりに骨のある戦士という事がほぼほぼ確定してしまった。
「ガッ・・・」
レイシアの回し蹴りによりとうとう壁にめり込んでしまった巨漢の男は、その断末魔だけを残してズルズルと地面へなだれ込んでしまった。
「勝者、魔王レイシア・アレイネス!!!」
歓声が飛び交った。
人とは喉の作りが違うのか、その場全員が人であるよりも鼓膜をより一層突き破るようなコンサートだった。
地べたに顔面をつけた相手の戦士はスタッフに運ばれ、レイシアは周りに一礼をしてから闘技場の控え室へと歩いて行く。
そこから物の数秒後。トントンと肩を叩かれ、振り返るなりレイシアが後ろに立っていた。
「もう、寝なくて大丈夫なのか?」
「案外、早く目覚めてしまってね。二度寝をして頭痛になるのも気分が良くないからね。かといってする事もないから、こうして様子を見に来たって訳さ」
そろそろ戻らないと行けないのでは、と指摘すると丁度司会が声高らかにレイシアの名を叫んでいるところだった。
レイシアはその場からバッと飛び上がり、長い髪をなびかせながら闘技場の真ん中へと飛び降りて行った。
会場には熱気と雄叫びだけが飛び交っている。
続いて、対戦相手の入場だ。
そこでまた、観客の声が一層に高まる。
レイシアとは反対側から悠々歩いて来た者は、少し大柄めの若干オレンジ染みた赤髪の男であった。右手に槍を携え、なんとも勇ましい佇まいでいる。
「俺の名はディルベルト・ヴェルドレア。南西にあるウィハートリ島の出身だ。魔王、レイシア・アレイネス。お前に言いたい事がある」
「ほう。言いたい事か。口喧嘩ならこと闘技が終わった後でしっかり聞いてやろう。ここは闘技場だからな」
「いや、こればかりは闘技の前に聞いておかなくては、言っておかなくてはならない。お前は、本当に俺達が遣える魔王なのか?」
会場にどよめきが沸き立つ。
「その真偽を君らに委ねる為に、この闘技がある」
「それならば、強いヤツは誰でも魔王を名乗れるのか?魔王というのは代々受け継がれる血筋ではないのか。それを簡単に譲るような真似をして、我々が敬愛し、遣えてきた魔王という存在を侮辱する行為に他ならないと思うのだがな」
「お前達の信用を得る為だった。そういった意思は毛頭ない」
「ならば、僭越ながら今日この場にいる者全員を代表して口を開かせてもらう。何故、俺たちにアンタの記憶がない?名前ならわかるさ。この世界と、ここ王都の名前にもなっているからな」
彼は、目の前の女に熱く語り掛けた。溜め込んだ思いをその場で全て吐き出すように、ようやく吐き口を見つけたように。さらに、さらに立て続けた。
「アンタが本物の魔王なら、何故俺達を見捨てた。俺達は、俺達魔族は、魔王という存在がいつまでも不在のまま、いつまた人間共に襲われるのかも分からず、日々を不安の中で葛藤してきた。王都じゃ、毎日のように魔王を名乗ろうとする連中が王城の正門を開けようと壁と格闘していた。こんな無秩序な事があると思うか!仮に魔王様が不在であろうと、その城に偽りはない。こんな事を野放しにしておいて、昨日、貴方はまた魔王として表舞台に帰った。百歩譲ってそれを良しとしたとしよう。それでも不満不平は残る。だがあろうことか、貴方は人間を連れている。アレをみろ!」
と、これまでレイシア以外誰も闘技場の建物の上に僕が居ることに気付きさえしなかったというに、彼は自身と観客の視線と指の先を僕の方へ向けた。
僕に魔族的な特徴はない。耳が長くなければ、ツノだって生えていやしない。
一見は殆んど同じ見てくれではあるが、見れば見るほどスルメの味のように違いがハッキリしてくる。
「俺は目の前のアンタが本物かどうかも気になるが、あの人間の事も同じように信用ならねぇ。だからよ、全力で俺と闘ってくれ。そこにいる人間のアンタもだ!」
彼の咆哮は止まない。
対してレイシアは口を閉じ、彼の言葉を一つ一つ受け止めている。
「昨夜、魔王城に矢文を入れたのは俺だ。思ったより力が入ってしまってな。城のガラスを割ってしまった事は謝罪しよう。しかし、だ。よもや逃げる事はあるまいな、人間よ」
しかして、僕も彼と同じように挑まれる側となった。レイシア程ではなかったが、彼の言葉に導かれるままに僕との手合わせを願う声も多かった。
そこで、多少闘技の順を変更しレイシアと僕の交互でチャレンジャーの受け手になることとした。
「興が覚めやまぬ内に、始めちまおうか。魔王よ」
ディルベルトと名乗った赤き武人は、その槍を腰に構え雄叫びを上げてレイシアに切り掛かった。
彼女も自身の魔剣を抜き、最大限の敬意と誉れを示した上で彼の槍と打ち合った。
レイシアの魔剣が彼の槍を弾く。すかさず畳み掛けるが、ディルベルトは柄の部分で受け止めそれを返す。体勢を立て直し、またも切り込む。弾く。今度は退けぞらず、がっしりとした体幹でレイシアのカウンターをいなす。
お互いの武具同士が打ち合う度に、闘技場の地面に亀裂が入り、少しずつ地面が割れ凹んでいくのが目に見えて分かる。
数度打ち合った後、お互いに相手の力量を把握し今度は数を合うようになった。互いに体勢は崩さないまま己が武具を最大限相手に振るう。
両者共々、なんと勇ましいことか。
十数度の打ち合いの後、レイシアが数歩引き下がり少し息を整えると、束の間魔法を発動させた。
それでもディルベルトは動じず、軽い足取りでそれを避けつつ自身も魔法を発動させた。
ディルベルトはあくまでも武具を扱いに長けているらしく、主に使うのは相手を直接攻めるタイプの技ではなく地形を動かすタイプの魔法だ。
縦横無尽に地形を買え、その地形を利用してレイシアに様々切り込んだ。だが、レイシアも黙ってはいない。
「盛る大地を撫でろ、デノンズ・ブレイク」
ディルベルトが足場として生成した大地の悉くを平らに均し、彼を再び同じ土俵に着かせた。再び両者睨み合う。
少しの牽制も、後引きも赦さず、動けば斬るという互いの意思ゆえの硬直。
時点でレイシアも気付いていただろう、というよりも身をもって体感していただろうが、このディルベルト・ヴェルドレアという男。かなりの強兵である。
「天を鳴らせ、雷鳴よ轟け、明くる金光の神格に目を向けよ。オッド・サンシャイン」
魔法だ。先ほどまで武具を使用しての攻撃一辺倒だった、魔法を使用してもその攻撃の補助として用いられるのみであっが、今度は攻撃に特化した魔法を詠みその手中に魔力を集めレイシアめがけ放つ。
地面から砂埃が舞った。その外からレイシアを見下ろすように睨んだ。
「苦労したぜ。本来はこっちが俺の得手なんだがな。槍の扱いにも長けてたようなんで、無理やり土を繰る魔法を最低限槍を扱う事の補助に出来るくらいには修めたからよ」
オッド、というように彼のもう片手には青い魔力の丸塊がある。
赤と青、両の太陽を見ている様なその魔法は、既に闘技場の土地の大半を数メートルほどエグっていた。
客席には土埃を軽減するために会場警備をしている城の衛兵らによってすぐさま水がミスト状に散布され、観客席及びその上空に立ち込めた土埃はたちまち風になびき払われて客席辺りはすぐさま青い空が拝めるまでになった。
「やったか、などと無粋な物言いはすまいよ。なぁ、我らが魔王様よ!」
男の目線に合わせて空を見上げると、遥か上空にて土埃より姿を表したレイシアの姿があった。
仮面で顔を覆っている。ふっとした瞬間には既に視界の内におらず、ディルベルトを斬り伏せていた。まるで雷の如く、狙いを定めたらば一直一閃。凄まじい速さだった。
ディルベルトはなおも立ち上がろうとしたが、止めておけとうなじに手刀を一発喰らいあっけなくその場に倒れ、試合終了のゴングが鳴らされる。
仮面を外し、顔を表に見せる。
「少しカコ付けた仮面だが、存外に役にたつものだな」
金属で出来た黒基調に紫色の混じったその仮面はおおよそこちらの世界においてはどこか異物感を抱かせる。
「医療班をよべ。彼を救護室に。大した怪我はしていないが、彼にはこの後も闘技が控えているのでな」
そういうと、数人が彼を担架に乗せ医務室まで向かった。
闘技場は、観客席の下に実際に闘技を行う戦士達の控え室が二階層に別れて作られており、さらにその下の地下空間には医務室やそれに準ずるスペースが儲けられている。
ディルベルトが担架で運ばれるのを横目に、一人次の挑戦者が闘技場の中央へと足を運んで行く。
「続いての挑戦者、ティハイン・アーカーシュ。入場して下さい」
姿を表したのは、細目に眼鏡を掛けた細身の男だ。キツネの様な耳を頭部に持ち、それに巻くように角が生えていた。レイシアやディルベルトとは違った魔族の特徴のようだ。
彼は観客らの前に姿を表すなり少し小早にレイシアの下へ歩いて行き、目の前でとまるなり口を開いた。
「私は、この試合を辞退します」
どよめきと野次が飛んだ。
ふざけるな、臆病者、何しに来た、といった主旨の罵声と物が投げつけられる中、先ほどの試合を見た後ならば仕方がないといった声も混じっていた。
「勘違いしないで頂きたい。私は魔王様に剣を向けるのが嫌であるという事と、何よりあそこに居座る人間と手合わせを願いたいから辞退を申し出たまでです。元よりこうするつもりでした。あの人間に少なからずの敵意と不信感を持っているのは先ほどの者だけではない、という事ですよ。分かりましたか?」
その場感情で動くバカ共、と騒ぎ立てた観客らを今度は向こうから嘲笑してみせた。
こうなっては致し方なし。自分が見下ろしていた闘技場の中央へと降りた。
「名のって下さい。人の子」
出会い頭、強く詰め寄られる。その目には一瞬の隙も逃さんとする鋭利な眼差しを含んでいた。
「ユーリ・アンブローズ」
「何故貴様が魔王様の側にいるのか、正直に答えて下さい。私の目を誤魔化そうとは思わないように」
「僕はこの世界の人間ではない。これといった経緯があるわけではないが、旅感覚でこの世界にやってきた。そこで初めて出会ったのが彼女であり、以後一緒に行動している。これでどうかな?」
「確かに、嘘はついていないようですね。では次に、貴方が人間であること、当然魔王様も知っているでしょう。ではなぜ貴方は魔王様から信頼を得ているのか」
「それは、彼女から直接聞いた方が良い。けど、心当たりとすれば、彼女と禅を組んで直接体内の魔力をぶつけあった、という事かな」
「・・・ッ!」
声を張り上げていた訳ではないから、客席にいた者らの大半は聞こえなかったであろうが、自分の目の前に立つティハインという男の面を食らった表情が、場の空気を少し凍てつかせた。
「先のディルベルトという者から闘技を申込まれた際に、何故断らなかったのか疑問だったのですが、よもや魔力を繰る人間が存在したとは。想定の範囲外でした。それならば、魔王様が信用なさるのも納得です」
彼の中で、色々なものが附に落ちたのだろう。途端に柔らかな表情になっていた。
「お二方、ご無礼を致しました」
手を差し出してくる。僕としては拒む理由もない。喜んで快く差し出された手を握る。思ったよりも柔らかく握り返され、寧ろこちらが緊張してしまった。
「改めて、貴方に闘技のお相手をお願いしたい」
「喜んで、受けて立ちますよ」
二人息を合わせて、両端に立ち退く。レイシアは蚊帳の外へと足頭を向けた。先程まで僕が闘技場の中央を見下ろしていた場所まで足を運ぶようだ。
「ところで、ユーリ殿。魔法の嗜みあるようですが、こちらの方は以下がでしょうか」
ティハインは手中に細剣、いわゆるレイピアを取りその剣先を自分へと向けた。鞘に入れたままの状態で片手に納め僕と向かい合っている。構えはない。
剣で挑まれた試合には、剣で応じるが礼儀だろうか。魔法を使うのは不粋という物か。この世界のその辺りの常識や価値観がイマイチ計れずにいる。
「貴方が剣で挑まれるというのなら、僕もこの太刀をもってしてお相手しよう」
「魔法など、使えるのでしたら幾らでも使っていただいて構いませんよ。チャレンジャーからのハンデですから」
なんとも鋭い言葉の刃。細剣と同じように鋭利でトゲのような煽り文句だった。
いざ、試合開始のゴングが鳴らされる。
「突っ込んでくる・・・!」
開口一番、矢のようにつんざく勢いで彼は飛び込んで来た。彼のレイピアの先が僅かに僕の左頬を掠めとる。
「よく避けましたね」
「僕を殺す気なのかい?」
「この程度で殺されてくれるのですか?貴方は」
殺気はなかった。避けられる事を予想してあえての面を狙った一撃だったのか。
僕の脳ミソは彼の言葉と雰囲気に違和感と相違を感じとっていた。
「あの程度の攻撃が避けられないようでは、魔王様も貴方を側に置いたりはしないでしょう。少し驚かれてはいるようですが、よもやこれ以上の速度では見切れないなどと抜かす事はないでしょうね」
「そうだね。身構えが足りなかったようだ」
今度は鞘から剣を抜き、構えをとった状態でその刃を振るう姿を見せる。
ティハイン・アーカーシュ。掴み所のない男だ。
「やはり早い!」
先の一撃で目が慣れたのか、今度は速度こそあがっていたものの受け流す事が出来た。
距離を取り、魔術にて彼を牽制する。空から下へめがけて撃てば、たとえ当たらずとも闘技場の地面に当たった際に煙幕として機能し、彼の一直線での攻撃を妨害してくれる。
「氷絶散弾」
「遅いですよ」
脇腹に彼の細剣が刺さった。
この程度、少し太めの注射針を刺された程度だと思えば痛くともなんとか耐えられる、と思える身体でいたかった。
「やれやれ、もう少し油断して頂ければと思ったのですが、流石にそこまで容易ではないようですね」
違和感、違和感、違和感。
殺気を感じ取っても可笑しくない程の雰囲気の変わり様に、否が応にも付随してこない殺気のせいだった。
僕の頭がこの違和感を処理する間に、三度は太い注射器が自身の身体を貫いていた。
「中々隙を見せませんね」
「どういう・・・意味だい、それは・・・」
「先程の説明だけで、私が安易に人を信じると本気で思ったのですか。貴方の脳内はお花畑も甚だしいですね」
彼の目元が暗くなる。数秒前よりもさらに鋭く、殺意を剥き出しにして僕を睨んでくる。
視界がぼんやりしてきた。細剣に毒が仕込まれていたのか、こちらの知らぬ所で魔法を使われたか。
息も切れてきた。ここに来て、自分を復する魔術を習得していなかった事が仇となったか。
「痛みには強いようですね。それに、外面だけではなく中身も生身だ。貴様ら人間共は皆鉄塊に魂を売り捌いた物と思っていましたが。少し評価しましょう。ですが加減はしません」
この恨み晴らせぬば我が身の死をも許さじ、と言わんとするその形相を半ば開かれた目でもってかろうじて見る。
抵抗むなしく、と言ってそこで幕を閉じることが出来たのなら人生楽なのかもしれない。だがお生憎様、僕の人生この場この時道半ば過ぎて死ぬには惜しいと思ってしまうのでね。
「開かれよ・・・・。地獄ノ門・・・」
辺り一帯をブラックアウト、なりふりは構って居られない。観客のどよめきも、奇声も、ティハインの少し驚いた息使いも、全て差し置いて行動するのみ。
「来い、ユリウス・・・!」
暗闇を書き消すように迅雷疾る。
「まだ余力を残していましたか」
「ふふふふ。全く、潔く初動で私を読んでいれば良かったものを。まぁ、結果的に外に出られたのですか良いとしましょう」
「相変わらずの・・・減らず口、だな」
「貴方こそ、少し口を閉じて黙って見ていてはどうです?そうして貰ってこそ、私が漸く暴れられるという物ですから」
いつも通りの皮肉口。愛嬌のないしゃべり方。言葉の節々に憎まれ口を感じる彼の声は、こういう時にはほのかに愛情のように感じられる。
「誰とは存じませんが、遣い魔の類いでしょうか。遣い魔風情が出張らない事です」
彼は先の攻撃と同じように細剣を構え、ユリウス目がけ突き放った。
一瞬にしてユリウスを背にしたが、その背には紅い血が吹き出し、付着している。
「手刀で十分ですよ、お前程度なら」
冷まし顔でティハインの背面をよそ目見る。
ティハインはここに来てようやく、自身の内の感情を収まっていたその器から数滴溢したような顔を見せた。
「遣い魔風情に負ける、弱っちぃ魔族が居たものだ。憐れで仕方ないよ」
「人の癖して遣い魔などと、中々に賢しい真似をしてくれますね」
ティハインが傷口を抑えゆっくり時間を掛けて立ち上がっている間を垣間見、ユリウスは僕の下へ駆け寄り負傷した腹部を治療してくれた。
「無理はしないでくれよ。君が死んだら僕は二度とあのむさ苦しい世界から出て来られないんだから。それに、僕は治療魔術が使えるとはいえこの魔術の一般的な使用方法は罪人に何度も罰を受けさせるための治癒。即ち生者の君には効き目が悪くて魔力効率も最悪なんだから。もっとしっかり気を張ってくれ」
毒が回ったせいか声の出が悪く、声にならない言葉の変わりに申し訳ないと目線を送った。
ユリウスは、いいんだよと笑顔を返してくれる。その顔を最後に、僕の意識はぷつりと飛んだ。
「私に賛同する者達よ。声を上げましょう!我々はあの人間を許し、我らが守ってきた土地に足を踏み入らせ、その醜悪さでもって我らの土地を汚させて良いはずがありません!」
彼は、こういって観客席にいた者達を扇動しようとしたそうだ。もちろん、闘技場の控え室にいた他の闘技の参加者達にもその声が響いたと。
「ヤツは卑劣にも、魔法によって味方を呼び寄せました。一対一の形式とされるこの闘技を貶す、許されざる行為であると、私は異を唱えます」
彼は会場にいる全ての者に語りかけたと聞いた。
支持する声も、受け入れない声も、どちらも飛び交ったと。
真っ先に声に集ったのは、闘技場の控え室にいた戦士達だった。ユリウスの話によると、集まった戦士達の内半数以上が彼の声に指を揃えたと言う。
「クソ、これじゃあ相手にしきれないな」
闘技場で横たわる自分を庇う為に集まった戦士らに奮戦するユリウス。しかし、数の暴力は強固な一よりも勝った。
「この者の首を魔王様へ献上しましょう」
この時起きた歓声で、ほんの少しだけ意識が戻っていた。耳から聞こえる声は遠く、視界もかなりぼんやり微かな状態であるが、状況を把握するのには十分である。
「やめろお前ら!!!」
遠くから声が聞こえた気がした。
赤い、太陽のような塊がぼんやり見える。少しずつそのぼんやりが大きくなる。
「闘技を汚しているのはどっちだ。もっと客観的に物を見ねぇかバカ野郎どもが!」
視界の半分が赤いぼんやりに埋め尽くされた。
大きな声を出している男の声も次第に遠のいていく。最後に聞いたのは、キーンという耳鳴りだった。
「この人間は、お前らの家族を殺したのか?てめぇのその目ン玉で実際に見たのか?人を人として人括りにするのはやめろ」
「あれま、貴方医務室で休んでいたのではなかったのですか?」
いがみ合っている二人をその周りの者らは止めることもできず、ただただ呆ける事しか出来なかった。
ユリウスは一先ず剣を下ろし二人の動向を見守る事にしたそうだ。
見るものがその硬直に対し少し焦れを感じ始めた辺りで、ようやく割って入る者が現れた。
「全員、剣を納めよ」
姿を見せたのは他でもない、魔王レイシア・アレイネス当人である。
彼女は横たわり死体のようになった自分の膝裏と背中に腕を回しゆっくりとその胴体を持ち上げた。
身体に刺激があった事を感じたぼくは、あまり記憶にないながらそこで再び目を覚ました。
「この者は私が認めた者である。厳格たるルールの下に行われた闘技であればいざ知らず、この仕打ちは何たる事か!私の民がこのような愚行をしようとは失望したぞ」
レイシアは自身の魔力を最大限威圧の為に周囲に振り撒いた。その顔に普段見せる優しさはなかった。
結局、彼女がティハインの呼び掛けにより集まった者らを全員のしてその場を納め、闘技を散会させた。
闘技に参加して戦士らは皆魔王城の宴会場へ招待され、共に宅を囲んだ。勿論、ティハインや彼の下に集った者らも同じである。
「ごきげんよう。体調は如何ですか?」
魔王城の医療室にてベッドとの一体化を果たしていた僕のもとに、一人来訪がある。
「上手くやったようで。ティハインさんの方こそ、恨まれ役を買って出るとは」
「いえいえ、こちらこそ貴方へのヘイトを増すような提案を受け入れて下さりありがとうございます。それと、少し加減を損ねてしまった事、大変申し訳ありませんでした」
ティハイン・アーカーシュという男は、見た目通り頭のキレる魔族だった。
闘技の前、彼と握手をした際に彼の手に刻まれた魔力に触れた。
内容は、「貴方に恨みを持つ者を炙り出す。私の演技と脚本に乗って欲しい」との事だった。
「こちらの魔道具ですよ。こうやって、周りからの監視の目がある際にとても役に立ちます」
どうやら魔道具を使用して掌に言伝を刻んでいたようだった。魔力により刻まれた文言は、彼の手から僕の手へ。一つの芝居を打つように書かれていた。
「多分気付いているかとは思われますが、魔王様へ釈明をしなければなりませんね」
今日一彼は笑って話をした。
笑顔の似合う素敵な顔だった。僕は心底彼を信用して良かったと心に思っていた。
「あ、こちら。宴会場からこっそり持って来てしまいました」
皿一般に盛り付けられた食の品々を、ベッド横のテーブルにそっと置いて、よろしければ、と差し出してくれた。
「あの、よければなんですが。お互いに敬語、やめませんか?」
自分でも驚くほど自然と口から出た言葉だった。まだ毒が完治しきっていないからなのか、少し恥ずかしがったのか、掠れてはしまったがそれでも流暢に喋っていた。
「ありがとう。これからよろしく、ユーリ」
「こちらこそ」
「人間の友人は初めてだ」
「それは良かった。レイシアは、人との戦争は望まないそうだ。我々の敵は同じ大地を踏む彼らではなく、天高く見下ろす者らである、と」
「そうか。それならそうと、魔王様からゆっくり話を聞くとするよ」
その日は、ティハインとの会話が何よりも疲労回復の一助となった。
彼もまた、自身の経験と趣味興味趣向について語ってくれた。




