もう決して放さないから
「あは、あは、あは、あはははは」
咲は狂ったように笑う。
口を大きく開き、咲は崇の喉笛に喰らいつく。
「うあ」
反射的に体を反らしたが肩口に激痛が走った。
「うっ、うっ、ううう」
崇の肩口の肉を喰いちぎり咲は唸る。それはもはや人とは言えない。
(こんな咲が見たかった訳ではない)
崇は心の中で叫ぶ。そして、はたと気がつく。
こんな咲にしてしまったのは紛れもなく自分なのだと。これは、自分に課せられた罰なのだ。
そう思い到った時、崇から力が抜ける。抵抗する気力が失われる。
「うは うは うはははぁ」
咲は絶叫して再び崇に襲いかかる。
それで咲の気が済むならばそれで良い。
崇は全身の力を抜き、目をつぶった。
視界が暗闇に包まれ、最後の瞬間を今か今かと待ちわびる。だが、最後の瞬間はなかなか訪れなかった。
崇はゆっくり目を開ける。
衰が咲の髪を鷲掴みにして押さえ込んでいた。崇と目が合うと衰は言った。
「どう?城崎さん。現実は厳しいでしょう」
衰は咲の肩を掴むと強引に引き起こし、その腹に蹴りを食らわす。
「ひぎゃあ」
窓際迄吹き飛び、悲鳴上げる咲。
「これで満足でしょう。
あなたが恋い焦がれていた奥さんはもうどこにもいないわ。
もしくは、あなたを心底恨んでいる。
あなたの謝罪は拒絶されたわ」
衰はするりと右手を下手に構える。その手には銀の針があった。
「な、何をするつもりだ」
「消すのよ。人に害をなす前にね。
それが私の仕事よ」
「ふぅーー ふぅー ふぅ」
咲が四つん這いになり威嚇する猫のような声を上げる。そして、猛然と衰に襲いかかった。それを待っていたかのように衰は右手を振るう。
スン
銀の針が肉にめり込む。
「城崎さん……
なんのつもり?」
衰の針は、咲と衰の間に強引に割り込んだ崇の背中に突き刺さっていた。
「もういい。もういいんだ。咲は何も悪くない」
崇は庇うように咲を抱きしめ、叫んだ。
「悪いのはみんな私だ。
あの時、私が手を放しさえしなければ」
崇は渾身の力で咲を抱きしめる。
「あ、あああ」
咲は苦しげな声を上げた。
「お前は お前は やはり恨んでいるのか
済まない
あの時 私が手を放しさえしなければ
許してくれ
許してくれ
本当に 本当に 済まなかった」
「うううう、ああああぁ」
咲はますます苦しげな呻き声を上げる。
「全ての罪は私にある。お前が私を殺して気が済むなら殺してくれて良い。
お前がそれで救われるなら、それでいい。
それが それが私の望みだ!」
「あああ あああああ」
咲は崇を突き飛ばす。
頭を抱えて、身悶え、絶叫する。咲は天を仰ぎ、悲鳴を上げつづける。やがて悲鳴は慟哭となる。
そして、糸の切れた操り人形のようにがっくりと床に崩れ落ちた。
「咲! 咲! 大丈夫か? しっかりしろ」
崇は慌てて咲を抱き起こし、名前を呼ぶ。ゆさゆさと体を揺するとやがて、咲がゆっくりと目を開けた。
「ああ……あなた」
少しおぼつかない調子で咲は呟いた。
「さ き なのか?
咲、本当にお前なのか?」
憑き物が落ちたように柔らかな表情を見せる咲を見て崇の鼓動は早くなる。
「そうよ。ふふ、なに変なこと言ってるの」
咲は優しく微笑んだ。その微笑みを見た崇の瞳から涙が溢れでる。
「咲、咲。ずっとずっと会いたかった。
ようやく ようやく 私はお前に謝ることが――」
咲の手に頬を優しく撫でられ、崇は言葉を失う。
「でも良かった、無事で。
ずっと心配していたのよ」
予期せぬ言葉をかけられ、崇は戸惑う。
「えっ?お前、何を言って……」
「心配していたのよ。
ずっと心配していたのだけど、何か暗い、フワフワしたところで上も下も良く分かんなくて……
そのうち何も分からなくなって……
どこかでずっとあなたが呼ぶ声が聞こえていた。だけど、小さいすぎてどこから聞こえてくるのか分からなかったの。
でもね、さっき急にはっきり聞こえたのよ。
『ああ、あなたの声だ』と思ったら目が覚めた」
「咲、聞いてくれ。私は、私はお前に謝らなくてはならない」
「何を?」
「私が手を放したことをだ!
あの時、私が手をはなさなければ、お前は、お前は――」
「ごめんなさい」
謝ろうとした崇は、反対に咲に謝られて面食らう。
「な、何でお前が謝ってるんだ」
「だって、手を放したのは私だもの。あのままでは、二人とも死んじゃうと思ったから。
ごめんなさい。それが逆にあなたを苦しめてしまったようね」
咲はそう言うと少し哀しそうな目をした。
と、ふわりと咲の輪郭がぼやける。そして、キラキラと淡い光を放つ粒子になって四散していく。
「さ、咲。ダメだ、まだ、話したいことが山ほどあるんだ」
咲に起きた異変の意味を悟り、崇は必死に咲を抱きしめる。
「ダメだ、ダメだ、ダメだ。
もう放さないと言ってるだろ。絶対に放さないって!」
崇の必死の叫びに咲は少し困った顔をした。
「ごめんなさいね。
放すのはいつも私。
あなたは一度も私を放さなかったわ。
ありがとう 愛してくれて
ありがとう 忘れないでいてくれて
ありが――」
するりと崇の腕から咲の体がすり抜け、光の微粒子となって四散する。
「うわぁぁぁ、咲、咲、さきぃーーーー」
崇は膝をつき、額を何度も床にうちつけ泣き続けた。
* * * * *
地響きを立てながらヒトガタが大に迫る。
「なかなかに面白い隠し芸だ」
額から流れる血を指で拭い、ペロリと舐める。体中に切り傷とアザができ、服もボロボロになっていたが、不敵な笑みは消えていない。
「なら、そろそろ俺も見せちゃおうかな。
ポ○イのほう○ん草的なやつ」
大は右手をすっと横に伸ばす。その手にはコンビニで売っているワンカップの日本酒が握られていた。親指で蓋を弾くと一気に喉に流し込む。
「くはぁ!身に沁みるぜ」
大は口を腕でぬぐうとヒトガタを見上げる。
ヒトガタはもう目前にいて、片足を大きく上げていた。そのまま大を踏み潰すつもりなのだ。
大の顔からにやけた笑いが消える。
そして、低く、呟く。
「
一献 献上
大 吟上
真の名にて
乞い奉る
かりそめの身を棄て……
」
ヒトガタの足が大の頭に落とされる。
ズズン
砂ぼこり舞い立つ。しかし、大は潰されてはいない。驚いたことに巨大なヒトガタの足を受け止めていた。
「
本性現せ
酒 呑 童 子
顕 現 !!
」
大の大音声が響き渡る。
と、大の体から禍々しい障気が溢れるでる。
ボコリ ボコリ と大の体が二回りほど膨れ上がる。同時に肌が赤銅色に輝き、髪もバサバサと伸びる。更に頭頂から二本の角が現れる。
「うりゃあー」
気合い一閃。ヒトガタが体勢を崩して尻餅をつく。
大は酒天童子に化身した。
「うおおおおおおあ」
酒天童子は雄叫びを上げる。
ズズズズズとみるみる体が大きくなる。
5メートル
10メートル
15メートル
20メートル
ついにヒトガタを越える大きさになる。
ヒトガタは立ち上がり、酒天童子と対峙する。
「はぁあぁぁぁ」
威嚇するようにヒトガタが吠える。
「がああああ」
負けずと酒天童子も吠え返す。
「ずりゃあ」
酒天童子の拳がヒトガタに炸裂する。当たった瞬間、爆風が起きヒトガタの体が数十メートル吹き飛ぶ。
酒天童子は攻撃の手を緩めない。そのまま跳び膝蹴りを食らわせる。
もんどおり打ってヒトガタは海面に落ち、盛大な水しぶきが起きた。
酒天童子はヒトガタの頭を掴むと強引に立ち上がらせてる。やや上体をそらすと強烈な頭突きを叩きこむ。
ヒトガタの頭が弾け飛んだ。
「はっははははあ」
ヒトガタを圧倒して酒天童子は哄笑する。
ふと、酒天童子は動きを止めた。首を回し岬の方を見る。
崖の上に人影があった。
衰が一人、崖の上に佇んでいるのを認め、すぐさま、その意味を酒天童子は理解する。
「そろそろ、家に帰る時間だ」
そう言うと酒天童子はヒトガタを重量挙げのバーベルのように頭の上に抱え上げる。
「ほうらよ!」
少し助走をつけるとそのまま、空高くヒトガタを放り投げる。
放り投げた先は、『ほころび』の虚無が広がっている。
ヒトガタは狙いたがわずその虚無に飲み込まれた。
ヒトガタが『ほころび』の中に戻ったのを確認した衰は、手にした針を口に咥える。針についた金色の糸が風にキラキラとたなびく。
「
烏羽 衰
針動かして
鳥羽 哀
真の名にて
乞い奉る
かりそめの身を棄て
本性現せ
姑 獲 鳥
飛 翔
」
崖の上から金色の軌跡を残し巨大な化鳥が舞い立つ。
姑獲鳥は『ほころび』まで飛翔すると急降下する。
キィィィー
空間が縫い合わされる。
姑獲鳥が今度は急上昇する。
キュウウウー
空間が引き絞られる。姑獲鳥は空中を何度も上下して『ほころび』た空間を縫い合わせていく。
ピィイィーー
姑獲鳥が甲高く鳴いた。
やがて、辺りは何事もなかったように静寂に包まれた。
2019/02/28 初稿




