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哀しみの花言葉

 崇はキッチンに置かれていた今にも朽ち果てそうな椅子から立ち上がる。そして、慎重な足取りで二階へ続く階段を上っていった。

 

 その部屋は崇が咲を手放した場所だ。ほとんどなにも残っていない。洗いざらい津波が持っていった、あと時のまま。

 崇は窓枠へと目をやる。周囲の壁ごと抉り取られて、窓枠はひしゃげ、一部は壁が剥き出しになっている。どこか髑髏の眼窩のように見える。

 崇は部屋の中ほどで歩みを止めた。

 いつもそうだ。どうしても窓際まで行くことができない。

 視線を手に持つ花束へと落とす。

 崇はその花束を床に置こうと膝を折るが、それも途中で断念した。これもいつものことだ。

 手に持ったこの花を供物として海に投げ入れれば、或いはせめて、この場に置くことさえできれば思いきれるのに、それがどうしてもできなかった。


(くそっ くそっ くそっ)


 こんな簡単なことができない自分を崇は罵る。何年、何十年も同じことを繰り返す自分が腹立たしく、許せない。

 いや、違う。本当に許せないのは。()()()()ことは……



「あ な た …… 」


 微かな声が耳に届いた時、崇の体がピクリと震えた。

 

「あなた……」


 その声に聞き覚えがあった。忘れようもない妻の声。


「さ、咲なのか?」


 崇は部屋の中を見回し、声の主を探す。


「……助けて」 



 声は壊れた窓の外から聞こえてきた。


「ッ!」

 

 不意に窓枠を掴む指が現れた。

 そして、もう一つ。

 穿たれた窓枠を左右の手が掴む。まるで外から何かが侵入しようとしているようだ。

 いや、実際に何かが窓から部屋の中に入ってこようとしている。

 崇は痺れて動くこともできずに、ただそれを見守っていた。

 ズルリと両の腕が(あらわ)になり、両脇の窓枠を掴む。

 それは紛れもなく人の腕だった。

 ゆっくりと窓の外に顔が現れる。

 それは、三十年前、まさにその窓から失われた『咲』だった。

 あり得ない出来事に崇の頭は恐怖と歓喜と困惑で瞬時に沸騰する。


「あなた、助けて」


 『咲』は懇願するように手を伸ばした。


 思わず崇はその手を掴もうと一歩前に出る。


「それは、あまり感心しないわ。城崎さん」


 背後から声をかけられ、崇は驚いて振り向く。そこにはさっき崖で出会った女が立っていた。


「えっ? あんたは……なんで? 

いや、それよりは咲が、咲が……」


 崇は衰と咲を交互に見る。混乱していた。

 咲は、ゆっくりと首を傾げる。

 咲も何が起きているのか困惑しているのだろうか?、と崇は内心思った。


「あれは、あなたが思っているものではないわ。

全然違うもの。見た目に騙されると()()()()()()()わよ」


 衰はなおも咲に近づこうとする崇の肩を掴み、言った。

 咲の顔がゆっくり傾いていく。もう、水平に傾いてた。不意に崇はそれが異常な光景であることに思い当たる。


 グルン


 咲の顔が上下逆さになる。

 と思うと、ろくろ首のように崇たちの方に伸びてきた。

 崇は衰に突き飛ばされ、床に転がる。

 

「くっ。な、何をするんだ」


 強かに打った背中の痛みを堪えつつ、文句を言おうとした崇はその言葉を飲み込む。

 あり得ないほど伸びた『咲』の首が衰の胴体にぐるぐると巻き付けられていた。

 両手もまとめて締め上げられていて衰は身動きが取れない状態のようだ。

 首の先端についた『咲』の顔――、両眼がコブのように隆起し、これでもかと開かれた口からは人の腕ほどありそうな舌がぬらぬら蠢いている。もう、人の顔とも呼べない醜悪な代物が、天井近くの高さから衰を見下ろしていた。

 化け物の首に力が込められ、衰の体がギリギリと悲鳴を上げる。

  

「フシャァ」


 化け物が襲いかかるのと、衰が絞められていた右手を強引に引き抜いくのは、ほぼ同時だった。衰の右手の中指と人差し指の間には10センチほどの長さの針が挟まれている。

 矢の如く突っ込んでくる顔と衰の右手が交差する。


 スン


 衰の針は化け物の顔の目と目の真ん中に正確に打ち込まれていた。

 ばけものはピタリと動きを止め、力なく崩れ落ちる。そして、床に落ちる間も無く塵と化す。

 何事もなかったように、衰はオーバーの塵を払うと、床に転がった花束を拾い上げた。

 黄色い花の周縁に白い花弁のようなものが幾重にも並んでいる。一見すると花びらに見えるが、それは総苞(そうほう)と呼ばれるもので花びらではない。全体としては丸っこい白いヒナギクのような花だった。

 衰は尻餅をついたままの崇の前に花束を差し出す。


「この花、今時分に咲く花ではないわよね」

「えっ? あ、ああ。ビニールハウスで特別に栽培してる。

いつも、この時期に持ってくるために」


 差し出された花束を受けとりながら、崇はどぎまぎしながら答えた。


「そ、それより今のは一体なんなんだ?

あれは、あれは咲ではないのか?」

「咲とは誰のことか知らないけれど、あれは違うわ。

あれは、あなたが『こちら』に呼ぼうとしているものの一つよ」


 衰の言葉に崇は顔色を変える。


「ば、バカな。私はあんなもの呼んではいない。

そ、そもそも呼び方を知らん!」

「あなたの哀しみと後悔の念が、『あちらの世界』からさっきの化け物たちを呼び寄せているのよ。

あれは『さきぶれ』と呼ばれるもの。

放っておくともっとひどいものを呼び寄せることになる」

「わ、私の哀しみが呼び寄せている……だと?」

「そうよ、城崎さん。

あなたが哀しみを断ち切らないと今夜にも世界の境界が『ほころび』て、さっきのような化け物がたくさん『こちらの世界』にやって来ることになる」

「そんな、そんなことを言われても……

私は、私はなにも哀しんだり、後悔なんかしていない!」


 目をそらす崇を、衰は冷ややかな目で見おろした。しばらく、崇の反応を伺っていたがじっと押し黙ったままのため、ついに口を開いた。


「その花の名前は アンモビウム。

花言葉は 『不変の誓い』

そして……『永遠の悲しみ』

教えて、城崎さん。

あなたの『永遠の悲しみ』とは何なのかしら?」




2019/02/25 初稿


次話は 2/26 10:00 投稿予定です。

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