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笑う女と泣き童子

 崇は廃屋の二階で一人椅子に座っていた。

 明かりもない部屋の真ん中で椅子に座り、壊れた窓枠をじっと見ていた。

 そこで待っていれば妻に会えると衰に言われたからだ。

 どのくらい待っているのか。刺激のない空間で過ごすうちに時間の感覚はすっかり麻痺していた。

 おそらくは真夜中なのだろう。

 先ほど、港の方から耳障りな音が響いてきたが、それもすぐに聞こえなくなった。

 何かが起きているのかは良くわからないが、崇の常識からは測ることのできない何かが起きている予感はあった。

 でなければ、衰に言われたからと言って、真夜中にこんなところに居座ることなどなかったろう。

 崇は昼間した衰との会話を思い出す。

 あのとんでもなく奇妙な話を。



 

「城崎さん。あなたが引っ張っているものは元を正せば、あの出来事で亡くなられた人たちなの」

 

 衰は崇に背を向けながらそう言った。


「だからこそ、あなたの哀しみに強く引き寄せられる。

普通なら、時と共に忘れられるか、薄れていくものなのよ。

ちょうどこの線香の煙のように、漂い、拡がり、そして、消えていくもの」


 衰は手にもった線香の束を少し振って見せる。線香から立ち上る煙は白い筋となってゆらゆらと空中に上り、薄れ、やがて消えて無くなる。

 衰は線香を窓枠に備えると両手を合わせて静かに祈りを捧げた。

 祈りを捧げ終わると衰は崇に向き直る。


「さっきも言ったけれど、あの出来事の直後は城崎さん以外にも沢山の人が哀しみを抱えていた。でも、時が経つにつれ一人、一人と立ち直っていった。結局、残っているのは城崎さん、あなただけ」

「しかし、私は――」


 反論しようとする崇を衰は手で制した。


「そのことであなたを非難するつもりはないわ。哀しみや苦しみをどう消化するかは、人それぞれよ。

重要なのは、あの出来事で亡くなられた人たちは、今はもうあなた一人に集中しているという事実。

何千という苦しみや哀しみに、恨み辛みが城崎と言う一点目指して、集まって重い淀みになっている。

その淀みは、他の良くないものも取り込んで、こちらとあちらの境界を突き破るほど大きく、重くなっている。

そして、ここが肝心なところ。

その淀みの中には咲さんがいるってことよ」


 咲の名前が出て、崇の体はピクリと震えた。


「境界がほころびて淀みが『こちら側』ににじみ出てきたら、きっと咲さんはあなたに引き寄せられるわ」

「つ、つまり、それは……

咲に会えると言うことか?」

「そうよ。さっきの『さきぶれ』が化けたような偽物ではなく、正真正銘の『咲』さんよ」

「本当に、本当に咲に会えるのか?

なら、なら……

咲にずっと聞けなかったことが、聞きたかったことが聞けるのか?」


 衰の言葉に崇は思わず詰め寄る。その表情は長年の夢が叶うと言う希望に満ちたものだったが、衰の次の言葉がその希望を微塵に打ち砕いた。


「それはなんとも言えないわ」

「なんだって?」

「三十年もの長い間、なにもない空間で良くないものに囲まれ漂い続けて正気を保てるほど人の心は強くないの。

もしかしたら、咲さんの心はとうの昔に消えてなくなっている可能性が高い」

「そ、そんな……」

「仮に奇跡的に残っていたとしても、あなたを恨んでいる可能性もあるわ。特に周囲には負の感情が溢れているから、それに感化されて悪霊化しているかもしれない。

その場合、咲さんがあなたに何をするか分からないわ」


 咲が自分を恨んでいる。

 悪霊化?

 あまり聞きたくない言葉に崇は身震いする。


「正直、とても分の悪い賭けよ。

だから、お薦めはしない。止めるなら今のうち」


 衰が言葉に崇は一瞬心が揺れた。諦めてしまえば全てが丸く収まる。そんな考えが頭に浮かんだ。


「いや、いや、いや」


 崇はぶるぶると頭を振り、弱気を払う。


「良い。もしも、咲が私を恨んでいるならなおさら会わなくてはならない。絶対だ!」





 そう決断した崇に、衰はここで待てと言った。

 待っていれば、必ず咲が現れると。

 まともな頭ならとても信じられない話だったが、崇は信じた。

 信じて、崇はじっと待っていた。

 何時間でも待つつもりだった。


 

* * * * *


 朽ち果てた港から少し離れた人気(ひとけ)のない砂浜に黒い波が静かに打ち寄せている。遠浅の海にぼぅと白い人のようなものがいた。その数は何百を数える。バシャバシャと水を跳ね上げながらゆっくりと岸へと歩いてくる。

 

「おお、来た、来た。どんどん来る」


 大は両手を組んで近づいてくるものを面白そうに眺めていた。


「『ほころび』から出てきたものたちは皆、城崎さんに引き寄せられてこの町にやってこようとする。でも、港周辺には私が弱い結界を張ったわ。結界が張られていないのはこの砂浜だけ」


 隣に立つ衰が淡々と説明する。


「つまり、ここは底に穴の開いたすり鉢の穴ってわけだ。

あいつらは結界にぶつかり、押し合いへし合いしながらこの砂浜に集まってくるって寸法か」

「その通りよ」

「で? どうするんだ」

「ひとつひとつ潰すの」

「うえ?! いいのかよ。

あン中には、あのおっさんの恋女房がいるんだろ?」

「多分、いないわ。

咲さんは他のものよりも強く城崎さんに結びつけられている。

だから、おそらく最短距離を取ろうとするわ。

私が張った弱い結界なんてものともせずにね」

「そうなのか?」

「そうよ」

「そうかぁ。ンじゃあ、遠慮なく!!」


 大は、そう言うが早いか海に向かって駆け出した。


「ひゃっほぅいー!」


 大は一足で十数メートルを跳び、『白いヒト』がひしめく海面に着水する。盛大な水柱(みずはしら)が上がり、その勢いだけで何体もの『白いヒト』が吹き飛ばされた。

 水の柱が収まると大は上半身を海面の上に出し、近くにいる『白いヒト』たちを殴り、蹴り、掴んで投げ飛ばした。

 海岸周辺で群がる『白いヒト』相手に戦いを繰り広げる大。

 だが、その戦闘を逃れて岸に辿り着く『白いヒト』も少なくはなかった。

 その取りこぼされた『白いヒト』の前には衰が立ちはだかった。

 衰は動きの遅い『白いヒト』たちの間を滑るように駆け抜け針を打ち込んでいった。


 ビュッ!


 不意に風を斬る音と共に腕を鞭のように伸ばした『白いヒト』の攻撃が衰に襲いかかる。

 その攻撃をスウェーバックで避ける。

 間髪をいれずにもう一つの腕の鞭が衰の足元を狙って打ち込まれる。

 足を払われるかと思った瞬間、衰はジャンプする。頭を中心にきれいな弧を描く後方回転で軽やかに着地するとすぐさま攻撃してきた『白いヒト』との間合いを詰めるべく、突進する。

 直進してくる衰の動きに合わせるように『白いヒト』は両手の鞭を振る。

 左右の鞭が両サイドから衰に襲いかかる。

 二つの鞭が交差する瞬間、衰は跳躍して『白いヒト』の肩に手を置き、それを支点に後方に降り立つ。

 衰の着地と同時に『白いヒト』は崩れ落ちる。

 その額には銀色の針が突き立てられていた。

 何事もなかったように針につけられた糸を引っ張り針を回収すると、衰はだるそうなため息をついた。

 ふと、何かに気付いたように後方の町に目を向ける。うなじの産毛がチリチリと毛羽立つ。それは何者かが自分の結界に侵入してきた証だった。

「ようやくお出ましね。

城崎さん。あなたの思いとやらを見せてもらおうかしら」 


* * * * *


 静けさで耳が痛くなる。

 小説を読んでいるとそんな表現があるが、そういうことが本当にあることを崇は初めて経験した。

 聴覚の感度がどんどん上がり、何か厚ぼったい栓を耳に被せられたような感じだった。

 それほどまでに何も聞こえない。


 カサリ


 どこかで何かの音がした。音の出所を無意識に目で探す。そして、視線を窓に戻した瞬間、崇は心臓が停まるかと思った。

 咲が窓際に立っていた。

 三十年前の崇の記憶に生き続けた咲がそこにいた。

 

「さ、咲なのか」


 絞り出された声は自分でも驚くほど掠れていた。


「あなた」


 咲は崇を見つめるとゆっくりと微笑む。


「咲。咲なんだな」


「ああ、あなた。あなた」


 崇は確信する。目の前にいるのは間違いなく三十年前に失った咲であると。

 崇は歓喜に震えながら、両手を広げ前に出る。


「あなた、あなた、あなた」


 咲も両手を広げ崇へと駆け寄る。満面の笑顔。


「あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなた」


 咲は絶叫しながら、崇に突っ込んできた。崇はその異常さに硬直する。

 二人はぶつかり一塊になって床に転がる。


 崇は苦痛に顔をしかめながら目を開く。

 咲に馬乗りにされ、身動きが取れないことがすぐにわかった。


「あ~なぁ~たぁ~、あなたぁ、あなたぁ」


 人はこんなに長く舌を伸ばせるのかと思えるほど咲は真っ赤な舌をだらりと垂らし、表情は虚ろな笑みをうかべていた。

 

『三十年も正気を保てるほど人の心は強くない』


 衰の言葉が崇の頭に木霊した。やはり、やはり、そうなのか、と崇の心は哀しみに満ちる。

 ポタリと垂れた咲の(よだれ)が頬を伝う崇の涙と混ざりあった。



* * * * *


「なんだぁ?」


 大は目の前に立ち並ぶ無数の『白いヒト』の新たな動きに困惑する。

 『白いヒト』たちはいたずらに岸に向かうのを止め、ゆっくりと集まり始めていた。

 集まり、更に近づき、『白いヒト』たちは密度を高めていく。寄り添い、ねじれあい、やがて一つの巨大な生き物に姿を変じる。

 身の丈10メートル、いや15メートルはある巨大な白いヒトガタが完成した。


「こりゃまた、おったまげたな」


 巨大な『ヒトガタ』を見上げ、さすがの大も言葉を失う。


「はぁああぁぁぁぁぁ」


 『ヒトガタ』は地の底から湧き出てくるような湿った叫び声を上げる。

 両手を振り上げ、大にうち下ろした。


 ズズン


 ガス爆発のような振動が大地と空気を震わせる。土砂がもうもうと舞い上がり、大地に大きなクレーターができる。


「危ねェ」


 大は後ろに飛び退き、『ヒトガタ』の攻撃をかわす。

 しかし、『ヒトガタ』の攻撃は緩まない。

 右、左、更に右と。執拗に大に向かって拳を振り下ろしてくる。

 

「くっ」


 防戦一方の大の足が砂地に取られ、体勢が少し崩れた。


 ザシュ


 その一瞬の隙を逃さず『ヒトガタ』の蹴りが大の体を捉えた。

 大の体が毬のように蹴りあげられ数十メートル先の岩場に激突する。


「ぐはぁ」


 大は、大量の鮮血を口から吐き出し、がっくりと膝をついた。

 はぁはぁと肩で苦し気に息をする大に地響きを立てながら『ヒトガタ』が迫ってくる。

 

「こいつは、少しばかりヤバいかな」


 大は額に油汗を滲ませながら、一人呟いた。

2019/02/27 初稿

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