働き者のクマさん
今現在、あるところに、大場和久太郎と言う大層真面目で働き者の男がいました。
彼は学生時代に柔道をしていた事から体力が自慢で、会社で朝から晩まで働いていました。
ショートスリーパーでもないのに睡眠時間は多くて4時間。
少ないときは1時間の睡眠でも体の丈夫さをアピールしながら、午前7時までには出社して、午前1時前後に帰宅する日々を送りました。
そんな生活では兄夫婦の娘……姪っ子がたまに遊びに来たがっても相手をしてあげられる時間は無く、短い休憩時間中でのメールやビデオ通話のやり取りしか出来なくて、悲しませた事もありました。
そんな社会人生活を何年も過ごしていたある日。
大場和久太郎は職場でついに倒れてしまいました。
原因は分かっています。
働き過ぎによる過労です。
診察と問診して頂いたお医者さんからも直ぐにそう診断され、しばらく病院へ入院するようにと言いつけられました。
言い付けられた後には「今まで働けたのが奇跡だ」と言われましたが、働けていた本人には奇跡でもなんでも無いので、頭に?を終始浮かべていました。
4人部屋は空いてないとかで個室に入院して間もなく、ろーきとか言う所の職員がやってきて「出社退社の記録はありませんか?」と訊かれました。
真面目な彼は就職した直後からメモ帳とスマホカメラで毎日退勤の記録を残していましたので、全記録をその職員へ渡しました。
すると、職員は感情を見せない顔付きでその記録を受け取り「ありがとうございます」の言葉を残して去っていきました。
入院して1週間経つかどうか……どうにもヒマ過ぎてソワソワが止まらなくなってきた頃に、兄家族がお見舞いに来てくれました。
最初に兄夫婦が和久太郎の体調を心配してくれて、入院の足しにと見舞金もくれました。
それにお礼をしていると、いつの間にか姪が彼のそばに来ていて、姪が持っている物を突き出してきます。
その突き出されたものは、なんとクマのぬいぐるみ。
その辺で4,000円出せば手に入るような、ありふれている座ったポーズのクマのぬいぐるみ。
これがどんな意味なのか分からなくて戸惑っていると、姪が笑顔で教えてくれました。
「このクマさん、オジさんにそっくりだったからプレゼント!」
確かに彼は学生時代から、がっしりした体型と厳しい顔付きからクマみたいだと言われてきましたが、クマのぬいぐるみみたいに可愛いと言われたことは有りません。
良く分からない理由ですが、ぬいぐるみのプレゼントは姪の優しさそのものなのは間違いないです。
なので心からの言葉で「ありがとう、嬉しいよ」と言ってから、ぎこちない笑顔を作って受け取ると、姪がそっと言葉を付け加えました。
「このクマさんみたいに、オジさんが座って休んでくれれば、私もオジさんと遊べるのに……」
その言葉には、和久太郎がビックリです。
そう。 就職するまでは、この姪と遊んでいた事があります。
姪は遊んでくれなくて寂しかったと、言外で言われて…………いえ、言わせてしまったのです。
思わず受け取ったぬいぐるみを良く観察すると、新品とは思えないくたびれ方をしていて、元々は姪の持ち物だったように思えてきます。
そして、これを渡してきた「和久太郎に似ているクマ」の言葉も足すと……。
その日の夜。
個室で誰憚ることなく、和久太郎は泣きました。
クマのぬいぐるみを姪に見立てて、抱きしめながら泣きました。
多分姪は和久太郎と遊べなくて、寂しさをごまかすのにこのクマのぬいぐるみを抱きしめていただろうと、そう思いながら泣きました。
「かまってやれなくてごめんなさい」と泣きました。
自分の時間を作って、姪と遊ぶ時間も作ってみせると決めました。
それ以降、仕事しか無かった大場和久太郎はいなくなり、ゆったりした時間を楽しめる大場和久太郎になりました。
彼は今の労働環境から脱出するために退職届を提出しに会社へ出向いたら、その会社はいつの間にか労基法違反だとかで大事になっていました。
同僚に現状を訊ねに行ったら、過去2年分の未払い残業代を会社が振り込んでくれるとかで、その手続きと同時に退職届も提出しました。
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和久太郎の現在は実体験を活かして、ブラック労働者の相談室の職員になりました。
一人でも、無茶な仕事で倒れてしまう人を減らせればと思って。
そして自分の時間を確保できる、残業の少ない職場を求めて。
和久太郎の傍には、いつもクマのぬいぐるみが置いてあります。
誰かに「このぬいぐるみは?」と訊かれたら「姪っ子からのプレゼントで、自分に似てるんだそうです」と、嬉しそうに応えているそうです。
大場和久太郎さんが、オーバーワークから脱却しました。