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棄てられた町

 衰は、足早に立ち去る崇の後ろ姿を黙って見つめていた。


「いいのか、あのまま行かせちまって?」

「仕方ないでしょ。まさか、あなたが取って喰うわけにもいかないでしょ」

「そうかぁ?

あいつが引っ張ってンなら、ほころびる前に喰っちまってもいいんじゃねーか。

そうしたら後腐れなェし、何より簡単だぜ?」


 真っ赤な舌で唇を舐める大を衰は冷ややかな目で睨む。


「ダメに決まってるでしょ。

あの男に邪悪さはないわ」

「んじゃ、あいつが引っ張ってンじゃねーんじゃねぇのか?」


 大の質問に答えず、衰は小さくなっていく崇の後ろ姿を目で追う。


「いいえ。あの男が引っ張っているのは間違いないわ。

あの男に邪悪がないのは確かだけど、その代わりとてつもなく強い慚愧と哀しみの念が滲み出ている。

それがあいつらを引っ張っている。

恐らく、あの男にそんな意識はないでしょうけどね」


 衰は視線を一転海に向け、沖合いを指差して言う。


「あの男が引っ張っている『よどみ』があの辺に集まっているわ。

大分歪んでいる。

あの感じだと、多分今夜にもほころび――

あら?!」


 衰は驚いたように声を上げた。


「どうした?」

「あそこ」


 衰は少し指差す方向を微調整する。

 大は衰の細い指先の延長線に目を向ける。

 常人には見えない。しかし、大の強力な視力は微かに金色に煌めく糸のようなものが空間に揺れているのをしっかりと捉えた。


「ほほう。ほころんでるな」

「ええ、ほころんでるわ」

「……つーことは?」

「そうね。もう、『さきぶれ』が『あちらの世界』から染み出てきてる」


* * * * *


 崇は一人、崖から町へと続く道を急いでいた。一度だけ後ろを確認し、先程の怪しげな男女が追いかけてこないことにほっと胸を撫で下ろした。

 やや歩調を緩め、崇は荒れ果てた道を進んだ。やがて、遠間に家並みが見えてきた。

 なぎ倒された壁。

 半壊した家屋。

 徐々に打ち捨てられた町並みが姿を現す。

 崇は廃墟の中を何の感慨もなく進んでいく。いや、何の感慨もなく、は正しくはない。毎年のようにこの道を通っている。

 崇の内面はこの道を通る度に哀しみにざわつくのだ。だが、哀しみが重ければ重いほど、哀しみは崇の心の内側に沈みこみ、外へ出ることを拒絶した。


 目的地に向かいながら、町並みのゆっくりとした変化に注意を向けて見る。

 割れたアスファルトの間から伸びる雑草や、赤茶けていく横転した車のボディとかだ。

 それらは全て、時の流れと自然により刻まれた変化であり、人によるものは皆無だった。

 それはこの町が人々から見捨てられていることを意味していた。

 崇はある家の前で立ち止まる。

 他の家と同様、酷い有り様だった。特に海に面した壁が抉りとられて、元の半分ぐらいになっている。

 建っているのが不思議な位だった。

 今年も崩れずに建っていたか、と崇は心の中で呟いた。


「お前も頑張るなぁ。

いっそ、崩れてくれたなら私も諦めがつくのだが」


 それは、崇がこの家にかけるいつもの言葉だった。

 少しの間、廃墟を見上げていたが、崇は壊れた壁を越え、家の中へと入っていった。

 床に散乱した窓や食器の破片を踏みしだく度に、カシャリ、カシャリと音が鳴る。

 そこはかつて居間であったところ。

 その奥はキッチンだ。

 毎年見ている光景なのに崇は深い哀しみに包まれる。


(さき)……」


 崇の口から漏れたのは亡き妻の名前であった。



* * * * *



「はっ。 はっ。 はっ。 はっ」


 吟上大は廃墟を大股で疾走する。

 その数メートル先を白い得体の知れないものが崩れたアスファルトの道路を滑るように移動していた。

 白い敷布に見えない紐を付けて誰かが引っ張っているように見えるがそうではない。

 それは自らの意思を持って動いていた。

 その名は『さきぶれ』。

 『先触れ』とも書く。それは異界からこの世に染み出てきた()()()()()()()()()()()、だ。

 十字路に差し掛かると『さきぶれ』は不意に右に方向を転じる。

 塀に阻まれ、大の視界から『さきぶれ』の姿が見えなくなった。


「甘ぇってよ!」


 大は一声吠えると跳躍する。

 2メートルはある塀の上を軽々と飛び越る。

 跳躍によるショートカットで一気に『さきぶれ』との距離を縮める。

 大は猛禽類のごとく『さきぶれ』に襲いかかった。


「しゃあ!」


 『さきぶれ』の体のほぼ真ん中に大の腕がめり込む。腕は『さきぶれ』を易々と貫き、勢い余って地面を叩く。


ズン!


 地面が半球状にへこみ、爆発的な土砂が周囲に舞い上がった。


「ちっ」


 大は忌々しそうに舌打ちする。

 左右と上に『さきぶれ』たちが逃げていく。『さきぶれ』が貫ぬかれる寸前に自らの体を分離させたのだ。


「しゃらくさい!!」


 大は足元に転がっていたマンホールの蓋をひっ掴むと空に投げる。


ブツン


 高速回転したマンホールの蓋が回転ノコのように上へ逃げようとした『さきぶれ』の体を両断する。


 残り二つ。


 大は左右に逃げていく『さきぶれ』たちへ素早く視線を返す。

 右に狙いをつけダッシュしようとした大だが、足がもつれてバランスを崩した。

 倒したと思っていた『さきぶれ』がウネウネと蠢き、大の両足に絡みついている。腕にも白蛇のように巻きついてきた。

 大の腕に巻きついた『さきぶれ』の一部が焼いた餅のようにプクリと膨れ上がる。そして、膨れた先端が二股に割れる。割れた間には鋭い牙が生えている。まるでSF映画に出てくる異形の怪物の顎のようだ。


「フシュルルル」

 

 顎はダラダラと粘液を撒き散らしながら大の喉に食らいつこうと迫る。が、大は迫る顎を何事もないように鷲掴みにすると、そのまま握りつぶした。

 軽く足を開くと、足に絡みついた部分も紙のように引きちぎれた。

 唾を吐き、先程の『さきぶれ』たちを目で追いかける。ほんの一瞬の出来事だったが、そのせいでかなり距離を稼がれている。今から追いかけても追い付けない。


「めんどくせぇ」


 大が諦め気味に舌打ちした時、右に逃げた『さきぶれ』が急に動きを止めた。

 『さきぶれ』は戸惑ったように中空でゆらゆらと漂う。進行方向に黒いオーバーの女が立ちはだかっていたからだ。

 しばらく考え事をするように揺れていた『さきぶれ』は、横に移動する。壊れた壁に空いた穴に逃げ込む気だ。

 衰は右手をポケットから引き抜き、振りかざす。

 右手の指の間には四本の銀色に輝く細く長い針が挟まれていた。

 手馴れた所作で右手が振り下ろされる。

 衰の手から放たれた三本の針が銀色に煌めく。


カツン カツ カツ


 投げられた三本の針が穴に逃げ込もうとした『さきぶれ』を壁に縫い付けた。

 『さきぶれ』は逃れようと激しく体を動かすが、壁に食い込んだ針はびくともしない。


 衰はゆっくりと『さきぶれ』に近づく。

 と、『さきぶれ』の体の一部が膨れる。膨れた部分が更にザワザワと脈打った。

 やがて、それは女の顔になった。


「お願い助けて。

見逃して。助けて、助けて」


 女の顔が悲痛な表情で哀願し始める。

 衰は歩みを止めると、女の顔をしたものをじっと見つめた。


「助けて、お願い。

何でもするから見逃して」


 女の顔は上目遣いで媚びを売るように衰を見つめる。


スン


 衰は何の感情もみせず、女の眉間に針を突き立てた。


「うぎゃあぁぁー」


 女は絶叫するとドロドロに溶けていった。


「本当にこいつらは性質(たち)が悪い」


 衰は吐き捨てるように言った。

 

「おう、済まねえ。しくじった」


 大が罰が悪そうに言うが、衰は大して気にする様子もなく答える。


「いいわ。それよりあと一つ。

手分けしましょう。

大はあちらをお願い。私はこっちを見るわ」


 



2018/02/22 初稿

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