sideマリア
あたし、マリアは城下町のパン屋のジョイとアンの一人娘だ。
本当の両親はあたしが産まれてすぐに流行り病で亡くなったそうだ。
長年子供が欲しくても出来なかった両親は、施設に入れられる前にあたしを引き取ったそうだ。
こんな事実は知らなくても良いことなのに、お隣の意地悪なフレッドが、あたしに告げたのだ。
貰いっ子のマリア、と。
フレッドの母はその瞬間、フレッドのお尻を思い切り叩き、フレッドは衝撃で前に吹っ飛び転がって大泣きした。
いつもは虫も殺せそうも無いくらいの優しい人なのに、そんなに怒るだなんて。
フレッドの言葉はホントなんだな、と思った。
それでも、信じたくない方が強くて。
気持ちが追い付かなくて。
我が家のパン屋を覗くと、いつも通りに忙しなく働く父と母が見えた。
「どうしたんだい?」
「あのね。フレッドがね、あたし貰いっ子だって」
涙目で告げた途端に母が持っていたトレイのパンをバタバタと落とした。
あ、言ってしまった。心にしまっておけば良かったのに。これじゃ意地悪フレッドと同じだ。
だってお母さんの瞳は見る間に潤んで、大粒の涙を溢したから。
そうして、私に駆け寄るとぎゅっと抱き締めた。
「あぁ、ごめんね、マリア。でもね、あなたは私達の大事な娘。マリア、泣かないで」
あたしは、お母さんにしがみつき、ぎゅっと瞳を閉じた。
それから、十秒頑張って貯まった涙を払う。
「そうだよね!あたしがお父さんとお母さんの娘だって言うのは変わらないものね!」
にっこり笑って顔をあげると、母の後ろの父までも涙をこぼしてあたしを見ていた。
あたしは、なんともないふりをして、落ちたパンをスカートに拾いあげる。
「落っこちちゃったから、売り物にならないよね。あたしがもらおう。だって、おうちのパンだーいすきだもの」
母と父が涙で頷き、あたしはニコニコ笑いながら「お外で食べてくるねー」とパン屋を出た。
心配そうなフレッドのお母さんにも、にこっと笑って。
大泣きしてるフレッドには、ふんっと顔をそらして。
五個もパンがある。ラッキーなことに、あたしの大好きなコーンパンだ。
近くの丘の大きな木の下にぺたり、と座り込む。
パンパンっと手で砂を落としてかじりつく。
小麦粉のいい匂い。
毎日食べても飽きない味。
それなのに、涙がぽとぽととこぼれて。
「あー、おいしいなぁ」
まるで棒読みで、もう一口かじりつく。
「おいしくって、涙が出るわ!」
ボロボロ零れる涙を拭きもしないで、パンを食べ続けた。
「へー、そんなに美味しいパンなんだ」
突然響いた声にびくっと体を跳ねさせる。
いつから居たのだろうか。
あたしの隣には、黒い髪、金の瞳の美しいお姉さんが座っていた。
「どうれ、1つおくれ」
彼女はパンを1つ掴むと口に入れた。
「あ!」
「あぁ、ごめんよ、どんなに美味しい物かと気になってね」
「ちがうの。このパン、お母さんが下に落としちゃったやつなの。砂を払わないで食べちゃったから」
「あぁ、だから、ジャリってしてると思った」
真面目に答える彼女に、思わず笑ってしまう。
「ごめんなさい、変なもの食べさせてしまって。あたしは、町外れにあるパン屋のマリア。うちのパン、こんな砂味じゃないの。焼き立てなんて、それはホントに美味しいのよ。お詫びに今度それを持ってくるわ」
「ほぅ。それは楽しみ。それじゃ、お礼にあんたを王子の相手にしてあげる」
「あははは。そしたら、あたしはお姫様ね。お城でドレスを着てダンスを踊るのね」
それは女の子の憧れ。
「お母さんがこないだ古本屋さんで、絵本を買ってくれたの。あたし、知ってるよ」
「そうか。それじゃ、決まりだね。今度パンを持ってきてくれた時に、皆がマリアを好きにならずにいられなくなる、とっても素敵な呪文を教えてあげるね」
キレイなお姉さんの声が、一瞬しゃがれて聞こえて怖くなる。
そういえば、絵本に書かれている魔女は、こんな黒い髪で金の瞳をしていたのでは無かっただろうか。
金縛りにあったかのように身動きが出来なくなる。
「マリアー」
その空間を切り裂く様に現れたのは、意地悪フレッドだった。
意地悪フレッドなのに、ほっとしてしまったのは何故だろう。
「ごめんね、オレ」
ふんっと反射的に顔を横に背ける。
「え?うそ、、、」
背けたそこに先程のお姉さんは消えていた。
「フレッド、あたしの横にいたお姉さんはどこに行ったの?」
「え?マリア一人だったじゃないか」
きょとんとしたフレッドの言葉に鳥肌がぞわりと立つ。
「マリア、ホントにごめん。母さんにマリアが許してくれるまで家に帰ってくるなって叱られて」
ほんとだったら「当たり前よ!あたしの家族に爆弾落として!どうしてくれるのよ!知りたくなかったわよ!貰いっ子だなんて!」と怒鳴りたいところだけれども。一刻も早く、おうちに帰りたかった。
「許してあげるから早くおうちに帰りましょう」
フレッドに手を差し出す。
フレッドはぎゅっと握ってあたしを見る。ずっと、真剣な眼差しで。
「何してるのよ。おうちに帰るんだから手を引いてよ」
「あ、あぁ。うん」
意地悪フレッドがあたしの前を歩く。
あたしの手を引いて。
夕日で彼の耳も首も赤く染まっている。
それを見ていると、怖かったことも悲しかったことも、一瞬どこかへ消えて。
あたしは、ただのマリアだった。
城下町の片隅のパン屋の娘。
隣には意地悪フレッドが住んでいて。
意地悪フレッドは、あたしをたくさん泣かすけど、お城で王子様と踊るよりも、こんな風に夕日で赤く染まるフレッドに手を引かれて我が家に帰る方が素敵かもしれないって、少し思っていた。
なんだか、幸せな気がしたのだ。
それなのに。あたしは王子様を選ばなければならなくなった。