(3)ボス攻略の前日準備
地の文まで関西弁にすると滅茶苦茶になりそうだからそれはやめたけれど、逆に混乱の元やったやろか?
俺の高校の今年の夏休みは、七月二十四日から。
その前日は、倫理と夏休みの注意事項と安全と性教育がごっちゃになった授業が有って、その後は配布物を配った後に終業式をして終わり。
先生がやけに熱心に夏場の海で起こる間違いがどうとか、騙して良からぬ事をしようとする輩の手口だとか、避妊をしなかった末の顛末だとかを言っているが、そういう類の青春とは全く以て無縁だったなぁと染み染み思う。
だが周りを見渡しても、多かれ少なかれ浮ついている同級生ばかりなのはどうした事だろう。人生を謳歌している様な探索者組とは違って、進学組は少なくとも講習ばかりと聞いているのに。
と、そんな事を考えてしまうのは、高校三年の夏にもなって、俺が此奴らと馴染めなかったからなのかも知れないけれど。言ってみれば、俺も妹と同じだったという事だ。どうしても、他とは向いている方向が違う様に、何処かで感じてしまうのだ。
高校に入ったばかりの頃はそうでも無かった。俺と同じく探索者を目指した者は多く居て、何度か一緒にダンジョンに潜った事も有った。しかし、そんな仲間も結局は週末だけの探索者で、毎日潜っていた俺はそこで武士さんに拾われて、そこから溝は広がって行った。
でもその時の仲間も、戦闘系のスキルを手に入れられなかった者は、結局今では進学組だ。それを思えば武士さんに拾われた俺は、この上無く幸運だったに違い無い。
積立金が必要な社会学習や修学旅行には参加せず、放課後に遊びに誘われても何時も断っていた俺は、何時の間にかすっかりクラスの中で浮いてしまっていた。それを煩わしくなくていいと感じてしまう所なんかが、きっと俺や妹の問題なのだろう。
自分でもそれは分かっている。俺は学校での関係を切り捨てて、何かを得ようとしているのだ。
でも、得られるそれが何なのか、俺にもまだ分かってはいない。
学校に居る間も、魔力を放って収めての繰り返し。握る鉛筆にも魔力を通して、きっと書いているのが魔法陣だったなら、今頃何かが起きている。そんな毎日を二年続けた結果が、魔力を通しているというそもそもの感覚や、索敵の実現、ステータスに現れる素の魔力や属性だったというのならば、これにもきっと意味は有る。もしかしたら、海外含めてまだ誰も為し得ていない事をしようとしているのかも知れないなんて夢想しながらも、ちゃんと手応えを感じる様になってきたのだからやめられない。一筋も存在しなかった筋肉や神経が、漸く一筋繋がった様な、そんな気持ちがするのだから。
「よし、これで授業は全部終わりだ!」
「「「やったー!!」」」
「待て、これから配布物を配るぞ! それが終われば十一時までに体育館に集合! 終業式が終わればそのまま解散だ!」
「「「はーい!!」」」
どこか遠い世界での授業が終わり、配布物が配られる。通知表やらプリントやら。流石にここで留年なんてならない様に、授業は真面目に受けている。留年すれば探索者証も取り上げだ。予備役期間の延長なんて事にはならない。
そのまま体育館に行って解散かと思っていたら、今日は珍しく声を掛けてくる者が居た。
「よ~お、お前まだ初めの試練も超えてね~んだって? 結局お前は金魚の糞だったって事だなぁ!」
誰かは覚えていないが、大体分かる。今も探索者をしている生き残りだろう。
「残念ながら生産職に適性が有ったらしくってな、管理部でポーション買った事が有るなら、俺が作った奴かも知れへんで?」
煽られても敢えて普通に返す。それは俺が諸々面倒で始めた事だったが、何故か普通に会話すると、こんな乱暴者相手でも普通に会話が続いていく。
喧嘩は買うから喧嘩になるのだ。買わずに普通に会話をすれば、授業中に絡んでくるやんちゃ者を無理矢理手で押し返したとしても、喧嘩にならずに終わるのだ。
俺が高校で得た真理は、そんな感じの物ばかりだった。
「は? ポーションなんかで稼げるかよ」
「最初の頃は殆ど失敗して、出来ても一本三百円やったな」
「は!? 三百円!?」
「一月前でも五百円やったけど、今なら一本七百円で成功率も上がってきたで。時給七百円のバイトと較べたら遥かに上や」
「話にならんわ! 俺は一回潜れば十万やぞ!」
「え、何やそれ。確か週末だけしか潜ってへんでそれか? 毎日潜ったらどんだけ稼ぐつもりなんや!?」
と、そこで俺は落とし物を拾うかの様に身を屈めた。
上機嫌に俺の背中を叩こうとしていた、乱暴者の手が揺れて止まる。
俺は拾う振りをしながら手の中に『召喚』した消しゴムを、鞄の中へと放り込む。
そして妙な顔をしているそいつへと訝しげに顔を向けた。
「何や?」
「――ふん」
鼻で嗤いながらも上機嫌に、そいつは俺の下から去って行った。
あんな無遠慮に、高レベル者に背中を叩かれては堪ったものじゃ無い。
でも分かる。――スライムで無くても動きが分かった。
俺は確実に、何かをこの手にしているのだ。
終業式が終わり、妹が通う中学へと走りながら、先程の事を考える。
三太さんに頼んだ菜箸の効果を大きく見積もっての事では有るが、俺も三時間でポーション五十本、午前と午後で百本は作れる。一本千円で買い取って貰えれば丁度十万。毎日潜っている俺と、週末だけの彼奴が同じというのは業腹だが、案外差は開いていないのだと少しばかり気が抜けた。
とは言っても、態々自分より下に見た相手に絡んでくる様な奴だ。優秀な奴はそれとはまた天と地程の差が有るのだろう。
その優秀な人の筆頭が武士さん達で、俺達とは半年程しか探索者になった時期は変わらないのに、その差は今では見えないくらいに、遥か先へと進んでいる。
どうせ目標にするなら武士さん達だ。
そんな事を思いながら、一歩、一歩、また一歩。がむしゃらに走っても意味が無いと分かったから、今朝母さんに見せて貰ったマラソン選手の走るフォームを思い出しながら。『投擲』にも、投擲の仕方によっては足の蹴り出しまで含まれているものが有って、それの“何と無く”分かる感覚も時々試しながら丁寧に。勿論魔力を籠めるのも忘れずに。
そして辿り着いた中学校の校門では、石垣に座った妹が、手持ち無沙汰に足をぶらぶら揺らしていた。
俺を見付けた途端に、妹はぴょんと飛び降り駆け寄ってくる。
「遅い!」
「済まんな。マラソンのフォームとか色々試してみたけど、あんまり速くなった気がせぇへん」
「分かった。兄上の足が短いからや」
「そりゃ、雅の兄やからな!」
ぎゃーぎゃー言ってる雅を見る、周りの視線が心に痛い。
きっとここが高校で、周りに居るのが級友達なら、俺が同じ様な視線に晒されている事だろう。
いつもの妹とのギャップが恐らくは物凄いのだ。
「つんつん美少女は一瞬やったか」
「だからそんな妹は居らん!」
「まぁええわ。母さんとこ寄って帰ろか」
「うん!」
買い物をしてから帰ろうとしたが、おんぶを迫る妹との攻防に僅か五分で敗北した。
「汗掻いてんねんで?」
「どうせ洗濯するやん」
まぁ、妹がそれで良いなら、それで良しだ。
背中の妹を揺らさない様に、速さも何時もの七割程度で。
それでも随分と妹は燥いでいる。
「おおー! 速い! めっちゃ速い!」
でも、俺はちょっと後悔気味だ。妹よりも早く帰っていた中学生達に追い付いて、好奇の視線に晒されている。
いや、もしこれで再び妹に友達が出来るとするなら、この恥ずかしさも兄の務めなのだろうか。自分も同じ様な状況の中に居るだけに、俺にはちょっと分からない。
「到着~」
「うん、もう降りよか」
幸いにして、母の勤める生鮮食品店に程無く着いて、俺はこの羞恥から解放された。
高校の同級生に見られていないのは助かったが、猛スピードで自転車を走らせた者が居ればそれだって分からない。
何とも兄の務めも厳しいものである。
「お母さ~ん!」
店の中へと駆けていく妹に続くと、鮮魚売り場で品出しをしていた母が、妹に捕まっていた。
「雅~、お仕事の邪魔はしたあかんで~」
「そうよ、みゃーちゃん、離れなさい」
渋々と離れる妹を捕まえて母に言う。
「ほら、内職ばっかで構ったらへんから」
「う~ん、ちょっとこれは反省かしらね~」
品出しの続きをしながらそう言葉にする母に、俺は今日の予定を告げていく。
「今日はダンジョンも軽めにして、明日から入り浸る予定やから、今日はちょっと昨日の稼ぎも使て豪勢にしよう思うんやけどどうやろ?」
「ええね、それ。でも、昼はもう誰かが作ってくれたはると思うよ?」
「え、何それ? そんな事までしといて貰て、母さん何もせぇへんかったん? あかんやん、母さんがそれしたら」
「えへへ~、本当はそうかな思ててん」
「えへへや無いわ、もう。……じゃあ、夜は俺が作るとして何がいい?」
「お兄ちゃんが作るん?」
「いひひー、そうやで、お兄ちゃんが作ったるわ」
「あーー!! 違う、間違うた、兄様!」
「もうええやん、お兄ちゃんで。まぁ、作るよ。『調理』のスキルが実際どんなもんかも知りたいし」
「なら、みゃーちゃん、お野菜何が有るのかふーちゃんに教えたげて」
「うん、トマトやろ、茄子、胡瓜、南瓜、ピーマン、う~ん……」
「肉は有ったか?」
「あ、また爺ちゃんが猪仕留めたって」
「何や、何でも有るなら調味料買ってく方がええ様な感じがしてきたな。ほな、雅に聞きながら適当に買って帰るし、楽しみにしといて」
「うん、お腹減らして帰るわな」
それで結局雅に教えて貰いながら、調味料各種とチーズ、それから牛乳二パックを買って帰った。買い物分だけ見ると全く以て豪勢じゃ無い。
でも、平屋に戻れば肉も野菜も有って、米も大家の大戸池さんが差し入れてくれているとなると、態々買い足す物が無い。
「やっぱ俺らかなり贅沢な暮らししてるんとちゃうか? 母さんには怒ってしもたけど、買い物せんでも全部揃てるやん」
「爺ちゃんのご飯が美味しいで」
「そら良かった。今日のご飯がお返しになる位、美味しくなればええんやけどな」
そんな事を喋りながら、再び背中の住人となった妹と帰り着くと、其処では新菜御夫妻が石窯でピザを焼いている所だった。
「ああ、お帰りぃ! 雅ちゃんも風牙君も一緒にお食べ!」
全く以て敵わないなと思いながらも、俺達も御相伴に与るのだった。
「フン~♪ フフ~♪ フフフン~♪」
「こら、動いたらあかんやろ」
「はいな、兄上♪」
「お兄ちゃん」
「兄者~♪」
「もう……」
「兄君~♪」
「いいから動かんといて」
ピザを御馳走になった後で、約束通りに妹の髪を整えていると、菊美さんを伴って三太さんがやって来た。
「何や、風牙君がのんびりしてるのは珍しいな」
「はぁ。まぁ昨日お話しして何とか成りそうと思たら、ちょっとは気持ちに余裕が出来たのかも知れません」
「ええこっちゃ。ほら、これが頼まれていた菜箸や。銀の量が結構有ったから、ちょっとやり方変えて二組作ってみたから試してくれんか?」
「何を変えたんです?」
「何、片方は『剣』の感覚で鎚を振ってみた。風牙君の言う魔力が乗ってりゃええんやが」
「それはいいですねぇ。この後直ぐに軽くダンジョンに潜るつもりやから、ちょっと試させて貰いますわ」
「もぉー、今はこっち!」
「おっと、雅ちゃん、御免御免」
妹も何やら昨日の晩に話をしてから、目付きの険が取れている様な感じがする。今にも昔のままにお兄ちゃんと言い出しそうな気がするが、何故か謎の拘りが有るらしい。
「何や何時もご飯作って貰てたみたいで、今日は俺が早めにダンジョン上がってシチューでも作りますわ」
「気にせんでもええよ。皆楽しんでやってた事やし、時間が有ればダンジョン潜ってた風牙君はほんまに偉いわ」
「ははっ、余裕が無かっただけですわ。明日からはボス攻略で、ボスを斃せたなら漸くのんびり出来る様な気がします。夕飯は期待して下さい。『調理』のレベルも十を超えたんで、普通とはちゃう何かが出来るかも知れませんけど」
「ははは、それは楽しみやな」
喋りながらも、揃え終わった妹の髪を手で軽く払いながら、切った髪を落としていく。落とした髪は纏めて隅の土に埋めてしまう。前に燃やしたらえぐい匂いがして、それから燃やす事はしていない。ただ、髪を分解するのが水虫と同じ菌と聞いて、髪の毛を処分する時にしか俺はその辺りに近付かない事にしている。
「はい終了!」
「おお~」
「伸ばす言うてたから、本当に揃える位しかしてへんで」
「ん~ん! ばっちり!」
「俺はこのままダンジョン行ってくるけど、雅は薬草とかスライムとか食べてみたいか?」
「え? ええっ!? スライムって食べれんの!?」
「らしいで?」
「じゃ、じゃあ、ちょっとだけ?」
「ほいな」
そういう事らしいから、今日はスライムの体液も持って帰って来ようと思う。
いつもの準備を調えて、俺はダンジョンへと走るのだった。
「風牙さん、今日はお早いですね」
「その分帰るのも早い予定やけどね。昨日、帰りに生産系の探索者への配慮はしとかんと偉い事になるよと言っといたんですけど、何か動きは聞いてます?」
「ああ、あれ風牙さんだったんですね。――え、でも風牙さんがポーション作ってくれなくなったら、本気で拙い事になりそうですけれど。どうも護衛されるにもそれなりの力量が、とか、何か雲行きは怪しかったですよ?」
「はぁ~~、やっぱ期待は出来へんか。護衛の要らん三階層でも、生産系に絞れば月百万稼げんねやけどなぁ。
まぁええわ。どうせ期待はしとらんかったし。でも、攻略に動くならどちらにしてもポーション納めたりは出来へんで? 取り敢えず、自分で使うのに五十本入りのポーションバッグは欲しいけど、購買で売ってるんかな?」
「う~ん、何か凄い拙い事に成ってる気がするけれど、バッグは購買に売ってるわ」
「了解、ありがとさん」
「ええ、本当にご安全にね!」
「ご安全に」
顔見知りの窓口のお姉さんと会話をしてから、その隣の購買でポーションバッグを手に入れる。試験管の様なポーション瓶は、今回ばかりは自分で使う為の物だから、借りずに自分で作るつもりだ。
「ご安全に!」
「ご安全に」
恒例となった挨拶を交わしながら、小走りになって三階層まで。道中のスライムは布バケツに体液を回収しつつ、ただ今日はいつもよりもちょっとだけ面倒臭い。
大広間に辿り着くと、取り敢えずいつもの平石近くにリュックを置いて、目に付いたスライムをバール鑓で次から次へと突きまくる。魔力を放出してそして収めると、丸で探査用のナノマシンを放出してから回収したとでも言うかの様に、スライムの居所が立ち所に分かる。だから俺は既に居場所が分かっているそのスライムに、只々バールの鑓を突き立てるだけだ。
俺の使っているこのバールはカジヤと言われる種類の物だ。L字の側と真っ直ぐな側の両方が釘抜きになっていて、L字の側では釘打ちも出来る。本来なら二の腕程度の長さの物だが、誰がこんな事をしたのかの千五百ミリ。だが、そのL字部分がグリップの様に使えて、思った以上にダンジョンでは使い易い。三太さんの大型ナイフもがっちり釘抜き部分を銜え込んで、抜群の安定感が有る。
プスプスプスと二十匹程スライムを突いて、そのまま放置で薬草の採取に入る。採取している間スライムは萎み続けて、二十秒が過ぎた頃にコロンとドロップアイテムの魔石に変化した。極々稀に、ポーションまで落とす謎の仕様だ。
『解体』を持っていれば一瞬でドロップアイテムにする事も出来るらしく、今俺が欲しいのもその『解体』なのだが、錬金迷宮では殆ど出ない。宝箱から出れば幸運だろう。
兎に角ドロップアイテムは、出現するまでにタイムラグが有るから面倒なのだ。ダンジョンの通路に時折ドロップアイテムが放置されているのは、駆け抜けていった探索者が回収するのを厭った物である。
ただ、『召喚』とは相性がいい。
『召喚』の初期能力の【アポーツ】は視界に有る物を召喚する能力だったが、レベル十での自分の持ち物を召喚する【召喚】と合わさって、見えていなくても俺の物と判断出来る物は【アポーツ】で手元に召喚する事が出来る様になった。要は、視覚で無くても認識出来れば良かったらしい。
これの御蔭でドロップアイテム集めには苦労した事が無い。そして今、俺が必要としているのは、このスライム達の魔石だったのである。
ポーションを入れている試験管は、実はこの魔石から出来ている。『錬金』のレベル十で覚える【魔石加工】で、イメージした形に魔石を変形させる事が出来るのだ。この魔石の加工物は、割ろうとしない限りはかなり丈夫で、その癖割るつもりで投げたりすれば容易く砕けてしかも宙に溶けて消えて無くなる謎物質。一本作るのに、大体スライムの魔石が三つ必要になる。
加工するのに道具は何も要らず、魔力を籠めれば粘土の様に柔らかくなって、それをぎゅっと引き延ばしていくだけ。ただ、自分で作って来なかっただけに、造形に結構な時間が取られる事になった。
まぁ、ポーション瓶作りにまで手を出していたら、未だポーションの売り値は一万円を超えていなかっただろうから仕方が無い。ただ、ボスを斃して、このまま借金も返して、高校も卒業すればその後は自由だ。毎日二万円をノルマとすれば、その他は好きに探索も出来るだろう。
その時がちょっと楽しみだった。
スライムを鑓で突いて、薬草を採取して、ポーション瓶を作る。それを更に二回繰り返して、そこから集中して最終的には合計二十本のポーション瓶を作り上げる。この広間に居るスライムは常に二十匹前後で、斃せば何処からとも無く補充されるから、ポーション作りには困らない。
しかし作り上げてから気が付いたのが、どうしてこんな細かい瓶を作っているのかという事だった。売る訳では無いのだから、大瓶を用意すればそれで良かったのだ。ポーションが硝子瓶でも保存出来る事は、既に広く知られている。ただそんな硝子瓶が家に幾つか有ったのは記憶に有るが、母に使うとも言ってない状態では【召喚】も反応しない。
(……失敗したか?)
少し悩んでしまったが、結局の所そんな心配は無用の代物だった。
(何やこれ?)
それは一回目のポーション作成に入った時の事だ。いつもと同じ様に投入した筈の薬草が、何故だか足りていない様に思えて、慌てて一掴み追加で投入した。
(ええんか? ほんまにこんなに薬草入れてええんか?)
火から離さなければと思うタイミングもいつもより早く、俺はかなり訝しみながらも、出来たポーションを小瓶に詰める。出来たポーションは四本と少し。
(いつもの倍近い……え? 待って、ならこれ菜箸だけでか!?)
品質もいつにも増して高く見えるポーションを前に、俺の頭の中には混乱が渦巻いていた。
取り敢えず、抓めば柔らかく変形するそのポーション瓶の口を閉じて、三太さんが普通に打ったという銀の菜箸を一旦置く。代わりに三太さんが魔力を籠めて打ったつもりだという菜箸を手に、二回目のポーション作りに取り掛かった。
(やっぱり薬草の量が多いし、タイミングも――ここ! ……いつもより早い)
今度は出来たポーションは丁度五本分。
(もう一回だけ。三太さんには悪いけど、ここは確かめるのを優先せな……)
初めに使った銀の菜箸を、ダンジョンの炬の炎で熱し、『錬金』の【鉱石加工】と、併せて『鍛冶』と『採掘』も同時に効果を発揮する様に意識して、投擲用のバールの釘打ち部分で小突きながら、菜箸の魔力的な部分が調う様に調整する。
それを使っての三回目……に入る前に、念の為にスライムの体液だけの鍋を軽く菜箸で掻き混ぜる。その感覚で、圧倒的に薬草が足りていないと直感して、俺は先に薬草を集める為に走るのだった。
(……ええんか? ええんか? ほんまにこれでええんか??)
自問自答する俺の前に有るのは、大盛り葱ラーメン一丁と言われて出て来たのが丼の上にこんもり葱が盛り盛りになっている、そんな物を見ている様な鍋の様子だ。
その山盛りになった薬草が、見る間に鍋の中へと沈んでいくのは、目を疑いたくなる光景だった。
その分、火から離すタイミングはシビアだったけれど、出来上がったポーションは十本分。無茶な作り方をした様に思うのに、品質は悪くなっている様には思えない。
(あかん……遣らかした!)
事ここに到って、漸く俺にも気が付いたのである。
俺が銀塊を拾ったのは、この前が初めてでは無い。母が自分の為に使うようにと言って受け取らないから、床下に仕舞い込んではいるけれど、銅も銀も、そして一つだけだが金も宝箱から手に入れた。
それを使って錬金の道具を作っていれば、疾っくの昔にポーション作成の成功率も向上して、しかも大量に作れる様になっていたのだ。もしかしたら、借金だって既に返せていた可能性だって有る。
そして、恐らくはそれを期待して、『錬金』に【鉱石加工】が存在し、また錬金迷宮にこんなポーション作りの為に誂えたかの様な広間が存在し、『採取』や『採掘』に加えて銅や銀が宝箱から出て来たのだ。
つまり、これも又チュートリアルの一つだったのである。
と、そこ迄考えて、俺は再び愕然とする。
(あ、待って、何かおかし無いか? ここが『錬金』の為の錬金ダンジョンやとしたら、『錬金』でクリア出来へん訳が無い。何か見落としてないか?
いや、待って待って! 宝箱から今日も『採掘』が出た。もしかして四階層に採掘ポイントが有るんか!? ほな、あれか、それを使って燃焼ポーションとか爆発ポーションみたいなんが作れてた可能性が有るんか!?)
――と、そこ迄考えて、俺は考えるのをやめた。
もしかしたら別の正規の方法が有ったのかも知れないが、今からそれに手を出そうとしてもきっと失敗する。
ならば、行けると目処を付けた初めの方針に従うべきだと。
それに、この二年間は無駄では無い。無駄で有る筈が無い。スキルも無しに索敵をして、それどころか宝箱の場所さえも何と無く分かる様に成っているのは、この二年の研鑽有っての物だ。もしも楽な方法を知ってしまっていたならば、俺も他の探索者と同じく、与えられたスキルを駆使する事だけが力の使い方だと勘違いしていただろう。
(……もしもボス部屋の中で行き詰まったとしても、もしかしたら何か手立てが有るかも知れへん、その為のヒントやと思お)
そう思うと気持ちも落ち着き、数回深呼吸をしている間にいつも通りの落ち着きを取り戻せていた。
いつもの五倍の早さでポーションが作れるなら、時間だって随分と余る。二十本の小瓶にポーションを詰めた後で、大瓶を作って詰めるのも充分間に合いそうだった。
(夕飯用に薬草とスライムの体液もやったな。ちょっと多目に持って帰るかね)
そんな事を思っていた俺は、結局五時前には予定を全て完了して、引き上げる事が出来ていた。
売る物は無いが買い取り所へと向かい、昨日話をした担当のお姉さんに話を聞いてみた。
「ええーー!? ポーション売ってくれないんですか!?」
「は? そりゃそうや。今そっちが攻略はせんとあかんて言うたんやんか。攻略してたらいつポーション作るんやな」
「で、でも、其処にいっぱい!」
「そりゃ、明日から攻略に入る為の作り溜めに決まってるやん。自分でポーション作れんのに、態々他から買わへんで? も~、だから昨日言うたやん、しっかりしてや」
「も、申し訳有りません!」
「――やなくてな、俺はもうボスを攻略する気持ちになってるからええねんけど、結局そっちが困る事になってるやんか。言うとくけど、夏休みの間は攻略に打ち込むからポーションなんて卸してられへんからな?」
「それは困ります!」
「いや、困る言われてもな? ――て言うか、何かおかし無いか? そないして引き留める程に需要が有るなら、もっと買い取り高くてもええやんか? 何で一本三百円とか五百円にしかならへんねん。つーかな、俺は三階層に在る薬草の群生地で他の探索者を見た事が殆ど有らへん。俺は半年遅れでほぼ初期から毎日潜っていたにも拘わらずや。やのに俺のとは違う初級低位ポーションが結構並べられとる。なら誰がそのポーションを、何処から材料仕入れて、どうやって作ってんねん? なぁ、おかしいよな? まさかとは思うけど、俺に対して滅茶苦茶不義理な事をしてたりとかせぇへんよな?
……ダンジョン言うたら今の世の中支える屋台骨みたいなもんやろ? そこでそんな不義理してたら今頃体調崩してたりせぇへんか? ぽっくり逝っても俺は知らんで?」
突き放す様な言い方をしてしまったが、俺は別にポーション屋という訳では無い。弱い俺が稼げる物が、偶々ポーションだっただけだ。妹には色々理由を付けて言いはしたが、ポーションよりも稼げる物が有るならば、鞍替えしない理由は無い。そして今考えている計画では、ボスを斃す頃にはポーション以外で充分稼げる状況になっている筈なのである。
にしても、最後にちょっと鎌を掛けたつもりが、本当に表情を引き攣らせていたのには、言ったこっちが吃驚した。
明日はのんびりなんてしていたら、どうにもダンジョン管理部のお偉いさんとかに捕まってしまいそうな予感がする。それはどうにも面倒事に成りそうだから、朝一番に来る事にしよう。
そう思って、俺はダンジョン管理部の建物を後にしたのである。
帰ったその足で妹と一緒に畑へ野菜を収穫に行き、六時には食事の支度を始められる様になった。この季節だから、外の炊事場はまだまだ明るい。
「まず玉葱を――」
「玉葱を?」
「ぎゅぎゅーん! と微塵切りに」
「はやっはやっ速いわっ!!」
「で、雅はこれを飴色になる迄じっくり炒めてや」
「おおぉ……見えへんかった」
「ふっふっふ、薬草微塵切りのプロやからな」
「ほ~い」
「で、その隣で俺はホワイトソースを作ります」
「おお~、何か手早い。兄ちゃんと一緒は久々や」
「兄ちゃんはええな。それにしとき」
「んにゃ、兄さんで」
「お! そっちがええな。何か賢くて上品な兄になった気がするわ。――って、何顔を赤くしてんねん~?」
「し、知らん!」
前にこうやって妹と二人ご飯を作ったのは、まだ妹が小学生だった頃だろうか。随分と時間が経ってしまった様に思うが、家庭科の時間に習ったのか、それともここで学んだのか、妹の手付きにも危なげが無い。
俺自身は毎日の様に包丁や鍋を扱っている分だけ手慣れた物だ。
「お、やってるな! 何か手伝う事は有らへんか?」
俺達の様子に気が付いた三太さんが家の中から出て来たので、シチューの具材を任せてしまう事にした。
「なら、シチューにするつもりなんで、そこに出してる野菜をごろっと切って貰えます? 鍋は今雅が玉葱炒めているのと、俺のこの鍋を使うんで。あ、ピーマンと茄子は猪の肉詰めにするんで置いといて下さい」
「なら、ビーマンと茄子は半分に切っとくわな。そっちの菜っ葉は入れんでええの?」
「あー、それ薬草ですわ。鍋の一つは闇ダンジョンシチューにしようかと思て」
「おいおい……」
「洗っとけばええんかな?」
「あ、じゃあお願いします」
菊美さんもやって来て、何だか賑やかになって来た。
「ところで風牙君、ダンジョンではどんな感じやった?」
「ええ、菜箸! 凄く役に立ちましたわ。前迄『錬金』一回でポーション二本分と少ししか出来へんかったんが、銀の菜箸に変えただけで四本分少しになって、三太さんが魔力を籠めたいう方に変えたら五本分ですわ。道具一つで此処まで変わる言うんには愕然としましたけどね。で、三太さんには悪い思たんですけど、ダンジョンの炬使て銀の菜箸熱してですね、『錬金』『鍛冶』『採掘』辺りを駆使して魔力の流れを調えてみたら、十本分いける様になりました。スキル無しでそこ迄届かせようというのはちょっと厳しいんや無いかと思うんですけど、……それで行くなら『採掘』とか『錬金』手に入れて、他で感覚補うのがいいかも知れません」
「ん~、やけど、少しは魔力を籠めたんで良うなってるんやな」
「ええ、俺のお勧めもそちらなんですけどね、余程センスが無いと二年は掛かると思いますし、そこから先も長そうです。でも、そこを抜ければ、ほら――」
「ん? 何や、これはスキルオーブか?」
「今日の戦利品です。魔力鍛えたら分かる『索敵』擬きやと、宝箱も何と無く分かる感じが有って、それで今日も拾いました。『採掘』なんで、持ってなかったら差し上げます」
掌の中に『召喚』した今日の戦利品を、ポケットから出した様にして三太さんに渡すと、三太さんは菊美さんと二人唖然とした顔で、その『採掘』のスキルオーブを眺めるのだった。
そして、その隙に話し掛けて来たのが只管鍋の中を掻き混ぜていた妹だ。
「兄さん、こんな感じやろか」
「おお、ええ具合や。俺のと半分こずつにしよか」
「ん、んん、こう? これ位?」
「それでええで。帰りに牛乳買い足しといて良かったわ。ちょっとずつ溶かし混ぜて、そっちはジャガイモだけ半分入れて。後で色々入れるし」
「分かった、火は遠火?」
「そうそう」
取り敢えず、俺も含めてシチューから手が離れた所で、呆れた様に三太さんが言った。
「風牙君、とんでもないな」
「いうても、話した所で仕方無い情報ですわ。二年掛かるなら『索敵』でどうにか出来へんか試すやろうし、暇な時に練習していたら何かが起こるかも知れない程度の小技です」
「まぁ、俺らは覚えとくわ」
「ええ、何だか凄く楽しそうよ?」
「しかしこんだけの情報なら、ダンジョン管理部でも高ぅ売れそうやけどな」
「いや、検証も出来へんのに売れませんよ。それに、売れたとしても今の管理部は何か変やから売りませんけどね」
「ん? 何か有ったの?」
「錬金ダンジョンやのに俺以外に薬草集めたり錬金している人らを殆ど見ない思っとったけど、誰が他のポーション作ってんのか思て、俺に不義理な事してへんやろなと鎌掛けたら、何や顔を引き攣らせてましたわ。あれはあかんわなぁ」
「呪いで成り立っているこの御時世に、難儀なこっちゃなぁ」
「なんで、明日は七時前にはもうダンジョンに入ってしまおうかと。今迄も生産職にはボス討伐の条件無くして大切にせなあかんと伝えてんのに、特別扱いは出来無い攻略しろと、そう嗾けときながら、攻略するならポーション作ってられへんから当然卸さへんよと言えば、それは困るとか言い出すんです。ちょっと頭が悪過ぎて、もしもそんな事を言ってるお偉いさんに絡まれたなら、偉い面倒そうなんですわ」
「そら、その方がええな。何か交渉するとしても、ボスを斃す前と後なら後の方がずっとええわ」
「ええ、俺もそう思たんです」
まぁ、どんな相手が出て来たとしても、仮免期間免除の延長が相手のカードに無くなるだけで、交渉はかなり有利になるだろう。
今はそれが分かっていれば充分だった。
「兄ちゃん、スライムってどれなん?」
話が終わったとみた妹が、安定しない呼び方で俺を呼んだ。
「そこの透明な瓶」
「ポットみたいな形してる?」
「そう、それ。どうしよかな。薬草はシチューに入れよと思てたけど、スライムも入れるか? 入れるつもりやった肉団子が合わへんくなるけど、ちょっと出汁の味を付けて冷製スープにするのも良さ気やなぁ」
「兄ちゃん、これ口が開かへん」
「牛乳パック開けるみたいに横を押したり」
「あ! 開いた! プラスチック? 瓶とちゃうやん」
「スライムの魔石を変形させて作ったもんやな。魔力に反応してんのか知れんけど、『錬金』持って無くても多少は変形させれんねん。壊すつもりで触ったら簡単に割れるから気ぃ付けや。スライムの体液は皮膚を溶かしに来よるからな」
「うわお!? 兄ちゃん怪我させた犯人やん!」
「仇や思うてしっかり食ったり。ほな作ろか」
スライムの体液に、薬草では無く魔石を加えて火に掛けると、ゼリー状に固まってくる。これが今は全く需要の無い、魔力回復ゼリーらしい。と言っても、需要が無いのは字面からの印象で、魔法も持っていないのに魔力を回復してもと思ってしまう所に有るのだろう。実際はMPなんて物も無く、魔力切れとは頭に切れ掛けの蛍光灯の様なノイズが走って集中出来なくなる事を示しているから、案外頭痛薬や眠気覚ましに効きそうとは思うのだが。ポーションよりもお手軽に作れるにも拘わらず、世の中に出回っていないのは、ダンジョン管理部が買い取りしていないのも理由の一つなのかも知れない。
まぁ、お手軽な代わりに日持ちはしないから、それも仕方ないという事だろう。
但し今回は、魔力回復ゼリーとしてでは無く、寒天の代わりとしてここに有る。
粉末の出汁をしっかり溶かし込んでから、ゼリー状になったその体液を、スプーンで掬って氷水に落とす。
出汁の色で薄茶色の塊を、氷水に浮かせたままで取り敢えずは一旦終了だ。
再び包丁で猪の肉をミンチにしている所に、母が軽い足取りで帰って来た。
「たっだいま~♪」
「「おかえりなさ~い」」
何だか楽しそうに帰って来た母に、出迎える兄妹の声が重なる。
「ミヤちゃんお帰り。今日は御馳走になるわね」
「ああ、お帰り。何や面白いもんを作っとるで?」
「本当? もう出来上がり?」
「いやいや、まだやで!? まだご飯も炊いてへんから三十分は掛かるわ」
「おお! そういやそうやな。ほな、ご飯はこっちで炊くわ。飯盒やとそんなに炊けんやろ」
その言葉に甘えて、ご飯を炊きに新菜御夫妻が戻ると、炊事場には俺の家族だけが残った。
いや、木陰で寝ていたペルだけは、日が陰って散歩へ出掛けて行ってしまったが。
今日は妹が散歩に付き合ってはくれないと、何処かで察していたのかも知れない。
「ふーちゃ~ん! きゃ~♪」
随分と浮かれた母である。
でも、包丁を握っている所に抱き付こうとするのは、普通にびびるし危ない。
「ちょっと、母さん、危ない!? 包丁、包丁持ってるから!」
「ん~、ふーちゃんごめんねぇ。お母さんちょっと色々考えて目が醒めたわ」
「何の事!? ほら、今は包丁持ってんねんって!」
「きゃー、みゃーちゃんもごめん~。酷いお母さんを赦してなぁ」
「え、何で!? お母さん何も悪い事してへんやん!?」
「それがしててん~。本当はお母さんパートするよりパソコン使う方が得意やから、そっちで稼いでたら借金ももう返せてたし、家に居るからみゃーちゃんとも遊べてん。ちょっと自棄糞になってて、ふーちゃんとみゃーちゃんほっぽいてしもててんわ」
謝っているのに楽しそうな母は、何だか見るからに鬱憤が晴れた様子だった。
それに、俺達が母に怒れる筈が無い。心の中ではどんな思いが渦巻いていたとしても、俺達の前ではそれを見せなかったのだから、頭の下がる思いしか無い。
妹も同じ様に感じているのか、「お仕置きやな! もう、これからは一杯くっついたるねん!」とご機嫌だ。
でも、そうしたいちゃいちゃタイムも、畑の方からペルの吼える声が聞こえてきて、そこで終わりを告げるのだった。
「あー! ペルが畑に入ってる! ちょっと見てくるな!」
そう言って駆け出していった妹を見送る母の眼差しは、確かにいつもよりも優しく感じられたのである。
「ふーちゃん、何か手伝う事有る?」
「なら、そこのオクラとトマトとか使て、サラダとか作れへん?」
「うん、分かったわ」
にこにこしながら炊事場に立つ母。
「……本当に、さっき言ってたのだけなん?」
「え? ――うん。この前みゃーちゃんとふーちゃんがあの人の事を大嫌いって言ってんのを聞いて、吹っ切れたんかなぁ。昼に二人仲良く買い物に来たのを見て、やっと何をしてるんやろって考える様になって……。うん、本当に面目無いわ」
えへへと笑う母に、俺も少し肩の力が抜けるのを感じた。
気を張って、どうにかしないとと動き続けてきた毎日は、どうやら終わりが見えてきたのだと。
そしてその終わりはボスを斃せば確実に確定するのが分かっているのだ。俺も母の上機嫌が移って、思わず鼻唄が漏れてくる。
「あ、そうや忘れてたわ。明日からダンジョンに泊まり込みになるんやけど、ご飯は毎食何か用意しといてくれへん? お握りとかでええし。それと、水も二リットルのペットボトルに入れて用意しといて欲しいんやわ」
「え? 食べに帰って来るん?」
「いや、自分のもんってはっきりしてたら『召喚』出来るしな。布団も『召喚』出来たらと思うけど、汚れそうやし毛布だけかな」
「ええよ、そんなん洗濯したらええねんから、布団でも何でも『召喚』しぃ。そうや! 今からお家の中の物は全部ふーちゃんの物な!」
「……何か家毎『召喚』出来そうな感じにになったな。流石に重くて呼べへんけど。ありがとう、帰って来たら返すしな」
「何を言うてんの? お家の物はずぅっと皆の共有財産です」
「……え、それ有りなんか? 共有財産って事でも『召喚』には問題なさそうや」
「はい、じゃあ、それで決定~♪」
出来たピーマンの猪肉詰めは、ご飯が炊き上がる二十分前に焼き始める事にして、石のトレイに並べて石窯の前。茄子は肉の挟み焼きにするつもりだったが、母が肉の挟み煮込みにしてしまっていた。パチパチ薪の爆ぜる音を聞きながら、シチューの蓋を開けるとこちらもとてもいい感じ。冷製スープにする方を竈から上げて、井戸水から汲み上げた流水で冷やしていく。まだ湯気が出ている内に、ざっくり刻んだ薬草を放り込んで、銀の菜箸で掻き混ぜれば、ほら――
「ええ~……ちょっと蛍光グリーンに光るスープは美味しそうやないなぁ」
「闇鍋染みてきましたえ♪」
京風に言ってみながら、更に出汁入り魔力回復ゼリー玉を放り込めば、冷製闇ダンジョンスープの出来上がり♪
「「「ええ~~……」」」
響く声に顔を向ければ、ペルを抱えた妹と、新菜御夫妻までもが呆れた様な目でダンジョンスープを眺めていた。
一人離れていた春蔵爺さんがもう一つの鍋の蓋を開けて、
「うむ、儂はこっちで良いな」
と頷いているけれど、ちょっと味見位はして欲しい。僅かながらもポーションと同じ効果や、魔力回復する効果は、きっと体の不調も正してくれると思うのだから。
「そろそろピーマンの肉詰め焼いても大丈夫かな」
「おう、後十五分程で焼けるから、今から焼いたら丁度ええやろ」
その三太さんの言葉で、ピーマンの肉詰めも石窯へと投入される。
後は暫く待つだけだ。
「雅、実茂座さんも食べるか聞いて来て」
「は~い!」
因みに、食器は炊事場に春蔵爺さんが作った小屋の中に、全平屋の分が仕舞われている。大戸池さんからの米袋や、畑で収穫した野菜もこの中に有る。
それぞれの家の食器を取り出して、炊事場の真ん中にある大きなテーブルへ並べると、出来上がったおかずをそれぞれに装っていく。母が問答無用でダンジョンスープの方から装うのを、見詰める皆の表情がおかしかった。
その頃になると菊美さんが一度戻って炊飯器毎戻って来る。夕方には畑で見掛けた実茂座さんも、ちょっと疲れた顔をして家の方からやって来た。
「お! もしかして、久々に全員揃ったか?」
「ほんまや! 風牙君も、これは幸先ええんとちゃう?」
新菜御夫妻が朗らかに言うのを聞いて、確かにと俺も思い至る。
恐らく主に俺の所為で、住人全員が揃う事が無かったのだろう。
「お世話になってんのに、今迄不義理働いていてすみませんでした。今日はダンジョン素材を使った珍しいスープも用意したので、楽しんで下さい」
「いや、皮肉言うたつもりやないで!? まぁ、楽しませて貰うわ」
「ダンジョン素材ってこのスープかな?」
「ええ、薬草とスライム入りです。ポーションと魔力回復の効果が少し乗ってる筈ですわ」
「肝心の味はどうなんや?」
「そこは俺も皆さんと同じ条件という事で。『調理』スキルの頑張り次第ですわ」
「ぞっとせん話やねぇ」
しかし、初めは胡散臭そうにしていた実茂座さんは、スープの正体を知ると逆に興味津々な様子を見せ始めた。一人手を合わせて「頂きます」と口にすると、スプーンで蛍光緑のスープを口に運んでぱくり。見た目はほうれん草の様で美味しそうな薬草をぱくり。そして丸いスライムのゼリーをぱくりと口に運ぶのだった。
そして、皆が注視する前で、スープの感想を口にする。
「うあ、何やろう、脳味噌が溶けていく様な……」
「ええっ!?」
菊美さんが思わず椅子から立ち上がったが、実茂座さんの感想はまだ続いていた。
「書類仕事での疲れが頭から溶け出していく様や。いいな、これ!」
「多分魔力回復のスライムゼリーの効果ですわ。魔力言うても使ったら頭が疲れるもんやから、魔力回復は頭の疲れを取るもんや無いかと思います」
「それはいいねぇ!」
「もうゼリーは入ってませんけど、スープのお代わりは南瓜のシチューも有りますから」
「ふ~む、頭の疲れが取れるというなら俺も食べてみよか。――おっと、頂きます」
「「「「「「「頂きます」」」」」」」
頂きますの声が続いて、漸く夕食が始まった。ペルも頂きますの声に従って、猪の肉や内臓、それから野菜屑の皿に顔を突っ込んでいる。
全員スープから手を付けるのが面白く、そういう俺もまずはスープの味を確かめるのだった。
「味は……普通やな」
「うん、普通」
「でも、兄ちゃん普通に美味しいで」
「光らんかったら旨そうにも見えるのにのう」
「あ、でもちょっと頭が重いのが軽くなったかも」
「それは分かるな」
どうも、スープと言っても薬膳の様な扱いだ。
「あ、忘れん内に。三太さんが道具作ってくれた御蔭も有って、ポーションが安定して作れる様になったから、今日作ったポーションを大瓶に入れて持って帰って来ました。炊事場の食器棚に入れときますから、火傷やら怪我やらした時には使たって下さい。明日からはダンジョンに泊まり込みなんで無理ですけれど、その内ポーション風呂なんかもしたいと思とります」
「それは贅沢やな。まぁ怪我した時には使わせて貰うわ」
「あ、御免、僕はダンジョンには入ってないし、どう使えばいいのか教えて貰えへんやろか。丁度指先に削げが刺さってしもて怪我してるから、試していいかな?」
そんな風に指を差し出す実茂座さんに、小皿にポーションを数滴落として差し出した。
「ダンジョン入っていると、打ち身やらも有るんで飲んだ方が早いけれどその場合でも試験管一本分程度です。見えてる外傷なら、塗り薬の様に塗った方が早いですわ。余程の大怪我や無ければお猪口に一杯飲む程度で充分やと思います。口は抓めば閉じるんで、こうやって閉じといて下さい」
「へぇ……痛痒かったんがもう引いた。疵痕も無いなぁ。落ち着いたら僕もダンジョンに入ってみたいなぁ」
「お? それなら俺らで連れてったるで。身体能力が劇的に上がるから、畑仕事も楽になるわ」
「それなら筋力に関係する様なスキルを手に入れんのがええですよ。俺はそれをしなくて今苦労してますから」
「ほんまに偉い世の中になったもんやわ」
「えろうファンタジーな世になったとは思うがのう、儂からすれば今の世の中は昔と較べりゃ格段にましじゃ。上が馬鹿を出来んと言うんはお主らが思っとるより大きいぞな。犯罪者もスキルの目とやらからは逃れられんようじゃし、真っ当に生きとるもんからすれば、随分楽に息が出来る世の中になったもんよ」
「その代わり、ダンジョンが格差の中心になってしまいそうやけどね。春蔵さんもミヤちゃんも、その内一緒にダンジョンへ行きません?」
「ふ~む、まぁ考えておこう」
「私はみゃーちゃんが入れる様になってから、ふーちゃんと一緒に入るかなぁ?」
そんな感じで結構夕飯は好評で、和気藹々とした中で解散になった。
「ほな、今日はご馳走様!」
「ええ、たんとお上がり」
「あは、ミヤちゃん、風牙君の台詞を取ったらあかんよ」
「あ! 御免ふーちゃん!」
いや、その言葉が御馳走様に対する返礼とは知っているけれど、母の他には今は北九州に暮らす祖母からしか聞いた事が無い。
ちょっと愛想笑いで、俺はその場を誤魔化すのだった。
その日の夜、布団の中で普段は俺の方にくっついてくる事が多い妹が、今日は母へとくっついている。
「みゃーちゃん暑いわぁ」
「今日はお母さんにくっつくねん」
「もぉ~」
もー、と言いながらも、妹を優しく抱き締めている母である。
「ほら、ふーちゃんもおいで」
「いやいや、暑いし。母さんも明日から宜しくな。雅も特訓を忘れたあかんで。それと、ばれへん様にな」
「大丈夫! ばれへん様に薪かて割ってるし!」
「なんか、もうばれてる様な気がしてきたなぁ」
「うん、お母さんもそう思う」
「そんな事無いし!」
こうして夜は更けていく。
関西弁はイントネーションやから、標準語みたいに書いてても喋れば関西弁になんねんで?