第51話 十和田湖合宿・初日朝――「バキと小僧ども」
朝5時半。 夏の陽はもう湖面を照らし始め、十和田湖畔に差し込む光が水面で煌めいている。 宿舎の2階和室。布団からのそのそと這い出す部員たち。まだ目が半分しか開いていない者も多いが、ここから1週間、黄金台サッカー部の合宿が始まる。 「おはよー……」「眠てぇ……」 誰かのぼやきに、窓を開けた氷見翔弥が軽く伸びをしながら返す。 「ほら起きろ、ドリブルラン始まるぞー」 合宿初日の最初のメニュー、それは“湖畔ドリブルラン1時間”。
白い息を吐きながら、それぞれボールを持ち、十和田湖を臨むコースに並ぶ。柔らかく乾いた土の道を、ボールとともに走り出す。 玲央、光陽、神田は、まるで既に日課のようにスムーズなドリブルを刻む。 一方で、まだ身体が起きていない者、ボールとリズムが合わない者はフラつき気味に走る。 しかし―― 「……ペース掴んできた」 「お、ようやく足とボールが仲良くなってきたぞ」 30分も経つ頃には、それぞれの“ドリブルペース”を見つけ、次第にフォームが安定していく。 静かな湖と蝉の声、そして砂利の上を転がるボールの音。9人の選手と1つの目標が、静かに走り出していた。
朝食は和定食。焼き魚、味噌汁、卵焼き。素朴だが、疲れた身体に沁みわたる。 食事の途中、キャプテン・有屋夢生が口を開く。 「なあ、みんな。試合中って、指示出す時とかあるだろ? その時、呼び方が長いと伝達遅れるし、ニックネームっていうか、呼びやすい名前で呼び合わないか?」 「おう、いいじゃねえか!」 神田照真が乗った。 「俺のことはテルって呼んでくれ。もう“さん付け”とか要らねぇからよ」 続いて玲央は、「レオしかないな。うん、まあそのまんまだな」 赤江光陽は「“ミッツ”か…なんかタレント名みたいだけど、言いやすいしな」と苦笑。 田浦昴は候補が溢れたが、「“バル”で! バル、頑張る!」と軽くダジャレで決着。 氷見翔弥は「“ヒミ”だと“ヒミコ様”になりそうだから、ショウで」 魚住大輔は「ズミ」で落ち着き、「ズミって初めて呼ばれたなぁ」と言いながら得意げに花言葉を語り出す(誰も聞いていない)。 そして問題は早乙女咲哉。 仏門出身の家系により、案の定ニックネーム候補がカオス。 「“ホトケ”、“坊さん”、“ブッダ”、“ナムアミ”……」 「いやそれはもう選手じゃねぇだろ!」と一同爆笑。 結局、玲央が提案した「ザック」が「日本代表監督っぽくていい!」と満場一致で決定。 早乙女も「これも修業の一齣。何でも受け入れてみせようぞ」と微笑みながら受け入れた。 柳沼主良はすでに呼ばれていた“カズ”で異論なし。 「俺が“キング・カズ”になる!」と宣言するが、夢生に「まずは合宿走り切れ」と返される。
一通り決まったところで、視線が自然とマネージャーの木庭香織に集まる。 「え、えっと私は……」と戸惑いを見せる香織だったが、覚悟を決めた顔で言う。 「では、私のことは“バキ”と呼んで下さいますか」 「……バキ!?」 「って、あの……」 「格闘漫画の!?」 どよめく部員たち。 だがその瞬間、監督の紫乃が箸を置いて立ち上がる。 「狼狽えるな、小僧ども」 一同「!?」 「……ごほん。香織は、マネージャーであり戦術補佐であり、あなたたちと共に戦う仲間よ。ニックネームのひとつやふたつでざわつくな」 少しの沈黙の後―― 「……よし、じゃあ、バキ、よろしくな!」 「バキ、伝説作っていこうぜ!」 「俺らの“戦術の刃”って感じでさ」 香織は小さく頷き、微笑んだ。 こうして、黄金台サッカー部の10人の仲間たちは、新たな“絆”を名前に刻みながら、合宿初日の朝を終えるのだった。




