婚約破棄を破棄
「リリベル・ジル・スペンシア」
僕は美しい婚約者の名前を呼ぶ。
心とは裏腹の冷たい声で。
「はい」
僕を見上げる、煌めく金色の瞳。
鈴のような耳に残る清らかな声。
いつまでも君をみつめていたいのに。
固まったまま動かない僕を、右隣から遠慮がちに手を引き首を傾ける女に優しく微笑む。
「あぁ、私の宝石、マリア。」
僕を滅びさせる魔女マリア。
憎くて仕方ないのに、こんな優しく語りかけたくなど無いのに。
「私の大切なマリアを、嫉妬のあまり階段から突き落としたそうだな。」
「いえ、わたくし、そのようなことは」
「言い訳は聞きたくない!恥を知れ!」
恥を知らなきゃいけないのは僕の方だ。
かわいそうなリリベル。うち震える可憐な君。
こんな風に君を貶めるなんて僕こそ死罪が相応しい。
「婚約の証である、そのイヤリングを返せ」
「本当によろしいの?ルイス様」
良い訳が無い。
君に永遠につけていて欲しいよ。
僕の瞳の色のブルーにシルバーがかったその宝石。
君の耳元で光るその色が羨ましかった。
僕がそれになってしまいたかった。
君のそばにずっといれるのに、と。
「つべこべ言わずに即外せ」
あぁ、なんて呪われているんだろう。
大好きな人に向ける視線ではない。
大切な君にかける言葉ではない。
リリベルは、そっと睫毛を臥せると、もう一度僕を見上げた。
うるんだ瞳に見上げられ心が悲鳴をあげる。
君はこの婚約破棄の後、隣国のアドナルド王子と幸せになるらしい。
「このイヤリングを外したらルイス様、死んでしまうって仰ってたのに」
「ふん、そんなわけあるか。早く外せ」
外さないで欲しくて言ったこと、覚えててくれているんだね。
死んでしまえたらいいのに。
君を傷つけ貶めて。
辛くて痛くてたまらないよ。
ためらいがちに外したイヤリングを、王家伝来の黄金の箱にカランと入れるリリベル。
「これで、きさまとは、婚約」
あー嫌だ!言いたくない!
やだやだやだ!破棄なんてしたくない!
心が絶叫をあげるのに唇は動きを止めない。
「破棄だ」
あぁ、全て終わった。
なんて呪われた人生なんだ。
好きな人に好きとも言えず。
もう、あれだ。死のう。
リリベルの幸せを見届けるなんてムリだ。
なんでアナドルド王子といちゃつく姿見なきゃならないんだ。
なんで、なんで、僕が君を幸せにできないんだ。
きみのことが大好きなのに。
毎晩夢に見るくらい好きなのに。
好きでもない破滅の魔女マリアと結婚?
ムリだムリだ。
死のう。
本当は世界最高齢まで生きて君と一緒に生きていきたいけど。
あぁ、リリベル。君の姿をしっかりと目に焼き付けたいのに。
瞳がぼやけて君がにじんでしまう。
助けて。呪われた僕を。
神様に何度も祈ったけれども届かなかったな。
リリベル、僕の大切な愛しい婚約者。
僕のいない世界でどうか幸せに。
あぁ、それでも。なんでこんなに心が叫ぶんだろう。
君と一緒に歩く未来が欲しいんだって。
リリベル、リリベル、リリベルー。
どこにも行かないで。僕のそばにいて。
僕を助けて。
リリベル。
「仕方ないですわね」
間近でリリベルの声がして。
白いハンカチで僕の目元を優しくぬぐう。
「何をする!」
リリベルを振り払おうとする腕を誰か、もいでくれたらいいのに!
「殿下」
護衛のジョージが僕の腕を押さえる。
「何をする!はなせっ」
いや、ジョージ、お前は良い仕事をした。後で褒美を与えるからな。
ジョージが戸惑った顔で僕を見る。
戸惑うな、しっかりと僕の腕を押さえておけ!リリベルに危害を加えさせないでくれ。なんなら殺してくれて構わん。あ、いっそ、それでいいのかも。
呪われたこの世界ともおさらばで、リリベルを守れるなんて最高じゃないか!
…いやだな。
嘘だ。
僕はリリベルと一緒に生きていたいのに。
あぁ、それでも。呪われた僕に残されたのは、もう死しかないのか。
なんて不幸せな人生。
君のいない人生なんて救いがないよ。
リリベル、僕の最愛の人。
君の笑顔が好きだった。
君の声が好きだった。
僕を支えるために王妃教育を頑張る姿に胸を打たれたよ。
それなのに一緒になれないなんて。
アドナルドは君を本当に幸せにするだろうか。
あいつは男気もあるやつだからな。
僕などよりも国を発展させ将来性も高そうだ。
それでも、それでも。
リリベル。僕は君と一緒にいたかったよ。
「しょうがない方」
リリベルがハンカチで、また僕の目元を拭う。
言葉も行動も儘ならないのに、涙だけは自由に出せるのだと知った。
そんなの、どうしようもないことだけれど。
最後に一度だけでいい。
君が好きだと言いたい。
それでも。
「触るな!」
僕の口は暴言しか出ない。
「ルイス王子?どーゆーこと?」
滅びの魔女よこちらに来るな!
僕とリリベルの間にマリアが立ちはだかる。
「滅びの魔女って何よ!」
「どうしたんだい、マリア。そんなに怒った顔をして」
お前なんてどうでもいい。
後少ししか一緒にいられないんだ。
リリベルとの間に入らないでくれ。
「マリア様、ルイス様の心の声、聞こえましたでしょ?」
心の声?
「ルイス様は呪われてますの。呪いを解くので少し下がって下さいます?」
リリベルが僕のことを見上げてくる。
「ジョージ、もう少し殿下を押さえててくださるかしら」
「はっ」
リリベルは薄いヴェールをふわりと僕の頭に被せると、自身もその中に入り、僕の首に腕を回す。
「な、なにをするー!」
嘘だろ!僕はもう死んだのか?
リリベルに抱きつかれるなんて。
もう何百回想像しただろう。
こんな、恋人同士のような、、、。
あ。死んだかも。
リリベルの唇が僕の唇に優しく触れた。
死んだわ。確実に。
神様、最後に良い夢みさせてくれて、ありがとうございますー!
目眩を起こしそうな程の幸福感の中、リリベルと至近距離で目が合った。
「リリベル」
え?、これ、僕の声?
今までの意思とはかけ離れた声ではなく、僕から自発的に発した声じゃないのか?
「昔から呪いを解くには、この方法しかないそうですわ」
リリベルが恥ずかしそうに頬を赤らめる。
天使ー!
いや、女神降臨ー!!
「ルイス様。あの、その。イヤリングはつけても良いかしら」
「もちろんだとも!婚約破棄等しないからな!」
あっ、嬉しい!
婚約破棄取り消せた!!!
ジョージがそっと僕の手を外して自由にしてくれる。
「あの。イヤリングするまで黙ってて下さる?」
もちろん、黙っているさ。
再びリリベルの耳元にイヤリングがつくのを見たいから。
その薄桃色のかわいい耳元に僕の色をした、イヤリングが揺れるのを。
あー、やばいっ。めっちゃ嬉しい。
「もう。黙っててって言ってるのに」
いやいや。黙ってますよ。
心の中で大絶賛しているだけで。
どっと周囲が笑いに包まれる。
「…え?」
「このイヤリング殿下の心の声拾いますのよ。外すと周りにも聞こえてしまいますのよ」
「え。」
「ルイス様。だから、あれ程外していいのか尋ねたじゃないですか」
ぼ、僕は心の中で何を言っていただろうか。
は、はは。社会的に死んだかも。
「大丈夫ですわ。わたくしがついていますから」
あぁ、リリベル。
君がいればそうだね。
僕はそれだけで幸せなのだから。