始まりの夜
幕が開く。暗闇の中から割れんばかりの喝采が聞こえてくる。焼け焦げるくらいの熱を放ったライトが僕の姿を照らし出す。夜闇のような黒い衣を纏い、僕は深々と一礼をする。僕は誰にも聞こえないように呟く。
「嗚呼、フレデリック。君の想いは必ず届く。」
頭を上げて吸い込まれそうなほどの漆黒を湛えたソレに向き直る。
さあ、皆よ聴け。今からここは僕の独壇場だ。
一通りの演奏を終えて僕、夜野奏はコンサートホールの大広間で一息をついていた。今僕がいるのは日本でもトップクラスに大きなピアノコンクールの本選。数多あるコンクールの中でもこのコンクールはショパン弾きの素養を大いに測るもので、将来的にかの国際コンクールを目指す者であれば一度は出ておきたい、できることならば獲っておきたい、そんなコンクール。
「とりあえず、やれることはやったよね・・・?」
そんなことを言いながら僕は座り込んだソファから立ち上がる。まあ、今から緊張していても僕の演奏は終わってしまったわけで、更には結果もすぐに出るわけじゃないので気にしても仕方が無いことではある。
僕は控え室に戻り、着替えを始めた。他の人の演奏を聴かなくていいのかって?そんな必要はない。なぜなら僕が今日のトリなのだから。これ以上演奏はない。着替えを終えて、リュックを背負い、出口から出ていく。
会場を出ると既に日は沈み、月もなく、ピアノと同じくらい吸い込まれそうな黒が空を覆っていた。
「あーあ、やっぱりこのくらいになっちゃうかー。ま、僕の夢への第一歩だ。こんなことで愚痴っても仕方ないよね。」
そう独りごちで夜道を歩く。何となくこんな新月の夜空を見ていると今日僕が弾いたノクターンのことを思い出す。ノクターン、日本語では夜想曲なんて書いたりもする。だから思い出しても仕方の無いことではあるのだが。
今回のコンサートホールはここ鍵谷市にある巨大な自然公園の一角に存在している。昼間歩く分には清々しくて良い気分になれるのだが、夜ここを歩くことになろうもんならほとんど街灯もない道を延々歩くことになり、それは非情にこう言っては何だがめんどくさい。
「まったく、こんなとこにわざわざコンサートホールを建てんでもとは思うんだよねー。」
思わず口をついて愚痴が出てしまう。でも実際そうも言いたくなるくらい夜のこの公園の敷地は真っ暗なのだ。こんなとこほっといたらすぐに犯罪の温床になるだろうに。ま、防犯カメラくらいの対策はしてるか。
そんなことを考えながら歩いていると、後ろに何かの気配を感じた。振り向こうとした瞬間にソレは僕に話しかけてきた。
「ネエ、オンガク、スキ・・・?」
カタコトのその言葉に違和感を感じて振り向くと、そこには異形が立っていた。
「・・・は?」
言葉を失った。それは何かハチのような風貌をしていながら、それでいて人のようでもあった。最初は何かのドッキリかと思った。どこかでテレビのスタッフが隠れていて僕がおびえきった瞬間に駆けつけてくるのかと。しかし、次の瞬間。その希望はすぐに打ち砕かれた。それが右手に携えた槍のような何かが僕の左頬をかすめた。ジンジンとした痛みと共に、左頬に生温かい感触が流れ落ちてくる。
すぐに分かった。殺される。僕は今からこの何かに殺される。そう思った瞬間、僕は弾かれたようにその何かとは逆の方向に走り出していた。まだソレは追ってこない。
夜の公園を駆け抜ける。
「ヤバいっ!何あれ・・・!何あれ!?」
疑問が口をついて出てくるが答えなんて見つかるはずもない。必死に逃げる僕をあざ笑うかのようにソレは追いかけてくる。
「ブン、ブン、ブン・・・♪」
動き出したソレはご機嫌に歌いながらみるみるうちに僕に迫ってくる。伸びてくる右腕。どうにか回避しようと身を捩るが右脇腹を掠めていく。
「うぐっ・・・!!」
勢いのまま僕は倒れ込んだ。痛い。立ち上がれない。左頬と同じ生暖かいものが右脇腹を覆っていく。ソレはどんどん近づいてくる。
「オイケノマワリニオハナガサイタヨ・・・♪」
ああ、近づいてくるのはただの異形じゃない。“死”そのものだ。僕の命を刈り取ってゆく“死”が近づいてくるのだ。ああ、僕はこのままここで死ぬのか・・・?
そう思った瞬間、僕の心を走り抜けていったのは恐怖とはまた違う感情だった。
「死にたく・・・ない・・・。」
その感情を端的に表した言葉が口から漏れ出る。こうなったらもう止まらない。きっとこの時の僕の顔はとても人様に見せられたものじゃなかっただろう。涙と鼻水と血でぐしょぐしょになった顔で僕は想いを吐き出した。
「死にたくないっ!!僕は!!まだ!!死にたくない!!!まだ僕は夢のスタートラインにも立ってないんだっ!!それなのに!!こんなところでまだ僕は死にたくない!!!」
そう吐き出して立ち上がろうと地面に力を入れたその瞬間。ズッと地面に沈んでいく感じがした。
「え・・・?」
理解が追いつかない。今僕はどんな状態になっているんだ?そう思って手の方に目を遣ると僕の手は地面の中に、性格には地面に落とされた僕の影の中に沈んでいた。
「どういう、ことだ・・・?」
余計に理解が追いつかない。訳も分からないまま影の中で手をジタバタさせていると、右手に何かが触れた感覚があった。それは棒状の何かだった。もしかしたらパイプか何かかもしれない。目の前の異形を殺すまでは行かなくても何か打開策にはなるかもしれない、そう思って必死にその棒状の何かを掴む。
地べたに這いつくばったことで少しだけ体力が回復したみたいだ。その点だけは感謝しながら今度こそ体を起こす。すると、ズルッと右手と一緒に引き上げられた棒状の何かの正体が分かった。剣だった。夜の闇のように真っ黒な西洋式の剣が出てきたのだ。正直自分に振れるのか自信は無い。でも振らなきゃ死ぬ。その一念で剣を両手で握る。
すると次の瞬間、ソレもその剣に反応した。
「ヤッパリオンガク、スキナンダネェ!!!?」
興奮した様子のソレは一気に距離を詰めてくる。僕は必死に剣を振り上げて応戦する。ガツッと手応えを感じ、振り返ると異形の左腕が落とされていた。
「ギギギギギギギギギ」
更にそれは興奮の度合いを上げてくる。腕を落とされたことで昂揚から怒りへとシフトチェンジしたようだ。そして槍を携えた右腕をこちらに再び伸ばしてくる。さっきも思ったが、やはりこの腕は伸縮自在のようだ。
槍をどうにか剣の腹で受けるが、その衝撃で僕は後ろに吹っ飛んだ。公園の木に叩き付けられて一瞬呼吸が止まる。マズった・・・!また立てない・・・!どうにか呼吸を!!
そう思ったのも束の間、既にソレは僕の目の前にいた。今度こそ終わった、そう思って目を瞑った瞬間。彼はそこに立っていた。
「いやはや、この公園に何か感じて来てみたらやっぱりいるじゃないか。僕のカンは素晴らしいね。」
栗色の髪を揺らし、端整な顔立ちをしたその青年はそう自画自賛しながら異形の頭に何かを突きつけていた。銃かと思って目を凝らしてみると、それは指だった。
「オイタの時間は終わりだよ?」
そう異形に告げると、異形の頭がはじけ飛んだ。まるでピストルで撃たれたかのように。どういうことか分からない。目を白黒させていると、その青年が僕に近づいてきた。
「さてさて、今度は君の方に用がある。とりあえず、大丈夫?」
「これのどこを見てそう思うんです?」
「うーん、それもそっか!ごめんね!じゃ、まずは治療だね。」
そう言って青年はポケットからケータイを取り出し、どこかに電話をかける。
「あーもしもし?僕ー。面白い子見つけたんだけどケガしてるから連れ帰るねー。待って待って怒らないでって!ほんとに面白いんだって!期待して待っててよ!じゃあね!」
なんか不安な電話の内容だったけど電話を切ると青年はこちらを振り向き、
「よし、それじゃあ僕たちのアジトに行くぞー!」
「は?」
僕の了解も得ぬまま青年は僕を抱える。
「じゃ、しゅっぱ~つ!」
そのかけ声と共に急激に彼の影の中にとぷんと沈んでゆく。ちょうどさっき僕が剣を取り出した時みたいに。しかし、沈んだのも束の間。次の瞬間にはどこかの建物の一室に着いていた。
「よーしとうちゃ~く。ただいまー。」
そう言って彼が僕を下ろすと奥の階段からドカドカとものすごい足音が聞こえてくる。そして、
「なーにが面白いよ!!勝手に人増やすんじゃないわよ!!!」
「いだーー!!!!」
ものすごい剣幕で現れた少女が青年にドロップキックをカマしていた。金髪のドリルツインテにピンクのドレスを思わせる服を着た少女だった。だけどその姿を見て僕は失言をした。
「ビ○ケ?」
僕が昔読んでいた漫画のキャラを思い出してしまったのだ。
「だーれが50代に見えるって?」
「何でもないです。」
振り向いた彼女は鬼の形相をしていた。このままだとタダでさえ大怪我をしているというのに彼女に殺されかねないのでさっさと発言を撤回することにした。
するとさっきの音を聞きつけて軍服姿の男が降りてきた。
「何だ?またやっているのか?」
「まったく、おてんばで困っちゃうよねー。」
「アンタの所為でしょうが。」
「で、そこのが面白い子か?」
「うん1というわけで治療よろ~。」
「全く、仕方がないな。」
そう言って軍服姿の男はどこからか救急箱を取り出して僕のことを治療してくれた。
「これはあくまで応急だ。ホントだったらちゃんとした回復要員がいるんだが今は出張中でな。明日には戻ってくるからそれまではこれで我慢してくれ。」
「いえ、治療していただけるだけでありがたいです。」
治療が終わると青年が僕に話しかけてきた。
「さてさて、どこから説明しよっかな。っととまずは自己紹介だね。僕はリヒト。ここの集団、ノクターンのリーダーを務めてる。よろしくね!」
「はあ。僕は夜野奏です。」
「他のみんなの自己紹介はとりあえず後回しにして、まずは今日のこととこれからのことを話していかないとね!」
「ええ、お願いします。あの異形は一体・・・?」
「ま、そこからか。アレはオーパス。人間の音楽が好きだ、って気持ちを人間ごと食べて成長するバケモノさ。そしてオーパスにはそれぞれモチーフがある。今日のだったら蜂だね。」
「だからミツバチの歌を歌っていたんですね。」
「そーいうこと!」
「それなら次は僕の出した剣とか、あなたの最後にそのオーパスとやらを殺した力って何なんですか?」
「次はそこだね。君のも僕のも本質的には同じものとしてくくることができる。オーパスが糧とする音楽が好きという気持ち、それが限界まで高まることで発現する能力、僕たちは“ムジカ”と呼んでる。イタリア語で“音楽”って意味だね。そしてこのムジカを使える人間を“指揮者”と呼んでる。」
「ムジカ・・・。マエストロ・・・。」
正直理解が追いついていない。そんな僕の様子を察してか、リヒトというこの青年は僕への話を転換させた。
「ま、いきなり全部理解して、っていうのも難しいだろうからさ、ここまでが今日の話。そしてここからがこれからの話。君、えっと奏、で合ってるかな?」
「ええ。」
「君さ、僕たちの仲間にならない?」
「・・・は?」
正直、衝撃の提案。僕がこれから彼らの仲間?全く何を言っているのか分からない。仲間と言ったって何をすれば良いのか分からない。まさかあのバケモノと戦えとでも言うのだろうか?
「ま、妥当かしらね。」
「そうだろうな。」
後ろの2人もうんうんと頷いている。なんで勝手に話が進んでいるのだろう。僕の意志は全く尊重されないのだろうか。
「待ってください!今日のことでさえまだ頭が追いついていないのにあなたたちの仲間になれと言われても!」
「頭が追いついてないからよ。」
反論する僕の言葉を少女がぴしゃりと切る。
「アンタは今日ムジカ能力を発現した。発現してしまった。アンタが状況を理解できているできていないに関わらず。つまりこれはアンタの音楽が好きだって気持ちがより純粋でより高い形に昇華されたってこと。そんな気持ち、オーパスは大好物よ。」
「・・・!」
「今のアンタを元の生活に戻したら一週間と保たずオーパスの餌になる。だからここでアタシ達と一緒にオーパスと戦いながらオーパスやムジカ能力への理解を深めていくの。そうすればいつ戻ってもオーパスに対抗できるでしょ?」
「おや、僕の言いたいことを全部言ってくれちゃったね。」
「・・・。」
「なーにー?まだ不満があるっての!?」
「いえ、言葉をかみ砕いているだけです。あなた方の言いたいことは理解できました。そういうことであれば僕もあなたたちと一緒に行動させてください。」
「うん、よろしい!」
少女は満足げに笑う。
「あ、でもアンタアタシ達と一緒に行動するってことはここに住み込むってことよ?家の人とか大丈夫?」
「ええ、僕一人暮らしですから。それにここなら・・・」
周りを見渡すと一台のグランドピアノが置いてある。
「練習場所にも困らなそうですしね。」
「???」
全く、とんでもないことになったものである。コンクールの帰りにバケモノに襲われたと思ったら、変な力に目覚めて、同じ力を持つ人たちに助けられてその人達と一緒に行動することになった。生き残ったはいいものの僕は本当に夢を追いかけられるのだろうか。一抹の不安はあるけれど、必ず、きっと、大丈夫。そんな根拠のない安心感が今の僕の胸を満たしていた。