黒い服の女
黒のオーバーサイズコートに両手を突っ込んだ黒髪ロングの女が鉛色の雲を背景に立っていた。
色白のうりざね顔に、丸っこい眉、スッと取った鼻筋、切れ長の目に赤い唇を持つ古風な顔立ちだった。
顔の個々のパーツは美しいがあまり美人に見えないのは、眉根をひそめた不機嫌そうな表情のせいだろうか。
黒髪と黒い服装が女の肌の白さをより強調する。それは、まるで黒い闇に浮かぶ能面のように思えた。
能面、特に女面に増女と呼ばれる物がある。小面、若女などのように明るさや愛らしさを表現する面ではなく、神仏のような悟りを開いたものを表現する時に使う面だが、目の前の女にもその増女の面のような何か達観した雰囲気が漂っていた。
大に背後に忍び寄られた時は驚いたが、今度は驚くよりゾッとした。それは、女の雰囲気だけではない。ずっと崖を背にして大と話をしていたのだ。先程のように背後から忍び寄ることなどできるはずがない。それこそ空から飛んでくるか、空間から不意に現れるかでもしなければ。
「烏羽衰よ」
女は崇が何も言わないうちに自ら名乗った。
スイと聞いて、崇は大から出てきた言葉を思い出した。
『……衰の奴……』
ならば、この女がその詳しく聞けと言われた人物と言うことなのか、と崇は女を見ながら思った。
「お名前を教えていただいて宜しいかしら?」
低いが良く通る声が女から発せられる。
「城崎、城崎崇だ」
まるで魔法にかけられたように何の抵抗もなく名乗ってしまったことに、崇は少し動揺を覚えた。
「なら城崎さん。一つ良いですか?
あなたはここに何をしにきたのか、教えていただけませんか?」
「なっ?!」
まるでアンケートを取るように事務的物言いをしてくる女に崇は少し怒りを感じた。
何故自分がここに来た理由を初対面の怪しげな男女に告げなくてはならないのだ。話してやましいことなど何もないが、ベラベラと話すことでもない。
何か土足で家に踏み込まれたような面持ちがした。
「何で、私が君たちにそんな話をしなければならないのかね?
そもそも、こっちこそ、聞きたいことがある。
『あいつ』とか『臭い』とか『引っ張る』とか、そちらの説明をするのが先じゃないのかね?」
説明しても良いけれど、と女は言うと一旦言葉を途切った。
「きっと、理解できないでしょう」
「理解できる、できないは私が判断することだろう。そちらが決めることではない。」
崇の言葉に女、烏羽衰は軽いため息をつく。
そして、諦めたように再び口を開いた。
「この世界は一つではない。似たような世界が二つ、折り重なって出来ているの。
例えるなら水と油が混じり合うことなくそれぞれの層を作るようなものね。
この二つの世界を分ける層は、たまに『ほころび』る。
『ほころび』ができる原因は色々あるけれど、その一つが『こちらの世界』で誰かが『あちらの世界』を呼ぶことなの。そして――」
「私が、その『あちらの世界』を呼んでると言っているのかね!
全く、言いがかりにも程がある!!
そもそも、そんな荒唐無稽な話、信じられる訳ないだろう」
崇の怒声が衰の言葉を遮った。
衰の眉が描く八の字の角度がほんのちょっと急になった。その目は『ほら、やっぱり』と言ってた。
「何の目的かは知らんが、そんな馬鹿な話なら聞きたくはない。
悪いが失礼するよ」
崇は憮然といい放つと、その場を急いで立ち去る。
大の横を通り過ぎる時、呼び止められないかと体を固くしたが、大はぴくりとも動かない。衰も何も言わなかった。
2019/02/20 初稿
2021/12/05 文章少し修正