死にたがりのあなたに言った言葉は、俺も死にたいと思った事ありますよというモノだった。
部活の時間、文芸部に所属している俺は、部室に置かれた椅子に座り、先輩に押し付けられた雑誌をぺらぺらと眺めていた。
女性のファッション雑誌で、先輩曰く「小説を書くのに役立ちそうじゃない?」とのこと。
確かに女性のファッションに関して全く何も知らないので、人物を描写する時に役に立つかなと思わなくもない。
今目にしているモノを、今すぐ文章にしてみろと言われても困るけど。
そんな風に考えながら眺めていると、何の前触れもなく先輩は言った。
「私ね、いつも死にたいって思っているの」
視線をずらせば、ニコニコと満面の笑みを俺に向けているのがわかる。
いつも通りと言えば、いつも通りの先輩の顔。
地毛だという亜麻色の髪。
愛嬌のある顔立ち。
美人という言葉が似合うその容姿に一切の変化はなく、言葉の内容だけが、いつもと違っていた。
そんな言葉に。
「俺も考えた事はありますよ」
とりあえず、思いついた事をそのまま返した。
すると先輩が呆気にとられた顔をする。
「えっ?」
「だから、俺も死にたいと思った事はあります。毎日は思ってないですけど」
とりあえず読みかけの雑誌を閉じて机に置き、話しかけてきた相手、沙良先輩に向き直る。
「そう、なんだ」
「はい。それで話しは終わりですか?」
「え~と、ちょっと待ってくれる? 君の言葉が予想外で混乱してるから」
「――――別にいいですけど?」
相手が待ってくれ、と言い出したので、雑誌を閉じてテーブルに置き、とりあえずそのまま待つことに。
文芸部の部室には、俺と先輩しかいない。
他に部員もいないし、顧問の先生も今日はやってこないから、下校時間まで時間はたっぷりとある。
だからそのまま先輩の言葉を静かに待っていた。
「……」
「……」
ぼんやりと辺りに意識を向けると、外では運動部が部活動に力をいれているのがわかる。
その喧騒と、開いた窓から流れる風がカーテンを揺らす音。 それ以外は何の音もしない。
静かだな、そんな事を思った所で。
「……翔君てさ、今の言葉が冗談だって思ってる?」
「冗談だったんですか?」
「いや、違うけど。ただ、普通に「自分も」なんて返された事がなかったから、翔君なりの冗談か何かだと……」
「ああ、「そんな事言ったってどうせ死なないんでしょ?」とか「そんな馬鹿みたいな言うんじゃない!」とか?」
「そうそう」
コクンと頷く先輩を見て、少し考えた後俺は口を開いた。
「先輩が冗談の類で「死にたい」なんて聞いた事がなかったから、俺は自分の思った事を返しました」
「私、笑ってたけど?」
「でも、本当にそう思ってるんですよね?」
俺がそう尋ねると、先輩は「そうなんだけどね」と困ったように笑う。
「君は変わってる変わってると思ってたんだけど、本当に変わってるよね。私が何となくで言った言葉を、そうやって真面目に返すんだもの」
くすくすと笑う先輩に、「別にそこまで変な事は言ってないような」と思ったが、先輩がそんな反応をするのだから、変な事を言ってしまったのかもしれない。
「でも、うん。折角だから私の話し聞いてくれる?」
「はい、元からそのつもりですし」
先輩の言葉を待っているから、こうして待ってます。
そんな俺の言葉に、沙良先輩はもう一度笑った。
そして、先輩は語り始める。
それは世間で言われる「普通」と先輩の趣味嗜好や感覚にずれがあって、人生が楽しめていないということ。
幸か不幸か、先輩はその「普通」に合わせる事ができたから、周囲から爪弾きにされることはなくても、けれどその普通に合わせて生きる事に疲れて、「自分は一体何のために生きているのか」そう思うようになったということだった。
楽しくないのに、疲れる事が多いのに、何で自分は生きているんだろうと。
「そう思うようになってから、「もう生きるのがしんどいなー」って思うようになって。けど死にたいって思うのに、実際やろうとしたら怖くなって、結局できなくて、そして自分を取り繕って生きるのが嫌になって、また死にたくなる」
毎日その繰り返しと軽く笑う沙良先輩。
その先輩の姿と言葉を聞いて俺は言った。
「死にたくないって思っていても「死にたい」って気持ちが嘘になるなんてことはないと思いますよ」
「えっ?」
「先輩の話を聞いていると、先輩の中に「死にたい」と「死にたくない」の気持ちがあって、どっちかが「本当」でもう片方が「嘘」だと言うこと、それに悩んでるのかなと思うんですけど……」
言葉を選びながら、俺は話し続ける。
「先輩の趣味嗜好や性格がどうであれ、辛い時は誰だって辛いし、けど死ぬのは誰だって怖い。これは分けて考えるモノじゃなくて、どっちも「本当」の事だから。それを「嘘」だとか「間違い」だと考えて悩む事じゃないと思います」
だから辛い事を、冗談のように笑って話す必要はない。
そういうと、先輩の笑みをゆっくりと消した。
それは、先輩が隠していた本心を露わにしたという事だろう。
今先輩は、困ったように、眉根を寄せて俺を見ている。
「でも、死にたいなんて事を、辛いって表情していっても、嫌じゃない? しかも理由が……その……自分を出せずに、周りに合わせていることに疲れたっていう、大した事のないモノだし」
「……まぁ、知りもしない人間に、急にそんな事言われても困りますけど。でも相手が先輩なら普通に聞きますよ? それに大した事がないとか、それは周りの人がそう思っているだけで、先輩はそれについて真剣に悩んでいるなら、人がどう思うのかは関係ないでしょう」
「……君ってさ」
「はい?」
「やっぱり変わってるよね」
「そうですか?」
「そうだよ? 普通そんな風に言わない。死ぬって言葉を使ったら困った顔をするか、「冗談」で済ますし、私の「悩み」だってそう。「当たり前」とか「大した事が無い」とか言ってそんな風に真剣に向き合うなんてこと……今まで一度もなかったもの」
先輩は、ふわりと笑う。
「……」
その笑みはいつものようで、けどいつも以上に綺麗なものだと思った。
「でも、言えてよかったって思う――うん、私は多分誰かに、私の話を聞いて欲しかったみたい」
「……これはどっかで聞いた話なんですけど」
今の笑顔は作ったものではない、そう感じて俺は言った。
「「死にたい」って言葉は誰かに向かって「助けて」と言っているのと同じらしいですよ」
「……そうなの?」
「ええ、死にたいっていうのは、誰にも言えない悩みを抱えて、自分ではどうしようもできないから、だからそれを何とかしたくて、吐き出す言葉なんだとか」
「……そっか」
俺の言葉に、先輩は納得が言ったようで、噛み締めるようにして頷いた。
「翔君」
「はい?」
「ありがとうね」
「……俺、お礼を言われる事しましたっけ?」
俺は先輩の話を聞いて、思った事だけを言っただけなんだけど。
「うん、私にとっては凄い良いことをしてもらえたっ」
そう言ってクスリと笑う。
「ねえ、翔君」
「なんですか?」
「今度からさ、こういう周りに言いにくい事を、君に話てもいいかな?」
「いいですよ」
「自分でもいうのも何だけど、翔君はそうやって即答するんだねぇ」
「だって、俺先輩好きですし」
「えっ?」
あ、やべ。
話しの流れと言うか、「答えなくちゃ」という思いで先輩の言葉に返事していたから、俺は先輩への好意をあっさりとバラしてしまった。
「……」
「……」
それまで流れていた空気が一遍して、場がしんと静まり返る。
先輩はキョトンした表情でこちらを見、俺はその視線に耐え切れずに、ゆっくりと顔をそらす。
「……なんか、今さらりと告白されたような気がするんだけど、気のせいかな?」
「……ええと、その、いや、うん、きっと聞き間違いじゃないですかね?」
先輩の言葉に視線をそらしたまま答えると。
「……ふーん」
表情は見えないが、声の感じから察するに。
先輩、笑っているようだった。
「聞き間違い、かー。そうかー、私の聞き間違い。そういうことにしといてもいいけど、そうすると翔君はもう話さない気がするから……君が私の目をみてその事を話すまで、この話を続けようかな」
げっ。
思わず、先輩の方を向くと、先輩は両手を顎に乗せ、こちらを見ていた。
それはとても楽しそうで、言葉の通り見逃してくれそうに無い。
しくじった。
俺は先輩に自分の思いを告げるつもりはなかったのに。
先輩が自分の悩みを打ち明けてくれたのが内心嬉しくて、隠すつもりの気持ちを思わず言ってしまった事を後悔する。
先輩が「死にたい」と思うように。
俺も「死にたい」と思っていた。
昔から周りに馴染めず、かといって、それを良しとしていなかった俺は、このまま生きていかなければならない事が苦痛で仕方なかった。
けれど、高校に入学し、趣味の読書から講じて書き上げた小説を先輩に見られたとき。
『これ面白いねっ』
その言葉に、こんな自分が【認められた】ようで嬉しかったし、それに人の付き合い方がわからない自分に、沙羅先輩は『変わってる』といいながらも付き合ってくれる。
そんな先輩の事を好きになるのに、時間はかからなかった。
けれど自分みたいな存在が先輩に思いを告げても迷惑だろうと思って、この気持ちは隠すつもりだったのに。
我ながら、何とも間抜けな事ををしたんだと思う。
でも、必死だったんだ。
死にたいと助けを求めている先輩は。
死にたいと思っていた俺を、救ってくれたから。
変わっているという俺にとって、ただ苦痛でしかなかった言葉を、「面白いね」と前向きに捉えてくれたのは生まれて始めてだった。
そんな彼女の傍に少しでも長く居られたら、それで十分だと自分に言い聞かせていたのに。
先輩、なかった事にしてくれないかな。
そう思うけれど。
「……」
「……」
先輩はさっきの言葉通り、俺が自分の気持ちを告げるまで粘るだろう。
だから。
俺が自白させられるのは、そう遠くない未来の話し――。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。