第3話 ふたりの時空間移動
「万象くんは、何をされているのですか?」
ある日曜日。
鞍馬がいつものように夕飯を作りに東西南北荘へ来ると、隣接した陽ノ下家の畑で、難しい顔をして佇む万象の姿を認めた。
これは声をかけない方が良いだろうと、鞍馬はそのまま庭に面した方の入り口からキッチンへと入って行く。和室を覗くと雀と龍古がいたので、とりあえず聞いてみたのだ。
「あ、鞍馬さん。いらっしゃい」
「バンちゃん? えーっと、なにやってるかって? どこで?」
「畑におられましたが。こう、腕を組んで何やら真剣な顔をして」
すると2人は、ああ、と言う顔をして、そのあと可笑しそうに笑い出した。
そして龍古は戦隊物のヒーローのようなポーズを決めて言う。
「超! 時空間移動!」
それを見て、もっと笑いを大きくしながら、雀がこちらもポーズをとる。
「ターイム・トラベル!」
「……」
鞍馬が黙り込んでしまったので、2人は顔を見合わせながら苦笑して、説明を始める。
「バンちゃんね、頑張ってなんとか時空間移動を会得したの。でね、姿が現れたときに決めるポーズは、やっぱ格好良くなくっちゃ! とか言いだして、色々試してみてるの」
「そうそう。なんか、戦闘ヒーローってのは、決めポーズが命だからな、とか、訳のわかんないこと言いだしてね」
「そうですか」
事情を飲み込んだ鞍馬は、こちらも少しうつむきつつ苦笑した。
「ほーんとに、男っていつまでたっても子どもなんだから。龍古もよく覚えときなさいよ」
「はい!」
たわいのない女子たちの話を聞きながら夕飯の仕込みをはじめた鞍馬は、薬味に使うネギが切れていることに気がつく。畑に採りに行こうと外へ出たところで、そろそろ出勤の時間なのか、帰ってきた万象と出くわした。
「あ、鞍馬。おつかれさーん。晩飯よろしくな」
「はい、万象くんはこれから仕事ですね」
「ああ、行ってくるよ」
ひょいと手を上げた万象に少し頭を下げて、鞍馬は隣の畑へと向かった。
いつ来ても、ここの畑はよく手入れがされている。
優しく根気よく育てている者たちの野菜への思いに、自然に微笑みながらネギを収穫していると、ふっとそこの空気が変わった。
「いらっしゃい、森羅くん」
「あれ、驚かそうと思ったのに。ほんと、鞍馬はいつでもどこでもポーカーフェイスなんだから。ビックリ仰天! て、することはないの?」
クスクス笑って言うのは、今し方時空間移動を終えてやって来た森羅だった。
「それは、私もびっくりすることはありますが」
「そうなんだ」
と、鞍馬の横をすり抜けて、森羅は東西南北荘の方へと歩き出した。
「今日は、俺も鞍馬の御飯いただくね」
「はい」
思っていたより人数が増えたので、鞍馬は今日の献立を変更することにして、さきほどまでの仕込み品に簡単な手を加えると、冷凍庫へと保管する。そして冷蔵庫内臓のメモ機能にレシピを入力しておいた。これなら雀や龍古でも簡単に一品作れるはずだ。
そのあと、また畑とキッチンを往復して、サクサクと料理ははかどっていった。
そして夕飯の時間。
今日の夕飯は、大皿に盛り付けられた中華が、所狭しとちゃぶ台に並んでいる。
「わあ、テレビで見た中華街って言うの? そういう所のお料理みたい」
「あと、小籠包があれば完璧じゃったのにのう」
「申し訳ありません」
「そりゃあいくら何でもワガママすぎだぜ、伯母さん。なあ、玄武」
「なあ、ミスター」
今日は久しぶりにミスターも帰っていて、食卓は大賑わいだ。
龍古と玄武は相変わらずミスターの両横に陣取って、嬉しそうにはしゃいでいる。玄武はそのうえ、森羅まで自分の隣に呼んで、両手に花? 状態だ。
そんなこんなでワイワイと始まった夕食が済むと、ミスターと、なぜか森羅までが立ち上がり、
「食後の運動だ、龍古、玄武、手伝ってくれよな」
「俺もたまには皿洗いくらいしないとね」
と、後片付けを買って出る。
「はーい」
「はーい」
とっても元気な良いお返事で、ミスターと森羅の後について行った2人を見送ったあと、自分も後片付けに行くべく立ち上がった鞍馬をトラが引き留めた。
「のう、鞍馬」
「はい」
「万象の事なんじゃが」
「?」
いつになく真面目なトラの様子に、座り直して話を聞く鞍馬。
そのあとトラが語るところによると、万象は時空間移動を体得したにはしたのだが、着地地点を定めるのがいまいち苦手らしい。
「時代と時間はピッタリ決まるんじゃが、どうも出現する先が思ったように行かないらしくて、お悩み気味じゃ。お前さんの長い経験から、何か良いアイデアがないかと思っての」
「そうですか、場所が」
鞍馬は少し考えていたが、
「ですが、実は私も、時空間移動をなさる方には、初めてお目にかかりましたので。お時間を頂ければ、知り合いを当たってみますが」
と、申し訳なさそうに頭を下げる。
「良いアドバイスが出来なくて、申し訳ありません」
「いやいや。そうか、お前さんも初めてか」
「はい。ですが」
「お、なんじゃ?」
トラが鞍馬の反応に、心持ち嬉しそうな声を出す。
「いえ、それなら私より、森羅くんに聞いた方が良いのでは、と思いまして」
「もう聞いたがの。森羅はあの通り、理詰めの天才じゃろ? 話が神髄に迫ると、ワシや大河でさえチンプンカンプンになるほどなんじゃ」
「そうですか」
鞍馬は、キッチンでミスターや玄武や龍古とゲラゲラ笑いながら、泡まみれになって洗い物をする森羅を、半ばあきれたように、けれどその中に真剣な表情を覗かせて見つめながら、考えにふけっていた。
「バンちゃん待たなくていいの?」
片付けが終わると、とっとと帰ろうとする森羅に言う玄武。
「うん、今日は久しぶりに鞍馬の御飯食べたくなっただけだから。それに万象はひとりで来られるようになったしね。練習を兼ねて飛んで来てもらうよ」
「あ、そうか」
えへ、と言う感じで笑うと、玄武は森羅に抱きついた。
「また来てね!」
「ああ」
その頭をポンポンして、ついでに横にいた龍古とミスターの頭もポンポンとして、「何で俺まで」とかミスターに言われながら、森羅は挨拶をする。
「それじゃ、帰るよ、トラばあさん、雀おばさん。元気でね」
「またおいで」
「朱雀によろしくねぇ」
雀が手をヒラヒラと振る。どちらもあっさりしたものだ。
すると、鞍馬が収穫用のかごを持ってやって来る。
「少し収穫したいものがあるので、畑までご一緒します」
「そうか? じゃあ行こう」
森羅はわかったようにチョイチョイと鞍馬を手招きすると、そのまま畑へと歩き出した。2人は無言で歩を進めていたが、適当なところまで来ると、森羅が足を止める。
「万象のことかな」
振り向きざまに鞍馬に問いかけた。
「はい、私も時空間移動は初めての経験ですので、理論的なことはわかりませんから。ですが、説明して頂ければ、私なりの解釈は出来るかも知れません。森羅くんの言葉で構いませんので、場所の設定条件を説明して頂けませんか?」
「ああ、わかったよ。やっぱ今日来てみて良かった」
と、森羅は「初歩からいくよ」と言うと、理論を1から話し出した。そのあとも、なるべくわかりやすくしているのだろうが、かなり難解な説明が続いていく。
さすがの鞍馬も眉間にしわを寄せて、けれど1つも聞き逃すまいと、真剣に森羅の言葉を自分の中に取り込んでいるようだった。
「って言うのが、僕が説明できるすべて」
ようやく説明を終えた森羅は、鞍馬が石のように動かなくなっているのに気がついた。
ふふ、と、優しい微笑みを浮かべて森羅は、鞍馬が自分の中で今の言葉たちを処理するのを待つ。
サワ……
まるで畑の野菜が息を吹き返したように、なびいた。
すると。
「よくわかりました。お待たせしてすみません」
氷が溶けたように言葉を発した鞍馬に、森羅が聞いた。
「全部理解した?」
「すべてとは言いませんが」
と、少し考えて鞍馬が言う。
「今の理論を、万象くんの本質を踏まえた説明の仕方に組み替えてみましたので、森羅くんから万象くんにアドバイスをして頂けませんか?」
なんと。この短時間で鞍馬はあの理論をかみ砕き、自分の言葉に出来たのだろうか。それにも驚かされたのだが、森羅はシンプルな疑問の方を投げかけた。
「なんで俺?」
「私が言うと、あまのじゃくな万象くんは聞き入れて下さいませんので」
ほんの少しいたずらっぽい笑みを浮かべて、鞍馬が言う。
その表情を、ほけっと眺めていた森羅が、ハハ、と笑い出して言った。
「よくわかってるね、鞍馬。ああ、もっともだ。万象のヤツは鞍馬が好きなくせに、きっと言う事聞かないもんね」
「恐れ入ります」
鞍馬の説明を聞いたあと。
とても楽しそうに笑いながら、森羅は舞い上がる風に乗って、2000年前へと帰って行った。風が止んだあとも、森羅の済んだ笑い声が畑に響いているようだった。
そんなことがあって、しばらく経った、ここは2000年前の陽ノ下家。
時空間移動の技を使って遊びにやって来た万象は、またまた思ってもみない場所に着地したのを、かなり悔しがっていた。
「ううー、絶対自分の部屋に着くと思ったのにぃ。悔しい~!」
「でも、ちょうど良かったじゃないか。これから昼餉だよ」
なんと、図ったように現れたのは、陽ノ下家のダイニングだった。しかも椅子の上にきちんと腰掛けた状態で。
「何かこれじゃあ、俺ってすごい食いしん坊みたいじゃないかー、うー、恥ずかしい」
「ハハ、誰もそんなこと思ってないよ」
あれから万象は、ひとりで空間移動だけを練習していたのだが、なかなか思うように行かず、半ばやけくそ気味に「時間も移動すればうまくいく!」とか言って森羅の所へ来てみたのだが、結果はご覧の通りだ。
「なあ森羅。空間移動をさ、もうちょっと簡単に説明できないのかよ」
出てきた昼餉ひとくち食べて、「お! 美味い」とかなんとか言いながら、万象は森羅に相談を始める。
そんな万象を微笑んで見ながら、森羅は鞍馬から聞いたアドバイスを提案する。
「実は、ちょっと試してほしいことがあるから、食事がすんだらやってみて」
「ここは2000年前の陽ノ下家……。俺の、部屋」
万象は森羅に言われたとおり、目を閉じて自分の部屋を出来るだけ正確にイメージする。幸いにもイメトレは得意だ。部屋の様子を、ベッドで触れる毛布や布団の手触り、いつも一乗寺が用意してくれるお茶の香り、窓から入る日の光、等々、あらゆるものを1つずつ丹念に思い浮かべる。
そして。
あそこへ行きたい! と、強く強く思うんだ、森羅が言ったように。だんだんと万象の中で部屋が超リアルを持って現れ始めた、その刹那。
「わ」
万象は自分の部屋にいた。
「うお! やったぜえ!」
こうして万象は、ようやく行きたい場所への空間移動も体得出来たのだった。
森羅はイメージするとそれが頭の中に数式として現れてしまうらしい。部屋の様子、感覚、手触り、匂いに至るまで、五感を式に置き換えられる。
それに対して、万象は感覚最優先だ。イメージを工夫してリアルに置き換えつつ、自分のものにしていくタイプだ。
どちらが偉いとかすごいとかではない。
ただ、どちらが自分なのか、だけなのだ。
空間移動にしても。
森羅は数式を駆使して場所を特定する。
万象はまるでバーチャルリアリティーと思える所までイメージに入り込んで場所を特定する。その違いだけだ。
「お、上手く行ったみたいだね」
しばらくして、こちらは空間移動を使わずにやって来た森羅が、部屋のドアから顔を覗かせて言った。
「おお! 森羅。お前のアドバイスのおかげで上手くいったぜ! ありがとな」
森羅の手を取ってはしゃぐ万象に、ちょっと考えて、森羅はやはり本当の事を告げる。
「実はこのアドバイスは、鞍馬が考えたんだよ」
「え?」
「俺の説明をお前用に変換してくれたんだ」
「ええっ!」
そのあと詳しい話を聞いた万象は、ガアーッと頭をかきむしって「くっそおー」とか言いだした。
「鞍馬にだけは借りを作りたくなかったのにぃ」
「鞍馬は貸しだなんて思ってないぜ。そんなに嫌だったか?」
悔しそうに言う万象に、訳がわからない様子で森羅が聞いた。
「いや、嫌じゃなくてだな、あーもうなんて言っていいのか、わからん!」
要するに、万象のあまのじゃくがここでも炸裂しているだけなのだろう。
それが証拠に、次に鞍馬に会った万象は、ぼそっと「ありがとな」とお礼を言っていたのだから。
珍しく驚いたようにポカンとしていた鞍馬は、そのあと、本当に綺麗に微笑んで、
「どういたしまして」
と、嬉しそうに返事をしたのだった。