ヴィクトリア・ウィナー・グローリア公爵令嬢は世界で一番偉そうである
「ヴィクトリア・ウィナー・グローリア公爵令嬢!君との婚約は破棄だ!」
大広間に声が響き渡って、ダンスパーティは動きを止めた。鮮やかなドレスの海の真ん中で、ヴィクトリア令嬢は暫し沈黙したが、やがてゆっくりと扇を取り出して口元に添える。
ヴィクトリア公爵令嬢は、この国一番の貴族の娘である。王族の母と、騎士団長の父を持つ、正真正銘の貴族のサラブレッドであった。
故に美しさは折り紙付き、金髪の流れる髪もワインレッドのドレスも、今日のこの場の中で最も目立っていると言っても過言ではなかった。
そんな彼女の誇りを地に叩きつけるやり方で、王子は婚約破棄を申し出たのである。
普通の令嬢なら泣くところだろう。あるいは怒るところだろう。
ヴィクトリア公爵令嬢はどちらもしなかった。
「なるほど。だが貴様に言うぞ、我は婚約破棄を許可していない」
実に落ち着き払った口調であった。死ぬほど偉そうである。王がじゃれついて噛んできた子犬を見るような目であった。
ぱしん、と音をさせて彼女は扇を閉じた。毒々しいまでの赤いドレスが似合う、金髪の御令嬢は婉然と微笑む。
「いいか、私はな、婚約破棄を許可しない」
「な、なに……何の権利があって……!君は公爵令嬢でしかない!王子である僕の命令が聞けないのか!?」
「聞けぬ」
ぱしん。彼女は扇で掌を軽く打った。めちゃくちゃ偉そうである。
王子……フレデリック・オーストウェンは言葉を失う。彼はあまり己の命令を真っ向から拒否する相手に出会ったことがなかった。彼に悩ましげに凭れ掛かるパステルピンクのドレスのご令嬢が、困ったように微かに眉を寄せる。
「僕はマリアを……マリア・カタリア男爵令嬢を愛している……だから君との婚約は……」
「それは困ったな。私はフレデリック……いやフレッド、お前を殺すほど愛しているというのに」
怖い。
「えっ」
「心から愛しているというのに、酷い仕打ちだ。ここまで熱烈に人を愛したのは初めてだぞ?」
「う、嘘だ……」
「王子。貴様はただ我の横にいればよい!それだけで国は栄えるだろう!」
何故か貴族たちの間から拍手が上がった。
拍手をしている貴族たちは、あれっ今なんで俺拍手したのみたいな顔をしている。ヴィクトリアの少女とも思えぬ貫禄に押された形であった。
その拍手の中心にいるヴィクトリアは、実に実に実に偉そうである。ついでに彼女は国一番の公爵家の娘であるので、異様な説得感があった。
令嬢は赤いマーメイドドレス姿でゆっくりと王子に歩み寄っていく。それはまるで魔王の如き姿であり、ただの小娘とも思えぬ迫力であった。
王子の前まで歩んでいった令嬢は不意に言った。
「ところで娘」
「娘……えっ、私!?」
パステルピンクのドレスの男爵令嬢がびっくりして目を見開く。てっきり王子に声をかけると思ったのに!この死ぬほど偉そうな公爵令嬢、私に声をかけてきやがったと言った心の声が漏れ聞こえてきそうな動揺の仕方である。
「男爵令嬢。そなたの家は貧乏で実に困窮しているようだね」
「え……えっ……」
「王子の嫁になれば金が手に入ると誰かから吹き込まれたかね?それは大変に危険な道だろう」
「あ、あの……」
「公爵家と男爵家では身分が違いすぎるのだ。わかるだろう?」
微笑みながら言われて、男爵令嬢は青ざめて黙り込む。令嬢は心臓がばくばくして、何も考えられなくなった。ああどうしよう。きっとこのお方は、王子様にこんなことを言わせた私と、お父様の家を取り潰すつもりだわ。王立学園では悪役令嬢と囁かれたこのお方だもの、きっとそうに違いないわ!
「つまり、ーー公爵家であれば男爵家の困窮を多少は救ってやれるのだ。こちらには身分がある。金がある。貸しにしよう。大方緑の月にやってきた嵐で畑が荒らされたことが原因なのだろう、不作が原因ならなんとでもしよう。喜べ」
もうめちゃくちゃに、死ぬほど偉そうである。
だが、令嬢にとってはまさしく天の助けであった。呆然とする。
その頬に白い手が触れた。ヴィクトリア公爵令嬢はマリア男爵令嬢の頬をそっと優しく撫でて微笑んだ。まるで王が子猫を愛でるような撫で方であった。
なんて美しい目……なんて優しい手……
「お、お姉さま……」
男爵令嬢は死ぬほど現金な上にちょっとおばかだった。
「お姉さま!?」
びびりまくったのは王子の方である。なんでこうなるんだ、マリアは僕を愛していたはずでは!?みたいな調子で大混乱である。
「さてフレデリック。そなたに残ったのは醜聞だけになったぞ?」
「うぐっ……」
「こんな馬鹿をやらかす王子を誰が愛する?誰が赦す?誰が夫とする?」
ヴィクトリアは婉然と微笑んで言う。やっぱり死ぬほど偉そうである。
王子は絶望感に包まれた。確かにそうかもしれない……とヴィクトリアの異様な迫力に呑まれて思う。そうだ。自分は公爵家の令嬢を皆の眼前で蔑ろにした。貴族たちはきっと呆れただろう。マリアへの愛に盲目だったとはいえ……誰がこんな僕を、夫に……誰が僕を赦して、愛してくれるっていうんだ……
涙が溢れ出て、王子は慌てて顔を覆った。この王子、小さい頃からあまりによく泣きじゃくるので塩水自動生成機と裏であだ名されていたのを本人だけが知らない。
「我が愛そう」
王子は顔をあげた。ぽたりと涙が落ちた。
「なん、だって……?」
「我の隣にいればよい!」
覇王のごとき迫力であった。令嬢なのに。
「醜聞塗れでもよい。馬鹿王子とあだ名されようともかまわぬ。誰を愛そうが別によい。我の隣で、国の未来を共に見に行こうぞ。何せーーこの国の王子はそなた一人しかおらぬのだ、フレデリック!前を向け!そして正しき王となれ!そなたにならできる、きっとできる。未来の国王よ、我に未来を信じさせよ、この国はきっと良くなると!」
やはりヴィクトリア公爵令嬢は死ぬほど偉そうであった。死ぬほど偉そうな演説もどきに王子は泣きじゃくり来ていた貴族たちはなんとなく迫力に押されて拍手をした。なんだこれ。
彼女は王子に歩み寄ってそっと顎を上げさせる。まるで乙女ゲームに出てくるイケメンのごときイケメンっぷりであった。
「フレッド。……そなたはさっき、我に婚約破棄したな?」
「ひゃ、ひゃい……」
王子は鼻をずびずびさせながら答える。
「では我から言おう。——もう一度、婚約をしよう。我と結婚しろ」
「はいぃ……」
王子は公爵令嬢の死ぬほど美しい眼差しと強引な言葉にあっさり陥落してしまった。
ハッピーエンドである。大団円である。
ヴィクトリア公爵令嬢はそれからフレデリック王子と偉そうに結婚した。マリア男爵令嬢の領地はヴィクトリア公爵令嬢の手助けで困窮を免れ、やがて国で一番の美味しいワインを製造する話題の領地となった。彼女はそのワインを持って、二人の結婚式に馳せ参じたという。
泣き虫な王子はその際にも嬉しさで泣いてしまい、ヴィクトリアは婉然と笑ってワインを受け取った。「結婚の儀への供物、実によいぞ」だそうである。超偉そうである。
彼女は王妃となって、フレデリック王とともに国に君臨した。
他所の大国の腹黒王子を偉そうに圧倒し、たぬきな宰相をイケメンオーラでのして、国の地位を国際社会で引き上げていった。
今日もまた、ヴィクトリア王妃は死ぬほど偉そうである。
「ヴィクトリア、君は本当に偉そうだ。僕より偉いみたいに振る舞うじゃないか」
「天上天下唯我独尊だが?」
「どっかの宗教家みたいなこと言うね……」
苦笑してから、若き美しい王はいう。
「でもそういう君が、最近僕は悪くないと思えるよ。君がそばで偉そうにしてくれると、君らしくて安心する。他の貴族は色々言うけど、嫌いじゃない」
王は笑って王妃を見る。美しい王妃はぱちりと瞬いた後で唐突に王を壁ドンした。
壁がみしっと震えた。怖い。
「いやなんで????」
王の顎を持ち上げる。
「いや待って」
「待たぬ」
距離が零になった。
やっぱり今日もヴィクトリアは世界で一番偉そうである。
たまには身分通り死ぬほど偉そうな公爵令嬢もありですよねって……お読みいただきありがとうございました!
この続きがさくっと読める短編連作形式の連載版、【ヴィクトリア・ウィナー・オーストウェン王妃は世界で一番偉そうである】もよろしくお願いします!