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エンジェル・キャンサー  作者: 小森 輝
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エンジェル・キャンサー1

 黄金色が吹き荒れる風の中。

 心の鼓動は、揺らめく炎に迫られる。

 両手の重石は捨てることができず、道は扉を閉ざしてしまう。

 歩みを早める白い壁に、心を捨てる覚悟をする。

 その時、笑うように悪魔が囁く。

 病的なまでに甘美な響きは、心を絡めて釘を打つ。

 唇は心に流れ込み、決意の鼓動に因子を落とす。

 その日、心を蝕む病魔に、出会ってしまった。




 遠くの方で音が鳴っている様な気がする。

 騒々しく鳴り響くそれは、不快感を増していく。

 それでも、気持ちのいい脱力感と幸せな温もりが体を包んでいて、起きる気になれない。

(そのうち鳴り止むか誰かが止めてくれるだろう)

 そんな淡い期待を抱いていたが、音が鳴り止むことはない。それどころか、音量は増す一方だ。

「うるさいな……」

 人がせっかく気持ちよく寝ているのに、邪魔をするなんて、酷い奴も居たもんだ。

 そんなことを考えながら、再び眠りに入ろうとした。だが、その前に、鳴り止まない騒音が理性を呼び覚ました。

「やばい! 遅刻!」

 騒音の元凶である携帯電話を慌てて探し、画面に映る時間を確認した。

「なんだ。まだ余裕じゃん」

 寝坊の時間までは、まだ猶予がある。だが、ここで二度寝をしたら、本当に遅刻するので、それだけは避けたい。

 二度寝を防ぐためにも、心地よかった布団から脱出し、まだ少し肌寒い空気で、緩んだ体を引き締める。

 日差しがこぼれるカーテンを一気に開けると、一瞬で視界が白く輝く。

「今日もいい天気だ」

 空気の冷たさは、日差しの温もりで打ち消され、調和のとれた環境を作り出す。

 布団の中とは別の心地よさを肺の中へといっぱいに吸い込み、天井に向けて精一杯の伸びをする。

 体に纏う倦怠感が霧散していき、体に活力が沸き上がる。

「よし、準備をするか」

 まずは身支度から。洗面所で顔を洗い、未だに重たい瞼に朝を知らせる。

 いつも通りに歯を磨き、朝食を早めに食べ、制服へと着替えて家を出る。

 別に変わったことをしているわけではない。高校生として、1年間、通学してきた学生であれば、日常と言っても過言ではない。

 外の空気は、身支度をしている間に暖まり、優しい風が髪をときほぐしてくれる。

 普通の学生なら、ここから徒歩や自転車で学校に向かうのだろうが、僕にはまだ仕事が残っていた。

 自分の家の真向かいにあるインターホンを押す。

 すると、外からでも分かるほど、家の中が慌ただしくなっていく。

「ハヤト、ごめん! すぐ行くから! 先に行かないでよ!」

 近所迷惑などお構いなしの大声が、家の二階から聞こえてきた。

 当然、先に行くつもりはないし、いつも待たされているので、返答もしない。

 寒空の元で待たされたのは堪ったものじゃなかったが、春の温暖な気候であれば、話は別だ。鼻歌まじりに待っていられるほど、余裕がある。

 鼻歌が風に乗って、気分が良くなってきたところで、家の扉が開いた。

「お待たせ! って、なに暢気に鼻歌なんて歌っているの。早く行かないと、電車に遅れちゃうよ」

「ミヤコが寝坊しているから……」

「ほら、屁理屈なんて言っていないで、行くよ」

 話の途中だというのに、手を捕まれ、強引に引っ張られて走らされる。

「話を最後まで」

「喋る体力があるなら、スピード上げるよ」

「だから、話を最後まで聞けって」

 その悪足掻きを最後にして、走ることに専念した。

 ミヤコは、運動部に入っている訳でもないのに、運動神経や体力はいい。片や僕は、運動が得意ではない。それでも、女子には負けないぐらいの体力を持っておきたいという気持ちだけはある。ただ、気持ちだけで、実行にはなかなか移せないでいる。その結果、ミヤコのペースについて行くだけで精一杯だ。もし、駅までの距離が、これ以上長ければ、途中でリタイアしていただろう。

 無事に駅へとたどり着いたのはいいことだが、僕の心臓は張り裂けそうなほど脈を打ち、肩を上下させずに息をすることができないでいた。

「ハヤトはもう少し鍛えた方がいいんじゃない? 小学校の頃から、かけっこで負けたことないし。このままだと、名前負けしてるよ?」

 馬鹿にしてくるミヤコは、少しも疲れた素振りを見せていない。でも、この差は体力だけの問題ではない。

「何で、こんな急いで走ったんだよ」

「そんなの、電車に乗り遅れて遅刻しちゃうからに決まっているじゃない」

「電車に乗り遅れるからって……。まだ電車は来ないよ。来るのは10分後」

「えっ……。時間ぎりぎりじゃなかったの?」

「嘘だと思うなら、電光掲示板を見てみろよ」

 電光掲示板に記されている次の電車の出発時間はちょうど10分後だ。

「なんだ。走らなくても間に合ったじゃん。疲れて存した」

「それはこっちの台詞だよ」

 インターホンを押すまで寝ていたり、慌てて時間を見なかったり、少し抜けているところがあるから、今日みたいに振り回されることがしょっちゅうある。高校生にもなると、もう慣れたと言いたいが、体力面に関してだけは慣れが来ない。

「時間があったんなら、朝ご飯食べていればよかった。走っちゃったせいでお腹減っちゃった」

「こっちは急に走らされたせいで、朝ご飯が出てきちゃいそうだよ」

「ハヤトは朝ご飯食べたんだ。ずるいな。私も食べたかったのに」

「早起きしないミヤコが悪い。それに、時間があるって言っても、朝ご飯を食べていたらゆっくり登校できないぞ」

「大丈夫。走るから」

「一緒に走るのは嫌だからな」

「えぇ……。じゃあ、朝ご飯は諦める」

 どうやら、ミヤコの辞書に早起きをすると言う文字はないようだ。

「大体、俺が寝坊したらどうするんだよ」

「ハヤトが寝坊したことないし」

「万が一ってことはあるだろ」

「その時は、私も寝坊して、一緒に怒られてあげる」

 その笑顔に嘘はなく、本当に寝坊する気だ。だが、僕たちはもう高校生。そろそろ、自分で起きなくては、社会に出て困ってしまう。

「もし、僕が風邪を引いたりすると困るんだから、そろそろ自分で」

「大丈夫。ハヤトは風邪を引かないから」

「だから、万が一って」

「万が一もないよ。だって、小学生の時から風邪を引いたことないじゃん」

「それは……」

 運動神経もない。学力もそこそこ。そんな僕の一番の才能が風邪を引かないことだった。

 小学生の頃から皆勤賞。インフルエンザが流行っても、一度だってかかったことはない。病気を疑うことも一切ない健康体が、僕が持つ唯一の取り柄だ。ただ、今回は、その長所が悪く働いてしまった。

「本当、馬鹿は風邪を引かないって言うのは嘘だと思うわ。私より成績がいいのに、ハヤトは風邪を引かないし。幼なじみなのに、私の方は風邪を引くし。何が違うのかな」

「日々の生活習慣でしょ。馬鹿は体調管理ができないから風邪を引くんだよ」

「なんかそれ、風邪を引く私が馬鹿だって聞こえるんだけど」

 早起きもできないのに体調管理なんてできるわけがない。と言いたいが、黙っておこう。朝起こすのに加え、体調管理までこちらの管轄になるのはごめんだ。

「何その『馬鹿の世話はこりごりだ』みたいな顔は! 私みたいな可愛い女子高生と朝から一緒に登校できるんだから少しは有り難みってのを」

「あ、もうすぐ電車が来るから駅のホームに行こう」

「ちょっと、私の話はまだ終わってないんだけど」

「起こしてやったのに遅刻する様だったら、次からは一緒に登校してやらないからな」

「そ、それは困るんですけど!」

 駅のホームへ行くことで、都合の悪い話はそらせたようだ。

 それから程なくして、時間に遅れることなく電車が到着した。

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