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(5)お兄ちゃんは鬼じゃない!

 ……地名のアナグラムとか、身内には分かってしまうなぁ……。

 私が小学五年生の頃に、父が居なくなった。

 初めは何の事か分からなくて、いつもの様に出張に行っているのだと思っていたけれど、いつまで経っても父は帰って来なかった。

 そして母が笑わなくなった。


『お父さんは、ちょっとダンジョンに行ってはるんよ。そういう事にしておきましょう?』


 何だか妙な言葉だとは思ったけれど、その時は頷くしか無い空気が漂っていた。

 兄はとても怖い顔でそんな母を睨んでいて、その日から考え込んでいる事が多くなった。


 どんどん減っていく家の中の物。お母さんの作るご飯は美味しいけれど、外へ食べに行く事は無くなった。

 母は家の中で仕事をする様になり、何をしているのか分からないけれど、いつも忙しくしているのは私にも感じられた。

 何だか良く分からない内に私は六年生になり、兄は高校生になっていた。


 そして高校生になった兄は、家族の誰とも相談せず、その日の内にダンジョン探索者に登録していた。

 その日は兄と母が大喧嘩をしていた事を憶えている。


 ダンジョンは危ない所。父が潜ってそれから帰って来なかった場所。

 だから、絶対に母が勝つと思っていたのに、何故かその母の方が折れて、ずーっと恨みがましい目で兄を見ているのを私は隅から眺めていた。

 それは絶対におかしくて、私は兄を問い詰めたのだ。


『お兄ちゃんは、何か知ってるんやろ!? もう何にも分からへんのは嫌や!!』


 そう言って、どうにもならない身の内の衝動を持て余してしゃがみ込んだ私の頭を、兄は随分と長い間抱え込んで宥めていたが、そうしてかなりの時間が経ってから、漸く私にも教えてくれた。


『みゃーちゃんは、父さんが製薬会社――お薬作る会社に勤めてたんは知ってるか?』

『え、うん。お母さんがそう言ってた』

『でもな、世の中にダンジョンが出来て、色んな種類のポーションで怪我も病気も治ってしまう様になってしまったらな、誰も高いお薬なんて買ってくれへんと思わんか?』

『そ、そうや! 買ってくれへん!?』

『まぁ、実際はそんな単純なもんとはちゃうやろけどな。父さんも危機感を強めてポーションの研究をしなければ、って思ったらしいんやけど、会社の人らは違うかったらしいわ。ダンジョンの事なら海外は十年以上先に進んでるんやから、まずは情報集めてからとか考えてたみたいやな』

『ふぅん……?』

『でも昔から父さんって人の話聞かへんやん。何を考えてたんか知らんけど、勝手に会社のお金で外国からポーション買い付けて、それや足らんからと家のお金も持ち出して、更に借金までして……。言ってみれば泥棒やな。で、実際そうして手に入れたポーションも、スキルの『錬金』使ったら作れる上に、相場も父さんが買った値段の十分の一以下と分かった途端に父さんは行方を眩ませたんや。母さんはダンジョンに潜らはったとか言ってるけど、俺はそうは思わん。借金残して逃げた最低の卑怯者やな』


 兄の言葉は、ずっと疑問に思っていた諸々の状況に、ぴたりと答えを与える物だった。


『何、それ。……何やの、それって一体何なんよ!!』


 前のめりになった私の拳が地面を突いた時、ピシリと何かが軋む音がした。

 兄が少し焦った顔で、私の腕を両側から抑え込んだ。


『みゃーちゃん、それはあかん!』


 私は表情を固めて、目だけで辺りの様子を窺った。

 誰にも見られていなかったと確かめてから、兄と二人でほっと息を吐いた。

 微妙な眼差しで私の突いた地面を見ながら兄が言う。


『あかん。――みゃーちゃん、それはあかんねん。只でさえみゃーちゃんの力は危ないから、コントロール出来へんと思われるのだけは絶対にあかん』

『……うん。――でも、本当にまだ誰にも言ったらあかへんの? ダンジョン出来てから、あびりてぃ? 持っている人も居るってもう分かってるやん。お母さんにも言ったらあかんの?』

『そうやなぁ……。母さんには言わんとあかんやろな。でも、今は母さんもピリピリしてるから、暫く間を開けんとあかんやろな』

『…………うん』

『それまでにみゃーちゃんは、ちゃんと力をコントロール出来る様に特訓せんとな! みゃーちゃんの力で軽く『罅』を入れだけでも、下手をしたら人は死ぬんや。そうなったらみゃーちゃんは檻の中に閉じ込められて、俺とか母さんとも週に一回ぐらいしか会えへん様になって、いつも怖い目付きのおっちゃんに付き添われる事になるかも知れへんねんで?』

『それは嫌や!』

『なら、特訓頑張らんとな!』


 私は、物心付いた時から一つの力が使えていた。

 物に『罅』を入れる力だ。

 幼い頃には馬鹿力のみゃーとか言われたりもしたけれど、兄にそれを知られてからはこの力の事は誰にも秘密を約束させられている。最初はどうしてと思ったけれど、今は兄が居なかったならと思うと体に震えが走る気持ちだ。

 きっと友達との喧嘩で骨を砕いていたし、もしかしたら兄の言う様に誰かを死なせていたかも知れない。

 それを思えば私は兄に感謝しか無い。


 兄は物分かりの悪かった当時の私にも辛抱強く付き合い、自分の小遣いで大量の型抜きを買ってきたり、何処から手に入れてきたのか女の子用の可愛いプラモデルを持って帰ってきて、遊ばせながら私に訓練の大切さを教えてくれた。

 型が割れてしまったり、プラモデルのプラスチックが抉れたりすると兄は言うのだ。


『あー、今みゃーちゃんの友達の指が折れたわ』

『今のは母さんの足の指やったかも知れへんな』


 そんな言葉を聞く度に、私は首を縮めて猛省した。

 それが今の私の糧になっている。


 結局母にアビリティの事を話したのは、それから二ヶ月程後、五月の終わりの事だった。

 母が、『みゃーちゃんもやの?』と呆れた様にしていたから、そこで初めて兄もアビリティ持ちなのだと知る事になった。


『な、何で言ってくれへんかったんや!?』

『そりゃ、みゃーちゃんがうっかり口を滑らしたりしたらあかんからやん』


 酷い兄だった。

 しかも、そんなにして家族にまで内緒にしていたのに、ダンジョンに今一緒に潜っている人達には明かしてしまっているというのだ。


武士(たけし)さん達は、う~ん、何て言うかしつこぉてな。善意で絡んで来る人達に、あんまり邪険にも出来へんくて、ソロで潜ってる理由付けにアビリティの事を明かしてしもたんやわ。そこは軽率やったし、明かしたんが武士さん達でほんまに良かったとは思うてる。

 でもまぁ、俺の力はそんなに危ないもんでも有らへんしな!』


 そんな訳で母には私のアビリティを話してしまったけれど、それで何かが変わる訳では無かった。私はまだ小学生でダンジョンには入れなかったし、『罅』を入れる力が有っても日常生活では役に立たない。

 兄に言われて大切な物を選別しながら、きっと来るだろう引っ越しの日に備える毎日。

 でも、それがどれだけ得難い毎日なのか、私は半年後には理解してしまった。


『え? みーちゃん、お引っ越しするの?』

『うん、転校はせえへんねやけど』

『近くなん? 何処?』

茂賀名台(もがなだい)出た山ん中。周り何にも有らへん』

『でも、何で?』

『……何か、お父さんが借金残して行方晦ましたから、ローンとか厳しいねんて』


 私にとっては一年前の話で、半年前には事情も分かって、私としては受け入れるしか無かった事実。友達に嘘を吐くのも嫌だったから、軽い気持ちで口にした言葉だった。

 でも、それから直ぐにその友達が余所余所しくなった。

 二ヶ月が過ぎる頃には、他の友達も私が来ると席を立つ様になった。

 そして、事有る毎に何故か私を悪者にして始まるいびり。詰問。嫌がらせ。

 それが小学校卒業まで続いた。


 これが、兄が『罅』の力を隠しておく様に言っていた理由だったんだと、私は冷静に理解した。

 理不尽な日々は、兄がダンジョンで怪我をして帰ってきた事から其れ処では無かったし、異物と見た相手へのこの変化も幼い時から予習済みだ。

 だから、ただただ哀しかった。

 私には本当の友達なんて居なかったのだと。


『な? 今なら分かるやろうけど、母さんって凄かってんで』

『うん。お母さんは何にも変わらへんかった』


 まだ少し薄いけれど、髪も眉毛も剃られた様になっていた兄の姿も元に戻り、そんな兄と話をする僅かな時間に私は幸運を噛み締めた。

 毎日ダンジョンへと潜っている兄だから、話が出来る時間はとても貴重だ。

 私は以前にも増して、兄が居る時には兄に付いて回る様になっていた。


『お兄ちゃん、何処へ行くん?』

『お兄ちゃん、もう、今日は早く帰ってきてや!』

『お兄ちゃん、一緒に畑に行こ?』


 そんな感じで。

 でも、中学校に入ってからは、随分と息をし易くなったと思う。

 住宅地の外へ出れば山や畑の広がる場所だから、新しいクラスメートには農家の子もかなりの数が居て、そういう子達にとっては嘗ての小学校の友達だった筈の子等は敵だった。諦めてしまった私とは違って、かなり厳しくやっつけてくれた御蔭で、今の私の平和が有る。

 でも、昔の友達との間は、完全に分断されてしまったのだろう。


『へぇ~、みーちゃんは探索者になるんかぁ』

『うん。お兄ちゃんが探索者になったし、一緒に探索出来ればなぁって』

『でも危ないやん』

『うん。だから今から体鍛えとこって思ってる』

『ふ~ん……じゃあ、犬とか欲しい?』

『え?』

『わんこが居たら問答無用で体鍛えられるで? それがいいわ! 丁度(うち)のハナがまた子犬産んで貰い手捜しとってん』

『ま、待って待って!? うち昼間は誰も居らんし! お隣さんにも聞かへんと!』

『ええ返事期待してるで~』


 突然の話に吃驚しながらも、母や平屋の皆に相談したら、思いの外に受けが良かった。


『みゃーちゃんの好きにしたらええよ』

『犬か。良いのぅ。成る程、儂に足らなんだのは犬だったんじゃな』

『残飯なんかは毎日出るから、処理する手間が省けるね』

『うむ、猪の内臓もちょいと処理に困っておったわ』

『実家やと犬を飼っとったから、頼ってくれても構わへんで』

『子犬で貰て来るんやろ? 楽しみやわぁ』


 因みに兄には事後報告だ。こればかりは仕方が無い。

 貰ってきた子犬は、ヨゼフと名付けたがる春蔵爺さんを抑えて、私がペルと名前を付けた。

 母がパートへ行き、兄がダンジョンに通い、殆ど代わり映えのしない毎日の中で小さかったペルがどんどん大きくなっていく。

 兄は私が貰ってきたのだから、私が責任を持って育てないとと言っているけど、平屋の皆で育てた皆のペルだ。


 私の平屋での仕事は、ペルの散歩と畑の手伝い。畑では序でに転がる岩も『罅』で砕いて、その御蔭でこの辺りにはもう大きな岩も無い。冬になる前には薪割りも手伝った。やっぱり『罅』が大活躍で、それから薪割りも私の仕事になった。

 そんな私のお小遣いは、専らお兄ちゃんから貰っている。私が中学二年になる頃には、兄もそこそこダンジョンで稼いでくる様になったのに、母がそのお金を受け取らなかったからだ。

 それで買ってくるのが野菜の育て方や空手の本なのはどうなのかと、兄は詰まらなそうにしていたけれど。

 兄の御蔭で一度は家から消えていたミシンも復活して、手直しだけでは限界だった私の服も新しくなった。兄は『装備やって買うと高いねん』なんて言っていたけど、きっと色々見越していたに違い無い。

 そんな大好きな兄の話をいつもしていたから、こんな失敗も為出かしてしまうのだ。


『おに……お母さん、今日のご飯はどうしよっか?』

『おに……お母さんもペルのお散歩一緒に行く?』

『おに……お母さん、畑に今日のお野菜採りに行ってくる』


 その日は、一体何の話をしていたのかは忘れてしまったけれど、夜布団の中で母に話し掛けようとして、いつもの様に『おに……お母さん――』と、頭に「おに」を付けて呼んでしまった。


『誰が鬼お母さんやの?』


 そして聞いた事の無い冷たい声が返ってきた。

 ひっ、と声を詰まらせてしまった私だけれど、その時同時に思ったのだ。兄こそ鬼じゃ無い。兄に鬼と言ってはいけないって。

 それから色々と試してみたけれど、「兄さん」だけは何故か気恥ずかしかった。顔を隠して身悶える感じ。


 何か兄と話をしたら安心出来たし、兄も三太さん達と話をしてから感じが柔らかくなったし、兄に散髪もして貰ったし、久々に一緒にご飯も作れたし、母とも仲直り? ――出来たし、この所苦労していたのが漸く何だか良い方向に転がり出した様な気がして、何だか嬉しい気持ちで一杯だった。

 そんな矢先に――


 ――ダンジョンに籠もると言っていた兄が、十日経っても戻って来なかった。



 実は兄がダンジョンに籠もって三日目には、兄のご飯を母が用意していると打ち明けられたから、兄の無事はそれで確かめる事が出来ていた。


『兄さん、ちゃんとご飯食べてるんやろか』

『え? ふーちゃんのご飯はお母さんが用意してるで?』


 私は兄のアビリティが、兄の知らない筈の物まで呼び寄せられる力とは思っていなかったから、その言葉に呆れて、そして納得した。

 食べ物さえ用意出来るのなら、確かに何日だって泊まり込み出来そうだ。

 でも、十日間。流石にちょっと長過ぎるのでは無いだろうか。


「なぁ、お母さん、兄さんまだ帰ってこーへんのかなぁ」

「さぁ、どうやろなぁ。ひょっとしたら夏休みの間中潜ってるつもりかも知れへんで?」

「もぉ~、折角の夏休みやのに……」


 目の前で兄用のご飯の皿が消えるのを見送りながら、私は母さんにぼやいた。

 母が居るのは、どうやらこの夏休みの間は、パートも半日シフトだかららしい。

 それは元から夏休みの間は、アルバイトをしたいという高校生が多いからだそうだけれど、夏休みが終わってからも半日シフトを続けたいと、店長には言っているみたい。

 私の相手やご近所付き合いも大切だと、反省した結果だと母は言っている。借金が有るのに大丈夫なのかと心配もしてしまうけれど、単純に母が家に居るのは嬉しかった。


「ほら、今日はペルをペルママに会わせたげるんじゃなかったん?」

「うん。――そうやな、行ってくる!」


 元より兄はダンジョンに籠もると行っていたのだから、無事で有る事さえ確かなら、後はもう仕方が無い。

 私は家を出るとペルの首輪に紐を繋げて、もう何度目かになる友達の家へと向かうのだった。


「ペル~、走ったあかんよ~」


 何て言いながら、きりっと顔を前に向けたペルを連れて、新興住宅地である茂賀名台を迂回する様に北へと向かう。私達の平屋が在る南側には古いお寺が多くて、北側には田畑や新しいお寺が多い。そしてダンジョンが有るのも北側だ。

 てくてく歩いて一時間半、これも周りを林に囲まれた、古くて大きな木造家屋へ辿り着く。

 入り口の門から顔を覗かせると、玄関の前で友達になった明日花(あすか)が、お芋に付いた土をブラシでもって落としていた。


 ワン! とペルが鳴いて、明日花が私へ向けて顔を上げた。


「お! みーちゃん、来たな! お母さん~、みーちゃん来たから上がってもいい?」

「もー、しっかり片付けなさいよ!」

「わかったー」


 手伝う間も無くささっと片付けるのを見送って、少し気になった事を聞いてみた。


「お芋って土を落とした方がええん?」

「な訳無いし。売り物にするから軽く土を落としてるだけで、里芋の土を態々落としてたら直ぐ悪なるわ。――おお~、ペル大きなったなぁ。ハナより断然大きいわ! ほな、ハナんとこ行こか!」


 それから明日花と一緒にハナとも少し遊んだけれど、私が聞くのが畑や野菜の事ばかりだと、明日花は少し呆れ気味だった。

 でも仕方が無い。実茂座さんも頑張っているけれど、平屋の皆に農家をしていた人は居ない。土だって、里芋に付いていた様な、あんな黒い色はまだまだしていないのだから。


 明日花は大きな柴犬になったペルが嬉しいのか、ずっとわしゃわしゃとペルを撫で繰り回したりして楽しんでいた。

 帰りにはお芋や野菜を袋に一杯貰ってしまって、嬉しいけれど大変だ。ここから帰りは一時間半。でも、ダンジョンに寄りたいから、きっと二時間以上掛かってしまう。


「有り難う! 今度、兄に頼んでお礼にポーションでも持ってくるな」

「ええって、ペルをこんな立派に育ててくれたし。でも、貰えるんなら助かるけどな!」


 学校で助けてくれた事も有るけれど、にかっと笑う明日花は格好いい。

 でも、いつまで友達で居られるのかは分からない。

 私は小学校の友達ともずっと友達で居たかったのに、ちょっと口を滑らせただけであんな事になってしまったのだから。


 明日花と別れて、再びペルと道を行く。

 少しでも楽になる様に、重い袋の手提げ部分に腕を通してリュックの様に背中に背負って。


 ダンジョンの有る山の中腹には、元々神社が建っていた。そこ迄は車も通れる九十九折りの道路が有って、けれど私はそれを貫く階段を登ってきた。正直言ってもう動きたくない。ダンジョンはその境内の外れに出来たと聞いていたけど、人の流れを見ると何処なのかは直ぐに分かった。神社の中へ入っていく人も多いけれど、どうやらダンジョンへ潜る前、そして潜った後の願掛けをしているらしい。


「疲れたぁ……」


 神社の入り口を行き過ぎて、そこそこ歩いた所にダンジョン管理部の建物が建っていた。その入り口の脇に背中を預けて、地面へとへたり込んだ。


「ペル大丈夫?」

「クゥ……?」

「ま、ペルは大丈夫やな」


 ペルをわしゃわしゃしてから再びぐでっと壁に背中を預ける。

 此処まで来るのにも結構時間が掛かったから、太陽も大分水平線へと傾いている。きっともう六時頃だろう。


「帰ったら怒られるかなぁ。ペル、帰りは荷物持ってくれへん?」


 無茶を言ったら、その場でペルが丸くなった。

 建物から出て行く人達は、大剣でも振るのが似合いそうな厳つい人も多いけれど、兄の様に普通の高校生に見える人も多い。大体の人が着替えているけれど、鎧を着たままの人も居て、どうにも不思議な光景だ。

 でも、耳を澄ませば喧噪が聞こえてくるのは想像通りか……な?


「おい! そいつはまだ出て来ないのか!!」

「……」

「全部そいつの所為だろう!? ポーションはもう無いんだぞ!!」

「……」

「何だと! 私が悪いとでも言うつもりか!!」


 ……ちょっと冷や汗。声の大きい人の言っている事しか聞こえないけれど、兄は今日も元気に潜っているままらしい。

 兄と一緒にご飯を作っていた時に、三太さんと話しているのを聞いていただけだけれど、多分間違ってはいないだろう。どうやら兄はこのダンジョンでのポーションの需要を、一人で満たしていたらしいから。


 そんな事を考えながら、風に吹かれるままに現実逃避していると、その私の前に興奮した女の人が座り込んだ。


「こ、このわんちゃんは、あなたのでしょうか」


 美人さんだ。多分大学生くらい。

 「うん」と頷くと、手をわきわきとさせ始めた。


「撫でてもいいでしょうかね!?」


 ……少し残念な美人さんかも知れない。


「ペルが嫌がらなければ」


 おお、と顔を輝かせる残念美人のお姉さん。ペルはすっと立ち上がって胸を反らして澄ましているから、撫でる事に問題は無い。


「す、凄い、でっかい柴犬、うぁぁ……」


 きゃー♪ って感じじゃ無くて、うへへへへ、って感じで微妙。

 そしてわしゃわしゃしているそんな残念美人に、パーティの人らしい大柄な男の人と、細マッチョな男の人、少し遅れて小柄でスポーティな格好をした女の人がやって来た。

 残念美人のお姉さんと同じで、皆でっかいリュックや鞄を背負っている。


良枝(よしえ)ぇ、何してるんだ?」


 声を掛けてきたのは大柄なお兄さん。

 残念美人のお姉さんは、良枝(よしえ)さんというらしい。


「こ、この子、凄いの! 柴犬ってこの半分位の大きさなのに、でっかくって、可愛くって凜々しいの!」

「いや、柴犬じゃ無いんじゃね? 秋田犬とか。なぁ、この犬は?」


 聞いて来たのは細マッチョなお兄さん。

 口調は軽いけれど、落ち着いた感じで、ちゃらい感じは全然しない。


「雑種」

「ザッシュか! いい名前だな」

「……じゃなくて、雑種の犬で、名前はペル」

「そ、そうか、ペル、ペルな! ……ペル?」


 大柄なお兄さんもそうだろうけれど、多分このお兄さんもいい人だ。


「それよりもう帰ろうよ。ほら、良枝(よしえ)も行くよ!」

「ま、待って、私もペルって名前に心当たりが……!?」

「行~く~よ~」

「ああー、ペルちゃん! 美咲(みさき)ちゃんの意地悪!」


 私も、良枝や美咲という名前を聞いた事が有るなぁと、ぼんやりと考えていた。


「済まんな。嬢ちゃんは散歩か? この辺りも直ぐに暗くなるから、早く帰った方がいい」

「ううん、兄がダンジョンから戻ってこーへんから、待ってるねん」

「そうか。だが探索者をしているのには乱暴者も多いから気を付けろよ」


 そう言って手を振って去って行ったのに、結構行った先で細マッチョなお兄さんが立ち止まる。何だろうと見ていると、細マッチョなお兄さんが駆け戻って来た。腰を落として前屈みになって、ピシッと鉄砲の形にして、私に指を突き付けて来た。


「みゃーちゃんじゃね?」


 呼ばれて漸く私も気が付いた。

 ピシュッと指を鳴らして私もお兄さんに指を突き付ける。


健太(けんた)さんじゃね?」

「……実は帰りたいけど疲れてへたばってた?」

「正解!」

「みゃーちゃん確保ぉ!!」


 細マッチョな健太さんに捕獲された。

 と言っても、お姫様抱っことかそういうのでも無くて、横に水平に出した左腕に座らされている。


「荷物はこれだけ?」

「うん」

「よし、じゃ、ペル行くか!」

「行くかじゃねぇ!」


 戻って来た大柄な、多分武士(たけし)さんに頭を(はた)かれて、私の横でいい音が鳴った。


「何をしているんだ、何を!」

「いや、こいつみゃーちゃん」

「みゃーちゃん? ――風牙のっ!? ……こんな所で話す事じゃ無いな。みゃーちゃんはいいのか?」

「うん」

「じゃあ、行くぞ!」


 先程よりもそそくさとダンジョン管理部の建物を後にする健太さん達。

 何だろう。兄から聞いていたとは言え、初対面なのにそんなに警戒心が湧いてこない。きっと兄が大感謝していたのを知っているからだろうと思うけれど、実際に会ってみて、健太さん達だと分かる前から、やっぱりいい人達だと思っていたのが大きかったのだろう。

 それが分かっているからか、ペルも全く警戒していない。今も健太さんに――いや、健太さんから引き紐を奪い取った良枝さんに大人しく従って、胸を張って歩いている。


「……済まんな。今は彼奴の関係者が管理部に近付くのは面倒そうでな」

「ポーションが無いとか言うてたけど、やっぱり兄の影響やってんや」

「聞けば自業自得だがな」


 武士さんがそう言うという事は、経緯や何かは結構広まっているらしい。


「風牙が今日戻ってくるとしたら面倒事になるんじゃね?」

「多分戻ってこーへんから大丈夫」

「なら、どうして彼処に来てたのさ」


 興味無さ気な美咲さんも、本当に興味が無い訳では無いみたい。


「無事とは知ってても、十日も帰ってこーへんかったら心配になるやん」

「無事なのは確かなんだな」

「ご飯はちゃんと食べてるみたいやで」

「……例のアビリティか。成る程な」


 兄が言っていた通り、兄のアビリティを知っているのは、隠し事をしないで済む分会話が楽だ。


「因みに管理部は生存を絶望視していてな。ボロップを食べるつもりだったらしいなんて情報は入っているが、あれは直ぐドロップ品になるから素材なんて手に入らない。今は安全地帯で餓死するのを待つだけの状態になっているのではなんて言われている」

「それであの調子だから、総好かん食らってるわ。近い内に首が挿げ変わるんじゃね?」

「無事なら帰って来るのは十日は後にした方が良さそうね」

「お母さんとは、兄はきっと夏休みの間中潜ってるつもりや無いかと話してる」

「……ポーションの調達は大変だけど、その方がいいかもね」


 早足で一足先に麓まで下りていた良枝さんは、そこでペルを心行くまでわしゃわしゃしていた。


「所で家は近くなのか?」

「う~うん、二時間ぐらい」

「……送ろう」


 家までも送って貰える事になった。大助かりだ。

 武士さんのバンに案内されると、リュックを後ろに入れた良枝さんと美咲さんが最後列に潜り込んで、真ん中の席にペルを入れてから私も乗った。


「家は?」

「茂賀名台を抜けた北。其処からは案内せぇへんと分からんかも」


 二時間掛かった道程も、車で行けば一瞬だろう。

 車の時計を見ればまだ七時前。どうやら怒られずに済みそうだった。


「知っているかも知れんが、竹田武士(たけだたけし)、二十六歳だ」

倉持健太(くらもちけんた)、同じく二十六」

志賀良枝(しがよしえ)。でももう直ぐ竹田良枝になるわ。私達三人は元同じ大学生だったの」

「倉持美咲。妹で二十二歳」

「風牙(にい)の妹で雅。中学二年生」


 今更ながらの自己紹介。

 健太さん達が四十階層の攻略に乗り込んでいるとか話は聞いたけれど、私には兄が五階層のボスで梃摺っていることしか判断基準が無いから良く分からなかった。海外でも最前線は七十とか八十階層らしいから、十年出遅れていると言ってもそこ迄差は無い様に思えた。


 そんな事を話す内にも、茂賀名台を抜けた場所で脇道に下りて、農道みたいな道を暫く走って、森に入る手前に設けられた駐車場へと辿り着く。


「ここでいいです。今日は本当に助かりました。有り難うございました!」

「いや、待て待て、ちゃんと送るから」

「私はお腹が空いたけど」


 お腹を押さえる美咲さんを無視して、皆が付いて来てくれる。

 ペルの引き紐も外してしまえば、ペルも嬉しそうに行ったり来たりと駆け回るのだった。


 森の外ならまだ明るいけど、森の小径(こみち)は真っ暗だった。私とペルは目が慣れていたけれど、良枝さんがカンテラを取り出して灯りを点けると、辺りを昼間の様な光が照らしだした。

 但し、それは五メートル先まで。五メートルから先へ行くと、そこには元通りの暗闇が広がっている。

 私は微妙な顔で良枝さんを見上げるのだった。


「カンテラが無い方が歩き易そうだな」

「うん……ごめん」


 カンテラが仕舞われると、再び森の暗闇が迫ってきた。目が慣れるのに時間が掛かりそうだ。


「今のは?」

「魔石で動くカンテラだな。ダンジョンの中は明るいと言っても、所詮(たいまつ)の灯りだ。だが――」

「――見ての通りカンテラは役には立たない」

「良枝は何かの為って取っておいてるけどね」

「……家の灯りには便利そう」

「作業するのにもな! でも探索ではなぁ」


 そんな事を喋りながら歩く内に、今度こそ平屋へと着いた。

 道中含めてちょっと絶句していた健太さん達を、柵の閂を外して中へと誘う。


「柵は平屋の爺ちゃんが立てた。――ただいま~、遅なって御免~」

「ああ、お帰り。ご飯はもう直ぐ――おや、武士君やないか。どうしたんや?」

「ダンジョンで会って送って(もろ)てん」

「へぇ~、そりゃ丁度ええわ! 武士君らもご飯食べてきや! 風牙君の恩人やって聞いてるから、遠慮なんて要らへんで!」

「いや、突然お邪魔してそれは――」

「構へん、構へん。猪肉(ししにく)が全然()けおらんで、このままやとペルが腹を壊してたところや。ええからたんとお上がりや」


 そういう訳で、健太さん達は恐縮して、良枝さんは使命に燃えて、美咲さんは嬉々として、ご飯を食べて帰っていった。

 帰る時には、何だか全員満足気にしていたのだった。


 母の分と多目に分けて貰う時に、兄の分もお皿に装う。それを家に持ち帰って、暫くしたら兄のお皿が消え失せる。兄は今日も元気らしい。

 兄が戻って来た時に直ぐに遊びに行ける様に、私は宿題に手を付ける。

 それが何時になるのか、私にもさっぱり分からなくなっていた。


 そして十日が十五日になっても、兄はちっとも帰ってこない。


「帰ってこーへんなぁ……」

「元気にはしてはるから大丈夫やって」

「そんなん言うても、実際どうか分からへんやん。手も足も出ぇへんくって、安全地帯にずっと籠もってるんやったらどうすんの?」

「そんな感じや無かったで。ちょっと前迄は暢気にシチューが食べたいとか言ってたし、今は指輪がどうとか良く分からん事言ってるで?」


 母が普通に口にしたから、うっかり聞き流しそうになってしまった。

 でも、何かとんでもない事を言っていると、私も流石に気が付いた。


「ちょ、ちょっと待ってや!? お母さんお兄ちゃんと連絡取ってんの!? お母さんも実はアビリティ持ちなん!?」


 うっかりすると、お兄ちゃんと言ってしまうけれど、今はそれを気にしている時じゃ無い。

 でも、母はきょとんとしながら何でも無い事の様に言い放った。


「何言ってんの? 冷蔵庫に貼ってあるやん」


 慌てて冷蔵庫の扉を見に行けば、其処には八枚の付箋が貼り付けてあった。


“シチューがいい”


“何か困ってる事無いか?”

“うんこが臭い”


“どう、順調?”

“指輪が全然合成出来へんねん! 後少しやのに!!”


“指輪って何の事? 指輪が抜けへん時はサラダ油を塗るのがええよ?”

“何を訳の分からん事言ってんの!!”


“ご飯は足りてるか?”

“トイレットペーパーまた一つ貰うで。ご飯は足りてる。美味しい”


“あんな、みゃーちゃんがもう宿題終わらしたで。凄いやろ”

“ちょっと集中するから暫く手ぇ抜くで”


“みゃーちゃんにおめでとうは無いんかー?”

“無事”


“おーい、ちゃんと返事してー”

“無事”


 八枚の付箋を全部読み上げて私は沈黙する。


「みゃーちゃん気付いてへんかったん? ペットボトルの水用意する時に、途中から付箋貼って送っててんで? あ、一回目は直接ペットボトルに書いたら、ペン付けて送ってって言われてん」


 母が暢気に何事かを言っている。

 それが私の導火線に火を付けた。


「もう、もう、もーーー!!! 何でこういう事黙ってんの!! あかんやろ!! うちが心配してんの知ってんのに、何でこんなんするんやなーーー!!!」

「えー? ええー?? 知ってるって思うやん」

「分かる訳有らへんわ!! もう、お母さんあかん!! お母さんあかんねんからな!! 付箋!! 付箋どれや!! 書かなあかん事一杯有んねんで!!!!」


 母から付箋を奪い取って、其処に兄へのメッセージを書き連ねていく。

 一枚目では済まなくて、小さな字が二枚目も埋めるまで。


 余り書き過ぎて煙たがられるのは嫌だとの、そんな気持ちが働いたから、何とか其処で書き止めた。

 でも、本当はもっともっと話したい事は色々有る。


 兄が無事だったのをはっきりと知れたのには心の底から安心した。

 でも、兄と会えない日々が続くのは、私には堪らなく寂しかったのだ。

 初めは雅がお兄ちゃんが帰ってこないと管理部に怒鳴り込む予定やった。けど、そこ迄気がつかへんてことあらへんなぁって思ってな?

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