生者と死者の命題(テーゼ)
「三十年だ。三十年、私はずっと咲のことを思い続けていた。
ずっと謝りたかったんだ。
毎年。
この日にこの町にやって来て。
この花束を手向けようと思っていた。
海でも、この家でもどちらでも良い。花を手向け、謝ることができたら、それで全てが終わるとずっと思っていた」
全ての事情を話した後、崇は一階のキッチンの椅子に腰掛けたまま、言葉を続けた。
衰は腕組みをしたまま、近くの壁にもたれ掛かって聞いている。
「どうしてそうしないの?」
衰の言葉に、崇は目を剥く。
「できなかったんだよ。
咲が、咲が赦してくれるとは思えなかったから……」
「奥さんがあなたのことを憎んでいる、と思っているから?」
「ああ、ああ、そうとも!
赦してくれるはずがないじゃないか。
私は咲の手を離してしまったんだぞ。
見殺しにしたんだ」
「わざとやったの?」
崇は飛び上がると衰を睨み付けた。
「わざとのわけがあるか!!
仕方……無かったんだ……」
そう言うと崇は、力なく椅子に崩れ落ちる。
「なら、そういうことでしょう」
衰はつまらなさそうに言った。
まるでほうれん草を買ってこいと言ったのに売り切れだから青菜を買ってきた夫の言い訳を聞いている女房のようだった。
「頭では分かっているんだ。
だが、本当に咲が赦してくれるのか?
仕方無かったで、済ましてくれる話なのか?」
「そんなこと言ったら、もう奥さんに聞くしかないじゃないの」
衰は呆れた口調で言ったが、崇は顔を上げると叫んだ。
「そうだ!
咲に聞かなければ分からんのだ」
衰はあからさまにため息をついて見せた。
「全く。無い物ねだりの駄々っ子みたいね。
死んでしまった者にどうやって聞くと言うの?
城崎さん、良く聞きなさい。
三十年前のあの出来事はとても不幸な出来事だったわ。
あなたの奥さんのようにあの津波に呑まれて1000人から2000人の人が亡くなっている。しかも、そのほとんどが遺体すら見つかっていない。
多分、あなたの奥さんも同じよね?」
衰の問いに崇は無言で頷いた。
「だけど、逆の言い方をするとあの出来事で大切な人を失った人はあなただけではない。
何人、いいえ、何百人もの人があなたと同じ哀しみを味わったのよ。
でも、みんな、三十年の月日をかけて立ち直っている。
同じ所で足踏みしているのは、城崎さん。もうあなたしかいないのよ」
衰の言葉に崇は反応をしない。廃屋の中で衰は無言で項垂れる崇を見つめ続けた。
どれ程、時間が過ぎたろう。
「私にはできん」
崇はポツリと呟いた。
「もしも、この町が復興されていたなら違ったかも知れない。
だが、生き残った町の者たちはあっさりとこの町を捨てたんだ。
復興するよりも新しい場所で新しい暮らしを手に入れることを選択した。
その方が楽だったからだ。
いや。
生きるため。
生活のため。
そういう選択をするのを否定はしない。非難もしない。むしろ当然だと思う。
だが、私にはできないんだ。
咲を忘れるなんて、どうしてもできない」
「他の人たちも、忘れてはいないでしょう」
「そうかも知れない。
だが、そうでないかも知れない。
私には他の人間がどうしてるかなんか分からん。
少なくとも私は片時も忘れられない。それが事実なんだ」
「人にとって三十年は長いわ。とても長い。
その間、ずっと悩んで、謝り続けていたのなら奥さんも赦してくれると思うけれど」
衰の言葉を崇は首を横に振り、否定する。
「私が苦しもうと悩もうと、そんなことは関係ない。咲がどう思うかだ」
「その拘りが、他の人の迷惑になるとしても?」
崇は衰の目を直視する。そして、言った。
「そうだ。申し訳ないが、これは譲れない」
「何度も言うけど、死んだ人の答えなんて知りようがないわ。それこそ自分が死ななければね」
「なら、死んで『あの世』とやらで聞く」
崇は口の端を上げ、自嘲ぎみに答えた。そんな崇を見て、衰は肩を落とす。
「面倒臭いわ。
城崎さん、あなたは本当に面倒臭い人ね。
良いでしょう。
そこまでの覚悟があるなら。奥さんの答えを聞かせて上げるわ」
崇は顔を上げ、衰を見つめる。言っている意味を理解するのに少し時間がかかる。やがて、大きく目を見開く。
「何だって?そんなことができるのか?」
「ええ、できるわ。
ただし、どうなっても保証はしない。
最悪、死ぬことになるけど良いかしら?」
崇は衰をまじまじと見つめる。能面を思わすこの女は、多分嘘や冗談をいっているのではないだろう。もしも、この女が死ぬ危険がある、と言えばそれは額面通りの話なのだろう。
しかし、女の提案は三十年間、ずっと自分が求め続けていたものなのだ。ならば崇の選択は一つしかない。
「構わない。本当にそんな方法があるなら是非教えてくれ」
崇は一瞬の迷いもなくそう答えた。
2019/02/26 初稿