エンジェル・キャンサー3
その後、電車内で気分が悪くなることはなく、幻覚や幻聴の類もなかった。それはよかったのだが、結局、あの少女やゴーレムの事は分からないままだ。ただの妄想で、疲れていたから変なものを見た。それならいい、と言うわけではないが、原因が分からないと言うのも、怖いものだ。それに、ゴーレムが振り下ろした拳による衝撃波は、幻覚とは思えないほど体を
揺らした。
何もかもが分からないのだが、考え過ぎもよくない。それに、健康体が取り柄の僕だ。何の確証もないが、大丈夫だろう。そんな大雑把な理由で、家に引き返すことなく、登校を続けた。
電車を降りると、ミヤコがおんぶをすると言いだして、ものすごく迷惑だったのだが、なんとか断り、無事に自分の足で学校にたどり着いた。
昇降口はすでに賑わっており、朝礼の時間より早くきていた運動系の部活に入っている生徒たちが、朝の練習で高まったテンションのまま、はしゃいでいる。
それに対して、今、登校してきている生徒は、さっきまで寝ていた人が多く、物静かだ。
両者の精神状態の差は激しく、端から見ると、混沌としている。今から、その混沌の中に突入しなければならないと考えると、気が滅入りそうだ。
異様な空間に、二人とも尻込みしていると、それは向こうからやってきた。
「おはよう、二人とも」
後ろから声をかけてきたのは、いい汗をかいた後の爽やかなイケメンだった。
「なんだ、ライトか。おはよう」
「なんだって……。せっかく声をかけてあげたのに、ひどい物言いだな」
ミヤコが、何に期待をしていたのかは分からないが、これではライトもかわいそうだ。僕なら、怒っていたかもしれないけど、ライトは怒らない。顔がイケメンの人間は、性格もイケメンなのだろう。
「おはよう、ライト。今日も朝から練習だったのか? 毎日大変だな」
「もう1年経ったし、日常みたいなものだよ。逆になかった方が調子が狂いそう」
「すごいな。僕だったら、3日も持たないかもしれないな。今でもギリギリだし」
文武両道でイケメンで、さらに性格までよく、ダメ押しの様に責任感まで強い。まさに完璧な生命体だ。そんな男がモテない訳がない。
「あ、あの、ライトさん。これで汗を拭いてください」
噂をすれば、見知らぬ女の子がライトにタオルを差し出している。
「ありがとう。今度、洗って返すからね」
断らないというのもイケメンだし、台詞もイケメン、笑顔もイケメンだ。ここまで完璧なイケメンだと、嫉妬する男すらいない。むしろ、男子の中でもプリンスとして持ち上げている。友人として、誇らしいばかりだ。
「ここで立ち話をしてたら朝礼に遅れるかもしれないし、とりあえず、歩きながら話そうか」
その言葉に甘えて、僕とミヤコはライトの後ろに陣取った。正直、ライトの人気は便利だと思う事が多い。今日も、ライトが先頭を歩いてくれれば、モーセが海を割るように、混沌とした生徒たちは道を作ってくれる。
「これには私もホレボレするな」
「……そうかな」
「これで、ハヤトが隣に並べば、ビックスリーなんて呼ばれたのにね」
「スリーなら、僕だけじゃ一人足りないじゃないか」
「そこは、私の出番よ。幼なじみに遅れをとる私ではないのですよ」
「遅れだったら、僕は100年経ってもライトに追いつけないんじゃないかな」
ミヤコは、容姿もいいし、人付き合いもいい。ちょっとお馬鹿なところもあるが、そこが逆に愛おしいと思う人もいる。巷では、ライトには負けるが、ミヤコ人気もそれなりにいる。この三人の中では、僕が一番場違いなのだ。だけど、三人とも小学生からの付き合いなのだから、人気なんて関係ないと思いたい。
「遅れているのは俺のほうだよ。なかなか休みがなくて一緒に遊べないし」
「それは仕方ないよ。今度、試合だろ? 2年生でエースだなんて、すごいよ」
ライトは野球部で、上級生がまだいるのに、レギュラーの座を勝ち取り、背番号が一番初めの1番を貰っている。これは人気だけで勝ち取れるものではない。そこに至るには、僕が想像できないような努力をしているのだろう。その信念は素直に尊敬する。
「公式戦の時は教えてよ。ハヤトと応援しに行くから」
「いいよ。それより、ミヤコは勉強をがんばった方がいいんじゃない? 2年生に上がるのに苦労したって聞いたよ。俺が勉強を見てやれればいいんだけど」
「心配しなくても大丈夫。2年生は心機一転、ハヤトに全部任せるから」
「それなら、安心だな。任せたよ、ハヤト」
野球の話を振っただけで、僕に多大な責務がのしかかってきたような気がする。非常に面倒なことではあるけれど、ライトに迷惑はからけれない。
「このハヤト、成績はライトに劣りますが、ビシバシと勉強を教えていきますので」
「それは頼もしいね」
これでも幼なじみ歴はライトより長いので、ミヤコの苦手な科目などは熟知している。ちなみに、一番の苦手な科目は数学のようだ。
「あの……。やる気に満ちているところ悪いんだけど、お手柔らかにしてちょうだいね。勉強を教えてくれることは有り難いんだけど、私って、ほら、褒めて延びるタイプだからさ」
「なにが褒められて延びるタイプだ。怒らないと間違いに気づかないだろ。天性のドMなんだから」
「ドMって……。幼なじみと言っても、女の子なんだから、ミヤコへの言葉遣いには気をつけた方がいい。ふとしたときに、他の女の子にそんな言葉遣いをしたら、ドン引きされるぞ」
「そうよ。ハヤトはデリカシーと言うものを学ぶべき」
ここぞとばかりに、ミヤコはライトに加勢して、僕を批判してくる。ライトがいるときだけ調子に乗るのは悪い癖だ。
「デリカシーという言葉を学ぶ代わりに、ミヤコにはたっぷりと数式を叩き込んであげるよ」
「うあぁ……数学……数字は見るだけで怖いよ」
ミヤコは頭を抱えて唸っている。そこまで嫌いなのは知っているが、学生である以上、避けては通れぬ道だ。
「ミヤコは受験でこの学校に受かったんだから、頑張ればきっといい成績がとれるよ」
「ライトの言うとおりだ。せめて、授業中ぐらいは集中してほしいところだよ」
「集中しているよ。居眠りだって、そこまでしていないし」
ミヤコが言い訳しようとしているが、そんな急造の言い逃れではライトを欺くことはできない。
「そこまでって……つまり、居眠りしてるんだ」
「2年生になってから、たまに寝てるんだよね。ライトからももっと言ってくれよ」
「そうしたいけど、今はやめておくよ。自分の教室に行かないと朝礼に遅れそうだからね」
1年生の時は3人仲良く一緒のクラスだったのだが、2年生になって、ライトだけが別のクラスになってしまった。人気者なので、友達には困らないのだろうが、話す機会が減るのは、それだけで寂しいものがある。
「昼休みは顔をだすから。それじゃあ、またな」
かっこよく手を振りながら行ってしまった。
「私たちも、朝礼に遅れる前に席に座っておこ」
「そうだな」
名残惜しそうな背中が見えなくなる前に、二人で教室に入った。