月曜日の女神
海面を漂うクラゲを死んだ目で見つめる俺の名前は、桐島善。桐島という苗字のため、クラスメイトからはよく部活辞めた?辞めた?と聞かれる。しかし俺はそもそも部活に入っていない。辞めるどころの話ではない。
クラゲが波に流され、遠くに移動した。視点を合わせる場所が無くなり、辺りを見渡す。すると、切り立った崖を見つけた。いかにも二時間サスペンスのラストにピッタリな形状の、良い崖だ。今度はあそこにカーソルを合わせてボーとしよう。
今日は夏休みの最終日。学校で出された宿題も終わらせた俺は、明日の支度を終え、暇になった午後、近所の浜辺にきて、たそがれていた。清兵衛状態である。
海にきてぼんやりと過ごすというのは、案外やったことのある人は少ないのではないのだろうか。おすすめする。形の変わる水面に心を奪われてもいいし、はるか遠くの水平線に思いをはせてもいい。ロマンチストであるなら、その辺の砂に埋まった巻貝でも拾って耳に当て、波の音を聞いてみてもいい。夕方ならば沈む太陽にほえるのもありだろう。
楽しみ方はいろいろある。自然を楽しむのはアクティブなアウトドア好きの特権ではないのだ。俺のような微動だにしないアウトドア好きも存在を許されるべきだ。
さて、俺はいま、自分の好きなことについて語り、それを君に薦めた。これで、俺と君はもう友達である。君がどう思っているかは関係ない。俺はもうそう思っている。
友達になったのだから、もう隠し事はいらない。実は、ここまでのことで一つウソをついた。冒頭のエピソードのことである。あれはまるまる作り話だ。桐島善というのは本名だが、俺はクラスメイトにそのようないじり方をされたことがない。というか、クラスにそのような会話をできるような友達はいない。
いわゆる、俺はボッチである。加えてコミュ障である。そして、根暗である。皮肉屋であり、そしてもうわかっていると思うが、ウソつきである。俺のからだの半分は嘘でできている。無論、ウソである。
未来からやってきた猫型ロボットが現代に持ち込んだ道具のなかで、もっとも俺に合ったアイテムは、「飲むと嘘を本当にすることができるようになる薬」ではないだろうか。あれは便利だ。いや、やっぱり危なそうだ。俺は細かく下らないウソをたくさんつく。暴発し放題だろう。あれのほうがいい。「もしものことが現実になる電話ボックス」。あれなら、使いたいときに使えばいいだけ。節度を持って扱えば、非常に有意義な効果を生み出せるだろう。
ところで、これは本来ならもっと早い段階で説明しておくべきだったのだろうが、俺がカーソルを合わせた、崖、の上には人が立っていた。女性である。俺がクラゲを見始めたころにはもういたので、かれこれ……二時間まえから、彼女はあそこに立っていたことになる。
つまり、俺は二時間もクラゲを見ていたのか。われながら、おかしなやつだ。クラゲなんか見続けて、何が楽しいのだ。もう帰ろう。
……ん?なんだい?ああ、あの女性のことはほっとくのかって?俺に話しかけろとでもいうのか?無茶を言うな。俺はコミュ障であるぞ。荷が重い。それに、きみはどうせあの女が崖から飛び降りて自殺しようとしているのではないかと考えているのだろう?それは、ないね。なぜって、あの女は二時間もあそこに立って、海を見ているだけだったんだぜ?ここで急に海にダイブなんて、どんな心情の変化が起こったというのだよ。
第一、あの女が死のうが、俺には関係がないではないか。どうして縁もゆかりもないひとに、辛くても生きなきゃだめだ!なんて説教できる?ああいう励ましっていうのは、近しい人がやるから効果があるのだろうが。突然現れた男に、まして高校生なんかに人生について説かれたら、耳を貸すか?貸さないだろう。そんな程度で心変わりするようなやつはどうせまた自殺するよ。助けるだけ、無駄である。
と、ここで俺はこの海辺でやり残したことがあったのに気が付く。
「そうだ、あの崖のうえからションベンをするのが俺の日課だった」
わざとらしく声にだして、自分のからだのかじを切る。日課は今日から始めればいい。ちょうど明日からは高校の新学期なのだし、タイミングとしてはいいだろう。三日坊主になってもいいわけだし。
俺は女のいる崖のほうへ歩き出す。俺のいた浜辺からは上に上がるように移動しなければいけないので、足腰に負荷がかかった。つらい。日課は無理だな、これは。今日限りにしよう。
涙目になりながら、ようやく俺は女の後ろに立つ。近くによってわかったが、女の身長は少し高めだった。俺より、十センチは高いか。女は長髪で、風に毛先を遊ばせていた。それがカーテンのような役目を果たしており、後ろから彼女の表情をうかがうことができなくなっている。こういうとき、美人であればいいのだが、こんなところにひとりでくるような痛いやつの容姿がよいことはあまり考えられない。この女が振り返ってきて、顔がわかっても、あまりがっかりしないでおいてあげよう。
と、そんな失礼なことを考えて、俺は気持ちを整える。うまく、声をかけれるだろうか。緊張する。一度深呼吸しておくか。…………。はあ、よし。
心を決め、俺は女に呼びかける。
「こんなところでなにしているんですか」
出だしのセリフはこれで合っているのだろうか。自殺しそうな女に話しかけるなど初めての体験なので、勝手がわからない。
女は俺の声が聞こえているのか、聞こえていないのか、なびく髪をかき上げてみせた。
「…………っっ」
なにか言葉を続けなければと口をぱくぱくしてみたが、思いつかなかった。沈黙の時間が訪れ、波の音が場を支配する。
これでは、なんのためにこんな崖の上まできたのかわからない。俺はもうワンアクションくらいはおこしてから帰ろうと決める。もしかしたらテイク2も行われるかもしれないが、そこはライブ感だ。
「あのー、風でおからだ冷えませんか」
何の心配だ。自分にツッコむ。女は相変わらず、反応がない。
冷たいやつだ。俺はこんなにも勇気を出しているというのに。
と、ここで。
女が、振り返った。
「……っ」
思わず、息をのむ。
女の顔貌に、こころが奪われたのだ。
粉雪を連想させる上品な肌。そのなかに花のように咲く日本人離れした青い瞳。ふっくらとしたくちびるに、艶やかさを感じる。それでいて、幼さもわずかに残っており、西洋の童話に登場する妖精を連想させる。
しかし、場所は荒ぶる海をバックにこさえた崖っぷち。多くは森を住処にする妖精には、似ても似つかぬ舞台である。
「あなたは……?」
女が語り掛けてくる。
俺は動揺から、なんの益にもならない、名前を教えてしまう。
「桐島、です」
女も、名前を聞きたかったわけではない。どうして、話しかけてきたのか、その理由を尋ねたのだ。
「……面白いひと」
女はぽつりとつぶやく。顔は笑っていない。
腕を広げる女。抱きしめて、とでもいうのか。
普通、知らない人に抱きしめられようとは思わない。だが、このとき俺は非日常を楽しんでいたからであろう。つられるように、彼女の胸に向かって歩き出した。
ほんとうに、なぜそんなことをしたのだろう。あとから考えれば後悔しかない。
女は俺を抱きしめると。
海へ、飛び込んだ。
次に目が覚めた時、俺は漁港にいた。慌ただしく、漁師が右往左往するなか、俺はわかめを頭に乗せて、突っ立ていた。
「おめでとう」
女が、いた。彼女は、にこにこと笑っている。
「ここは、異世界よ。最近は転生できるような子が少なくって、素質がありそうだから試してみたの」
女は自分を女神だと名乗った。彼女は俺のいた世界の人間をこの異世界に連れ込むことが使命だといった。
わけがわからなかったが、ようは、俺は女神に殺されたらしい。
俺は桐島。俺はうそつきである。だから、女神にこう言ってやった。
「ありがとう」
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