真夜中に世界はほころびる
キーーーーン
甲高い音が空気を激しく震わせる。
昼間でも人などこない廃港の朽ちたコンテナ置き場。ましてや今は真夜中。
本来ならば誰もいないはずの場所と時間だが、今は二つの人影が佇んでいた。
キュイィーーン
音はどんどんと高くなる。
そして、消えた。
正しくは音がきえたのではない、人の可聴範囲を越えたのだ。
「あーー、うるせぇ」
佇む人影の一つ。バサバサの長髪を無造作に後ろで束ねた大男が、小指を片耳に差し込み顔をしかめる。
「もっと高く、強くなる。我慢しなさい」
隣に立つ女が言った。
白い顔が月の無い夜の闇にぼうっと浮かんでいる。真っ赤な唇が妙に艶かしかった
女は切れ長な目を細める。視線の先は遥か沖合い。海と空の境が渾然と混ざりあった漆黒の闇。だが、女の鋭い視力は異変を目敏く捉えていた。
「来る」
女の声を合図に海の上のなにもない空間に横一文字に線が走った。
まるで暗幕をカッターナイフで切り裂いたように空間が捲れる。
捲れた先には闇が広がっていた。
闇夜に闇とは妙な表現だが、見れば分かる。
捲れた空間の先に広がる深淵に比べれば、月の無い夜も白昼の如くに思える。それほどの漆黒がそこにはあった。
「うわはぁ。こりゃまた、盛大にほころびやがった」
男が嬉々として叫んだ。
深淵から真っ白な『なにか』が姿を現す。
全てを吸い込んでしまいそうな深淵を背景にその『なにか』は、ぼぅと頼りない光を発しながらぶよぶよと揺れ動いていた。見知らぬ世界へ踏み出すのを躊躇っているかのようにほころびた空間の縁をなぞり、伸び、不意に驚いたように縮みこんだりしている。その色や動きは死骸にたかる蛆を連想させた。
「なぁ、やっぱ、今のうちに閉じちまったほうがいいんじゃねぇーのか?」
男は腕組みをしたまま女に問うたが、女は黙ったまま、不機嫌そうに海を見つめていた。
ほころびでは、蠢いている『なにか』のすぐ横にそれと同じものがもぞもぞと姿を現した。
さらにその横、またその横に。
長さ100メートル程のほころびの縁がたちまち『なにか』で埋まる。
「うじゃうじゃ出てきたぞ」
「あの出来事の犠牲者は千とも二千とも言われているわ」
女は淡々と答える。
ほころびの縁は蠢く『なにか』で満ち溢れ膨らむ。
と、『なにか』の一つがほころびを越え、ポトリと海に落ちた。続けてあちらこちらで『なにか』はボトボトと海に落ちていく。
「つまり、あれも千か二千いるつぅーことか」
「……そうね」
落ちた『なにか』はしばらくじっと動かず海面に浮かんでいたが、やがて、そのぶよぶよした体から細長い突起が前後に伸びた。
それは萎びた手足だった。
『なにか』たちは醜悪な手足を不器用に動かし海面を叩いた。ばしゃばしゃと水しぶきがあがる。溺れてもがいているようにも見えたが、違う。ゆっくりではあるが確実に海岸に向かって泳いで来る。
「あれ全部相手にするのかよ」
男の言葉に、女は片方の眉を上げ、首をかしげる。
「存分に暴れられるのよ。嬉しいでしょ?」
女の言葉に男はわさわさと頭を掻く。
そして、にんまりと嗤った。
「ああ、嬉しいねぇ。最高だぜ!」
2019/02/16 初稿