第1話 万象の新しい勤め先?
万象はここのところお疲れ気味だ。
なぜって?
ある日。
「よう! 来たよ」
「お前! なんでそうしょっちゅう来るんだよ! 今日は平日だ、俺はこれから仕事で忙しいんだ」
「平日? 平日とは?」
「はあ?」
またある日。
「ここはなにをするところ?」
「おわっ! 森羅! 何しに来た!」
「会いにきたんだ、それがどうしたんだ?」
「ここは俺の仕事場! で、俺は今すっごく忙しい仕事中!」
「バンちゃーん。追加オーダー入ったよー」
「はい!」
「なるほど」
「なるほどって、なんでお前はそんなに来れるんだ?」
「意味がわからん。じゃあ、なんでお前はそんなにあっちに来ることができないの?」
「あー、もう。だから、俺は仕事が休みの日しか行けないの!」
「バンちゃん~」
「はい! あーもうお前は帰れ!」
と、どうやって入ってきたのか、厨房に突然現れた森羅を、従業員出入り口からポイッと放りだして仕事に戻り。
少し落ち着いたところでハタと気がついた。
あれ? そう言えば森羅、帰り道知ってるのかな。
慌てて裏口から外へ出ると、大きなゴミコンテナの上に座って優雅に月を眺めている森羅がいた。
「森羅! お前ずっとここにいたのか?」
「遅かったな、万象。もう帰れるのか?」
「あー話が通じてねえ。ううー、ちょっと待ってろ」
と、料理長に訳を話しに行く万象。幸いにして今日はそんなに客も多くないので、早めに上がって良いとお許しをもらえたのだった。
そう、疲れの原因は、ここのところ森羅がしょっちゅうこちらにやって来るからだ。
そりゃあ万象だって森羅には会いたいし、休みの日には、毎回とは言わないが会いに行きもする。
けど、こうも頻繁だと、たまの休みにゆっくりする暇もない。
でも仕方がないかとも思う。なぜって2000年前の世界は、万象が想像していたのとは、全く違っていたから。
森羅たちのいる西暦96年は、テクノロジーがすごいのなんの、万象たちの時代とは雲泥の差。もしかしてここは2000年後なんじゃないかって、最初は疑ったほどだ。
けれど、そんなに進んだテクノロジーがあるのに、都には自然がいっぱいで、人は作物なんか育ててゆったりと暮らしている。その暮らしは驚くほどシンプルで単純だ。
彼らの世界にはカレンダーもない。いや、暦はあるのだが、現代のように今日は何日だとか何曜日だとかキッチリガッチリ決まっていなくて、ゆるーいのだ。しかも、天候とかによって変わったりもする。これには全くビックリだ。
森羅にとっては、こっちのカレンダーの方がビックリらしいけど。
「何でこんなにチマチマと決まってるんだ? しかも変わらないし。これじゃあ息が詰まるだろう?」
「知らねーよ。それに、慣れてるから息も詰まんないよ」
あんなでかいお屋敷のボンボンだから、やることなーんもなくて暇にかまけて来るんだろう、とは言えないな。夢だと思って代わりにボンボンやってた頃、結構忙しかったしな。
そこで万象は聞いてみた。
「なあ、聞くけどお前、かなり忙しいよな? しょっちゅうこっちに来てるくせに、よく仕事こなす時間あるなって思うんだけど」
すると、森羅はキョトンとして不思議そうに言った。
「あっちを離れる時間と、あっちに戻る時間を一緒にしておけば何の支障もないだろ」
「って、ええ? お前こっちで散々遊んでるくせに、帰ってすぐ仕事してるのか?」
見た目は優男なのにけっこう体力あるんだ、とかブツブツ言っている万象を微笑んでチラッと見たあと、ウーンと背伸びをして森羅が言う。
「仕事かー。そんなに忙しいとは思わないんだけど、忙しそうに見えるのか?」
「は? だって俺がお前の代わりしてた時って、屋敷にいる暇が全然なかったぜ」
「そうか?」
不思議そうにしていた森羅が、ふと思いついたように言う。
「あ、そうだ万象。屋敷にいるってセリフで思ったんだけどさ、どうせなら陽ノ下の屋敷で料理作る事にしたらどうだ。そうすればお前の所に来るときに、いちいち座標を変える必要がなくなる」
「は?」
なんだコイツは、何言ってるんだ? と言う表情で森羅を眺めたあと、ハタと気づいた万象は、ビシッと彼の鼻先に人差し指を突き出して言った。
「何簡単に言ってんだ、お前は! 今の仕事先やめろって言うのか? せっかく鞍馬が見つけてきてくれたんだ。で、せっかくきちんと仕事出来るようになってきたんだ!」
「そうか、だったら鞍馬に話ししてもらえ。きちんとした仕事が出来るようになったんなら、陽ノ下でも十分やっていけるだろ?」
「はあ?!」
頭を抱えながら、意味わかんねー! と叫ぶ万象の声に、トラばあさんが何事かとやって来て、森羅に訳を聞きだした。
ふむふむ、と頷きながら事の次第を聞いていたトラばあさんは、全部の話を聞き終わると、妙に納得したように、またふむふむと頷いた。
「万象よ」
「はい、なんですか?」
「陽ノ下家への就職、わしが話を通してやろう」
「え?」
「今のレストランは大損害じゃろうが、そっちも鞍馬が上手く話ししてくれるじゃろ」
「ええ?」
「いやな、ちょうど桜子もスタッフを欲しがっておったんじゃ」
「ええっ!」
「しかも今働いているレストラン、かなり遠いではないか。通勤するだけで疲れそうじゃ。鞍馬ももうちょっと考えてくれれば良かったのにの」
「ちちちょっと待ってくれよ! 俺やめるなんてひと言も言ってねえぜ! だいいち陽ノ下家ってどこにあるんだよ」
すると、トラばあさんは何を今更と言う感じで言う。
「知らんかったのか? 陽ノ下の屋敷はうちの隣じゃ」
「え? ええーーーーー!」
宇宙に届きそうな万象の叫びが、また東西南北荘に響き渡った。
そのあと、興味津々の森羅とともに、万象は陽ノ下家へとやって来ていた。
そこは前に、龍古と玄武が誘拐されたときに知らせてくれたお隣とは、ちょうど反対側にあった。とはいえ、こっちの隣も、というよりこっちの隣は、いったい走って何分かかるんだー! と言うほど広大な庭? いや、畑? の向こうにある。
境界もない。
しかもしかも、ここって!
「これじゃあ、気がつかなくても仕方ないか」
「ああ、仕方ない」
「どうしたんだ万象、やけに疲れてるじゃないか。これだけ歩いただけで情けない」
森羅がその言葉通り、さも情けなさそうに言うので、万象は思わずくってかかる。
「ちがう! ここの畑っていつも飯を作る時に使う野菜の畑なんだ。まさかよその畑だとは思ってなかったから、勝手にバンバン収穫してた」
「ふうん?」
森羅は今度は不思議そうに聞いてくる。
「勝手に収穫してなんでまずいんだ?」
「はあ?! あったり前じゃないか」
それでも良くわからないような表情の森羅に、万象は説明する。
「だってさ、せっかく陽ノ下家の人たちが精魂込めて作った野菜だぜ。何の対価も払わずに勝手に、……あ、そうか、もしかしたらトラばあさんが契約してるのかもな」
「契約なんかしてないと思うけどな」
「はあ?」
「まあ、いいよ。早く屋敷へ行ってみようよ」
と、なぜか森羅に手を引っ張られて屋敷へと向かう。これじゃどっちが訪問者かわかりゃしない、と、万象のちっぽけなプライドがムクムクと沸き上がり、彼を追い越して手を引く立場に入れ替わる。森羅は急に速度を速めた万象にちょっとだけ驚いていたが、「アハハ、万象ってかわいいな~」と笑って、後はなすがままにされているのだった。
「あれ?」
畑を抜けると、そこは2000年前だった……。
なんてことはなく、建っているのはまぎれもなく現代の陽ノ下家。モダンな平屋建てで、2000年前の屋敷を知っている万象には、どうにもこぢんまりとして見える。とは言え、敷地の広さは東西南北荘の倍以上あると思われるのだが。
「昔のままじゃないんだ」
万象がポツンとつぶやくと、可笑しそうな声がした。
「あたりまえでしょ。2000年も前に建てられて、今でも現存する木造の建物って、貴方、知ってる?」
声の方を見ると。
「桜子さん!」
なんと、畑の横の出入り口で、大奥様自らがお出迎えしてくれていた。
「どうぞ、ようこそ陽ノ下家へ。ああ、でも、2人は大昔の家を知っているのよね」
桜花より少し年かさの、けれど桜花にそっくりな桜子に、ほう、と感心したような表情をみせた森羅が、丁寧に頭を下げる。
「はい。お邪魔いたします」
万象もそれに倣って、きちんとお辞儀をした。
「お邪魔しまっす」
先に立って歩く桜子の説明によると、この家には今は桜子夫妻だけが住み、子どもや孫やらの親族は別の場所に住んでいるらしい。まあ、あたりまえだが世界のあちこちで。
その上。
「東西南北荘もね、実はうちの所有なのよ」
「へ?」
「トラがあの子たちを引き受けにゃならん、って言って相談してきてくれて。で、それならあそこをお使いなさいって言ったの。嬉しかったわあ、トラがお隣に引っ越してきてくれたのですもの」
「あの子たちって、もしかして、龍古と玄武のこと、ですか?」
「そう、良い子たちよねー」
あっけらからんと言い放つ桜子だったが、このときも彼女はひとつも理由を聞かなかったのだと推測できる。
ただ、親友が困っていたから。
のほほんと奥様をしているように見える桜子だが、トラとはまた違った意味で、この人タダもんじゃないと感じる万象だった。
「ここが厨房よ、で、その先がダイニング」
で、最初に案内してくれたのが厨房、いわゆる台所だ。なぜって? それは畑に面した出入り口(とはいえ、普通の家の玄関よりかなり立派だ)のそばにある貯蔵庫を抜けると、広い厨房と、その続きに広いダイニングがあったからだ。
とうてい個人宅のとは思えない広さのそこは、おしゃれなカフェと言っても良いような代物だ。
「レストランでも営業出来そうですね」
つい漏らしてしまった万象に、桜子はまた可笑しそうに笑う。
「そう言ってもらえると、改装した甲斐があったわ」
「改装?」
「そう、今あそこにね、学びどころを作ってるの。まあ、ほとんど龍古ちゃんと玄武くんのためだけどね。でも、けっこう来たいって子もいるみたい」
と、桜子が指さす先に、建物が見えている。
「で、昼食をここで出すことにしたのよ。うちで働くスタッフもここで食べるから、社会との接点? っていうのかな、色んな職業に携わる人と話して、可能性を広げて貰おうかなって思ってるの」
学歴社会が崩壊して、教育はその制度を大きく変えつつある。ただ、まだ知識詰め込みを続けようとする時代錯誤な考え方の所も多々あって、そんな学校には行きたくないと言う子どもが大勢いるのが現実。
そんな中、将来を担う若者のため、陽ノ下家は本来の学びを提供しようとしているのだ。このような動きはなにも陽ノ下家に限ったことではなく、世界的に大きく広がりつつある。
「だから、ねえバンちゃん。よければ料理の先生になってくれない?」
「え?」
実のところ、ここへきて万象はかなり心を動かされていた。龍古や玄武のように、やむを得ない事情できちんとした勉強も出来ないとか、好きなこともさせてもらえないとか、そういうのは勘弁してほしい。どうにかならないかと思う。だから出来れば何かの手伝いはしたいのだけど。
でも、今の仕事仲間に負担を強いるのも嫌だし、と、あれこれ思い巡らす万象に、決定的な打撃が与えられた。
「あ、そう言えば鞍馬さんもね、ようやく決心してくれそうなの」
「え?」
「★市のお店はそろそろ引き上げるつもりだったらしくてね。そのあとの事はまだ何にも考えてないって言うから、もう是非ここで料理人してってお誘いしたの。そしたら、考えてみましょうって」
「え? ええーーーっ!」
「へえ」
「鞍馬だってえ! なんだよそれ! おおっし、鞍馬が来るんなら、やってやろうじゃないか!」
あまりの衝撃に、後先考えず言葉にしてから万象はハッと我に返る。
「って、いや今のはちょっと軽率でした、やっぱり店の料理長やオーナーとも相談してから決めます。すみません!」
最敬礼をする万象を、また可笑しそうに見る桜子と、
「鞍馬ってホント人気者だね」
と、妙に感心しながら言う森羅。
「人気者ってなんだよそれ」
「うん? だって飛火野もね、今の万象みたいに鞍馬の名前を出すと、目茶苦茶嬉しそうだもん」
「はあ? 俺は嬉しそうじゃない!」
「そうかな? まあいいや」
ハハハと笑う森羅に、フン、と怒ったような顔を見せたあと、万象は桜子に言った。
「龍古や玄武のためになるなら、やっぱ俺はこっちの仕事がしたい気持ちが大きいです。けど、せっかくここまで育ててくれた今の店の皆にも恩を感じてるし。いちどキッチリ理由を説明して、承諾してくれたらって事で良いですか?」
すると、本当に嬉しそうに桜子が万象の頭をなでなでしながら答える。
「もうー、真面目なんだからバンちゃんは。そこが良い所なんだけどね」
「わ」
「大丈夫よ、学びどころの方もこれから準備を始めるところだから。そんなに急がないからね」
「はい」
とは言え、鞍馬へのライバル心から(それだけではないが)、森羅やトラの思惑通り、このあと万象が陽ノ下家で働くことになるのは、火を見るよりも明らかだった。
邸内を案内して貰ったあと、森羅は桜子に了解を得て、邸内や、畑や庭を見て回る。
ときおりフムフムと頷きながら、何かを確認するようにあちこちそぞろ歩いていた森羅は、「晩飯食べて行けよ」と言う万象の誘いを「ちょっと用事を思い出した」と断って、その日は早々に2000年前へと帰って行ったのだった。
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
東西南北荘の第三弾です。
今回も現代と2000年前の住人たちが繰り広げる物語です。
どうぞのんびりおつきあい下さい。