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第8話 『目的は一つ』




 数分歩いていくと目的の宿に着いた。


 ヘレナさんが親切にも薦めてくれた宿。値段の割に設備が良さそうだということと、例の公衆浴場から近いということもあって直ぐここに決めた。理由としては後者の方が強い。


「――あら、トオルくん。お帰りなさい」


「ただいまです、イザベラさん」


 宿に入ると、三十代中ばくらいの女性が出迎えてくれた。彼女はこの店の受付の人の――イザベラさんだ。

 この世界に来てから、俺が最もお世話になった人の一人。本当に良くしてもらっている。


 一ヶ月もこの宿を使わせてもらっているので、ここはもう実家みたいな感覚だ。ホームシックなどありゃしない。

 すると、イザベラさんは俺の隣にいるフィーネリアに目を留めて、


「あら、凄く可愛らしい子……今日は女の子と一緒なの?」


「あ、はい。今日はこの子と一緒に泊まる予定です。あ、これ。この子の分の追加料金です」


 とりあえずフィーネリアの三日分の追加料金を銀貨と大銅貨で払う。朝晩飯付きの割に安い値段だと思う。


「うん、確かに受け取ったわ。……でも、そうねぇ。トオルくんがこんなに可愛いらしい恋人を持っているなんて知らなかったわ」


「あははは……」


 なんか勘違いされているので訂正したいが、流石に俺の奴隷だとは言いにくい。


 この国の奴隷の扱いがどれほどまでなのか分かってないが、万が一奴隷は泊めないとか言われたら困る。

 イザベラさんに限ってそんなことはないと思うけど、念のためだ。


 幸い、普通の奴隷に付いているという首輪みたいなものは視覚的には存在しない。

 なので一目見ただけで奴隷だと判断できる人はいないはずなので、黙っておくことにする。

 なんだか癪だが、この勘違いを利用したほうが最善だろう。


 隣でフィーネリアが何か言いたげな顔をしているが、目線で黙らせて、


「今から晩飯を食べてから部屋で寝るつもりなんで、よろしくお願いします」


「んふふ、分かってるわよ。でも、お静かにお願いね?」


 うん、絶対分かってない。

 ……まあいいか。訂正したらややこしくなりそうだし。必要な犠牲だ。

 とりあえずフィーネリアが宿に泊まれるようにはなったみたいなので、晩飯を食べに行こうとすると、


「あなた、何で否定しなかったのよ。私はあなたの恋人になったつもりはないわ」


「奴隷だとバラしたらお前が泊まれなくなったかもしれないからな。それなら勘違いされていた方がマシだろ」


「……そ、そう。ちゃんと考えてくれてたのね」


 そこまで考えが回らなかったようだ。俺の答えを聞いて納得した様子。


 まあ、そんなわけで一階にある食堂に移動する。

 と、真っ先に厨房に四十代くらいの人の良さそうな男の人が立っているのが見えた。

 今日も元気そうな、イザベラさんの夫の――アロイスさんだ。この宿屋は家族経営である。


「すみません、アロイスさん。晩飯を二人分お願いします」


「――おおう! トオルか! ……ん、二人分?」


 相変わらずデカイ声で喋る人だ。ちょっと疲れる。

 そんな彼が俺の隣を一瞥すると、


「がはは! そうだもんな! お前も男だもんな! まあ、ゆっくりしていくといい」


 何かを察した様子で笑い飛ばしてきた。

 多分それ、間違ってます。大変不本意だけど、まあ仕方ないか。


「ほい! 今日はシチューだ!」


「あ、ありがとございます」


 この宿の飯の種類は毎日違う。で、今日のメニューはシチューのようだ。

 木の皿に入れられたシチューを二つ手に取ってテーブルに持っていく。

 フィーネリアも俺の目の前に着席する。


「……美味しそうね」


 クリーム色をしたホワイトソースの中に色々な具材が入れられてある。人参っぽいもの、じゃがいもぽいもの、肉ぽいもの、エトセトラ……。


 しかし、香ばしい香りが漂ってくる。それが俺の鼻腔をいい感じにくすぐらせた。美味そうである。


「じゃ、いただきます」


 ちゃんといただきますをしてから、スプーンでそれを掬って口に入れる。


 ……うん、家庭な味がしてやっぱり美味い。というか、この世界の食べ物は大体美味い。

 魔物とやらの素材がいいおかげなんだろうか。元の世界より品種改良が進んでそうでも無いし。

 

「んふ〜〜っ! 中々美味しいわね! これは上位に食い込むわ!」


 フィーネリアもこの味を気に入ったようだ。頬に手を当てて幸せそうな顔をしている。

 相変わらず、美味しい物を食べている時のこいつの笑顔は輝いているな。見てて楽しい、とそう感じた。



 △▼△▼△▼△



「……なんでベッドが一つしかないのよ」


「そりゃずっと俺が泊まってた部屋なんだから当たり前だろ」


 晩飯を食べ終わった後、いつもの自室に戻ってきたわけなのだが、こいつはいきなりそんなことを聞いてきた。

 俺が当然のようにその問いに対して答えると、彼女の顔が思い出したかのようにみるみる青ざめていき、


「ひっ! や、やっぱりそういうことなのね!?」


「……いや、そんなことするつもりないぞ。ただ、お前を抱き枕にして寝るだけだ」


「だ、抱き枕!?」


 俺の返答を聞いた彼女は己の肩を抱き、その綺麗な青い瞳に怯えの感情を宿して俺の方を見てきた。


 しかし、俺には無理矢理そういうことをする趣味も無いし、何より相手はこいつだ。

 不思議とそういう感情は湧かない。異性の女性というより……妹? まあ、そんな感じ。


 でもまあ、こいつは何というか――そう、一目見た時から抱き心地が良さそうだと思っていたのだ。

 抱きついて寝るくらいならこいつの主として許される範囲だと思う。


「と、いうことでこっちに来い」


「なっ……」


「命令だ」


「――――」


 観念、諦観。

 奴隷故に主には逆らえないことが分かっているのだろう。悟った顔をして、とことこと歩いてくる。その姿を見て背徳的な気分になる。

 ……なんだかいけないことをしているみたいだ。抱き枕にするだけなのに。



 ベッドの上に登って来たのを見計って、フィーネリアの体を引き寄せる。

 体に触れた瞬間、彼女はビクッと体を震わせた。服越しにも相当力んでいるのが分かる。そんなに怖がらなくてもいいのにな。


「――っ」


 俺はそんな彼女のローブを掴んで、少々強引に正面から抱き寄せる。


 決闘の時に一回抱きついていた気もするが、予想より華奢な体付きだった。そして女の子ってこんなに細いんだ、なんていう未知に対する変な感想を抱く。


 加えて服越しに彼女の体温が伝わってくる。

 あったかい。丁度いい、心地のいい温度。適温、という言葉が似合う。

 当たり前だがこいつも生きているんだな、という正気を疑うようなことを思った。だが、それは仕様がないと言いたい。

 なんというか……こいつは作り物の人形ぽかったからな。ちゃんと血が流れていて少し安心した。


 息を吸うと、彼女の甘い香りが鼻の中を充満させて、思わずくらっとさせられるが――大丈夫、相手はこいつだ。

 よし、収まった。危ない、危ない。


 見てくれだけは最強だからな、こいつ。中身は残念すぎるから中和されてるけど。惚れたりしたら目も当てられない。


「…………」


 目線を下にすると、白金の髪がプルプルと震えているのが見える。ちょっと嗜虐心がくすぐられない訳でもないが、なんかこいつに怯えられるのは嫌だな。俺が悪いやつみたいだし。


 それはさて置き、やはりというか――抱き心地が良い。


 俺の腕の中にぴったりと収まって、柔らかさというか、心を落ち着かせる感触が腕を伝ってくる。

 やばい、これは極上だ。今日の疲れが一気に癒されていくのを感じる。

 ふふ、俺の目に狂いは無かったな。ナイスだ俺。

 

 俺が自分にグットサインを送るという中々高度なことをしていると、心地よい眠気が生じてくる。

 これに身を投げ出して――、



「ふぁぁ……じゃあ、おやすみ」



 俺は、眠りに落ちた。




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